巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

石徹白(いとしろ)白山中居神社の浄安杉、他

2008-03-29 | 岐阜県

 


石徹白と書いて「いとしろ」、どうしたらこういう読みになるのか、はたまたどういう由来があるのか調べてみたがよく判りません。


この地は、岐阜県と福井県の県境付近にあって、江戸時代にはどの藩にも属さない江戸幕府の天領となり、白山中居神社の社家・社人として 「苗字帯刀」が許され年貢も納めなくて良いという特典が与えられていたという。


明治時代には福井県に属し、昭和中期になって岐阜県郡上郡になり現在は郡上市となっているようです。


この地の白山中居神社は白山開山以前に存在していたと言う古社で、標高七700メートルの高原、石徹白集落のどん突き、集落を見渡せる一番奥まったところにあります。



鳥居から直ぐに下り参道になっていて、この杜の豊かさを予感させるような巨大な杉が天を突き刺している。




石段をおりきり奥に進み両側に杉の巨木が群生する参道を又下っていく、この辺りの杉もかなりの大物です、下りきるとやがて九頭竜川の源流である石徹白川を渡り、少し上って境内へと入ります。



境内の入り口に二股に分かれた杉の巨木があって、意外と広く明るい。





社殿両脇にも巨大な杉が林立していて、ここはまさに巨杉の杜、樹齢200年から1000年の150本があるようです。


この神社の浄安杉を探して広い境内を歩きまわっていると裏山に登る山道があって浄安杉への看板が立っているのを見つけた。



かなりきつい山道を登ること約15分、目の前に特別な存在感のある巨杉が現れる。



根元が威容に膨らみ2本に、そしてそれぞれがまた2本に、合計4本に分かれて聳えている。


回りは整備されていてベンチの設備などもあり、いささかやりすぎの感もしないではない。



樹齢1000年、樹高35m、目通り幹周12m、この巨杉の杜の中でもなお特別な巨杉です。


神の宿る杜の巨木としてふさわしい。



又この山道脇には何本ものブナ巨木も見られて、豊かな杜を形成しているようです。



2007.10.5


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石徹白(いとしろ)の大スギ

2008-03-25 | 岐阜県

今回の巨樹旅はこの石徹白(いとしろ)の大スギに逢いたいと言うところから出発した。


かねてから、本やNETで見て地図を検索,いつかは必ず会いに行こうと心に決めていた。


地図を広げて、この直ぐ近くまで車が進入出来るのかに不安があったがそれも前もって白鳥町の観光協会に確認すみ。


いざ、目的地の山中近くに来ると、白山中居神社辺りで目的地はこの辺りですというアナウンス、地図上でまだまだ山奥なのに・・・・・。


ちょうど人を見かけてたずねて見るとこの先、山道を6~7km走った奥だと言う、言われるままに山道を進むこと15分ばかしだろうか??



やがて何台もの車が駐車する広場に出る、ここが白山登山の岐阜側登山口、石徹白(いとしろ)の大スギの直ぐ下。



登山口から420段の石段を約10分程、ヒイヒイ登りきると視界が開けた前方にこの異様な姿の大杉の姿が飛び込んでくる。



確かに馬鹿でかく、天を突く高さはなく、普段見慣れた杉の姿ではなく、それはあたかも杉の名を借りた神そのもののような感じもする威容さであった。



この木も白山開祖の泰澄上人の杖が育ったものと言う伝説を持っていて、良く似た話が各地の巨樹にも残っている。



白山信仰のシンボルとして往古より登山道の入口に立ち、多くの人達を見てきた木で、国の特別天然記念物に指定されている。


樹齢1800年、 樹高24m、 目通り幹周14mと記されていて、屋久島の縄文杉、奈良十津川、玉置神社の神代杉と共に日本の杉の三傑と云われてるようです。



木の頂部葉すでに欠損して久しいのか、雑木が着床、主幹の樹皮もはがれて白骨化したようにも見えるが残った数本の枝には緑の葉を茂らせていて


懸命に生きている証を残している。



同じ時に来た団体さんの一人が、パック酒を「元気でいてくれ長生きしろよ」と振舞っていたのは印象的でした。


撮影2007.10.6


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白山長滝神社のスギ

2008-03-23 | 岐阜県

 


東海北陸自動車道を白鳥ICで降りて国道156号線を長良川沿いに走る長良川鉄道の小さな路線と平行してしばらく走ると左手白山長滝神社野駐車場看板が見える。



長龍寺



白山神社


大きな駐車場に車を止めて広く長い参道をだらだら登りに歩くとだだっ神仏習合が、いまだにそのまま残る広い境内に出る。



白山長滝神社は、泰澄上人が白山を開いた後に創建したものとされており、平安・鎌倉・室町時代には隆盛をきわめ、明治初期の神仏分離が行われるまで、白山中宮長滝寺と称して白山信仰の拠点で参集する人々の美濃側馬場として栄え、濃飛一帯の文化の中心をなすほどに賑わっていたといわれています。



