巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

静岡県島田市大代  安田(あんだ)の大シイ 

2012-10-04 | 静岡県

喘ぎ、もがく様に暴れるスダジイの巨木です。

どこをどう走ったのか?とにかく狭い道をうねうね走りなんとか辿りついた巨木・・・・、不案内な土地ではいつもバカナビの言う通りに走って遠回りをさせられているようですが??。

周りを茶畑に囲まれた丘陵地の安田(あんだ)集落も、わずか10軒ばかしが軒を連ねる小さな集落。

集落外れの公民館近く、山裾の丘に小さな祠が有り、それを守るかの様に背後にこのスダジイが立ち尽くして居る。

スダジイの巨木は目通り幹囲11.3m、樹高27m、推定樹齢300年とされていますがまだまだ元気そうに見え老齢には未だ少し間が有る様な・・・。

太枝は数多い小枝は、空に向かうと言うさまではな無く、まるでのたうち廻る蛇のように地上平行に横へと伸びだしている。

株元を見ても解る様に二体の合体木ですが、椎類独特のうねるような樹姿からは、やっぱり荒神の神々しさを感じます。

撮影2009.11.22


静岡市葵区黒俣  黒俣の大公孫樹

2012-10-03 | 静岡県

関西人の僕にとっては馴染みの薄い東海地方山中、JR静岡駅付近から大井川源流部の寸又峡近くを結ぶ国道362号線、途中、久能尾(きゅうのお)で県道32号線に分れ約4kmばかり。

斜面に駿河茶の段々畑が波打ち、僅かばかりの集落の軒並み見おろす高台にこの大銀杏が君臨している。

高台の頂上には赤い鳥居が数本建ち並ぶ小さな神社の祠が有り、この公孫樹は神木とされて居る。

いや、もしかしてこの公孫樹の下に神社が勧請されてきたのかも???

