知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

ポジティブに生きる。

2013年03月12日 | スキルアップ
僕が今までの人生で学んだことの一つ。

 幸せに生きる
 ポジティブに生きる
 平穏に生きる

こういった生き方における主要な要素は、
 天性のものや運によるものではなく、単にスキルである
ということ。

そんなわけがない!
金持ちの家に生まれることが幸せに生きる主要な要素だ!

確かに、お金は要素の一つではあるものの
 主要な要素ではない
というのが僕の見解です。

お金があっても、
 スキルが無かったら、騙し取られたり、
 浪費したりして、失ってしまう。

美しい美貌も、かっこいいプロポーションも
 年が経てば廃れていく。

かじった桃を分ける行為は、美しいときは優しい行為となり、
美しさが衰えたときは、無礼な行為となる。


幸せに生きるためには、
 幸せに生きるスキルを磨いていく。

スキルが主要な要素であれば、
 だれでも、努力で身に付けられる。

ポジティブな考え方も、
優しい心配りも、
 スキル。

お金もスキルで稼ぐことができるし、
 美しい美貌も日々の肌の手入れやヘアースタイル、
 女性だったらメイクのスキル
 男性だったら筋トレ等の努力である程度は補える。

プロポーションも日々の食習慣と運動。
体臭もタバコをやめたり、風呂の時間などで改善できる。

現に、綺麗な人はいろいろ努力している。
(本人は努力と思っていないことも、ほかの人は真似できないことがあったりする。)

こういったことは、スキル。


そう考えれば、
 毎日少しずつ、自分が手に入れたいスキルを磨いていけばよい
ということになります。

これが、知的に成長するということ。


この戦略が知的成長戦略。

このような考え方が有益なのは、
 言い訳しないで済む
ということ。

お金がないと、
 うちは貧乏だから仕方がない
と言い訳をしたくなるはず。

お金を稼ぐのがスキルなら、
 なんだ、お金を稼ぐスキルを身につければいいだけだ
と、
 ポジティブな発想に変わる。

あとは、そのスキルを身につけるための計画を練る。

顔が悪いと、
 親がブサイクだから仕方がない
と言い訳をしたくなるはず。

美しくなるのがスキルなら、
 なんだ、美しくなるスキルを身につければいいだけだ
と、
 ポジティブな発想に変わる。

あとは、メイクなり、運動なり、ヘアスタイルなり、
 自分を引き立てるスキルを身につけるための計画を練る。
そんなに嫌なら、整形したっていい。


スキルだと考えた瞬間、
 変えることができないと諦めていたものが、
 変えることができるものに変わる。

おなじみの
 コントロールできるものとコントロールできないものにわけ、
 コントロールできないものはそのまま受け入れ、
 コントロールできるものに集中する
という第一原則。


これは、いろいろなところで使えます。


それは、ポジティブな人間だから出来るんだよ!

そういう人は、
 階段を設定する。

 昨日より少し成長する。
と朝誓って、昨日まではしなかったことにチャレンジする。

駅まで歩く時間を短縮する。早足←運動 昨日よりカロリー消費量を上げる。
エレベーターやエスカレーターを使うのをやめる。

これくらいなら、できるはず。
これを積み重ねると、レベルアップしていくので、
 1年前なら考えられないほど、エネルギッシュになっている
はず。

ネガティブな人は、
 ある意味、改善の余地が非常に大きいので、楽しいはず。

韓国ドラマに多いシナリオ。
最初は嫌な性格の主人公が、
 周りの人の力によって、徐々に変わっていき、
 最後にはすごくいいやつになっている
という感動のストーリー。

非常にネガティブな主人公が、
 毎日、ひとつポジティブな発想と行動をすることによって、
 徐々に変わっていき、
 最後にはすごくポジティブになって周りから慕われている
という感動のストーリーを自分で描く。


