巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

玉祖神社(たまおやじんじゃ)の楠

2006-12-30 | 大阪府

玉祖神社は生駒山系の西側(大阪側)八尾市の麓に有る古い神社で和銅3年(710年)周防国の玉祖神社から分霊を勧請したとされ、 

この神社の西の平地一帯には玉作一族の集落や工房があったと推定されている。

八尾市は、いわゆる河内の中心的な土地柄で、河内音頭や、今東光の本などで全国的にも知られているところです。

玉祖神社への道は非常に狭い集落の道を抜けて行きますが、神社には車の停めるスペースがシッカリ確保されています。



大楠は神社参道石段の前段をあがった右手の所にあって、地上わずかの所で幹が三本に分かれています。

(幹周り8.5m、樹高20.6mで、斜面に立つ姿が良く、絵にも成りやすい楠です。

この楠の根元は、注連縄の掛けられた陽石を包みこんでいて、あたかもそれが男女の和合のように見えることから、夫婦の揉め事や男女の仲を取り持つ大楠として信仰されているようです。

平地を見下ろす丘陵地に有るこの楠から見える街の姿は、年々歳々変わってきただろうと思わされるように、神社の前ではその日も道路工事が行われていた。

撮影2006.10.28

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石神社(いわじんじゃ)の楠

2006-12-28 | 大阪府

 

国道25号線、柏原市役所近くの安堂交差点で170号線に入り、陸橋を越えて400mほど先の太平寺交差点で右に折れると、巨大なクスの樹冠が見える。

神社入り口の石段横に大楠が聳えていて、境内いっぱいにその見事な樹冠を広げている。

石神社(いわじんじゃ)は、生駒山系南西端の森に鎮まっている延喜式内社だが、境内には奈良時代の名刹であった智識寺東塔の礎石があり、この智識寺の鎮守だったとも考えられている。

礎石の柱穴の直径が122センチもあり、現在は神社の手洗い石として使用されていますが、この智識寺には、その昔天平12年聖武天皇が智識寺の廬舎那仏を参拝され、これが機縁となって東大寺の大仏建立を発願されたという話は有名です。

境内は、余り広くないが、常に何台かの車が駐車してるようで、真近まで車を乗り付けているのでくすの根元辺りにでも傷をつけないかとちょっと心配ではあります。

樹齢700~800年、樹高26.4m、目通り幹周6.41mと記された大楠で、ほとんど傷も無く、木肌の綺麗な巨樹です。

まさしく神木としての威厳のある姿ですが、開けっぴろげな河内の風土のせいか、とても親しみの持てる巨木です。

撮影2,006.10.28

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杭全(くまた)神社の楠.他

2006-12-25 | 大阪府

 


杭全(くまた)神社、この字は京都人の僕にはまったく馴染が無く、どうにも読むことが出来なかった。


神社付近の交差点の表示板でやっとそれが「くまた」と読む事が解った時には、つっかえていた物が一気に落ちた。


国道25号線平野小学校の1つ東よりの信号左横に、この神社の大きな石鳥居が聳えている。



車のままで鳥居をくぐって参道を進むと、やがてこんもりとした楠が天を覆っているのが見える。


楠の巨木は石囲いに囲まれ、正面には石の鳥居がしつらえられ、小さな祠も据えられ間違いなく神木で有るのがわかる。



神の宿る樹そのもので、幹周り9.42m、樹高16.5m、その幹を目の前にする限り、樹齢約1000年と言ったところ??。


何か特別な、いわれでも有るかと掲示板等を探してみるが、まったくなんの表示も無く拍子抜けの感がぬぐえない。



樹木医が入って治療を施した形跡があって、樹勢も旺盛、そのどっしりした根元の巨大さは見事です。


幹の巨大さにしてはずんぐりむっくりに、横に大きく広がった楠です。



杭全(くまた)神社の森は大阪の市内にあって、緑を多く残した鎮守の森で、本殿左横にも「たらちね公孫樹」と呼ばれる公孫樹の巨木が有る。



樹齢約700年、幹周りはおおよそ5m、公孫樹の古木に見られる樹瘤も垂れ下がっていて、「おちち」の神様として信仰を集めていると言ううことです。


撮影2006.10.28


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住吉大社の巨樹ー③

2006-12-23 | 大阪府

 


