巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

長太(なご)の大楠

2006-11-29 | 三重県

 


慣れない土地を車で目的地を探して走り回る限界を知った巨木でした。


ひろい畑の中に孤塁を守るように聳えているとの情報だけで、地図を片手に走り回り、このときほどナビが欲しいと思ったことは無い。



訪ね訪ねてありました、確かに広い見通しの良く効く田園地帯に巨大なこの楠が、たった1本だけ聳えている様はまさしく神がかりした存在にしか見えない。



「孤高の巨木」という言葉が余りにもピッタリ来る楠の巨木で、近づくと、若々しくすくっと天を突き破る力強さに圧倒される。


推定樹齢1000年、樹高23m、目通り幹周り8.16m、枝張り東西32m、南北35mで、絵心のある人なら、ひと目見て描きたい姿をしている。



凛として建つこの巨木の株元は巨大であるが樹瘤なども無く端正で、良く見かける枯淡な姿とはかけ離れ、すがすがしい若さが1000年ほども樹齢を数えている樹のようには見えない。


「孤高の巨木」は1日にして成らず、昔はここの樹の下に延喜式内 大木神社があり、神社は合祀されて他に移ったが、このクスノキだけが残ったといわれている。



伊勢湾台風以前は、傘を広げたように左右対称の美しい樹冠だったそうだが、台風によって東側に広げていた大枝に被害があり、往年の姿が失われたそうですが、今は木の周囲がきちんと整地され、藁がしかれて根を保護している。


今は、その面影をとどめるかのように大きな石柱が、延喜式内 大木神社とほこらしげに建っている。


撮影2006.9.17
 


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太夫(たゆう)の大楠

2006-11-27 | 三重県

 


ここは僕の守備範囲を大きく逸脱したかのように遠く、とにかく見かけた人に聞きまくり、大きな樹冠をめがけて車を走らせた。


三重県とはいえ、愛知県に近く道路も不案内で、大きく時間を潰してしまったが、この大きな樹瘤を目の前にしてただただ感嘆の声を上げざるを得なかった。



小さな住宅街奥、新興の住宅に囲まれるようにして聳えている太夫の大楠は二本の樹が寄り添って立っているように見える。



現地の説明板に依ると、「太夫の大樟一本」と書かれており、根株は一つで、地上0.6mのところから二本の幹が分岐しているのという。



二本に分岐した各々の目通り幹周は、南側の幹が5.9m、北側の幹は4.6m樹高27m、大きいほうの根元に驚くほど大きな樹瘤があって、たぶん誰もが目を見張るに違いない。


元々、六本楠という名称の楠(楠群)が6本あったといい、天正年間(1580年頃)三河の武士が、この六本楠に隠れて追手から逃れることが出来、一命を取り留め、後年その楠が枯れた時にその母親がお礼に植えたと伝えられている。



またこの場所は昔は神社境内で敷地であり、この木も神木であつた。


すぐ、近くに小さな神社があってその神社が元々この楠を神木にしていたのだろうか??


撮影2006.9.17


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戒長寺の、お葉つきいちょう(秋)

2006-11-24 | 奈良県

 

秋、バージョン、黄色に染まる戒長寺のお葉つき公孫樹。

 

晩秋にはこの「境内が黄色の絨毯で敷き詰められる」と聞いていたので行ってきた。

 


 

その日は今にも雨の降り出しそうな肌寒く、光の弱い1日でした。

 


 

 

境内はまだ充分には真黄というまでには落葉は進んでいなかったが、僕と同じく気の早い人々が三々五々訪れていた。

 


 

 

以下は前回のものを使用しています。

 

戒場神社と同じ境内にある戒長寺にはお葉つきいちょうの巨木がある。

 お葉つきいちょうとは、葉のふちに種子(ギンナン)をつける珍しいもので、これは、二股にわかれた軸の先の胚珠を乗せている部分が伸びだして葉になるために起こるといわれています。

 




