石徹白と書いて「いとしろ」、どうしたらこういう読みになるのか、はたまたどういう由来があるのか調べてみたがよく判りません。
この地は、岐阜県と福井県の県境付近にあって、江戸時代にはどの藩にも属さない江戸幕府の天領となり、白山中居神社の社家・社人として 「苗字帯刀」が許され年貢も納めなくて良いという特典が与えられていたという。
明治時代には福井県に属し、昭和中期になって岐阜県郡上郡になり現在は郡上市となっているようです。
この地の白山中居神社は白山開山以前に存在していたと言う古社で、標高七700メートルの高原、石徹白集落のどん突き、集落を見渡せる一番奥まったところにあります。
鳥居から直ぐに下り参道になっていて、この杜の豊かさを予感させるような巨大な杉が天を突き刺している。
石段をおりきり奥に進み両側に杉の巨木が群生する参道を又下っていく、この辺りの杉もかなりの大物です、下りきるとやがて九頭竜川の源流である石徹白川を渡り、少し上って境内へと入ります。
境内の入り口に二股に分かれた杉の巨木があって、意外と広く明るい。
社殿両脇にも巨大な杉が林立していて、ここはまさに巨杉の杜、樹齢200年から1000年の150本があるようです。
この神社の浄安杉を探して広い境内を歩きまわっていると裏山に登る山道があって浄安杉への看板が立っているのを見つけた。
かなりきつい山道を登ること約15分、目の前に特別な存在感のある巨杉が現れる。
根元が威容に膨らみ2本に、そしてそれぞれがまた2本に、合計4本に分かれて聳えている。
回りは整備されていてベンチの設備などもあり、いささかやりすぎの感もしないではない。
樹齢1000年、樹高35m、目通り幹周12m、この巨杉の杜の中でもなお特別な巨杉です。
神の宿る杜の巨木としてふさわしい。
又この山道脇には何本ものブナ巨木も見られて、豊かな杜を形成しているようです。
2007.10.5