巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

菅原神社(上野天満宮)」のケヤキ

2007-03-31 | 三重県

 


伊賀上野の中心?近鉄上野駅から南西に歩いて10分ぐらい、西行する道路の正面にその楼門が見える。


菅原神社は上野天満宮とも呼ばれていて、境内は神仏混交の色が濃く、鐘楼が今もそのままで残されていた。


本殿奥の禁足地の塀越しに梢を突き出しているケヤキ巨木が見える。



1本は本殿左側、裏入り口の鳥居を見下ろすように、少し傾いた主幹を突き出しているが、近づくことはかなわず根元あたりの妙はわからない。



もう1本同じような大きさのケヤキが右手奥の方にも見えるが、これも禁足地にあって詳しいことは解からない。



環境庁の2000年データーによると,2本とも幹周り3.9m、樹高20mとある。


撮影2007.2.11


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宇太水分神社(うだみくまり)惣社の巨木

2007-03-29 | 奈良県

 


この地は何度も何度も通過していて、町の様子に懐かしさの残る町並みであるのはよく知っていた。


この地、宇太水分神社の鎮座する古市場は熊野、伊勢、大和に通じる要所として栄え、菟田野の中心として現在に至っている。



国道166号線と県道218号線が交わるあたり、淀川の源流にもあたる芳野川(ほうのがわ)が西北に流れるところに鎮座している。



往古から一帯の農地を潤し、水の神として崇敬をあつめた惣社水分神社は、大きな木立に囲まれてはいるが、開けた明るい広い境内を持つ。



極彩色に塗りなおされた国宝の本殿左脇には、敬虔な老夫婦が植えた2本の杉がいつの間にか根元が1つになり、夫婦杉と呼ばれるようになったと伝わる杉の巨木がひときは高くそびてえている。



目通り5.3m、樹高35m、樹齢は不明ですが、まっすぐにすくっと立ち尽くしている。



参道右脇の杉の木立には源頼朝が幼少時、大将軍になれるかどうかを占うために植えさせたとされる頼朝杉の2代目が元気に育っている。




普段は子どもたちの遊び場となっている静かな神社境内には、ケヤキの巨木があって、あの波立つような木肌見せてそびえている。


撮影2006.4.1


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岩作大明神のムク

2007-03-27 | 大阪府

 


東海道本線の京都と大阪のちょうど中間点あたり、工業化やベッドタウンとして市街化しているが、この地は古い歴史の街で、古代の古墳や、古い地名も多く興味深いところです。



今回訪ねた安威と言う地名には何か古代においが感じられます。



名神高速茨木インターからさほど遠くない、新興団地と旧村が混然一体となっている丘陵地の一角に小さな祠のようなこの神社、岩作大明神があって、旧村集落の入り口にもあたるような場所に見える。



この神社、(祠)の背後にどっしり根を下ろしているのがこの椋の木で、樹齢約450年、幹周り6.5m、樹高 18.2mとなっています。



周りの近代化した風景からは想像もできないような一角で、あの懐かしい昭和の面影の残る家並みを背景に従えてたつ巨大な椋は、この地に暮らす人々の心のよりどころなのかも知れず、撮影の合間にも手を合わす人が何人か立ち寄っていた。



撮影は2月の後半、椋の木はまだ冬枯れの状態で1枚の葉もつけてなく、淋しい姿であり、伐られた枝跡が痛々しく見えた。


 撮影2007.2.25


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堂の杉 

2007-03-25 | 奈良県

 


奈良公園の中を突き抜けて走る県道80号線は高畑で左折やがて春日原生林の南端を大和高原へと登っていく。


途中、奈良奥山ドライブウエーへの進入路を左に見ながら奈良市内といえども鄙びた景観の里山、田原の里へと入る。


ここはその昔、奈良の都人の葬送の地でもあったとか??、ちょうど春日原生林の向こう側に当たる地域で、なだらかな丘陵地という景観が美しく、山の斜面には大和茶のグリーンの波が続いている。



田原小学校、中学校の建物を過ぎてすぐ左の山手の方に入っていくとこの堂の杉のある中ノ庄の集落。



集落の入り口辺りにある天神社の境内、社殿のまえに、その威容な幹を見せている。



根元、幹周りは巨大にもかかわらず、葉の茂る主幹は、意外と細い。



多分いつの時代かに、落雷でもあったのだろうか?巨大な幹は、途中で無くなり、支枝が主幹となっているようです。



幹周り、約7m、樹高は30m、樹齢は不明ですが、800年ぐらいは経っていそうです。


小さな集落の小さな鎮守でしっかり神木として守られているようです。


 撮影2007.2.24


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滋賀県大津市の「犬塚のケヤキ」

2007-03-23 | 滋賀県

 


