巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

菅浦 須賀神社参道のケヤキ

2011-02-25 | 滋賀県

琵琶湖の北端に突き出た葛籠尾崎(つづらおざき)があって、昭和46年、道路が開通するまでは余所者を寄せ付けず、舟に拠る交通手段しかなかったと言う菅浦集落が湖岸沿いに建ち並んでいて郷愁を誘う景観の中に有る。

此処はかの白洲政子が1000年の隠れ里と呼び、紹介した名高い処。

この土地は1000年の隠れ里言うだけ有って色々興味深いが、それはまたページを改めるとして今回はそんな須賀神社参道入り口付近に並び立つケヤキの巨木。

須賀神社の拝殿や本殿は遥か一直線に登る山懐に小さく見える、湖岸に面して大きな鳥居があり、二棟の御供所と呼ばれる建物の脇に背が高く格好のよいケヤキの大木が有る。

手前の一本が巨樹に相当する大きさ風格を十二分に備えており目通り約5m強、樹齢は不明だが、樹高は頗る高い。

 

根回り主幹にも大きな傷みや衰えは無くいたって健康。

 

風向明媚で自然と共にまだまだ大きくなることが期待できるケヤキです。

撮影2009.2.:2011.2.20


和歌山市加太(かだ) 常行寺のビャクシン(柏槙)

2011-02-25 | 和歌山県

遠目からではまるで現代アートのモニュメントの様に見える。

よくもこんなにも白骨化した主幹に枝をを伸ばして生をつないでいるものだとその生命力の凄まじさには唖然とせざるを得ない。

和歌山県最北端の地、加太は古来より潟海(かたみ)とも呼ばれた景勝地で紀淡海峡に面し、あの紀伊国屋文左衛門が江戸へみかん船を出すなど港町として栄え、今では関西の魚釣りのメッカとしても知られているようです。

和歌山市街から紀の川を越え、国道26号、県道7号経由、南海加太線終着駅の加太駅を越えて道成りに進むと大きくカーブする左手が常行寺。

 紀伊半島ではビャクシンの大木を良く目にするがこれほど強烈な形相をしたビャクシンはかって見た事が無い。

主幹は殆ど全てと云って良いほど形骸化、何処に命を繋ぐ糸が有るのだろうかと不思議におもう。

樹齢400年強、、目通り4.7mと有るが、そんなことはどうでも良いほどの自然が作り出した造形美・・・・。

激しく左に渦巻き捩れた主幹の何処に命を繋ぐ力が残っているのだろう。

この美が、生有るものが終わりの一瞬に見せる美で無いことを祈るだけ・・・。

この写真からもう2年、まだ大丈夫かな?

撮影2008.12.13


岩出市  栄福寺のビャクシン

2011-02-24 | 和歌山県

 京都から奈良経由で和歌山方面に出かけると和歌山市内に入る直前に根来寺で良く知られた岩出市が有る。

根来寺に寄り和歌山方面の巨木を訪ねてまず訪れたのがここ栄福寺の白槙、和歌山県の天然物に指定され、その呼び名は何故だかくどいような「栄福寺イブキビャクシンの大樹名木」と成っている。

根来寺から十数分、紀の川と和泉山脈の裾野に広がる肥沃な田園地帯のなかには旧集落や新興住宅が混在しているが、この永福寺の有る小さな集落は比較的昔日の名残を留めて居て道路も狭く目的地も探しづらかった。

集落の入口、いや出口か??に近い田んぼに囲まれた一角に栄福寺が有って、その境内一杯にその曲がりくねった触手を伸ばしている様に見える。

此処には二本の大樹が有ってどちらかがイブキで、どちらかががビャクシン??と言う事かと調べてみたら全く同じ樹種だという、おまけにカイズカと呼んだりカイズカイブキと呼んだりするとか??全くもってややこしい。

二本有るうち奥の一本が大きく目通り約4.5m、樹齢は約500年以上だとか、主幹には大きい樹瘤を溜め大きく捩れながらたっている。

根元にはちょっと風変わりな阿弥陀石仏や宝篋印塔が見られるがそう古い物ではなさそうです。

それよりなんといっても見事なのは隣に有る一本。

のたうち、這いずり廻って延びる主幹や二股に分かれた大枝はまるで龍体そのもの・・・

螺旋状に巻きながら延びて独特な枝振りを呈しているが,まさしく渦巻きながら天に向かって伸び上がる龍のようにも見えて来る。

一部白骨化した部分も有り凄まじい迫力に圧倒されてしまうが、こちらは目通り2.5mとやや小振りながら樹齢は変わりないのかも?? 