目通り8.3m、高さ約20m、長閑な周囲を見渡す様に小高い丘に孤立している。

主観の株下には少し立腐れは見られるものの何本もの太枝を触手の様に伸ばして樹勢は旺盛。

少し根上りした根脈がまるでオブジェの様に地表に浮き出し力強さを見せつけている。

命をつなぐ無数の血管のようにも・・・・・

僕の訪れた11月後半、公孫樹の黄葉はまだ少し進みだしたばかり・・・・。

あと1週間も遅ければ見事な黄色に染まって居たのだろうに。

撮影2009.11.22


静岡市葵区 郷島浅間神社(ごうじませんげんじんじゃ)の大クス

2012-08-29 | 静岡県

安倍川餅の発祥地として名高い安倍川中流域の鎮守、郷島浅間神社斜面に天を覆うばかりに枝を伸ばした大楠がある。

国道1号線、JR静岡駅近くの昭府ICより安倍街道と呼ばれる阿部川沿いに走る県道27号線を遡ること約15km、安倍川左岸の郷島集落に着く。

山々の谷間を蛇行して流れる安倍川が造り出した砂州と背後の斜面に囲まれた郷島集落は旧道沿いに細長く軒を並べて居る。

参道は子供の頃、夏休みに蝉取りで来たような錯覚に陥るような懐かしさの空間です・

集落南外れから旧道に入れば、すぐにそれと解る石鳥居が有り、その参道脇、斜面を覆い尽くした力強い根元の大楠が在る。

大楠は立ち上がり直ぐに二幹に分かれ、集落を見下ろす様に立ち尽くして居る。

根元、双幹共に大きな痛みも見られず元気そのもの様に見えます。

目通り13.0m、樹高20m、推定樹齢約1000年は俄には信じがたい樹勢ですが・・・・・。

因に静岡市天然記念物に指定され、駿河を代表する大楠です。  

撮影2009.11.22


静岡市清水区 但沼神社(ただぬまじんじゃ)のクスノキ

2012-08-18 | 静岡県

伊豆半島からの帰り道、 急ぎもしないし見慣れない景色を、ゆっくり見ながら下道移動でたどり着いた但沼神社。

国道1号線から分かれて52号線を興津川に沿うように北上、約10km、興津川の右岸に突き出した但沼に着く。

但沼神社は町の西外れ国道52号線に背を向けた小さな丘の上に建ち、巨大な楠が空を覆って居るので直ぐにそれと解る。

社殿は高い石垣の上、南向きに立ち、背後から巨楠が社殿を見下ろしている。

社殿の裏に廻り込むと、社祠脇の頂上付近から巨大な根を斜面と言わず、石垣まで飲み込む様に伸ばしている。

目通り13m、樹高約30m、まだまだ若々しく樹齢約400~500年と言ったところ。

根元には大きな洞が有るのか??コンクリ-トと小石で塞がれて居る。

斜面に精一杯踏ん張って居る力強く逞しい根張りと、すくっと伸びた若々しくさえ感じられる主幹が見事です。

因みに神社の案内板では推定樹齢1000年とちょっと大げさ、静岡県指定天然記念物となっている。

撮影2009.11.22


富士宮市 村山浅間(むらやませんげん)神社の大杉・大公孫樹

2012-08-12 | 静岡県

富士山信仰、富士修験道の中核として中世より栄えた村山浅間神社の境内に有る大杉と公孫樹の巨木です。

村山浅間神社は富士山の南麓、標高500m付近の富士登山の要所を占める位置にあり、中世以来「興法寺」と共に神仏習合の地、富士修験道の根本道場として発展してきたが、明治の廃仏毀釈で諸堂は失われたようです。

境内にはその名残を留めるかの様に大日堂が寂しく建ち、大杉や公孫樹の巨木が残されている。

境内の静岡県の天然記念物に指定されて居る大杉は境内の一角、集落を見おろす台地に有って他を圧する様にすくっと伸びている。

根元より主幹が一直線に高い位置まで伸びた絵に描いたような一本杉。

村山浅間神社の御神木とされ、しめ縄を巻かれ一見元気そうに見えるが、主幹中心部には高さ8mにも及ぶ大きな空洞が広がり、樹勢にも衰えが見え始めているらしい。

推定樹齢約1000年、目通り9.9m、樹高47m。

約10mの幹周りは何とも圧巻でした。

境内中央、背の高い金属柵を施された中に立つ公孫樹の巨木。

11月の後半、この地は暖かいのかまだ梢の黄葉が始まったばかりで、青葉が無数に垂れ下がる、その巨大な気根を覆い隠していた。

全体樹姿はあまり見栄えのする姿では無く、根元の腐朽も著しく老衰は否めなく見える。

それでも、目通り9.2m、樹高16mと静岡県の天然記念物に指定されている。

今は小さな集落の鎮守の様に成ってしまったこの神社にも、輝かしい歴史があった事をこの巨木達だけが知って居るのだろうか・・・・・。

撮影2009.11.22


河津町 杉鉾別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)の大楠

2012-08-05 | 静岡県

伊豆半島東南部、海岸線に近い河津町は春一番に咲く河津桜の名所としてよく知られて居る。

伊豆急河津駅の北西約1km足らず、河津中学校裏の田圃の中に、明るく開けた鎮守の杜を持つ、別名「来宮神社(きのみやじんじゃ)」とも呼ばれる杉桙別命神社が鎮座している。

