巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

金沢市 堂形(どうがた)のスダジイ

2012-05-16 | 石川県

富山からの帰り道どうしてもこの木だけは見ておきたかったので一寸寄り道・・・、偶々工事中にぶつかり期待はずれの景観でした。

多分、石川県人であれば誰もが知ってるだろう??巨木とは云えないだろうが、名木として名高い「堂形のシイノキ」と呼ばれるスダジイです。

無粋な工事フェンスが邪魔をしてすっかり景観は台無しですが・・・ここは金沢市の中心、石川県庁正面玄関前庭の左右に一対のスダジイの古大木が立っている。

良く手入れされ、左右シンメトリーなお椀型樹形を保っていて、左右どちらも引けをとらず、全く双子の兄弟みたい。

加賀藩初代利家が三十三間堂を模して造った的場から「堂形の的場」と呼ばれ、今にその名を伝えているが、このシイノキ自身は、江戸時代中期、「大槻伝蔵」の屋敷に在ったものを明治になって、(旧)県庁玄関前に移植したとものだと言う・・・。

共に主幹は朽ち果てるように腐朽が進み、株元から伸びだした第二世代の何本もの枝幹が、それを取り巻くように育っている。

何処を如何いう風に計ったのか目通りは約7m/5m余り、樹高12m/13mとなっているがそんな数字は如何でも良い様な・・・。

人の手により植栽され育てあげられた街中に巨木??です。

因みに国の天然記念物に指定されています。 

撮影2009.11.1


輪島市門前町 档(アテ)の元祖

2012-02-24 | 石川県

木片に当と書いて「アテ」と読む木が有る。

正式名称は「ヒバ」と呼ばれるヒノキ科の常緑樹で「あすなろ」の名でも親しまれ石川県の県木にも指定され、その堅牢さから輪島塗の素地として用いられて居て能登半島で多く植林されている。

この能登半島では最古参、最大といわれるアテの巨木が輪島から旧門前町に向かう国道249号線沿いにある。

国道249号線が県道38号線と合流する門前町浦上の直ぐ先にあすなろ交流館が有り、そこを駐車場にして在所道を少し歩くとそれと解る看板が有り、指示通りに民家脇を奥に進むと「元祖アテ」の木が2本、柵の向こうに聳えている。

このアテの元祖は当家の先祖が奥州平泉から2本の苗木を持ち帰り、それが大きく育ったものだと言われており、樹齢約450年、樹高は共に約30m、目通り約4mとされています。

互いに主幹の一部が白骨化、痛々しい樹姿ですが何とかがんばって欲しいものです。

巨樹そのものよりもその文化財的見地から石川県の天然記念物に指定されています。

撮影2009.9.20


輪島市 里の与兵衛(さとのよへい)の椎の木

2012-02-22 | 石川県

能登半島輪島市街より海岸沿いに東へ約15km、里町と呼ばれるところに「里の与兵衛の椎の木」がある。

珠洲市街より能登半島を横断する国道249号線、県道40号線と乗り継いで能登半島西海岸へと・・・海岸線にに出る少し手前で県道277号線へUターン気味に左折、左手にそれと解る緑濃い巨木が見える。

この地の豪農であった「与兵衛」さんの屋敷跡に残るスダジイの巨木です。

ここを訪れた九月の中旬・・・・、まだまだ夏草が伸び放題でやぶ蚊の群れに泣かされた。

スダジイの老木独得な蠢くような主幹、やっぱり根元には腐洞が見られますが全体的にはいたって元気そのもの。

目通り幹囲7.63m、樹高24m、樹齢は不明ですが輪島市の天然記念物に指定されています。

前の県道は車通りも少ない長閑な田舎道風情です。 

撮影2009.9.19


珠洲市(すずし) 高照寺の倒(さかさ)杉

2012-02-20 | 石川県

まるで松の銘木なのかと見紛うばかりの樹姿を持つ杉の巨木です。

能登半島先端近くの東海岸沿い、珠洲市役所より2km弱手前、高照寺を背後に控えた田圃の真ん中に立ち尽くしている。

雪が多い地方、裏杉の特徴なのか??枝は地を這い、梢は丸い樹冠を造る・・・・、ここはそれ程雪が多いとは思えない海岸近くなのに??