ここでも弘法大師が差し残した杖が根を出し、大樹になったという伝承があると云う・・・・・はてさてどちらの一本なのだろうか??

 撮影2008.12.13


紀宝町 神内神社(こうのうち)の神楠、他

2011-02-22 | 三重県

そこは原始の空気と光に包まれ、時が停まったかの様な錯覚に陥るほど強烈な神の意思を強く感じる場所、まるで此処は別世界の入り口でも有るかの様・・・・・。

<神内神社付近を遠望するとこんな岩が見えるがこれが磐座(いわくら)だろうか??>

この地は熊野の自然崇拝の一環、社殿のない磐座をご神体とする神社でその原始信仰を色濃く残して、7ヘクタールにも及ぶという社叢は余りにも強い個性で迫りくるものを感じる。

国道42号線、三重県最西端の町、紀宝町鵜殿より県道141号線で山手に向かい約3km神内小学校を越え、子安神社への案内板の有る岐れ道につく。

右手脇道に進み小川沿いを暫く進むと子安神社とも呼ばれる神内神社参道前につき、目の前に小さな石の鳥居が有る。

何でも無さそうな小川沿いの短い参道を進めば大岩が現れ、その大岩を引き裂いたような岩の間の参道を進めば目の前には「子安の宮」と書かれた

神門(拝殿)??その奥にも真新しい板垣と拝門に囲まれた磐座(いわくら)、しかし正面からは全容を見ることは出来ない。

神門(拝殿)脇には涎掛けがびっしりと吊り下げられまるで涎掛けの壁に成っていた、勿論「子安の宮」として信仰され祈願されて居る証だろう・・・。

板囲いから見上げるとこんな感じで・・・

ちょっと登って見下ろせば・・・・・大岩が目の前に・・・・細部までは見えない。

参道途中から原始、神の杜を見ると別世界の空気が流れるのを感じる。

大岩を神の手で鷲掴みしたようにさえ見える神楠の木。

それはまるで強烈な神の意思でも有るかの様です。

蛸足の様でもあり・・・

磐を破り、磐に根を張り、磐と共に生きる・・・・・

根元に対して主幹が余りにも華奢に見えるのはカメラレンズのせいだけでは無い。

なんとも強い意志をこの累々とした樹塊の根元に感じる。

根元にある大穴を妊婦や若い女性がくぐると、子宝を授かり、安産間違いなしといわれているようで社叢全体は

三重県の天然記念物に指定されています。

参道、鳥居脇には

ホルトノキの古木が石を抱き込んで 「子守の木」と呼ばれているようです。

撮影2008.12.7


甲南町磯尾 岩附神社の夫婦杉

2011-02-20 | 滋賀県

甲賀市の甲南町から伊賀阿山方面に抜ける県道49号線はいかにも甲賀忍者発祥の地としてふさわしいような長閑な山間の田園地帯の中を行く、新名神の橋脚を潜ってものの5分も走ると左手前方の道路脇に大きく聳える2本の杉が立ち尽くしているのが見えて来る。

 岩附神社の石鳥居横に二本並び立つこの巨杉は根元で連理しており地元では「夫婦杉」の名で呼び親しまれているようです。

ここは伊賀甲賀の真ん中に有ってかっては間道を忍びの者たちが足音もなく駆け巡たのであろう??