本殿の向かって左手、大きく枝を伸ばし、大地を踏みしめるように立ち尽くす巨大な楠が有る。

その力強い根廻り・・・・・。

まるで今にも動き出しそうな・・・・、超現実世界を見るような。

この楠がこの地に芽吹いて約1000年以上、この力強い幹周りや根張りからもその生命力の特別さが見てとれる 。

主幹に累々と突き出す樹瘤はまるでこの巨楠が脈打つ生き物のよう・・・・・しめ縄が巻かれ神木として大切にされて居る事が窺い知れる。

やっぱり此処でも神そのものとして存在してるのだろう・・・・、目通り15.0mは、全樹種中でも19位に入るとか・・

参道脇、一の鳥居奥にもこんな巨楠。

こちらはご覧のように根元から大きな口を開け諸手を挙げ叫ぶが如くの姿です。

少し痛々しく見えますが、大きな洞を囲む表皮には活力がみなぎり、まだまだ元気そうにも見えます。

やっぱり伊豆半島海岸線は紀伊半島に似て巨楠の多い土地です。

撮影2009.11.21


伊豆の国市三福(旧大仁町) 熊野神社の楠木群

2012-07-31 | 静岡県

明るく開けた鎮守ながら、参道と言わず境内にも楠の巨樹が何本も立ち並び見事な景観を呈している。

伊豆の国市や旧大仁町と云っても関西人の僕にとっては馴染み薄くぴんと来ないが、おおまかには伊豆半島の西側付け根、あの「狩野川台風」で聞いた事の有る狩野川中流域に広がる町です。

熊野神社は現在、新興住宅や大きな化学工場の谷間に埋もれるように鎮座しているが・・・・その昔は田園の中、広々とした鎮守の杜を持っていたことを伺わせる。

本殿裏手、工場敷地脇に立つ楠が此処では筆頭角、注連縄を巻かれているからさしずめこの楠が神木なのだろう??

目だった傷みも、根元に大きな洞を見ることも無くいたって元気・・・・・、目通り9.5m、樹高27mとあり、樹齢はまだまだ若々しく見える。

一方参道は巨楠の並木状態・・・・ 

苔や羊歯類を纏った見事な巨楠が林立しています。

参道の楠は目通り8.8m、8.6m、7.5mと本殿裏の神木にもまけず劣らず、樹齢的には貫禄有るものが・・・・。

やっぱり伊豆半島は南国の植生が支配する土地。

撮影2009.11.21


伊東市 蓮着寺のヤマモモ

2012-07-19 | 静岡県

伊豆半島、伊東市の城ヶ崎海岸、岬の上に日蓮上人の流罪地として知られる蓮着寺があり、国の天然記念物に指定されたヤマモモの巨木がある。

蓮着寺は法華宗の聖地でもあり、大きな駐車場も用意され、たやすく車で訪問できる。

ヤマモモの巨木は境内から一段高い本堂へ至る石段を登った右手、小さな杜のようにその枝を大きく広げている。

国内最大のヤマモモの巨木として知られた『蓮着寺のヤマモモ』は根元から3本に分かれて生長しており、おそらくは合体木なのだろう・・。

光の強い日の撮影で木漏れ日がまだらに降り注ぎ、醜い写真に成ってしまった。

伊豆半島の冬でも暖かい気候はヤマモモの成長にはてきして居るのか?この一帯は昔から群生地として有名だったようです。

扇の要のような根元は合体木を思わすように大きく扁平に広がり、樹勢は申し分なし。

文部省の表示板には根周り7.2m、樹高15m、樹齢は公表されて居ませんが、他では300年以上とも、推定1000年とも・・・・。

何を信用すれば良いのやら???その樹形から1000年は信じ難い。

撮影2009.11.21


伊東市 葛見(くずみ)神社の大楠

2012-07-11 | 静岡県

根元だけを見ているとまるで岩の塊を見ているかのような、神が載り遷ったかの様な楠の巨古木です。

一寸遠出の伊豆半島、関西人の僕は半端でないその交通量の多さにただただ愕然としました。

しかしそれも観光拠点の近くだけ、僕が訪ねる巨樹あたりは幾らかの例外を除いて、人影も無く静まっています。

伊豆半島東側根元、一大温泉地として名を馳せた伊東市の中心街に程近い葛見神社。

神社の創建は今から約900年前の平安時代に社殿を造営したと伝えられていますが、当時もうこの楠は大木になっていたに違いない。

大楠は社殿の左側、なだらかな山裾斜面に力強く根を下ろし踏ん張っているように見える。

注連縄が掛けられ、根元の大きい洞には疱瘡神の小さな祠・・・・疱瘡に霊験があるとされているのだろう??