逆さ杉と呼ばれる杉の個体は他でも聴いた事とが有るけど・・・・ここでは倒杉と書いて「さかさすぎ」、やっぱり箸伝説の残る巨杉です。

主幹近くに立つと主幹や大枝の暴れようは見事、捩れてうねって、まるでイブキの老木のようにも見えたり。

樹齢約850年と推定され、目通り6.9m、樹高12mと杉には似つかわしくないチンチクリン・・・。

まあ、この杉は巨木というより名木、その樹姿の美しさが見事です。

撮影2009.9.19


金沢市 板ヶ谷町(いたがたにまち)八幡神社の八幡杉

2012-02-18 | 石川県

金沢市内と云えど、市街中心部からは30分以上も南東山中に走った富山県境に近い山間集落、鎮守境内に聳える見事な巨杉です。

金沢市街より浅野川を遡り、五箇荘方面に通じる県道10号線、どんどん谷川を詰めていくと集落の外れ、左手谷川沿いに参道が見え、その奥に背の高い杉の樹叢が見える。

ここを訪れた頃ちょうど社叢脇の谷川がダム工事中・・・、周りの景観も台無し、おまけにけたたましい騒音で少々気分が削がれた。

工事中の谷川脇から参道を登り詰めると目に前に立ちはだかるように聳える巨杉。

近づいて正面から見るとまるで巨大な板状に見える程扁平な主幹、株高2m程には神木の注連縄が巻かれ、その上1mぐらい上部で四幹に分かれている。

扁平な株元から四株の合体木で有ることは誰の目にも明らかですが見事に合着し、樹勢もこの上なく見事に天を引き裂いている。

方向変えると二本の合着木のように見えなくも無いけど、この方角からだとちょっと迫力に欠ける。

地元では八幡杉と呼ばれ、この杉の木自身が信仰の対象として崇められているようです。

推定樹齢800年、目通り11.7m、樹高約42m、金沢市の天然記念物指定・・・実に堂々たる見事な大杉です。

境内には他に同樹齢だとされる二株の巨杉が有る。

撮影2009.9.19


白山比(しろやまひめ)神社の老杉/ケヤキ

2012-02-16 | 石川県

白山比(しろやまひめ)神社の境内地に聳え立つ老杉とケヤキの紹介です。

白山比(しろやまひめ)神社は云わずと知れた、全国に約3千社の末社を持つと云われる白山神社の総本社として君臨する加賀一ノ宮の大社です。

その歴史は古く、神代の時代、今から2000年以上も昔の祟神(すじん)天皇の時代と伝えられています。

勿論往古本社は、霊峰白山山頂から「下白山(しもしらやま)」と呼ばれた現在地に遷座、現在霊峰白山山頂には神祠が奥ノ宮として鎮座する。

現在駐車場から直ぐの境内鳥居前

老杉は本来の参道である手取川畔より続く長い石段、鬱蒼と続く老杉林の中の飛びぬけて巨大な老杉。

天然記念物の老杉は株高5m辺りより数本の幹に分れ、ずっと梢にだけ僅かばかりの枝葉をつけ、樹勢ははかばかしく無さそうです。

神木である印なのか注連縄を付け、目通り7.3m、樹高43m、樹齢約300年以上。

因みに神社のHPでは・・・・・根元の周り約12m、胸高幹周り約10m、樹高約42m、樹齢はおよそ800年といわれています。

境内に入って直ぐ右脇に立つ、下部の樹皮をすっかりはがされて丸裸にされたようなケヤキの巨木。

病害虫の駆除のためだったのだろうか???