これは、僕がドラマ化と読んでいる手法です。

嫌なことがあったら、
 カメラをイメージして、自分を主人公とするドラマの撮影だと思い込む。
僕は頭の中で、音楽をイメージして、場を盛り上げます。


嫌なことがあっても最後はハッピーエンドになる。
ここでは、主人公が耐えて、視聴者に共感をしてもらう大事なシーン。
 ここで共感が生まれないと、ハッピーエンドの感動が薄くなる。

窮地に追い込まれれば、追い込まれるほど、
 観客はドキドキする。

ドラマの撮影だと思えば、嫌なことがあっても落ち込まないで済む。

人生も同じようなもので、
 みんな自分の役割を演じているだけなのかもしれない。

そう考えると、少しはポジティブになれるはず。

ネガティブかポジティブかという性格の問題も、
 僕の見解では、スキルにすぎない。

落ち込んだ時に復活できるスキル(ここで紹介したのはドラマ化。他にもいろいろあります。機会があれば書いておきます。)を
 身についけているかどうか。

天性の才能や性格など、ほとんどの人にとっては大して重要ではない。

だから、自分の性格が嫌いでも落ち込むことはない。
性格も、スキルにすぎないので変えられる。
演じればよい。役者は、みんなそうしている。
ホントは、暗い性格でも、明るい役を演じる。

そうしているうちに、どっちがホントの自分かわからなくなる。
「役が抜けない」と言われたりします。
ということは、なりたい性格にもなれるということ。

そう思えば、元気が出てくるはず。
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震災復興について考える。

2013年03月12日 | 国家論
震災復興についてのドキュメンタリーが
2年の経過とともに、どの局でも放映されていました。

震災復興についての一番の問題は、
 トータル的に戦略を立案し、実行していく担当者がいない
ということです。

さらに、ややこしくしているのが、
 原発問題と除染作業。

除染作業については、ばれないように山に捨てていたり、
賃金が払われていなかったりと、
不透明さが暴露されて問題となっています。

放射能汚染の水の問題も、原発施設の問題も、
 依然として根本的な解決策が見つかっていない。

加えて、
 民主党政権から自民党政権への政権交代
により、
 責任の所在が不明確なもの
となってしまいました。

 おそらく、後世でなぜもっとうまくできなかったのだろう
という検証作業がなされた時に、
 そもそも問題の難しさ

 リーダーシップのなさ
に加え、
 責任の押し付け合い
という要素が加わることになると思います。


実は、こういった問題を解決するには、
 負担をする犠牲者が必要となります。

誰も、自ら犠牲者にはなりたくない。

そこで、リーダーシップを持った独裁者が、
 犠牲者を選定し、事態を収拾していく
必要があるわけです。

それが、良いか悪いかは別として、
 物事を前に進めていくための手法
です。


ある意味、危険負担という発想です。
自動車の売買契約をした後、地震で車が大破した場合
 売主は、大破した車を渡せばよいのか、同じような車を用意して渡さなければならないか
という問題です。

多くの人は、
 ディーラーが新しい車を用意して渡さないといけない
と思いがちです。

ところが、法は少し違っています。

答えは、
 新車の場合は、ディーラーが新しい車を用意しなければならない
のに対し、
 中古車の場合は、大破した車を渡せばよい。

これが、危険負担というものです。

ロジックとしては、
 新車の場合、引き渡して初めて所有権が移転する
のに対し、
 中古車の場合は、それ以外には物がない(特定物)ので、契約時に所有権が移転する
ということです。