この現象は、植物の進化発生を示すもので学術研究資料として、きわめて貴重なものとされているそうです。

ここ、戒長寺のお葉つきいちょうは、目通り4m、樹高30mあり、樹勢はきわめて良好だということです。

 




幹の下枝付近には樹瘤がたくさん垂れ下がっていて、このいちょうがかなりの年月を生きてきたことを偲ばせるが、樹齢は不明だとしています。

 奈良県の天然記念物に指定されている。

撮影 2006.11.23

 


小夫(おおぶ)天神社の大欅(秋)

2006-11-22 | 奈良県
小夫(おおぶ)は、大和高原、都祁から初瀬に抜ける街道沿いに有る山里で,泊瀬斎宮の旧跡と言われている。
ここをおとづれるのは二度目、今回は天理市内から、天理ダムを越えて、この地を訪れた。
以前訪れたのは、春なお浅き3月の終わり、冬枯れのこのケヤキに出会った。
今は晩秋、色づき始めたケヤキの葉がまだ枝一杯に広がっていた。
大欅はこの斎宮跡地に建つ天神社の磐境としての神木だと言う。
この欅の由来は意外とはっきりしていて、第23代顕宗天皇の御世、顕宗記に「埴槻也田中乃杜也」とあり、社務所のあるあたりは、古来から神前田と称し、しかも田中の杜と符号する。
欅の大木は神社の石垣の辺りから巨大な幹を突き上げている。
 
幹周り、目通り11.5m、樹高25m、樹齢1500年と言われています。
桜井市に属していますが、大和高原最南西部辺りで車無しではかなり行きにくい場所です。
この欅の巨木には神の存在を感じる何かがある。
この前に立った日、僕は喜びにあふれていた。
晩秋とは名ばかりの温かい日でした。
撮影2006.11.3
場所はここ

宇陀市 高井の千本杉

2006-11-20 | 奈良県

奈良県宇陀市の榛原から国道369号線を伊勢方面に10分ほど走ると、旧伊勢街道が良く残っている地域が高井の集落。

高井の旧伊勢街道沿いにこの千本杉がある。

奈良県の天然記念物に指定されておりその異様な姿と大きさには、ただただ驚嘆するしかない。

古い井戸の周りに数本の蜜植された杉が成長するにしたがって、株元が癒着したものらしく、地上1mぐらいのところから16本に分かれているように見える。

全体として株幹は約25mに及ぶ、樹高約30m、樹齢約600年と推定されている。

遠望すると山の続きの森のようにしか見えない。

根元には例に漏れず小さな鳥居とお社が、祀られていて「千杉白龍大神」として信仰が篤い。

大樹に神が宿ると言うのが納得できる威容でせまってくるものがある。 まだまだ若々しく見える樹勢である。

撮影2006.9.9

MAPここ


倉垣天満宮の公孫樹

2006-11-20 | 大阪府

 

大阪の北端の地は、山間部の素朴さがまだまだ残る山里で、見るべき巨木も多い。

この辺り、京都からは出かけにくい土地で道路のアクセスも良くなく、人にたずね尋ねて、ここ倉垣天満宮へ訪れた。

前々回、紹介の野間の大ケヤキからさらに北上、倉垣の歌垣小学校隣にこの神社があった。

清掃の行き届いた参道から、境内の左手に巨大な公孫樹の聳えているのが目に入る。

この天満宮がこの地に鎮座した天正12年(1584年)には、すでに「翠枝千歳なりき」と言われた美しい銀杏の巨木であったらしい。

樹齢400年、樹高22m、目通り幹周9.0m、僕が訪れた8月の半ばには枝一杯に真っ青な葉で天空を遮っていて

樹盛は旺盛、秋の黄葉の見事さを想像させるに十分過ぎる境内と樹姿であった。

 