京都三条大橋袂の京阪三条から滋賀県の浜大津へ向かう京阪京津線の浜大津より一つ手前の上栄町のすぐ傍このケヤキの巨木が立ち尽くしている。



付近には大きな病院があり路も狭く入込んだところ、おまけに車や人の往来も激しくとても車での訪問は出来そうに無い。


浄土真宗中興の祖、蓮如上人が大津で布教中、他宗門より毒殺を企てられ、かわいがっていた犬が身代わりとなって死んだ。


この忠犬を弔うため、これを哀れんで埋めた塚に蓮如がケヤキを植えて弔ったと言い伝えられている。



今ではその塚もコンクリートの擁壁に固められ、周りには、高い建物が迫っていて、決して恵まれた環境とはいえない。


樹こぶでゴツゴツした幹にうねるような根回りが気の毒そうにみえるが、枝いっぱいに葉をつけていて、樹勢は衰えていない。



樹高10m、幹周3.8m、樹齢600年と言われ、大津市の天然記念物に指定されている。


撮影2006.11.24


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河桁御河辺神社(かわけたみかべじんじゃ)のケヤキ

2007-03-19 | 滋賀県

 


この難しい名前の神社は、湖東の勧請縄を訪ね歩いているときに見かけた巨樹を撮影するため訪れた。



この神社の起源は古く1000年以上も前の奈良時代、またこの神社例祭である御河辺祭りはその起源を奈良時代末期に持つと言う古式豊かなものだそうです。



神社の境内は広く、車も自由に乗り入れることが出来、愛知川沿いの樹叢には何本ものケヤキの巨木が聳えています。



特に拝殿左側にあるケヤキの巨木が郡を抜いていて、幹周り4.6m、樹高28m、樹齢は不明ですが神木としての威厳ある巨木です。


撮影2007.1.14


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諏訪神社の大杉

2007-03-17 | 三重県

 


三重県と言ってもここは滋賀県信楽との県境辺り、車でほんの10分以内で信楽の町へと入る。


僕の家からだと、国道307号線で信楽へ、そこからこの旧阿山町の諏訪へと入るが車で約く40分ほどの距離となる。


特別に駐車場などはありませんが、この辺りでは何処に車を置いたところで、とがめられるようなことはありません。



諏訪神社は940年頃、甲賀三郎兼家が当地にあった長楽寺境内に自己崇敬の諏訪神社を信州より勧請したものと伝えられ、その後大正2年に長楽寺を廃し、地域の氏神が合祀され現在にいたっているという。



境内入り口の小さな祠の下に立つ大杉は推定樹齢400年、樹高46m、目通り幹周り6.2mと表示されています。


堂々とした風格を持っていますが、地上8.2mほどのところで大幹と小幹に分かれていて、地元では伊賀一の夫婦杉と呼ばれて親しまれているようです。



かなり傾いて立っている様もみえますが、まったくそんな事には動じない力強さが感じられます。


撮影2006.11.5


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今代町  八幡神社のケヤキ

2007-03-14 | 滋賀県

 


これも滋賀県旧八日市市の今代町にあるケヤキの巨木。


神社というには余りに小さな祠の八幡さん。



集落の家並みの中にあって鎮守の杜などとは程遠い小さな境内に、この大ケヤキ。


境内はこの木のほかにもう1本の木があるだけで、子供の遊び場風の境内でした。




目通り5.2m、樹高24m、樹齢約300年。


家波の中にあって、大きな枝が邪魔になるのか、かなり枝が払われて、ちょっと気の毒な姿に見えました。


撮影2007.1.20


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中小路(なこうじ)町の椋

2007-03-12 | 滋賀県

 