住吉大社第一本殿のちょうど裏側に、楠くん社 (なんくんしゃ)と言う末社があって二本の巨楠が聳えている。



そのうち1本は「1000年楠」と呼ばれているもので、江戸時代、人々はこの楠の神秘的な霊力に祈りを捧げていたようです。


その後、根元に設けられていた社にお稲荷さんを祭るようになったといわれています。



その名で示すとおり正に、この楠自身が神そのものとして、うやまれ 信仰の対象と成っていた楠の巨木です。



千年楠の樹高は18.5m、目通り幹周り9.8m、樹齢1000年と推定されています。




表の小さな鳥居越しに見ると巨大な根張りと単木の巨大な幹が立派な樹であるが、裏側は空洞になっており、ここに神殿が組み込まれています。



もう一本の楠は「夫婦楠」と呼ばれているもので、目通り幹周り7.9m、樹高は20m、樹齢は800年とされています。



二本の楠の合体木だと言われていて「夫婦楠」の名前がついているものです。


やっぱり、関西圏の巨木といわれている物には楠が多い。


撮影2006.10.28


 


 


住吉大社の巨樹‐2

2006-12-21 | 大阪府

 

住吉大社の第一本宮の左手に有る小さな門から奥に入って行くと、直にこの巨大な楠の白い幹が見えてくる。

この巨木も前回紹介した楠と同じように痛々しい姿で、主幹は高さ5m位まででなくなり、枝幹一本を残し白骨化して枯れている。

正面には石の鳥居と、特別な日のためにか、仮屋根の様な建物があり、その奥に白骨化して裂け目の入った巨大な幹と根張りが見える。

根元の洞には榊と、お神酒が供されていて、今も信仰の対象として生て居る。

この楠は住吉大社の末社、楠くん社の第3楠と呼ばれている物で、樹高12m、目通り幹周り5.8m。

見たとおりの老骨巨体、気の毒なほど痛々しいが樹木医も入って手入れがされている様で、急には、まったくの枯れ木になってしまう事は無い様に見えました。

撮影2006.10.28

 


住吉大社の巨木ー1

2006-12-19 | 大阪府

 


関西人で住吉大社の名前を知らない人はないと思うほどに有名な神社です。



毎年、初詣ニュースでは、その賑わい振りがTVの映像で流され続けている。


ここには楠の大木が多いと聞いてちょっと一走り、路面電車の走る、大社正面の鳥居を過ぎてすぐ神社の大きな駐車場がある。



TV映像でお馴染みの太鼓橋を渡ると、正面が楼門になっているが、橋の右畔に殆ど白骨化した楠の巨木が有る。


表皮の一部分を残して、ほぼ枯死状態ですが、その残った表皮部分より一本の枝を伸ばしていてかろうじて生きているのだと確認できる余りにも痛々しいすがたです。



この楠についての資料はまったく有りません、ちゃんと注連縄も巻かれていて神木には違いないと思います。



朱い楼門を入ると右手前方にはカイズカイブキの巨木が聳えています。




大阪府の保存樹に指定されており、幹周り2.9m、樹高10.5mと表示されており、注連縄が巻かれており、藁裾には、いっぱいのおみくじが結ばれています。



カイズカイブキとしてはひょろ長く感じる樹姿でした。


撮影2006.10.28


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壷井八幡宮のくす

2006-12-16 | 大阪府

 

 ここを訪れたのは、大阪と奈良の県境にある歴史の山、二上山を訪ねた際、ここまで来たのだからと寄ってみる事にした。

二上山から大阪方面に下っていき、南阪奈道路の羽曳野東インター前の道路西進し、低い丘を越すと右前方に大きな鎮守の杜が見えてひときわ大きな楠木の聳えているのが見えて、それと解る。