昭和13年、(1938)大阪府天然記念物指定

撮影2006.8.18

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天王のアカガシ

2006-11-15 | 京都府
  

このアカガシは大阪府の最北端に位置する能勢町、天王の稲荷神社にある。

神社のある天王地区は能勢町でも最北端、トンネルを越えると、もうそこは兵庫県の篠山市である。

国道173号線・天王トンネル入り口手前左側に車の停められる駐車スペースがあり、側壁の小さな石段を上ると神社の石鳥居がある。

鳥居の前には集落から続く、軽トラックが走れる程度の道が有りそれを山側に進んでいくと

やがて杉林の中にそれと解る巨樹の姿が見えてくる。

アカガシの巨木は二本在り、手前が天王のアカガシと呼ばれているもので、大阪府指定天然記念物

まるでムンクの叫びの、大きな口のように見える洞が強く印象に残る。

この巨木の根元付近は節くれだち、うねるような幹は枯淡な姿で、時間の流れと無関係で在るかのごとく聳えている。

アカガシは樹高22m、幹周り5.2m、辺りは森閑としており、昼なを暗しの感がある。

巨樹のそばには小さな祠もあり、異空間に足を踏み入れてるのかと錯覚するほどに、時が止まっているのを強く感じてしまう。

神社自身は鳥居の奥、凄い休斜面の上にあるようだが、下からはまったくその姿も見えず、今回参拝は躊躇した。

 撮影2006.8.18

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祇園杉

2006-11-11 | 京都府
京都、南山城の和束町は宇治茶の主産地として広く知れ渡って居り、家からもそう遠くないので、ドライブの途中に良く通っている道だけど、今まで気づかなかった。

和束は京都の最南端部に位置していて滋賀県の信楽に接している。


奈良時代、恭仁京から信楽宮への街道筋になっていた土地で、山深い土地ながら古くから開けたところです。

府道の南手の高台に和束中学が建っていて、その少し奥に天を突いて聳える大杉がみえる。


祇園杉と呼ばれているこの巨杉は、樹高、約30m・幹周り13mで、2本株立ち。

地上1m程度の所から数本の大枝に分かれており、普通の杉のように真っ直ぐ立っているのは2本の主幹だけであるが、根は一株のように見える。


ここには,今回二度目に成るが、カラーコピーのしおりが用意されていて、それによると。

この杉は「北山杉」で和束のような比較的温暖地帯には育ちにくく、同一品種は見当たらず誰がどうして植えたのかは謎とされています。

樹齢は1300年~1500年、聖武天皇の時代(744~749)にはこの八坂神社はこのちに祀られていて、聖武天皇の皇子、安積親王の病気平癒祈願がこの神社でも行われたと言い伝えられて居り、当時すでに大木として育っていたらしい。


最近では樹木医の手入れも入って樹勢も衰えを見せていない。 すぐ傍に民家は有るものの茶園と山の懐に抱かれており環境はまだ荒らされずにいる。


八坂神社の境内に在って祇園杉と呼ばれているようだが、ここでは 主が大杉で、八坂神社は後から勧請されたもののようです。  大杉の根元に小さな社が鎮座しているが、社より杉の根幹のほうが余程神々しい。


先ず大杉在りき、こんな、近くにこのような巨木があったことを今まで知らなかった自分が恥ずかしくも有る。

撮影2006.11.10



野間の大ケヤキ

2006-11-09 | 大阪府

大阪府の最北端,能勢の地は、京都の山城域に住む僕にとってはかなりなじみの薄い土地でした。

大阪の河内地域とは境を接する山城なのですが北摂はこちらから見ればちょっとした異郷の地に違いなく、何処をどう走って行こうが片道約1時間半はたっぷり懸かってしまう。

名神の茨木インターから、ひたすら、亀岡街道をひた走り豊能町の役場のある余野までたどり着く、そこから、能勢の妙見さんとして名高い山を一山越えると能勢町野間の里に入る。

野間に入れば、一目瞭然、この大きな樹が目に入らないわけもなく、又誰に聞いてもすぐに教えてくれるはず、妙見山より下ってきた道そのまま進めばこの大ケヤキの横を走ることになる。