白山長滝神社は、もともと長滝寺と一体であったのを、明治の神仏分離政策で分けられたものだが、この辺りに住む人達にとっては、切っても切れない同じ白山廟として信仰が篤い。



境内拝殿の東側、道路沿いの脇参道石段横に立つ大スギは主幹はさほど太くはないが、根元を大きく広げて大地をつかむ力強い根張りの姿に特徴があって独特の趣をもっている。



又木立の根元には普段見慣れない石塔があって印象的で付近の景観も良く、絵になりやすい巨樹です。



幹周り6.15m 樹齢800年、樹高40m、と記されて、県の天然記念物に指定されている。



撮影2007.10.6


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神の御杖杉(おつえすぎ)

2008-03-21 | 岐阜県

 


昨年の秋本番を迎えた10月6~7日の連休を利用して、かねてより訪れたいと念願していた奥美濃から飛騨路の巨木を追っかけて来た。


この旅は僕にとって今でもいろんな意味で凝縮した時間であったように思われる。



朝早くに京都を出て先ず東海北陸自動車道美並ICで降りて、岐阜県、旧美並村の熊野神社にある「神の御杖杉」を訪ねた。


熊野神社のある杉原集落の突き当たりに、でんと腰を下ろした巨大な杉が天を突いてそびえているのが見える。


熊野神社は神社全体を覆うように金網のフェンスが張りめぐらされ、野生動物防護用の高電圧注意の看板があり自然一杯の只中にある神社であることが良くわかる。



境内への入り口もフェンスで塞がれては居るがが自由に入る事が出来る。



樹齢1000年以上、樹高42m、目通り幹周9.5mと記された大杉で、紀州熊野の尼僧「俊応」が当地を訪れ、近くの滝に権現を祀ったのが、熊野神社の始まりだといわれているて、この時挿した杖が杉の大木に成長したという伝説から「御杖杉」(おつえすぎ) の呼ばれているようです。



1000年以上の老齢とはいえ樹勢は旺盛でまだまだ若々しくさえ見えるほどです。



枝が下がっているのは杖を逆さまに挿したからだと言われていて面白いと一人でほくそえんでいました。


先ずはこの旅の最初の巨樹です。


撮影2007.10.6


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泉福寺のケヤキ,他

2008-03-15 | 滋賀県

国道1号線、水口、伴谷口の交差点に程近い泉の地にある天台宗泉福寺は日吉神社と同一境内にある



最澄の開基と伝えられる古刹で、境内に老大樹が茂っており深い趣きがある。



中でも一番の大ケヤキは、境外の道路に面した塀の間から巨大な幹を突き上げている大ケヤキで、幹周り6.3m、樹高22mとカウントされていてます。




夏の日差しをいっぱいに受けたその姿はまだまだ若若しく、凛々しくさえ見え、幹の太さから想像するほどには樹齢を重ねていないのかも知れない。




境内に入ると本堂を背にして、大きなカヤの樹がでんと腰を据えていて、幹周り4.3m、樹高19m。



古刹とはいえ、平地の小さな寺院としては珍しく巨木の多い寺院です。


これは神仏分離以前の姿を今もそのまま残してからなのだろうか??


撮影2007.6.30


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玉桂寺の高野槙

2008-03-13 | 滋賀県

 信楽は陶器の町、狸の置物の町として名を馳せています。

僕の住まいの傍を走る国道307号線が信楽の街中を抜け、近江湖東方面へと延びています。

その国道脇には信楽焼き窯元や出店が軒を並べ、あちこちの店先にデコレーションの大きな陶器の狸が出迎えてくれます。

そんな、信楽の町並みを越えてしばらく走ると左手に玉桂寺への進入口の看板が見え、そのまま道なりに進んでいくと、やがて信楽高原鉄道の小さな踏切を越えて玉桂寺前へといたる。

信楽高原鉄道にも玉桂寺前駅があって、そこで下車すると、寺の前を流れる大戸川の上を吊橋で渡って、寺の前に来ることになる。

玉桂寺縁起によると、「今より一千二百年の昔、奈良朝淳仁<天皇が一時、都を平城京から滋賀に移されたことがあり、その時の保良宮、つまり奈良時代に、滋賀に皇居を作られる間、仮御所として使われたのが玉桂寺の始まりである」という古刹です。

