巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

豊田市葛沢町 堂庭のスギ

2009-05-24 | 愛知県

先日、5月22日、岐阜県恵那市から現在は恵那市に編入された旧上矢作町を越え、奥三河地方の巨樹を追いかけて来ました。

中でもひときは異様な巨杉に出会ったので取り急ぎUPしておきます。

長野県飯田市方面と愛知県豊田市を結ぶR153号線は、飯田街道とも呼ばれて以前走ったときも行楽の車が多い道路だと感じたが

昨日もやっぱり交通量が多く、さすがに大都会名古屋周辺地域なのだと実感した。

R153号を、山間部からどんどん平野部に下ってくると足助町辺りで平坦部に出る。

左手に流れがあって最初橋を左手に入ると紅葉の香嵐渓、又足助宿場跡などがある観光地。

その脇を走るR423号線で約10分、大見橋の手前をUターン気味に山道に入ってしばらく走ると葛沢(つるさわ)の集落が見える。

集落入り口左手にこの大きな杉の木が聳えていて見逃すことは有り得ない。

一目見てこの異様な樹姿に驚嘆しないではおれない。

両足を踏ん張って、荒々しい姿で立ち尽くすような姿、それも一目見てわかるように♂のシンボルを堂々と突き立てた様にみえる。

これは根の股になった部分から顔を出した枝がいつか枯れ、こういう形になったものだと思われますが???、

誰かがいたずらでもしたのか、はたまたそういう信仰でもあるのか陽物に見えるようにわざわざ加工した跡も確認できる。

この地は冬には雪が多いのか裏杉そのものの異様な姿ですが石段を登って裏側に廻って見るとまったく別の印象で、正面のような荒々しさは微塵もなく穏やかな姿です。

この差はいったい何なのだろうか??、正面は荒々しい大自然に立ち向かい、裏は木立に囲まれた温室育ちでもあるかのようです。

巨根の下部には十一面観音、馬頭観音?、青面金剛、地蔵石仏が一列に立ち並らんでいる。

この杉の表示板には杉の固有名称もなく、なんら指定もないようでちょっと拍子抜け。

境内には薬師堂、石段上には稲荷神社が在って、地元では堂庭の杉と呼び慣わしているようです。

目通り約8.6m、樹高38m、樹齢は不明

撮影2009.5.23

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永平寺の杉

2009-05-20 | 福井県


福井にまで来て永平寺に寄らない手はないと巨樹があることにも期待してたずねてみた。


福井市内から約1時間、福井きっての名刹、全国区の有名寺院には違いないが深山幽谷に在ってアクセスは必ずしも便利だとはいえない。


約750年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開創された知る人ぞ知る「曹洞宗」の第一道場で永平寺派の大本山です。


しかし門前はにぎやかで土産物屋、旅館などが立ち並び、一時代前の観光地の雰囲気そのものです。


時間の都合もあり、今回は山門内部にまでは入らず参道脇をぐる~~っと一回りしただけの訪問です。



門前からまっすぐ突き当りには唐門と呼ばれる勅旨門があってその石段脇に連理の巨杉が岩を飲み込んで聳えている。



勅使門への通路だと言うこともあって、そばまで近づくことは適わず真正面からの画像は手に入れることが出来ない。



帰りがけの参道にも眼を見張る老杉が何本かあって、禅道場として、この寺の持つ凛とした景観によくマッチした威厳を持っている。


荒々しくもあり柔軟でもあるように見える自然体の巨杉です。



ここの杉は凡そ樹齢700年だそうです。


撮影2008.4.28


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八幡神社の三叉杉

2009-05-18 | 石川県


前回紹介、栢野の大杉から山中温泉街へ向けて下って行き、最初に大聖寺川にかかる平岩橋を左折、川を渡って菅谷町へと入っていく。


集落の真正面には八幡神社が鎮座していて参道脇のこの鎮守の杜にも国の天然記念物に指定された大杉が有る。



神社の隣は町民会館になっていて広い敷地があるので車の駐車には困らない。



この大杉は三叉杉と呼ばれていて地上3mばかしのところから3本に分岐、樹齢2300年、目通幹周8.0m、樹高54mと表示されているが栢野の大杉と比べても少し見劣り、どうも2300年と言う樹齢は、にわかには信じ難い。