壷井の地は、河内源氏発祥の地で、この神社は、源義時が創建したと伝えられる由緒を持っている。

正面の急な長い石段を登りきって、大きないしの鳥居をくぐると巨大な楠の根元が見える。

境内に聳える「壷井八幡宮のくす」は、樹齢800年、樹高25m、目通り幹周7.25mと記された立派な大楠で、尋常でない根元の広がりと特徴のある枝振りに印象が残る。周囲の植え込み等も含めた景観は素晴らしく、この樹は「大阪みどり百選」にも選ばれている。

 

撮影2006.10.14

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雙栗神社(さぐりじんじゃ)の楠

2006-12-13 | 京都府

 

雙栗神社は木津川のほとり、京都府久御山町の団地や道路に囲まれた一角に社叢だけは辛くも開発を免れたかのように残っている。

京都の府営久御山団地へ続く道路から鳥居を一歩入ると空気は一転、外の喧騒が嘘のように森閑とした空間が広がっている。

重要文化財の本殿の右奥に聳える楠は、この地がつい最近までは、木津川の洪水常襲地帯だったという事を考えあわすと、こうしてこの楠の巨木が生き残って居るのは稀有な事なのかも知れない。

表示板によると、樹高30m、幹周り 5.35m、根回り9.8m 樹齢400~500年と在り、驚くほどの巨体ではないが、すくっと

まっすぐに天空に向かう幹には空洞も無く着床植物も無く若々しく樹勢も盛んで力強さの感じられる楠の木です。

根元に稲荷社がまつられており、地域住民の信仰を集めているようで信仰大切とともに大切保護されてきたのが良くわかる。

京都府自然の200選に選定されている。

撮影2006.9.30

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東大寺の「アラカシ」

2006-12-10 | 奈良県

 


奈良、東大寺大仏殿前に有る池は鏡池。


その横の参道はいつ通っても鹿と観光客が追っかけっこ知ったり就学旅行の中学生性質がゾロゾロ列を組んで歩いてたりと、観光奈良の代表


的な場所の姿を見せている。



南大門から入って鏡池の手前を右に二月堂、三月堂への小道を行くと右って奥の方にこの「アラカシ」の樹が枯淡な姿を見せている。


この辺りはこの種の樹木の林になっているようだが、中でも一番枯淡で大きいのがこれ、幹周り約4m、樹高12m、樹齢は


解りません。



波打つ幹と根元は尋常でない年齢を加えてきたものだけが持つ風格を醸し出している。


広い奈良公園内で、アラカシとしては一番の巨木かもしれない。



その道を、二月堂の方へしばらく行くと、根張りの見事な大きい樹に出逢う。



巨木の範疇に入らないかも知れないが、これはツブラジイ?いずれにしても椎の仲間



鏡池のものに比べても決して引けをとらない根が地上を、あばれまわっているが、一部根元が洞になっていて枝張りも少なく樹盛旺勢とは言えない。


撮影2006.8.27


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東笠取稲出のカヤ

2006-12-08 | 京都府

 

宇治市東笠取の地は、宇治市の中心から大津方面へ車で20分程も山の中に入った里山で、上の醍醐や岩間山などの西国三十三ヶ所霊場の山懐に当たる土地です。

僕の家からだと一度滋賀県に入ってまた、京都府内に戻ってこの地を訪れた方が早い。

琵琶湖から流れ出す瀬田川が宇治川と名前を変えるのは多分京都府に入ったところ、この東笠取へと入っていく道路付近からだと思う。

現在ではこの奥に京滋バイパスの笠取インターが出来ていて道路も広く走りやすくなっている。

インターを越えてしばらく行くと、左手に笠取小学校が見え、次の交差点を右折、山手に向かって進むと、左山裾にそれと解る大きな枝ぶりがみえてくる。

その樹のおくに、一軒の旧家の立派な石垣が見えて、なんとも里山の風情が感じられるところです、おまけにここを訪れたときは少し盛り過ぎた彼岸花が里山彩りを添えていた。

このカヤの巨木は、旧家への進入路脇の林の中に在って、小さな雑木などが根元を囲み、被写体としては絵になりにくい場所にあった。

神社や、寺院の巨木のように手入れは行き届いては居ないが、自然の中で目いっぱい生きてる巨木です。

表示板によると、推定樹齢400年、幹周り約5m、高さ25mとあり、巨木と呼ぶには少し物足りないが、京都府内では有数の巨木だとされています。

撮影2006.9.30

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県(あがた)神社の椋

2006-12-05 | 京都府

 


