巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

西祖谷 五所神社の大杉

2011-01-21 | 徳島県

東祖谷の山を駆け下り県道32号線を祖谷川沿いにどんどん下るとやがてあの「祖谷のかずら橋」、やがて県道45号線に乗り換え大歩危付近へと出る。

この先又山道を縫うように幾つもの集落を越え、最奥の上吾妻橋へと至る、隣村だとは言えその間車で約1時間強、辺境から辺境への移動は大変。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/26/8d4d2203aecb10bf6953145689b58a16.jpg?random=ea83b8465dc3e84a6dc57962a18ca435

正しく天界の村、山上の神域と言った感じで下界のことなど全く別の世界・・・・ここの自然は過酷で厳しいと察するに余りある。

<バスは1日3回も来るけど??>

自然に囲まれて長閑などという言葉はここでは通用しない様に思う。

この地も例にもれず平成3年の台風19号に依って大荒れに荒らされこの杉の大枝も長々と境内に横たわった様で、境内の木々も被害を受けたのであろう??

何処と無く間が抜けてる様にがらんとしている。

しかし、石鳥居、石段参道脇に大きく枝を広げるこの大杉は正しく巨木の何恥じない威厳と歴史の重みを十二分に感じさせる姿で建っている。

主幹の根幹近くは妙に扁平で郷僕ではないのかとも思わせるが、それがこの巨杉の刻んで来た歴史の重みなのだろうと驚嘆せずには居られない。

この辺境の地で約1100年、生を重ねたものだけが持つことを許された神々しさも納得。

この地に建ってこの大杉と対峙すると、目通り11.5m 樹高30mと言われる巨杉は、正しくこの辺境の山岳集落を暖かく見下ろす神そのものだと云う気がしてくる。

自由奔放に伸びる大枝小枝はこの日当たりの良い山の斜面で元気そのものの様に見える。

撮影2008.11.2


東祖谷鉾神社の鉾立の杉

2011-01-18 | 徳島県

国道439号線は高知県から徳島県に越える県境辺りはまさしく酷道、急峻な山肌を縫うように県境の京柱峠までの高知県側は、離合も困難なほどの林道状態。

京柱峠でやっと一息、此処は標高1100mも越える絶景ポイント、ツーリング族?には人気が高いく、此処から先徳島県側は道路も良くなって旧東祖谷山村へと入る。

鉾神社は京柱峠を一気に下った日本三大秘境に数えられる祖谷川沿い、栃之瀬小学校前の分岐点から急峻な山肌をクネクネと5km近くも登った平家落人が隠れ住んだと伝えられる地に鎮座して居る。

平家の末裔とされ、今は移築され一般開放もされている武家屋敷の「喜多家」のすぐ横が鉾神社、この境内奥の鬱蒼とした木立の中に鉾杉が聳えて居て全体を捉えるのはかなり困難です。

神社には大木が生い茂り、地方独特の自然石の石段を登ると神さびた雰囲気の中に樹齢約800年、目通り約11m、樹高約35mと言われる鉾杉が立ち尽くしている。

この地は平家落人にまつわる遺跡や伝説が多く残され、この鉾杉もこの地に入った 「平国盛」が鉾を納めた鉾神社に国盛の手植したのがこの鉾杉だと伝えられ県内一の巨杉として天然記念物に指定されています。

まるで鷲掴みにするかの様に聳え立つ太い主幹、脇から何十本となく突き刺すような枝はこの地の歴史と自然の厳しさを物語る様に猛々し見事ですが、写真には収めづらい場処に立っています。

この杉が健在な限り「平国盛」の名も忘れることなく語り継がれるのだろう・・・。

四国の山深い山中に隠れ住んだという平家落人の悲哀が実感として感じられる土地であり、神社であり、杉の巨木です。

撮影2008.11.2


地蔵森のカゴノキ

2011-01-14 | 徳島県

主幹は殆朽ち果て脇より立ち上る二本が世代交代を果たしている。

桑平からの帰り道、ちょうど旧村役場との中間辺り、河内地区にさしかかり貞光川が大きく迂回、国道も大きく右にカーブを切る辺りに車を寄せるとそれと解る案内板も建っている。

右側斜面に山道が有りそれをよじ登るとこのカゴノキを主とする木々の生い茂った場所に出くわす。

なんとも早、ものすごいカゴノキです。

すっかり朽ち果てている主幹の根元には延命地蔵、庚申塔、常夜灯などの石造物が置かれ、この木は間違いなく神の宿る樹として信仰されて来たことが窺い知れる。

天明の飢饉(1787年頃)当時、この地でも多くの犠牲者が出たため、その犠牲者の冥福を祈り、飢餓が終わることを願って石仏を建てたと伝えられ「地蔵森のカゴノキ」と呼び親しまれている。

幹周り、ひっくるめて約9m、樹齢は不明ですが天明の頃、既にカゴノキが大樹で有ったとしたなら500年以上には成るのじゃ無いだろうか???