根元,三主幹ともに若々しく、たいした痛みも見えず、老骨さは感じられない。



昔々、村人がこの大杉を伐って帆柱に使おうと相談したが、翌日お宮に行くと杉は三本に分岐して帆柱に使えなくなっていたと言う伝説が語り継がれていて面白い。


撮影2008.4.28


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栢野の大杉

2009-05-17 | 石川県


前日に宿を取った福井市内から、天下の名刹永平寺に寄り、その後国道364号線で一気に山越え、関西でも名の知れ渡った山中温泉の少し奥、この栢野に到着する。


県人気質というのか、福井では一般道路をまるで高速道路と見紛うほどのスピードで走る、これには僕のようなせっかちな関西人も驚き・・・、この前行った長野での車の流れとは月とスッポン、これが福井の県民性なのかだろうか??


 



そんなことはさて置き、山手から大聖寺川沿いに下ってくると左手国道沿いに天を突く巨大な杉が何本も聳える杜が見える。


現在では菅原神社と呼ばれているが、その起源は養老元年(717)に白山開闢の泰澄上人がが開山した栢野寺で後、栢野社と呼び明治に成って菅原道真を併祀して菅原神社となったという。



栢野の名は、その頃すでに大杉が存在していて、1本で百本に値するとして名付けられたという伝承を今に伝えている。


そんなことなど全く関係ないように境内には多くの巨杉が林立している。



石の鳥居をくぐると参道は木道に成っていて、巨杉の根を痛めないよう、また間近に見て、触われるようにとの配慮からだと言う事らしい。


ちょうど木道の真ん中あたり木道を挟んで巨大な二本の杉が対峙するかのように聳えていて壮観です。



昭和22年に天皇が北陸巡幸時ここに立ち寄られたのを記念して「天覧の大杉」と呼ばれるものが最大のもので、拝殿に向かって右側、途中で二股に分かれているものの目通幹周11.5m、樹高54.8m、推定樹齢2300年と言われています。


推定樹齢の2300年はあながち出鱈目ではなさそうで、昭和3年国の鑑定の結果だそうです、その年には国の天然記念物に指定されている。


 


ちょうど、手を伸ばせば触れるほどのところに大きな樹瘤があって、この杉を逆さに見ればまるで男性自身にも見えなくもないとか??


それにちなんだことは何処にも書いてなかったけど??。



ちなみに「天覧の大杉」に対峙する大杉も負けず劣らずの巨大さで目通幹周8.8m、ほかにも7.8mのものと6.6mのものがあり、この3本は菅原神社の大杉と呼ばれている。