8月の大ケヤキ

10月末の大ケヤキ

きれいに整備された駐車場も準備されていて、その奥には小さいながらもケヤキ資料館まで設置されていて、至れり尽くせり状態です。

さすがに大きい、ケヤキでは全国四位、西日本最大の巨木だと言われていて、樹齢1000年以上、樹高30m、目通り幹周14mと記されています。

この樹は、元々この地に有った「蟻無宮神社」の神木であったが、神社は明治45年に野間神社へ合祀され、この樹だけが残されたと伝えられている、因みに祭神は紀の貫之であったと言う。

昔はこの樹の芽吹きで作物の豊凶を占ったといわれ、また、この境内の砂を持ち帰り畑や屋敷に撒けば蟻が退散すると言われていました。

一時期、樹勢に衰弱が見られたが、最近ではすっかり元気を取り戻し大切に守られている事が誰の眼にも疑うことなく伝わって来る巨木です。

尚、この樹は新日本名木百選にも選ばれている。

撮影2006.9.18/10.21

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国指定天然記念物 所在地:大阪府豊能郡能勢町野間稲地


曽根飛鳥神社の樹叢

2006-11-05 | 三重県

 

国道42号線は尾鷲の市街地を越えると直ぐ山の上へと登ってしまう。

曽根飛鳥神社の有る賀田湾へは42号線の矢の川トンネルを出て直ぐの賀田口信号を左折、道なりにどんどん山を下り突き当たりの海岸沿いを右折するとじき飛鳥神社の樹叢が見えてきてそれと解る。

社叢の手前に左へ入る道があって、目の前に巨大な楠が聳えている。

 目通り幹周11.5m、樹高30m、推定樹齢1000年の大物、巨大な天を掴むこの楠の手は葉をいっぱいに繁らせて若々しくさえ見える。

飛鳥神社参道入口の鳥居横に巨杉が立ち、少し進むと参道の真ん中に巨大なクスノキとスギが二本並び立っていて、その他シマクロキ、バクチノキ、ムクロジ等の亜熱帯性と温帯性の植物が鬱蒼と混在しており、神社樹叢そのものが三重県の天然記念物として指定されている。

角の取れた、丸い石で石垣を積んでいるのはさすがに海岸線に有る神社だと関心してしまう。

社殿への門をくぐると殆ど倒れるばかりに前方に傾いた楠の巨木が眼に入る。

まるで二本足の怪獣が大地を踏みしめて立っているように見えるのは根元が二本に分かれているからで面白い樹姿です。

一部、湾の海の上にも枝を伸ばしたこの神社の杜は里山育ちの僕には凄く新鮮な鎮守の杜に見えた。

撮影2006.8.15

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尾鷲神社の大楠

2006-11-03 | 三重県

 


国道42号線で尾鷲市内に入ってすぐの坂場交差点を左折、海岸を目指して道成りに進むと左手に二本の巨大な楠が聳えている。



海辺の起伏が無い境内に、この二本がどっしりと大地を掴んでいて約5mの間隔をあけて立っているが、互いの枝は重なり合って一つの樹冠のように見える。



広く開いた境内は鎮守の杜の重々しい神々しさは無くあっけらかんとしているので、その分親しみやすく、夏休みの子供がキャッチボールをしていたりするのはが微笑ましい。



二本の内大きい方の楠は、目通り10.2m、樹高18m、もう一本は目通り9.5m、樹高24m、樹齢約1000年以上と推定されている。



尾鷲神社の本殿は元はこの樹の西側にありましたが、宝永の大地震(1707)による津波によって流出してしまい、その後に現在地に再築されたらしいが、この楠はびくともせずにここに留まっている。


寛永13年(1636)紀州藩の調査改め帳には、当時すでに幹周り6.0mあったと記されている。



大きい方の楠の根元には夫婦楠、大国主命・縁結びの神・夫婦和合の神・子授けの神と書いた表示があり、根元の樹瘤が男根のようになっていて注連縄がかけられ、その頂点には小さな鳥居まで立てられている。


撮影2006.8.15


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