根元の石仏さんに聞いてみれば解るかも・・・・。

しかし一度後ろに回ると朽ち果てた主幹は哀れにもこの姿。

撮影2008.11.1


桑平のトチノキ 桑平堂の大杉

2011-01-13 | 徳島県

四国の山間部を走っていると毎回の事ながら本当に驚く・・・・・・こんな山深い奥地に道路も車もない時代によくも集落がつくれたものだと・・・・、まさに恐るべし四国人、関西の生ぬるい環境に育った僕なんかにはこんな所に人が何代にも渡って生活し続けてきたことが俄には信じがたい。

ここは前回紹介の赤羽根太師のある麓、一宇村の旧役場から国道438号線で剱山を目がけてひた走る事約40分足らず、国道と言えども四国の山岳国道のそれは酷道と称され、急カーブと急勾配の連続。

急勾配と急カーブがますます険しさを増すあたりの山肌にポツポツと四国特有の山岳集落が突然姿を現すここが一宇村の最南部の集落桑平。

しばらく走って大きくUターンする程の急カーブを過ぎると眼下に2~3軒の民家が見え進入路が有り、大きな杉木立を望むことが出来る

進入路の最奥部は少しひらけて小さな桑平観音堂、その傍らには天を突き刺すように大杉が正しく聳えている。

推定樹齢約500年、目通り約8m、樹高は何と45m、こんな雪深い山中であるにも関わらず良くのびたもんだ。

この大杉横の石段を少し下ると桑平のトチノキ、途中から振り向き見上げる大杉の姿が格別。

トチノキは「トチの木大師」の祠の傍らにあって 

里道脇の細い谷川越しの斜面にどかっと腰を据えている。

この巨大さはどうだと言わんばかり、樹勢は衰えを知らず大きな損傷も見当たらない。

実に端正伸び伸び、あるがままに育ったと云うか、自然そのままのおおらかさ・・

推定樹齢500年 、目通り8.3m、樹高27m、徳島県天然記念物指定・・・・・・・旧剣山登山道入り口にあたる桑平集落の歴史と共に、この2本の巨木は正しく集落と運命共同体。

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この先も集落を見据えながら元気に生き抜いてくれるに違いない。

2008.11.1


赤羽根太師のエノキ

2011-01-12 | 徳島県

吉野川市を出て吉野川沿いの国道192号線を西進、つるぎ町貞光の「うだつ」の街並みを少し車の中から眺めながら国道438号線を剣山系に分け入るように南下すること約30分強、つるぎ町一宇の旧村役場辺りに到着。

ここつるぎ町一宇は剣山系の山深い過疎の山里、一宇地区には巨樹が数多く有るため「巨樹王国」をうたい文句に地域振興を図ろうとして行動、その目玉的存在になっているのがこの「赤羽根大師のエノキ」です。

<山道から見える対岸山手の山上集落、向こうから見ればこちらも同じ様な景色なのかも??>

現在はつるぎ町一宇支所となった旧村役場を越え道なりに進めば左手に橋があり表示板、表示に従い急峻な山道を駆け登りつめるとやがて開けた大きなな駐車場と真新しいトイレがあって、この巨樹に寄せる町の力の入れようが解る。

平成10年に調査が行われ、それまではムクノキと思われていたこのエノキの巨木が日本一と認定されたようで、当時付近住民は困惑の色を隠せなかったようです。

赤羽根大師堂は管理不十分で廃堂となった氏堂の変わりにこのエノキの傍に建てられた様ですが平成17年10月に建てかえられエノキは現在有るような姿に成っているようです。

山肌の緩斜面に力一杯根を下ろして入る姿はやはり感動もの、気の遠くなる800年という樹齢を生き抜いてきたものだけが持つ力強さが主幹に脈打っている。

この様な人里離れた山奥の小さなお堂の守り神として人知れずたちつくしてきたこのエノキ・・・。

一躍有名になってしまって、訪れる人も多くなってちょっと迷惑してるかも??

