その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

止まない雨はない…

2021-08-19 07:41:00 | 転職

一日が終わって空を見上げると…

コロナ禍、豪雨災害と日本列島は、人災・天災にさらされております。「東日本大震災からの復興の証」としてのオリンピック開催どころか、次から次へと災難が降りかかる。「オラたち、お天道様に顔向け出来ないような悪さをしたっけかなぁ?」なんて考え始める。「失われた30年」などとも言われるけれども、リーマンショック直後には当時50歳前後の労働者の生首が切られ、会社にしがみついてさえいれば何とかなるという神話も無くなってしまった。年金受給年齢は引き上げられ、退職後の再雇用もまた「いらない者」は切り捨てられる。「一億総中流社会」などと言っていたのはいつの日か?次第に「格差社会」が拡がりつつある。総てが個人の責任なのだろうか?
イソップ物語の「アリとキリギリス(一説ではセミ)」は残酷である。夏の間、歌い(遊び)続けたキリギリスは、冬に食べ物をアリに求め、「夏に歌っていたなら、冬は踊っていなさい。」と追い返されたり、時として社会福祉の観点から「さぁ、遠慮なく食べて下さい。」と最後はみんな幸せに暮らすというお話に変わる。はたまた「私は歌うべき唄は歌い尽くした。」と我が人生に悔いはないと捨て台詞を吐くお話もあるんだとか…。生き方は、人それぞれではあるんですけれど、童話にしては発展形があり過ぎる^^;


お金は腐る物でも無いんでねぇ…

無ければ困るけれど、あっても不都合ということでもないから、お金はあったに越したことはないかぁ^^; 「アリとキリギリス」の教訓は、「…だからコツコツ汗を流して働きましょう。」ということだったのかも知れませんが、生きるためだけの労働で満足かい?あなたの生きがいって何だったの?なんて、結末次第で「人生観」の問題にまで昇華されてしまう。「夏に遊び尽くした人々」は、「運が無かった。」とか「もう俺なんかどうなっても構わない。」なんて一様に口にするのが常でありまして、「十分人生を楽しんだ。」と口にする方は少ないようでありますなぁ。コツコツと労働に汗を流し、コツコツと蓄財した者からすれば、「若い頃から遊び、浪費してきたんじゃないの?」と苦言のひと言も吐きたくなることもあるんですけれどねぇ…。「何とかしてやらねば…。」なんて、およそ力量にそぐわないことを考え始めるから肩が凝る^^;
「60歳を優に越えて、性格が変えられるとは思わない。しかし、首でも括られようもんなら、こちとら残りの人生、自分を責め続けなければならなくなる。」そんなこっつまらない人生を他人から強いられるのは御免被りたい…。「止まない雨はない。」なんて言うのは、壁を乗り越えられた方が発する言葉であって、壁を乗り越える力量の無い人間にとっては慰めの言葉にもなりはしないな…夕刻、雲の晴れ間を見て、色々あった一日だったと振り返る。肩が凝るのは、二度目のワクチン接種の副作用だけではないようだ。今は「凌ぐ(しのぐ)時」…決して自分だけが不幸であると考えて欲しくないもんだわ。市場での「キュウリ単価が上がっている。」そんな情報で、一喜一憂している『おやじぃ』の力量なんて、高が知れているというのにねぇ(笑)

コメント
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