山門を潜って正面の石段に左右にこの高野槙の群生が立ちはだかるように生い茂っています。

弘法大師がこの地にこられた時、廃帝の御冥福を祈り高野を植えたという伝説がある

一対の高野槙を御手植されたものが、親株から種で増えたとする説と下枝が 地面に接して根が出たとする説があるようです。

石段右側に22株、左側に43株、樹齢 1200年(伝承) 幹廻り6.1m 樹高 31m と云われていて滋賀県県の指定の天然記念物になっています。

巨樹というのが非常に判りづらい樹です、何本にも分かれて株立ちしているので特別な主幹がどれなのか判りません。

全く写真には撮りづらい姿でどうにも手に負えない巨樹でした。

 

撮影2007.7.1

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三重県御浜町市木のイブキ

2008-03-10 | 三重県

今回の熊野巨樹ドライブの最終目的地がここ。


七里御浜野続く海岸線を走る国道42号線、帰りがけのルート上にあるこのイブキの巨木を見逃すわけにはいかない。



紀勢本線紀伊市木駅付近にある下市木信号を右折して踏み切りを渡り、しばらく進むと前方にそれと解る緑の塊が見える。


1段低い所に保育園の園舎があってその裏の空き地にこのイブキの幹がうねっている。



時期が良かったのか、空き地には野の花が咲き乱れ開けたロケーションにこのイブキのがその樹冠を広げている。


元々、この土地はつくり酒屋で下市木の庄屋をつとめていた大久保宗悟氏の屋敷跡で、このイブキだけが残ったもののようです。



掲示板には樹齢推定600年、樹高12.8m、目通り幹周5.45m、三重県指定文化財と記されている。


多くの支柱に枝を支えられてはいるものの樹盛良好、うねりながら上に向かう幹がなんとも印象的な巨木です。



撮影5007.5.3


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相野谷(おのたに)神社のイチイガシ

2008-03-05 | 三重県

御浜町引作の大楠の余韻を引きずりながら、県道141号線、大里トンネルを抜けて3kmほど進んだ紀宝町大里の集落の相野谷中学校の向いの山際に相野谷神社がある。


紀宝町は、紀伊半島の南東部に位置し、三重県の南玄関となっています。東は七里御浜で熊野灘に面し、北は御浜町、西を熊野市、南は熊野川を隔てて和歌山県新宮市と接しています。



相野谷神社の小さな境内の本殿左側にこのイチイガシが1本高く梢を持ち上げている。



このイチイガシの幹は白っぽく色褪せた感じに見え、心なしか枝葉に元気がないように見える。



樹高35m、目通り幹周4.31m、樹齢は不明。


撮影2007.5.3


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熊野速玉大社 、梛(なぎ)の樹

2008-03-01 | 和歌山県

熊野速玉大社は熊野信仰、世界遺産で熊野古道で有名な本宮大社、那智大社と並ぶ熊野三山の一つで、もともとは、速玉大社から南へ1~2km行った千穂ヶ峰の東南端の神倉山に祀られていたのが、のちに現在地に遷され、そのため神倉山の古宮に対し、ここを新宮と呼ぶようになったということでこれが、新宮市の地名の由来になっている。



新宮市は三重県と和歌山県の県境となっている熊野川が市内を流れる和歌山県側にある信仰の町です。




鳥居をくぐり、参道を進むと、右手に朱塗りの神宝館があり、左手には樹齢1000年ほどと推測される梛(なぎ)の大樹が枝を広げています


安末期に熊野三山造営奉行を務めた平重盛(清盛の嫡男)の手植えと伝えられています。


梛は熊野権現の御神木で、その葉は、笠などにかざすことで魔除けとなり、帰りの道中を守護してくれるものと信じられていました。



梛はマキ科に属する針葉樹でありながら、広葉樹のような幅の広い葉をもつちょっと変わった樹木で、この梛の葉には緑の葉に黄色のフウが這っているのを見受けられます。


その葉がまた変わっていて、主脈がなく縦に細い平行脈が多数あって、梛の葉は、縦には簡単に裂くことができますが、横にはちぎることができません。


その丈夫さにあやかって男女の縁が切れないようにと女性が葉を鏡の裏に入れる習俗があったそうです。


また、梛は凪に通じるとして、昔から海上安全、家内安全、和楽の信仰があり、熊野詣での印に梛の小枝を手折った事が古書にも記されています。



樹齢約1000年、幹回り6m、樹高20m、老樹にもかかわらず樹勢はきわめて旺盛で、梛としては日本最大、国の天然記念物に指定されています。


撮影2007.5.3


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