主幹は頂部でもぎ取られ、防虫剤代わりにコルタールでも塗られたのか片側は真っ黒・・・・目通り約5m、樹高25m、推定樹齢1000年と云うがちょっと信じ難いが。

撮影2009.9.18


白山市瀬戸 夜泣公孫樹(よなきいちょう)

2012-02-15 | 石川県

 

直ぐ裏手斜面にはスキーゲレンデも有るほどの豪雪地帯、そんな地域でこれほどの巨木に育った公孫樹は稀だといわれています。

手取川下流方面から国道157号線を遡り白山スーパー林道目がけ、道なりにどんどん進むと大きな公孫樹の梢が聳え、村の鎮守さんらしい佇まいの瀬戸神社が道路右手に見える。

ここを訪れたときちょうど秋祭りの前日だったのか境内は賑やかな祭りの準備中・・。

中天から垂れ下がる祭旗には魔除けの猿や紅白の綱で結わえられた籠が吊り下げられ風に舞い、懐かしい景観を醸し出していた。

大公孫樹は「夜泣公孫樹」と呼ばれ、昔話しでは樹上に棲んでいた天狗が、人恋しいのか夜中に成ると大泣きしたという・・・

道路わき、瀬戸神社石鳥居の向かって右脇境内にでんと腰を下ろしている。

主幹は根元近くより大きく双幹に分れ、融合木を思わせるように二つに幹色や、その樹勢にも違いが見られる。

それでも大地にどっしり根を下ろし双幹とは言え、気迫に満ちた幹周りは9.8m、推定樹齢約500年、樹高は青葉を目一杯風にそよがせ約35m。

石川県の天然記念物に指定されている。

今に時期やっぱり大雪に下枝付近まで埋まっているのだろうか??

撮影2009.9.19


白山市 五十谷(ごじゅうだに)の大杉

2012-02-12 | 石川県

白山山系の山懐深く谷川沿い、人里離れた小さな集落の鎮守にその異形の大杉はある。

白山市はその名の通り、信仰の山、白山山系北西部、広大な山懐から日本海にまで繋がる広大な市域を持つが、その総面積の約75%は山岳地帯の林野が占めている。

旧鳥越村の中心、白山市鳥越支所から南西、堂川の谷沿い道を遡ること約6km弱、その数10軒にも満たない五十谷(ごじゅうだに)の集落がある。

そんな集落の中心、南面斜面に小さな祠の八幡神社があり、裏杉独得のあの暴れ狂う形相の大杉がある。

見る方向により大きくその樹姿を変え、写真にして見ればこれが同じ樹なのかと思うほど・・・・、特に積雪の多い白山山系の谷川筋、冬場の積雪はいかばかりかこの大杉の枝振りからも推察出来る。

凡そ背の高さ付近から真横に突き出した大枝は圧巻、地を這うように突き出し捩れ又突き出しと・・・、まるで蠢く得体の知れない生き物のよう・・・

伝承樹齢1200年、この地なら白山開闢の祖「泰澄大師」の伝説だと思うが・・何故か弘法大師杖立て伝承が残る。

目通り8.5m、まるで主幹基部は岩壁のような圧倒的な力強さです・・・・。

樹高約40m、大枝の股から梢を仰ぎ見てみるとこんな感じ・・・。

処所大枝は伐採され、痛々しいが目だった傷みや大きな洞なども見られず樹勢は旺盛・・・・とにかく目を見張らずには居られず釘付け状態になりました。

石川県の天然記念物に指定されている。

今頃どの辺りまで雪に埋もれているのだろう???。

撮影2009.9.19


能美市(のみし)佐野町 狭野(さの)神社のスダジイ

2012-02-10 | 石川県

県外人には余り聞きなれない市名ですが、石川県の南部、加賀平野のほぼ中央に位置し、白山系から日本海に注ぐ手取川南岸と日本海の海岸線に囲まれた緑豊かな街です。

かたや九谷焼きの中心地としても良く知られ、九谷陶芸村や資料館もあり、狭野神社内には九谷焼中興の祖「斎田伊三郎(さいたいさぶろう)」を祀る祖霊社も境内に同居、陶祖神社の名で祀られています。