樹高18m、目通り8.7m、平成16年国の天然物に指定されている。

撮影2008.11.1


壇の大楠

2011-01-11 | 徳島県

つい最近になってNET記事を見て驚いた・・・・・・。

徳島新聞によれば、2009年4月半ば頃から樹勢が急激に衰弱し、大半の葉が枯れ落ちた・・・・・壇の大クス回復の兆し 吉野川市、栄養剤投与など奏功<2009/6/28>とある。

僕がこの楠と出遭ったのは2008年11月、まだ写真の通り元気そのもの、樹冠に緑一杯の葉を茂らせて弱った感じなど微塵も見出せなかった。

壇の大楠は吉野川を挟んで南側、その名も吉野川市鴨島町背後の山裾、森藤壇集落にある。

此処も判りにくい所でしたが、ナビが連れて行ってくれたのはちょうど大楠の下に当る辺り、見かけた子供連れ婦人に訪ねると神社の横を上がったところだと・・・

この「壇の大楠」をお手植えしたと言う平康頼(たいらのやすより)を祀る康頼神社の細い脇道を登り、比較的広い農道で振り返ると巨大な樹冠が聳えているのが見える

目の辺りにする壇の大楠はまさしく巨大でど迫力・・・・その上やっぱり威風堂々、樹から出る一種オーラのようなものを感じる。

主幹の幹周りは10.3m、ぐるっと一周りして見上げる大枝はそれだけでも主幹として通用しそうな程・・・その重量感たるや見事と言わざるを得ない。

そしてその大枝を支える主幹はどっしり大地を捕まえている。

推定樹齢約950年、高さ約35m・・・・

しかしこれほど逞しく見えた楠がこの半年後には大部分の葉を落としたとは俄かには信じ難い。

何ごとが有っても動じないような力強さも・・

拠る年波には抗うことが難しかったのか??

しかし栄養剤の点滴で少しは勢いを持ち直してるとか???

あの新聞記事から1年半・・・・今はどんな姿でいるのか??ちょっと気にかかる。

撮影2008.11.1


乳保神社の大イチョウ

2011-01-10 | 徳島県

乳保神社 というこの聴き慣れない名前の神社・・・・?

可笑しいなあと思って調べて見るとやっぱり江戸時代に改称されていたとか。

勿論乳イチョウと呼ばれているこの老イチョウを神格化しての改称だったのだろう??ちょうど改称された寛政年間には落雷に寄る火災、戦火に拠る出火のおりには自ら噴出した水で火を消し止めたと伝えられ、それがこのイチョウの神格化と共に「乳保神社」へ改称の弾みに成ったのだろう???。

鳥屋の大楠とは目と鼻の先、県道を挟んで1kmも離れておらず、どちらからもそれと確認できるほどです。

天を覆うばかりに青葉を茂らせた大イチョウはその繁茂ぶりで遠目にも近くに寄ってもその樹様がイマイチ判りづらい。

余りにも良く伸びた枝に葉が茂り過ぎ、主幹の様子や概要が掴みにくい。

大銀杏は拝殿の奥、小さな本殿脇の窮屈な場所に在って、周りを頑丈な高いフェンスで取囲まれいかにも窮屈そうな上、主幹などは写真にも収められないお粗末さ。

いかに保護の為とは言え,ちょっとやりすぎじゃない??これでは写真にもならない。

確かに巨大で威厳に満ちてることは間違いないのだが、乳イチョウの何恥じない気根も生い茂る緑が邪魔をして良く判らず終い

主幹は度重なる落雷や炎焼に拠る頂部の損失により地上4m付近から4本に分岐、ヒコバエが大きく育ったものとが合木、幹廻り17.2mと言う巨大さ

推定樹齢900年、国の天然記念物に指定されている。

NETの写真などを見ているとやっぱり裸木のイチョウの方が迫力有る写真に成るのかなあと感じることしきり・・・。

しかし青葉の一杯茂ったこの老イチョウは、まだまだ元気だなあと感じれる写真には成ったとおもう。

 

撮影2008.11.1


鳥屋の大楠

2011-01-09 | 徳島県

こんな抜け殻のようになっても良く生きてるもんだ・・・ 

石井町から吉野川を挟んで対面する上板町もまた肥沃な農地の広がる長閑な田舎町を思わせる景色が広がるところです。

上板町の西端に近い畑地が広がる鳥屋付近は民家が群をなさず点在してるが、そんな小さな民家の集まりの中、この大楠の聳えているのが遠くからでも見える。

この地は瀬部椿神社跡地で現在小さな祠とこの大楠だけを残して民家の庭先のようなところにたち尽くしている。

主幹の根元はすっかり抜け殻、子供なら10人以上も入ってままごとでも出来そうな空間が広がる。

天井も高く一昔前なら格好の遊び場だったに違わない。

内側は炭化していて洞の中で火災でも起こしたのだろうか??

