巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

伊雑宮(いざわのみや)の巾着クス

2009-02-26 | 三重県


前回紹介した下膨れのクスを一段と極端にしたような、三重県伊雑宮(いざわのみや)に有る巾着クス。


伊勢神宮別宮という由緒をもつ伊雑宮(いざわのみや)の社域には多数の大クスが生い茂っているが、このクスは社務所左横にあって巾着(金着)クスとして人気が有り、根元の割れ目に賽銭を供えるとお金が貯まるといわれているそうです。



巨樹と言うほどの主幹ではないのですが株周りを主幹と見るならば巨樹としても充分にっ通用しそうな気もします。



しかし何故こういう樹形になるのか不思議ですが社務所の右側に有るクスもこれほどではないのですがやっぱり下膨れです。


何か「下膨れDNA」でも持ったクスなのかなあ??




社叢の大楠


社叢にも何本もの大きなクスは有るのですがこの二本のクスが際立って異様な姿をしています。


下部だけを見ていると巨大なカタツムリ、今にものそのそ歩き出しそうです。



撮影2008.10.4


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粉河寺大神社の楠

2009-02-23 | 和歌山県


粉河寺は紀南地方きっての古刹で、現在でも西国33箇所観音霊場として広くその名は知れ渡っている。



そんな粉河寺の大門左脇にともすると見逃してしまいそうに小さな旧粉河村の産土神で大神社と称する社がある。


小さな境内の小さな社脇にちょっと下膨れなクスの巨樹が腰をすえている。



まるで岩の塊のような根元を持つこのクスは神社の神木とされていて、樹齢1000年余、胴回り15m、樹高25mと表示されています。


どうしてこのような異形になるのだろうか??地盤が硬くて根が変形しているのか樹瘤が巨大になってこういう樹姿になっているのだろうか??



狭い境内を多い尽くすように広がった樹冠は若々しく、主幹にも大きな傷跡や洞も無く1000年以上も生き続けて来たとは思えないほどの生命力です。



根元の樹瘤には若木が芽吹いて居て、まだまだ若々しい活力いっぱいのクスの巨樹です。 




撮影2008.3.22


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上村家のタブノキ

2009-02-20 | 福井県


近江と若狭の県境に近い旧上中町はその昔、都との往来で賑わった若狭鯖街道の「熊川宿」の有るところとして有名です。


旧上中町舎近くの三宅は小さな小川沿いに長閑な里山風景広がるところです。



集落の中ほどから左手に小さな森のように見える大きな木が見えるところを目指して車を進めて行きました。



集落の中心から少し外れた里山風景の中に古墳を思わせるような小高い丘が有って、その頂部に上にこのタブの木が雨上がりの陽射しを全身に浴びて輝いていました。


根元には小さな祠が祀られ、その横手には小さな椿の木に何輪かの赤い花も咲き、手入れも行き届き気持ちの良い長閑な風景をかもしだしています。



樹齢約300年、幹回り8.3 m、樹高 約16.5 m、幹は根元近くから11本に分岐しており重量感には少し乏しいが福井県の天然記念物に指定されています。


撮影2008.3.29


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大湫(おおくて)神明神社の大杉

2009-02-18 | 岐阜県


岐阜県の中央部以北では杉の巨木ばかりがやけに目だって多いような気がします。


そんな中に有っては幹周り11mを越す巨杉で有ってもそれほど目だった存在ではないのかも知れない。



大湫(おおくて)は中山道の宿場町で大井宿と細久手宿の中間にあって、天保14年(1843)の旅籠数30軒、といわれており、懐かしい町並み風景の残る観光地として知れわたっている。


中央自動車道・瑞浪ICを下りて国道19号線に入り10Kmほど東進した所にある釜戸交差点を左折、道なりに4Kmほど進むと旧中山道大湫宿(おおくてしゅく)入り口辺りに到着する。