つまり、
 新車の場合は、ディーラーが引き渡しまでの危険を負担
し、
 中古車の場合は、お客さんが引き渡しまでの危険を負担
するということ。


これは、
 どこかで線引きをしないといけない
というもので、
 これが公平に適うか、一般人の感覚に合うのか
というものとは異なります。

通常の感覚だと、
 ディーラーが新車と中古車を扱っている場合、新車か中古車で結論が逆になる
というのは、違和感があるかもしれません。


ただ、誰かが危険を負担しなければならないということ。
では、誰にするか。
これを、問題の解決のために、法が決めているということです。

法で決められていないのであれば、
 リーダーが決めなければならない。

その役目は、危険を負担する者の憎まれ役になり、
 怨まれたり、選挙で落とされたりする
おそれを引き受けるリーダーが負う。

 そういう汚れ仕事を断固とした姿勢で、国家全体のことを考えて実行しなければならない
場合があるということです。

誰からも好かれるような政策は、
 結果として、何も進まない
からです。

ビジネス界でも、優秀なリーダーだといわれる人は、
 「憎まれ役」も引き受けている
ことが多いわけです。

新しいことを決めたり、
 改革をしていく
場合に、
 みんなから好かれるはずがない
からです。

今の日本で、物事が進まないのは、
 憎まれ役になるのは、みんなが嫌だ
と思っているため。

特に、小選挙区制の選挙制度では、憎まれ役になるというのは、
 政権を失い、リーダーの座を引き摺りだされる
ということを意味します。

そこで、矛盾が生じるわけです。

優秀なリーダーであればあるほど、引きずり出される可能性が高くなる。

その矛盾をうまく処理するには、
 適切な犠牲者を設定し、大多数の大衆を味方につける
ということ。



今回の場合だと、東電と土地の所有者を犠牲者とする選択肢がありました。
東電は、債務超過により、破綻。
これで、損害賠償責任を消す。

その上で、救済法を制定し、
 国家が補償にあたる。

この場合には、国家が柔軟に救済計画を立案できたわけです。

生きながらえた東電は訴訟ラッシュというリスクを抱え、
 そのコストは、電気利用者のもとに課せられる
ことになるはずです。


土地については、
 被災地を強制収容し、国家が補償をする。
この場合の補償額は、
 現状を基準とする
ことになるので、
 安価で購入することができた。

その上で、がれきの撤去や都市整備を行う。

その後、希望者に販売し、震災復興費用に充てる。
この場合も、国家が柔軟に復興計画を立案できたはずです。

今は、土地所有権の問題で、他人の土地に立ち入ることも、
 うまく利用することも難しい。

被災地の土地収用に関する法律を制定し、
 行方不明者も含め、土地を収用することができていれば、
 今のように、行方不明者の土地をどうしよう
ともめることがなかったはずです。

いくら土地を整備しても、死者や行方不明者が大量に発生している以上、
相続は進まないため、
 所有関係が特定できない土地
がたくさん残ってしまうことになります。

その場合、総合的な町の開発など不可能です。


この辺は、このブログでも書いたわけですが、
 人間である以上、みんな自分の利益を求める
ため、
 一つにまとまることは難しい。

利害関係が異なるからです。

この点は、合理的経済人の発想。


理不尽な震災で自分の財産が毀損された。
それを元に戻してもらいたい。
そう考えるのは、自然なことです。

ただ、自然災害に対し、どこまで国家が元に戻すべきかという話は、
 財源の限界
という問題があります。

理想は国家の負担で復興を行う。
しかし、現実は、お金がない。

では、どうしたらいいのか?

東電にも、おそらく、すべての損害賠償に応じる財力はない。


復興税が課せられることになりましたが、
 反発を恐れて負担は少ない。

こっそり導入し、批判が少なければ、消費税のように徐々に上げていくかもしれないですが、
 今でも生活が苦しい国民にこれ以上の負担は厳しい。

そうなった場合、金持ちから取るという発想になるわけですが、
 国外に奪取する資産家や企業が増えてきているので、それも限界がある。

つまり、八方ふさがりの状況になりつつあるわけです。


では、どうしたらよいのか?

復興庁よりも、強力なリーダーシップの方が必要だと思います。
戦後は、比較的それが行いやすかった。

今も、被災地にとっては、戦後のようなものです。
個人的には、土地収容法の特例を制定し、
 土地の収用を促進し、税制優遇や恩恵を与えて誘致し、
 国家の規制が及ばない経済特区
をいくつか作って、
 その特区を拠点に、ドイツのような領邦国家化
しながら、
 仕事を創出していく
というような抜本的な改革をしていかない限り、
 除染と工事の仕事
ばかりでは、
 将来的な再生は難しい
と思います。
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