洞が広がる少し上の大枝は2004年6月、徳島県を直撃した風6号の強風にもぎ取られたとか・・・

大楠を眺めて居るとおじいさんが出てきて台風で捥ぎ取られた大枝のことを思い出すように話してくれた。

此処に有るのが台風で大枝を失う以前の雄姿。

確かに現在の樹姿より一周りも二周りも大きく聳えている。

それでもこの大楠はそんなことなどものとせずに残った枝一杯に青葉をつけている。

木の裏に廻れば全く表の洞など何処ふく風・・・・・。

樹齢約700年、幹周り11.6m、樹高25m、徳島県指定天然記念物・・・・・・まさに驚くべき生命力です。

撮影2008.11.1


矢神のイチョウ

2011-01-08 | 徳島県

前回紹介の天神の公孫樹から直ぐそこ、 距離にして1kmばかり、ほんの隣村と云った感じの処にも公孫樹の巨木。

この辺りは那須与一が屋島での軍功によって与えられた領地で近くには那須与一神社もあってそれに纏わる話も多い。

この公孫樹の巨木は那須与一が紀州熊野より勧請したという新宮本宮両神社の真新しい神殿脇にどかっと腰を据えている。

曰く、矢神の公孫樹・・・、これも那須与一が阿讃山脈の大山寺山から射た矢がこのイチョウに当たったという伝説が伝えられていて神木とされています。

推定樹齢900年以上、主幹の上部はすでに欠損小枝が大量に繁茂して居て、まるで箒を逆さまにしたようです。

樹姿は老齢を感じさせない程若々しく見えて巨樹ファンにとっては余り興味を惹かないのは事実。

僕がここを訪れたのはまだまだ元気な青葉を目一杯に付けてる頃でふと裸木の姿はどんなだろうと思ったりした。

それでも目通り約10m、樹高約30mと圧巻、徳島県の天然記念物に指定されている。

樹勢は写真でも解る様に旺盛極まりなく推定樹齢900年以上がどうも信ぴょう性に欠けないでもない。

脇に有った掲示板です。

ダダ広い境内は公園の様に整備され、楠の大樹が多く

そのうちの1本は見事な巨樹ぶり。

これが四国でなかったら、この楠だけでも巨樹として充分に紹介出来る威容ぶりです。

名無しの権兵衛の楠の木。

撮影2007.11.8


石井町 天神のイチョウ

2011-01-06 | 徳島県

どうしてこうなって居るのか??ちょっと判りづらい神社です。

goo地図に住所を入れて検索してみると出てくるのは秋葉神社と八坂神社、しかし此処は間違いなく無く住所も天神と言うだけ有って天満神社。

三社合祀で代表的な天満神社が抜けていたと言う事なのだろうが実にトンマな話です。

まあ、そんな前置きはどうでも良いことですが、此処は前回紹介の春日神社から南西方向へ約10km強車で25分、吉野川に架かる六条大橋を渡ると其処は吉井町、吉野川南岸に広がる肥沃な平野が大部分を占め、ここでも藍畑の地名も残る藍の産地。

そんな河岸段丘田畑の広がる集落の中にこの大イチョウの聳える天満宮が有る。

拝殿正面の左側に何事だろうかと思うほどに一杯の気根をぶら下げたイチョウの老巨木。

丸で樹のツララでも吊り下げたようなその様は樹齢の深さの証明なのだろうか??

見事な気根に圧倒されて樹の周りを一周、ただただその奇観、そして異風堂々とした姿にしばし見上げるだけ・・

主幹や大枝から垂れ下がる気根は直系30cm、長さ5mにも及ぶものが約15本もあり、小さなものは数えようもなく無数に在る。

大きな根はしっかり大地を噛み、主幹に大きな痛みも見えず樹勢は衰えを知らずに枝一杯に葉をつけている。

推定樹齢900年、目通り約10、6m、樹高38mと有る。

徳島県には楠と共にイチョウの巨木も多いが此処、石井町にはそんなイチョウが三本も集まっている。

因みにこのイチョウは徳島県の天然記念物に指定されている。

正面の鳥居を出た旧参道だったと思われる民家の空き地には楠の巨木も・・・

撮影2007.12.8


矢上(やかみ)春日神社の大楠

2011-01-06 | 徳島県

前回紹介の応神町別宮神社から約15分ばかり、かつては藍の栽培で隆盛を極めただろう?旧吉野川と吉野川に囲まれたデルタ地帯の真ん中辺りに位置する藍住町,矢上地区の春日神社神木の大楠。