道路を少し右に進めば大杉がすぐ目に入るが道路は旧街道の面影を残してか狭いので車はまず駐車場を確保してから歩いたほうが良い。



小さな宿場町の真ん中辺り、小さな境内に驚くほど大きな巨杉がでんと腰をすえています。



樹齢1200年、樹高60m、目通り幹周り11.0mと記された大杉で、一段高くなった拝殿への石段脇殻と拝殿前からは真近にこの杉の威容を見る事が出来る。



真近に近づいてあおぎ見る重量感と迫力は圧巻で、主幹の下部に有る巨大な樹瘤もかなりの巨大さです。



古くは大湫宿のシンボルとして街道を行く旅人に親しまれ、今でも神明神社の神木として地元の人や観光客にも大切にされているようです。


撮影2008.10.12


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根尾の淡墨桜

2009-02-16 | 岐阜県


花の時期になると誰もが訪れて見たいと思うに違いない日本3大桜の雄、根尾の淡墨桜を花のない時期に訪ねた。



花の有る時期に訪れたいのはやまやまですが、桜街道と呼ばれる県道255号線はびっしり車が数珠繋ぎだそうで、せっかちな僕などとてもよりつけそうにない。


ここを訪れた昨年10月初めの朝9時前、まったく人影もなく勿論売店も休業中、ただただ静寂の中の孤高の巨木という風情でした。



花のない淡墨桜、高齢ゆえに支柱で支えられ、主幹には大きな洞が痛々しくも見えますが、年輪を重ねた太い幹は風格と威厳に満ち満ちていてその歴史の重みを充分すぎるほど感じさせてくれます。



淡墨桜は蕾のときは薄いピンク、満開に至っては白色、散りぎわには特異の淡い墨色になり、淡墨桜の名はこの散りぎわの花びらの色にちなんでいるようです。


樹齢は1500余年と推定され、樹高16.3m、幹囲目通り9.91m、枝張りは東西26.90m、南北20.20m。、継体天皇お手植えという伝承がある。



 淡墨桜のいわれの一つとして・・・・・・・。


 尾張の国で生まれた男大迹皇子は、当時の事情から生後まもなく根尾村に隠れ住んだ。 そして二十九歳の時に、仁賢天皇の即位に際し、迎えられて都にのぼることになる。 


その折りこの地を去るに当たり、名残を惜しむ人々に形見として植えて行ったのがこの桜だという。
     王が残した一首の歌がある。

身の代と遺す桜は薄住みよ 千代に其の名を栄盛へ止むる


 