滋賀県湖東の東近江市、旧八日市市の中小路(なこうじ)町




集落の旧街道筋に小さな境内の賽神神社があって、その前には古びた、太鼓台なる櫓が懐かしい趣をかもし出してくれている。




小さな境内には大きすぎるほどの椋の巨木が聳えていて、高い冬枯れの梢を青空いっぱいに広げていた。



目の高さほどの幹には、この集落の勧請縄が吊り下げられていて、この場所もこの集落には重要な意味を持つところだと言う事を知らされる思いがする。


幹周り、3.8m、樹高20m、集落のシンボルとして、また神社の神木としてあがめられている。


撮影2007.1.20


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胡宮神社(このみやじんじゃ)の樹

2007-03-10 | 滋賀県

滋賀県、琵琶湖の北方に多賀大社で名前の知られた多賀町がある。



其の多賀大社沿いの国道307号線を少し南方へ行ったところに胡宮神社と言う古社があって、広い境内は豊かな鎮守の森に囲まれていて、名神高速道路多賀サービスエリアからも遊歩道が設けられており、ドライブの途中気軽に立ち寄ることができる。



胡宮神社は、遠い昔湖東三山と並ぶほどの大寺院敏満寺跡で、戦国時代に兵火により焼失してしまいしたが廃寺となり、鎮守社胡宮神社だけが再建され、現在でもこの境内には敏満寺の遺構が多く残されている。



神社の境内には椎の木が多く、巨木とはいえないまでもプチ巨木が多く見受けられた。


撮影2006.10.7


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八尾善光寺の楠

2007-03-07 | 大阪府

 


生駒山系の西側裾、大阪府八尾市の善光寺は、あの信濃の本田善光が難波の堀江に於て、一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)を得て、信濃へ帰る途中、この地に一泊した折、仏法有縁の地として、御分身如来を本尊として安置したのが始りであり、元善光寺と呼ばれています。


その後本田善光が、再びこの地に来た時ついてきた杖をここに突き刺したのが育ったと伝え、その楠が今ここに聳え立つ大楠であると言われています。



小高い丘の上にあるこじんまりとした古刹で、下の方から見上げると、この木だけがやけに目立ち、すぐに場所の確認ができる。




緩やかな細い坂道の参道奥に青空を覆い隠すように大きくその葉を広げ、楠に隣接する庫裏は今にもこの巨楠の幹に壊されかねない様子です。




樹齢約800年、幹周り6.3m、樹高25m


撮影 2007.2.4


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渋川神社のクス

2007-03-05 | 大阪府

 


ここは、大阪の下町、JR八尾駅のすぐ傍で、カーナビを頼りにつれて言って貰いましたが、これがまた大変、路地のような細い道を、あっちへこっちへつれ回されてなんとか到着。




神社までの道路は狭く大変ですが境内は広く、駐車もらくらくOKガランとしていました。



神社本殿裏手に2本の巨大な楠が聳えており、目指す大楠は向かって右手、小さな鳥居越しに巨大な主幹が見える。


背後には下町の民家や、工場が建ち並び決して恵まれた環境だとは思えないがこの広い境内が救いなのかも知れず、樹盛は旺盛。



樹齢1000年、樹高16.5m、目通り幹周7.0mと記されたどっしり腰をすえ、堂々とした姿の樹です。



第二の大楠は、大楠より約2~30m離れて立ち、こちらも負けず劣らずの巨大さで、この神社の末社の神木になっているようでした。



大阪の神木にはどうして、これほどにも楠が多いのか不思議です。


撮影2007.2.4


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新熊野神社(いまくまのじんじゃ)の大楠

2007-03-01 | 京都府

 


新熊野神社( いまくまのじんじゃ) は京都市内、東山通りの七条を、まだしばらく下がった西側の道路脇に鎮座する古社です。



平安時代、後白河上皇は平清盛に命じて紀州の熊野権現を勧請して1160年に創建、熊野をここに再現したと伝えられていて、新たな熊野との意味を込め、新熊野神社と称されている。



交通量の多い道路際で、道路までも覆うようにして立つ大楠は、創建時に熊野から取り寄せ、後白河法皇が手植えしたと伝えられるもので、神木として大切に祀られ、神域内にあって真近まで寄るわけには行かない。



樹齢850年、樹高26m、目通り幹周6.7mで、樹冠は大きく、すくっとまっすぐ伸びた主幹は損傷も無く樹勢は旺盛です。



 熊野の神々が降り立つ「影向(ようごう)の大楠」とも云われており、後白河上皇のお腹の持病が治まったいわれから、
「お腹の神様」としての信仰も篤いとか???。



この大楠は京都市の天然記念物に指定されてい。


撮影2007.12.16


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