狭野神社の杜は緑豊かな杜、社叢全体が能美市の天然記念物に指定されています。

参道を奥に進むと雪国らしくアルミサッシとガラス窓で廻りを覆われた拝殿と本殿。

脇拝殿からの渡り廊下の下を潜れば、目の前に立つ荒々しい樹瘤だらけのスダジイ。

拝殿の石垣脇、背の低い石柵に守られ腐朽進んだ主幹ながら大枝を数本に分け天に突き上げている。

平成15年には腐朽部の治療や施肥を行ない、これでも樹勢は随分回復したようです。

樹齢約350年、目通り7m、樹高約16m、スダジイ独得の樹瘤や荒々しい樹肌は力強く生き抜いて来た証のようにも見えます。

撮影2009.9.19


山中温泉のカツラ 清水(しょうず)の桂

2011-02-01 | 石川県

旧街道の温泉街を抜け海岸方面向けに走るとちょうど消防署の向いに大きな木立とその根元には立派な地蔵堂。

此処は逆に北陸本線加賀温泉駅方面から来ると関西では知らない人が居ないほど有名な山中温泉の玄関口。

地蔵堂の脇、カツラの根元には今も清水が湧き出していて絶えることは無い。

この辺り地名も西桂木町、絶える事の無い清水を好むカツラの巨木、カツラの巨木にちなんだ「桂地蔵」、その向には水とは切っても切り離せない消防署・・・・・

桂の巨木は小高い丘稜斜面の岩盤上に根を下ろし、推定樹齢500年、目通り幹囲10m、樹高18mと成っている。

根元はかなり老化が進んでいて痛々しいが世代交代の桂独特のヒコバエが元気に育って居る。

前面は交通量の多い温泉街のメイン道路、車で走るとあっと言う間にに通り過ぎ余り目立った存在にはなりえていない。

撮影2008.4.28


珠洲市 新宮神社の杉

2009-09-30 | 石川県

箒杉と呼ぼうか??千本杉と呼ぼうか??その異様な形状の巨杉は能登半島の先端辺り、珠洲市から輪島市郊外に抜けるちょうど中間地辺り、

R249に県道40号線が突き当たる付近の新宮神社境内に立ち尽くす。

目通り幹囲 6.3m、樹高 30m、樹齢 不明と言うから巨杉としてはさほどの巨木ぶりではない。

しかしそのいでたちは特筆すべきもので、写真で見るが如きに、主幹のかなり上部から無数の曲がりくねった小枝をいっせいに宙に伸ばし、その白骨化したような枝の先端辺りにだけ葉を茂らせている。

まるで箒をさかさまにしたような、まるで根が宙にうごめいて居るような強烈なイメージを受ける。

これは杉の突然変異種なのだろうか??それとも特別な環境がそうさせたものなのだろうか??

兵庫県の多可町にも同じような杉のあることは良く知られているが、この杉の迫力には適わない。

火炎が燃え盛るようにも見えるその姿は、まさしく神の存在感じさせるほどの神々しさに輝いて見える。

撮影2009.9.19

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御佛供(おぼけ)杉

2009-09-27 | 石川県

時にとんでもない姿を見せる豪雪地帯の巨杉です。

これが単木だとは俄かには信じがたい石川県白山市吉野の御佛供(おぼけ)杉。

北陸、東北の豪雪地域では珍しい樹姿ではないかかもしれないが、太平洋側に住む僕達には奇異な姿です。

北陸自動車道の小松インターからR360で約30分、R157との交差点を左折、直ぐ左手に吉野工芸の里という多目的広い多目的施設があって、その奥手山裾に小さな森のようにも見えるこの御佛供杉がのどかな景観の中にたたずんでいる。

樹齢660余年、樹高18,7m、目通り7.6m、「御佛供」とは仏様にお供えするご飯のことで、この杉がこれに似ているのでこのように名付けられたという。

関西では巨樹巨木は弘法大師の箸や杖が根着き育ったという伝説を持つものが多いが、こちらでは真宗勢力の強い地域で伝説の主が弘法大師で無く現実味を帯びている。

小さな森と見紛うほどに繁茂した御佛供杉は枝下に潜り込むと確かに単木、四方八方に枝が暴れ、毎年の重い雪に押し下げられ湾曲し、さらに夏季にはそれぞれが上へ伸びて今のように、一本だけで森を形づくっているような樹姿になったものなのでしょう・・・・・。