撮影2008.10.4 


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川合のムクノキ

2009-02-15 | 岐阜県


この地に到着するのには正直かなり道に迷いました。


それほど有名な巨木でもないので僕のバカナビでは「川合のムクノキ」などと入力しても連れて行ってくれるわけもありません。


凡その勘で川合町を木曽川岸まで突き切り、河岸道路を何度も行ったり来たりしてやっとこのムクノキに出会うことが出来ました。



ここはその地名でも解るように木曽川と飛騨川の合流点で、川幅も広く昔は渡しの目印にもなっていたようです。


悠々と流れる?(下流にダムが有るので殆ど流れはないようですが)木曽川河岸にたたずむムクノキの巨木は何かしら懐かしい映画の1コマを見ているようです。



ムクノキは美濃加茂市の木として指定されており「川合のムクノキ」は市内で一番の巨木、樹齢約800年、樹高約20メートル、周囲約7.8メートル、


根元から5~6メートルは殆ど空洞になっていますが樹盛も良く元気そうです。


案内板によるとムクノキとエノキの合体木だそうですが、良く見ると確かに木肌の違うのが良くわかります。



住宅地と河岸に挟まれた狭い道路わきにあって訪れるのにはかなり苦労をしますが、この景色を目の前にすると何かしらのんびりした気分に成れることは請け合いです。


昭和45年岐阜県指定天然記念物。


撮影2008.10.4


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板取21世紀の森公園の株杉群

2009-02-11 | 岐阜県



例によって例の如くナビ任せで現地に到着してしまってあまり良くは覚えてないが,岐阜市内からでも1時間以上は山の中を走ったように思う。



途中R256号線と分かれて川沿いに県道52号線でさらに北上、山中深くに分け入ると開けた町並みの有るところが関市板取地区。



県道脇の板取中学校を超えて直ぐ「21世紀の森公園」の看板で左折すると大きな駐車場があって運動公園にもなっている。



21世紀の森はちょうどこの上方、管理人の人に株杉の事を訊ねると、車で傍まで行けるからと株杉森へのゲートを開けてくれた。



ゲートから1~2分も走るとそれらしき看板が見えて異様な巨杉が姿を見せる。



車を道路脇に寄せてロープの張り巡らせた散策路の山肌を登ると圧巻、異様な姿の台杉が林立群生している。





巨木を見慣れた僕も一瞬唖然とする景観が続くこの森に一瞬たじろぐ。



異様としか言いようのない樹形は京都北山の奥でも見られる台杉と同じで主幹を伐採すると枝分かれした幹が伸び、それを繰り返すうちにこんな不思議な形になったと言うことだそうです。





確かに杉独特なあの端正な樹形を見慣れている者にとっては摩訶不思議な光景です。





その樹形の荒々しさの中にに植物の持つ生命力の強さが脈打っているように感じられます。





不思議な樹形の森はそれほど広くなく2~30分も歩けば殆ど隅から隅まで歩けてしまうのですが圧倒的な迫力です。





巨大な1株から林立するように何十本もの支幹が大空を目指す姿は異様としか言い様がないけど又美しくも有る。





これは人間が人工的に作りだした姿なのだろうが、自然の生きる力によって造りだされた形に違いない。





この林では約100本以上の株杉が確認されていて、大きいものでは幹周り5~6m以上のものもあり、樹齢は4、500年だということです。



ちょっと度肝を抜かれる景観ですが、良く整備されていて気軽に巨木の偉大さに合えるところとしてお勧めです。



 撮影2008.10.4



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旧、名田庄村(なたしょうむら)苅田姫神社ムクノキ

2009-02-08 | 福井県


もはや1年近くも以前に出遭ったムクノキの巨木です。


春まだ浅き3月の末、福井県小浜方面に出かけての帰り道、また来た道を帰るのも面白くないので少しは遠回りになるかもですが?若狭から京都市内に抜ける周山街道で帰ることにして途中このムクノキを訪問した。



R27号から分かれたR162で南川沿いをどんどん遡上、約20分ほども走るとやがて名田庄下地区に入る。


古いことなのであまり詳しくは覚えてないが広い道が神社の前まで通じていて何の不自由もなく駐車出来た。


境内は道路に面していて広く開放的で児童公園のように良く整備され、子供の遊び場としてはこの上ない場所だったような気がする。



ムクノキは本殿右横に冬枯れの枝を広げて枯淡な姿で立ち尽くしていた。



主幹の根元は向こうが見えるほどに空洞化が進んで痛々しいが、方向を変えて、裏側から見るとまだまだ活力があって元気そうにも見えたりもする。



主幹は約10mぐらいのところで欠損しているが、途中からは羊歯類や苔が着床、共存していて老樹の威厳をかもし出しているようにみえる。


脇には小さな祠が祀られていて、このムクノキが神格を持った神として敬われているのだろう。



樹齢 約300年、幹回り 7.5m、 樹高 約17m、天然記念物に指定されている。


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志多備神社(したびじんじゃ)のスダジイ

2009-02-06 | 島根県

 




島根、鳥取の旅で巨樹好きの僕がここに寄らないで帰ることは出来ない。


今は松江市西岩坂と言う地名になっているが合併までは八雲村西岩坂で、その名が示すように古代出雲文化発祥の地と言われた古い古い土地です。




小さな川沿いの、のどかな田園風景を走っていると道路わきに立派な駐車場があって、川向こうのかなたにこんもりとした鎮守の森が在り、この杜に鳥取県にある伯耆の大シイと並んで日本一だと言われるスダジイの巨木がある。


(実は最近になって京都府の舞鶴湾に浮かぶ小さな島でもっと大きなシイの樹が有ると言うことが公表されましたが公開はされていないということです。)