撮影2008.4.28



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薬師の大イチョウ

2009-05-14 | 福井県


ちょうど1年前の今頃、ゴールデンウイークが始まったばかりの4月28日。


越前勝山市の平泉寺町にある白山神社に立ち寄っての帰り道、薬師神谷の白山神社の大イチョウを訪ねた。



R157号線で白山方面に向かいトンネルを抜けた高台からすぐに谷側へ下るわき道を下っていくとそこが薬師神谷。



下り坂を下りきり、小さな小川を渡ると右側に見える神社が薬師神谷の白山神社。


付近はのどかな田園風景そのものの里山、、この時期白山からの雪解け水か?清冽な流れがどこの集落の小川にも豊かに注いでいた。



その流れを利用してか、この集落では現役の共同水車小屋が稼動しているのにはおどろかされた。


神仏融合をそのままとどめた神社境内は明るく開けた台地になっていて、奥越の5月の風がすがすがしい。



薬師堂も薬師神社となっているがこれはどうも匂い過ぎ、白山神社別当の円長坊が、神社境内に薬師堂を建立した際、このイチョウを植えたと伝わっている


と言うように、これはしっかり仏堂に違いない。


明治政府を欺くための手段で改名したのかな??明治政府も罪なことをしたもんです。



 お目当てのイチョウは神社拝殿脇の斜面から、つい先ほど萌え出したかのような若葉を枝いっぱいにつけて短い初夏の光をいっぱいに浴びているようでした。



根元は元気なヒコバエが主幹を囲んでいてまるで桂の木かと見まごうばかり、まだまだ元気な様子です。。


樹齢約500年、幹周り約8メートル、高さ:約20メートルと掲示板には書かれています。



別途、境内の入り口石鳥居脇には、これも天を突く大杉ともう1本のイチョウの木がそびえてる。



特に大杉の方はなかなかの巨杉で目通り約5.8m、樹高約35m、推定樹齢約300年、主幹は地上約10mあたりで双幹?、いや三幹となって空を目指す。



撮影2008.4.28


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京北上黒田、片波の伏条台杉群

2009-05-10 | 京都府

貴船は京都の奥座敷、そこから約30分、峠をいくつも越えて、桂川の上流域の旧京北町上黒田へ出る。

R477号を右折、すぐに枝道を左折、途中京北片波町の民家が三軒ほどあるが、それから林道をどんどん進み桂川の支流、片波川源流域に達する。

途中ダートもあるが完全舗装も有りと山道を走りなれているものにとっては比較的走りやすい道でした。

この森への入り口は比較的見付易く、林道脇に片波川源流域京都府自然環境保全地域の大きな看板があって、山手斜面に小さな観察路入り口の表示板がある。

途中の谷川にはクリンソウが濃いピンクの花を競うように咲き乱れ、山には若い緑が萌え出しています。

観察路の入り口からゆるいのぼりを5分も歩くと一の峰(海抜678m)、観察路案内板のある出会い広場に?着く。

ここはもうすでに異次元の森に突入したような、うねり、喘ぐように奇怪な形相の巨杉が周りに点在している。

杉という名前の語源は「直ぐ木」からきていて、まっすぐ天に向かって伸びているものだという意識が強いが、これはいわゆる「表杉」太平洋側の雪の少ない地方の姿であり、、豪雪地帯に多い「裏杉(芦生杉)」は雪の重みで樹はたわみ、低い枝は大地を這い、地を這う枝から新たな根が生え、横に広がった樹形になっていくようです。

 これが伏条台杉と呼ばれるもので、このような裏杉は用材調達に適なっており、鎌倉期頃、人工的に伏条台杉が仕立てられ、京都の建築に利用されたと言う。

しかし植林技術が発達するにつれ、伏条台杉は利用されなくなり、永らく放置されたものが、現在に残ったこの森の伏条台杉群のようです。

案内板横の宿り杉ーこれは杉というより雑木の集合体といった方が適切かも??。

目の前には大やぐら杉、10.6mというけど、根元よりは枝分かれする部分はもっともっと巨大で、これはまるで逆さ杉です。

言葉よりも画像の方がその状況を雄弁に語ってくれると思います。

巨杉の森はしばらく登った後、谷へ向かっての下りとなるが次から次へと現れる奇怪な容姿の杉にただただ呆然と立ち尽くすのみです。

多分大主杉かな??

この森は ツキノワグマ居住区域(生息地)で、クマ避けにと腰に下げたにぎやかな鈴が、聞いたことのないような鳥の声と競い合うように異形の森にカラコロ響いてた。

平安杉と呼ばれるこの森きっての巨人は尾根別れと称する出会いから東尾根をどんどん下がった広場になったところに息を潜めるように立ち尽くしている。

それぞれの杉にはまったく何の表示板もないのはつらいが、ここはガイドツアーが推奨されてるからなのかも???