僕にとって宇治は、すぐそこの隣町、平等院や、宇治上神社など世界遺産にも登録された全国区の観光地です。


平等院の存在は広く知れ渡っているが,この県神社は近隣地域の人だけが知る、「暗夜の奇祭」の神社として名高い。



平等院の南門から西へ100メートルほどのところに県(あがた)神社があり、平等院の鬼門にあたることから、平等院が建立されたときにその鎮守社にされたといわれています。



この椋の神木はほぼ境内の真ん中辺りに遠目には、ひょろっと見えるほど高い梢で聳えている。


ひょろ高く見えるこの椋も傍まで近づくと、その巨大な根元には驚かされる。



樹高26m.樹齢500年.幹周り4.4mと表示されており、巨木の少ない京都府南部に在って、珍しい存在です。


撮影2006.9.30


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素盞雄神社(スサノオ)の大銀杏

2006-12-03 | 奈良県
 

秋色のこの公孫樹を訪れたので、UPします。

 


 

奈良県下最大の銀杏といわれている素盞雄神社の大銀杏は、雄株であの銀杏が成ることはない。

 訊ねて見るとその根幹の大きさに驚嘆するほかない。

 いつもそうだが植物の持つ生命力にはただただ脱帽・・・。

 

 



素盞雄神社は名刹長谷寺の対面、初瀬川をはさんだ丘の中腹にあり、ここから眺めた初瀬の桜は絶景である。




 樹高40m、樹齢約800年、目通り幹周り7.15mの堂々としたイチョウである。県の天然記念物に指定されている。
 近づいてみると迫力は十分で、秋の黄葉がさぞや見事であろうと思われる。

 






 この辺りは、長谷寺の傍であり観光客も多いので路上駐車と言う訳にもいかず、 すぐ傍の長谷寺の駐車上に駐車するしかない。

 






 車を駐車場に預けると長谷寺と反対側に大きな公孫樹の梢がすぐに見えるので迷うことはない。




 

 

小さな境内に見事な巨体のこの公孫樹がひときわ大きく秋の黄葉のころに是非もう一度訪れてみたい

 撮影2006・4.15  2006.11.23

   

場所はここ

石清水八幡宮の「タブノキ」

2006-12-01 | 京都府

 


この、「タブノキ」がある石清水八幡宮のある地は男山と呼ばれ、京都御所の南西・裏鬼門にあたり、木津・宇治・桂の三川の合流点を挟んで天王山と対峙する交通の要地、政治上の重要な拠点に位置しています。


また、源氏一門は八幡大神を氏神とし、格別の信奉をはらってきたようで、以来、国民にも勝ち運の神、厄除け開運の神として崇敬され、現在でも全国屈指の厄除けの神社として有名。



タブの巨木はこの石清水八幡宮の摂社のひとつである高良(こうら)神社の神木として大切されている。


八幡宮の駐車場になっている馬場の前に建つ頓宮南門の手前左側に山手へと向う参道があり、「高良神社」の額を掲げた石の鳥居が建っています。



この鳥居をくぐりり石段を上がると、左側にタブの巨木が、その枯淡な幹をみせている。


樹齢約700年、根回り7.5メートル、樹高約24メートル、樹冠の周囲約30メートルで、全国的にもまれな巨樹だといわれています。



根元で二本の主幹に分かれ、大きいほうの根元の洞は、小さな社のようになっていて、何かが祀られているようでした。


京都府南部は巨木の少ない地域ですが、特別な神域なので伐採を逃れた物だとおもわれます。 


撮影2006.9.30


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