それが志多備神社のスダジイで、この志多備神社という神社名もなにやら妙に引っかかります。


詳しくはまだ調べてはいませんが、古代の『出雲国風土記』にも「志多備社」として掲載されているようです。




刈り取りのすんだ田んぼの小道を歩いて鳥居の正面まで行くと左手におおきな椎の木がそびえているのが見える。




しかしこれは、NETであこがれていたあのスダジイではないと一目でわかるがそれでもなかなかの大きさで幹周り6m、根元にはなにやら古めかしい石柱もたっていてなかなかの風格ですがまだまだ若々しく、ちょっと威厳には欠けています。



鳥居をくぐって境内に入り本殿脇の奥のほうに眼をやると異様なほどに巨大なスダジイの巨幹が見える。


荒々しい程にうねった主幹から雄叫びでもしているように巨大な支幹を何本も天空に突き出しているさまは見るものを圧倒する力強さにあふれています。




それはあたかも大昔、絵本で見た神話のヤマタノオロチを思い起こすような、すさましい様相にみえました。




根元には古くなって落ちてしまったのか?はたまた最初からこういう形なのか?勧請縄があって、この木がいかに神聖化された特別なものであるということがよく判ります。




毎年11月9日には、この地区の人々によって藁蛇を太い幹に巻き付ける荒神祭りが執り行われているとあるが是非とも立ち会って見たいものだと思いました。


胸高周囲11.92m、樹高は約17.8m、樹齢は不明ですが数百年といわれていて新日本名木百選に選定されています.


撮影2008.9.22


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出雲大社命主社(いのちぬしのやしろ)の椋

2009-02-04 | 島根県

誰もが知ってる出雲大社、殆ど知られてない命主社の椋の樹。

いろいろな古代のなぞを提供してくれる出雲大社のすぐ近くの境外摂社「命主社」神社は出雲大社を訪れたとしても全く何の案内もなく、ただただこの椋の樹を目的にここを訪れた人だけが探し当てることができるところのような気がします。

僕も大社をひとまわりして全く何の案内もなく仕方なしに神職の人に尋ねてやっと探し当てました。

本殿に向かって左側の門を出ると大きな社家の連なる通りに出て、そのまま100mほど進むと左手奥にこの椋の木が聳える小さな命主社がある。

狭い境内いっぱいに濃い緑の葉を伸ばしているが相当な樹齢のようで節くれてうねるような主幹には落雷の痕なのか黒く焼け爛れた様子が何箇所も見られる。

境内と隣の広場には段差があって、ちょうどその土手に根を張っているのか大きく根上がりしていて少し痛々しい感はぬぐえない。

それが気の遠くなる時間を生き抜いてきた証でもあるかのような威厳に満ち満ちた姿ではあるけれど・・・・。

樹齢約1000年、樹高17m、幹周5.8m、新日本銘木100選にも選ばれた銘木で出雲市指定天然記念物でも有る。

撮影2008.9.21

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西御門(にしみかど)仁王堂の大公孫樹

2009-02-02 | 鳥取県


岡山から鳥取に抜ける道すがら,どこか寄るべきところは無いかと探し当てたのがこの西御門仁王堂の大公孫樹。


R53号からは少し反れることにはなるがちょっと寄り道、県道を通ってR29号八頭町の西御門へと出る。



西御門バス停横の細い道を山手側に少し進むとこの大きな公孫樹の梢が見える。


道の突き当たりの少し小高いところにこの仁王堂が在って、参道の石段脇の斜面に身を乗り出して大きな根がしっかり大地をつかんでいる。


9月の下旬、まだまだ青々とした葉を茂らせていたが激しい雨に打たれて銀杏が境内一杯に落ちていた。



幹の途中にはまだ咲き始めたばかりの彼岸花が咲いてたりしてちょっと不思議な光景でした。


後で聞いた話に依ると、彼岸花は球根で増える植物、オマケに毒が有るので鳥が運ぶことは無いらしく、摩可不思議なことだということでした。


元弘3年(1333)後醍醐天皇がここを通った折、随従の女人が天然痘で急逝され、この地に葬り小詞を建てて祀り、墓標としてこの公孫樹を植えて大切にして来たという。


以来この公孫樹の葉は天然痘除けの守り札とされているようです。



樹齢650年、幹周り約8m、鳥取県の天然記念物に指定されています。


まだまだ樹盛もよく、若々しく元気そうに見えました。


撮影2008.9.21


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