写真をいっぱい貼り詰めすぎた気もしますが、これでもまったく足りない気もします。

山は手付かずの自然のままの姿で残されていると言うものの、若木には無粋なビニールが被せてあるのは、鳥獣の食害防止のためだとは思うがちょっと興醒めしてしまいます。

約1時間クマさんにも、ましてや人の子一人遭うこともなく異形の森を十二分に堪能できました。

撮影2009.5.9

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森湯谷のエドヒガン

2009-05-08 | 広島県

小奴可(おぬか)の桜を見て、これから次の目的地に向かって車を移動中にたまたま見つけた桜です。

看板にいわく「森湯谷のエドヒガン」、早速行かない手はないと看板の指差すほうに車を進めること約2~3分、それと解る駐車スペースがあり、道路を隔てた山裾にこのエドヒガン桜が立っている。

植林された杉を背景に立つエドヒガンは背も高く主幹にも衰えは無く、えだ一杯に花をつけている。

幹囲5.06m、,樹高約25m、主幹は三本に分かれて居るが、樹冠はほぼ球状によく発達している。

少しあっけらかんとし過ぎていて、欲を言うならば少しは老獪な威厳がほしいところですが・・・・・・・。

まあ、若い元気な桜も又見ごたえのあるものです。

撮影2009.4.18

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小奴可(おぬか)の要害桜

2009-05-06 | 広島県


前回紹介の千鳥から西方向へ一山越えて約10km、ここも、千鳥と同じく庄原市の東城町にあって県下第二の巨桜として良く知られている。


JR芸備線小奴可駅を越え集落内に入ると直ぐにこの要害桜の看板が目に入り、簡単に駐車場に行き着ける。



駐車場の左手目の前に小高い石垣がみえ、その上方にいくらか盛りを過ぎた桜の花が見える。


この石垣の丘は亀山城といわれる山城の跡で、眺めも良く古くから地元の人々に「要害桜」と呼ばれて親しまれてきたようです。



エドヒガンサクラで、樹齢 : 260年??(一説には500年)、樹高 : 18m、幹回り :5.9m、広島県指定天然記念物となっている。



ここに到着したのが8時30分過ぎ、そろそろ三脚を背負ったサンデーカメラマンが押しかけていました。


撮影2009.4.18


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千鳥別尺のヤマザクラ

2009-05-04 | 広島県


たまたま4月19日に山口県防府市内に野暮用があったので1日早く出かけて途中、広島と山口の巨樹の追っかけをしてきた。


4月18日、京阪神ではすっかり葉桜になっていた桜花が広島比婆山系の山里ではまだまだ見れるらしい。



中国道宝塚の渋滞が厭で、まだ夜の明けきらぬ朝四時に家を出発、この千鳥別尺の地に着いたのがちょうど8時、それでもすでに小さな駐車場はほとんど満杯。


広島県の北東部のこの辺りは桜の巨樹が多いことでよく知られ、庄原市東城町にも天然記念物に指定されている大桜が3本も有って、そのうち1番良く知られているのがこの千鳥別尺のヤマザクラらしい。


中国道東城インターからR314を少し北進、しばらくして県道12号へと左折して、川沿いの里山風景の中をのんびりと約20分も走るとやがてそれと解る看板に誘われてこの地に着く。


なだらかな棚田と山裾にはさまれた空き地に単独木として立つこの山桜は、荒神様の御神木として地元の人々から大切に守ら
れて来たようです。



僕の着いた朝8時、ちょうど駐車場からは逆行気味で朝もやのかかる山桜の巨木は、五分咲きの花を水張りの終わった稲田に写し込んでいました。


確かに長閑な日本の原風景を見る思いです。



 樹齢 : 400年、樹高 : 25m、幹周り: 4.5m、広島県の天然記念物に指定されている。



樹齢 :400年、張りのある主幹がまだまだ若々しく、見事に枝一杯に花をつけて、成長期只中の様に見受けられました。


この地は標高650mと高く、桜の花は例年4月下旬に見ごろを迎えるそうですが今年は少し早めの開花の様でした。

撮影2009.4.18


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