この形からして裏スギの仲間でしょうが、これも雪という自然現象と植物の生命力がなせる術なのでしょうね。

撮影2009.9.19

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十村屋敷跡のスダジイ

2009-06-10 | 石川県


片山津温泉温泉から、西方向へ4~5kmも走ると小塩辻町の集落に入る。


集落内を抜ける道路のちょうど中ほど右手に何の前触れもなく十村屋敷跡のスダジイ樹叢がある。



樹叢内には何台もの車が駐車しており、それはあたかも集落内の無料駐車場ででもあるかのような状態に成っている。


十村屋敷跡とはいえ、建物は全く残って居らず、ただただスダジイの巨木が小さな森を造っている。


ところどころに建物跡の石塁、が残っていて、屋敷跡で有ることを伺わせる。



スダジイの巨木は幹周り9mを超えを越えるものを筆頭に11本あるがいずれもが単木ではなく株元近くから何本もに分かれていて数字ほどの巨大さは感じない。


しかしスダジイ独特のうねる様な主幹や、根元に大きく開いた洞はこのスダジイの生き抜いてきた歴史の重みを充分に伝えている。



最老のスダジイは樹齢約700年、江戸時代に大聖寺藩の十村役に選ばれた鹿野家はこのスダジイ林に居を構えて、歴史の流れに翻弄されたのかも??


ただただこのスダジイたちはあるがままの姿で今も尚立ち尽くしているだけなのかも??


昭和62年、このスダジイ群は加賀市天然記念物に指定されている。


撮影2009.4.28


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加茂神社のスダジイ

2009-06-03 | 石川県

 


何の前触れもなく飛び込んできたスダジイの巨木。


山中温泉から片山津の海岸線へ向け県道147号を北上、国道8号線の交差点を過ぎてすぐ左手の神社境内に大きな椎の木を発見すぐに車を脇に寄せて停車。


僕の今回の訪問先からは漏れていたが、加賀市加茂町、加茂神社のスダジイでした。


この地は往古京都下賀茂神社の社領地で在った所から地名も加茂と呼ばれている。


境内は国道と県道にに隣合わせて喧噪の中にあるように思えるが大きなスダジイのおかげか?古社らしい雰囲気を残している。



境内に足を踏み入れ石畳の参道わきに立つ累々と脈打つようなスダジイの主幹は苔むし、永い歳月を生き抜いてきた命の威厳を感じる。


地上にどっしり腰を据えたという感が強く、スダジイの巨木のほとんどは大きな洞を抱きかかえてるのにこのスダジイにはそれらしきものは全く無くいたって健康そうに見える。



大枝を天空いっぱいに広げ樹高も有り、なかなかの雄姿です。


樹齢約400年、目通り6.4m。



境内右手わきにももう一本大きなスダジイの木があってその大きな根が石碑を抱きかかえているのが見える。


主幹に丸い大きな樹瘤があって特徴的な樹姿をしていて興味深い。


撮影2008.4.28


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八幡神社の三叉杉

2009-05-18 | 石川県


前回紹介、栢野の大杉から山中温泉街へ向けて下って行き、最初に大聖寺川にかかる平岩橋を左折、川を渡って菅谷町へと入っていく。


集落の真正面には八幡神社が鎮座していて参道脇のこの鎮守の杜にも国の天然記念物に指定された大杉が有る。



神社の隣は町民会館になっていて広い敷地があるので車の駐車には困らない。



この大杉は三叉杉と呼ばれていて地上3mばかしのところから3本に分岐、樹齢2300年、目通幹周8.0m、樹高54mと表示されているが栢野の大杉と比べても少し見劣り、どうも2300年と言う樹齢は、にわかには信じ難い。


根元,三主幹ともに若々しく、たいした痛みも見えず、老骨さは感じられない。



昔々、村人がこの大杉を伐って帆柱に使おうと相談したが、翌日お宮に行くと杉は三本に分岐して帆柱に使えなくなっていたと言う伝説が語り継がれていて面白い。


撮影2008.4.28


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