この辺りの神社は何処でもそうで有るように矢上春日神社も一面に田畑が広がる集落の奥に鎮守の森を持っている。

神木の大楠は社殿の奥、鎮守の杜にその巨体を埋めるように潜んでいた・・・、まるで巨大な大巻貝が触手をのばして何かを狙ってでもいるかのように・・

なんと言えばいいのか・・・、この巨大な木の塊・・・・。

動くはずの無い楠の巨木・・・しかしそれは今にもノソリノソリと歩き出しそう・・・・・

大声を上げて叫び出しそう。

往古付近は皇室領の春日部屯倉(みやけ)が置かれていたところで鎌倉時代になって、奈良春日大社の分霊を勧請したという。

主幹は幹と言うには程遠くまるで樹瘤の塊、落雷にでもあ遭ったのだろうか大きく口を開けた洞には黒く焼けただれた跡があり、主幹はそのときにでも損失したのだろうか??

まるで巨大なオブジェ?、生有る自然の営みが造ったモニュメントの様でもある。

樹齢1200年、目通り約12m、樹高15mと有り、徳島県内で最も長生きしている楠木だとされている。

撮影2008.11.1


応神町 別宮(べっく)八幡宮の大楠

2011-01-03 | 徳島県

四国巨樹追いの旅の始めは明石海峡大橋を越え、淡路島を縦断 、鳴門海峡を渡り、先ず最初に訪ねたのがこの応神町別宮八幡宮の大楠。

我が家を出たのが早朝の4時過ぎ、この大楠の前に立ったのが7時過ぎ、前の道を通勤の車がそろそろ動き出す頃。

別宮八幡宮わきを通る県道29号線は神社境内の鳥居の前で直角に折れ吉野川方向に進む。

大楠は旧参道だと思われる県道を挟んで神社と対峙する形で玉垣に囲まれてでんと腰を据えて居る。

道路を跨ぐ様に鳥居が建ってるところからもこの県道は旧参道を利用して造ったものだという事がわかるし、この巨楠はそんな参道の一角に在った物なんだとうなずける。

大楠は朝日一杯にを浴びてその雄姿を誇らしげに見せ付けてでも居るようにその巨幹がちょっと赤く輝いてるように見えた。

四国の楠はやっぱり圧巻、どんと腰をすえたその主幹は根元が少しえぐられては居るが、何事が有っても動じない力強さを秘めている様に見える。

少し引いて全体を眺めてみても灯の付けどころの無いような樹姿、天を覆うような豊かな樹冠はこの楠が独立木ゆえにいっそう引き立たせている。

樹齢は800年以上、目通り約9m、樹高20m、枝張り23m、見たところ大怪我も無く何の翳りも見えない。

撮影2008.11.1


加茂の大楠

2009-01-15 | 徳島県


巨樹らしい巨樹の筆頭かもしれない??


ロケーションも良く何処からでも見え、どのような角度で見ても絵に成る巨樹で、巨樹巨木と聞いて誰もが想像するのはこんな木なのではないかと思われるほど均整の取れた美しい樹姿をしている。



四国巨樹の旅の第1回目の第1目的は勿論この楠、巨樹好きなら誰でも1度は訪ねて見たいと思う木に違いない。



もう何度となくブログにもHP にも書き尽くされていると思うが、よくもまあこんな市街地からも近い土地で単独樹としてこれほどの巨木が残った物だと感慨ひとしお。


徳島市街から続くR192号線沿いは楠の巨木の多いところ、あちこちでそれらを見ながら「東みよし町役場」を過ぎて直ぐに右手の枝道に入るとそれと直ぐにわかる大きな樹冠が見える。



周りには住宅や小さな倉庫のような建物が有るものの大楠の付近は広く開けた田畑で、周囲は公園化され誰でもが簡単に訪ねられる。



事実巨樹訪問では滅多に人など見かけないが、ここでは2~3組の観光客に出会った。


根元には小さな祠のお稲荷さんが祀られ、幹周りには大きな注連縄が廻され、株基にも狐の置物が置かれたりして信仰の対象となっていることがよく解る。



樹勢は申し分なく主幹も若々しく、この楠は余程この土地が気に行っているのだろうと思う。


樹齢1000年、樹高25m、目通り幹周13mと記されていて国の天然記念物に指定されている。



撮影2008.11.1


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