楠の周りに巡回道があり周りを一巡りできるように成っている。

正面右側より見た根元はまるで折り重なる樹瘤が岩石そのものの様に見える巨大さ。

少し左側の斜面から見ると白骨化した主幹が痛々しいが、物凄い迫力です。

主幹の裂け目、二股部分には、なにやら祭祀残骸のような竹筒・・・・鉄のベルトが二股部分固定しているが幹に食い込んでいる。

何とも凄い形相を見せる大楠は樹齢約1000年、目通り15m、樹高25m(現地説明板)となっており、国の天然記念物指定。

800年前、源頼朝がこの楠の洞に隠れて追っ手から逃れたという伝説もあり、往古から既に名木、神木とされ、信仰の対象として大切に守られて来た。

撮影2009.11.21


天城の太郎杉

2010-01-03 | 静岡県

 



去年、秋の終わりに伊豆半島を巡る機会に恵まれてお訪れた天城の太郎杉。


河津桜で名高い河津温泉からR414で天城峠を越え、これも歌謡曲でも歌われた浄蓮の滝の少し手前、「滑沢渓谷」バス停から左手山側に伸びる渓谷沿いの林道を5~6分も走るとこの杉の下に着く。



林道は時々ハイカーに出会う程度でダートながら走りやすく地元ダンプカーも通る程道幅も広く車が何台か停められる広場も造られていて至れり尽くせりです。



車を降りると右手山肌が開けていて目の前にそれこそ天を突き刺すように、その名の通り杉らしい杉の姿が少し仰ぐ形で目の前にある。



太郎杉は南向きの斜面を整備された階段を100mほど登ったところにあって斜面の台地をしっかり捕まえている。


天城山系で最大のスギだということだが、形が整いすぎてるのかそれほどの威圧感も猛々しさも無く、所謂、巨杉の優等生であるがゆえの物足りなさも同時に感じてしまう。



太郎の名を冠しても、何一つ恥ずかしくないこの天城の太郎杉は樹勢旺盛、推定樹齢 400年、目通り幹囲 9.6m、樹高 48mと説明されている。


撮影2009.11.21 


MAP


熱海.来宮(きのみや)神社の大クス

2009-11-26 | 静岡県

 




 まるで巌の前にでも立っているかのような錯覚にさえ陥りそうな巨大さです。
 確かにこの異様な姿にこれが生有る物だろうかと???・・・・






 しかし、巨大な樹瘤や深く刻んだ皺は命有るものがもつ柔らかな曲線を持ち、営々と繋いできた命の温もりを感じ取ることが出来る。 





ここは熱海温泉のすぐ近く、熱海駅から出るJR伊東線、最初の駅、すぐ東のガードをくぐると、その突き当たりが来宮神社の石の鳥居。





境内の正面にある拝殿の左手より裏手に廻ると根元正面に小さな祠が祀られたこの大楠がまるでグーチョキパーのチョキを出した手のように、下膨れでアンバランスで異様な姿で立ち尽くしている。





大楠の周りをめぐる歩道を辿り裏側に廻ると全く別の表情を見せてくれる。





主幹は根元から二本に分かれていているが、南側の幹は台風被害で損傷、高さ5mほどのところで切り払われトタン屋根で覆われ、表皮もはがれ白骨化が進み痛々しい姿をさらしている、しかし北側の幹はうねりくねって生気をみなぎらせアンバランスな三大枝を空に向かって伸ばしている。





樹齢2000年、目通り23.9m、樹高25m、国の天然記念物に指定されている。





1991年、旧環境庁の「日本の巨樹・巨木林」調査によると、全国第2位にランクされる幹周りだといわれている。





2000年という気の遠くなるような永遠の時を刻み込んだ横顔は誇らしくも、神々しく畏敬の念を感じずには居れない。





ちょっとばかし騒がしい正面鳥居から参道を進むと直ぐ左側には半分朽ちかけた楠の巨木が立っている。





正面から見る限り、元気そうな下膨れの楠に見えるが主幹の裏に廻れば、これでもよく生きてるものだと思うほど朽ち果ていて手の尽くしようも無いほどです。



案内板によると、古来この社の森には七本の楠の巨木が生育していた。ところが江戸時代末期の嘉永年間に熱海村に大網事件という全村挙げての大事件が起き、その訴訟費用の調達のために五本の楠が切られたという、その1本が国天の楠で残りの1本がこの朽かけた楠です。



 



撮影2009.11.21



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