そんな姿をみてきたであろう夫婦杉は夫杉の目通り約5.5m、婦杉の目通り約3.5m、樹高は40m足らず、共に樹齢は300年強だと言われて居るようでさして痛みもなくまだまだ壮年期の樹姿を誇っています。

特に根回りの力強さには目を見張るものがあります。

撮影2007.12.1


浜の宮王子跡の大楠

2011-02-19 | 和歌山県

熊野那智大社からの帰り道大きな楠が有ると言うので訪ねた浜の宮王子跡の大楠。

<補陀洛山寺>

<三所権現・・現在では熊野三所大神社と呼ばれる>

現地を訪ねて驚いた、此処はあの補陀落渡海で有名な補陀洛山寺と熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)、それにこの浜の宮王子跡が同一境内続きで並んでいた。

熊野灘の海岸からは100m強、JR紀勢本線那智駅と国道42号線を挟んで直ぐ脇に補陀洛山寺の駐車場が在り小さな境内に本堂があり。その脇に熊野三所大神社、そしてその参道入り口にはこの大楠が聳える。

境内脇には補陀洛渡海舟を再現したという小さな覆屋が有って興味をそそる、往古生きながらにして観音浄土である補陀洛山へ向かう死出の旅の殯(もがり)舟として利用されたもので屋形には扉も無く入り口は外から釘が打たれ、四方に4つの鳥居が建てられ「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」死出の四門を示している。

これはもう棺桶そのもの即身成仏、僕が子供だった頃、野辺の送りで目にした、あの棺桶の四隅に貼られた白い和紙に墨書された四門がまざまざと蘇った。

往古目の前は海岸だったのであろう・・・・・・、興味はつきないけど補陀洛山寺については別の項にでも・・・・。

大楠の立つ「浜の宮王子社」は補陀洛山寺との神仏習合の形態がそのまま残った熊野三所大神社の参道入り口に在って全て一体をなすものです。

大楠は夫婦楠とも呼ばれているように2本が並び立ち大枝を天空に広げているがその巨大な根元は連理している様に見える。

共に大枝一杯に葉をつけ元気そのものに見えるが、参道奥側の固体は裏に廻るとこんな有様。

まるで樹皮だけで命をを繋いでいるようにも見える。

樹齢約800年、目通り約7.5mと7m、共に巨体では有るがこの南紀においてはそう珍しくも無い。

それより、この地で何人の補陀洛渡海を見送ったのであろう・・・話が出来たら聞いてみたいその真実を・・・。

撮影2008.12.7


 古座川町三尾川(みどがわ) 光泉寺の子授け公孫樹(イチョウ)

2011-02-17 | 和歌山県

紀伊半島を一周する縁起でもない国道死に(42)号線は周りの景観とは裏腹に余り気分のいい道路ではないが・・・・。

紀伊半島の突端串本から山手に延びる国道371号線で30分、距離にして約15km、古座川の流れの美しい古座川町三尾川地区に着く。

対岸に有る三尾川小学校前の橋を渡り学校の脇を行く県道39号線を暫く走ると左の方に延びる脇道が有って、それと解るしっかりした看板が建っている。

左折して直ぐ、左手山裾の石垣に囲まれた高台に、それとわかる大きな箒を逆さまにしたように一杯の小枝を伸ばした公孫樹の樹が有る寺が目に入る。

門前には駐車場も用意されていて、こんな辺鄙な土地ながら住職も居て良く整備されている。

僕が此処を訪ねたのは12月の始め、もう2~3日早ければ見事な黄葉に出遭えたのにと出遭う人ごとに慰められた。

確かに慰められるとおり境内は一面黄色の絨毯、公孫樹の梢には散り忘れた何枚かを残して殆ど丸裸、青空に見事な枝が密集していた。

この枝振りなら、さぞかし見事な黄色に染まって居たに違いない。

光泉寺の「子授けイチョウ」と親しまれるこの公孫樹の巨木は推定樹齢400年以上、目通り約7m、樹高約30mと和歌山県に有っては最大級で街の文化財に指定されている。

「子授けイチョウ」と呼ばれるように主幹の脇や大枝から何十本にも及ぶ大きな気根を垂れ下げ、巨大なものでは3m以上にも及ぶとか??

所謂乳房信仰が子宝や健康安産の祈願と成って、遠く大阪方面からの参詣者も有ると聞きます。

境内を埋め尽くす黄葉の奥に六体地蔵が建ち並び見事な彩りを添えていて素晴らしい景観をかもしだしています。

樹そのものの大きさもさることながら、周りの景観や、垂れ下がる気根の見事さ、はたまた境内一杯に敷き詰められた黄金の絨毯には感歎の声を挙げざるを得なかった。

本樹に痛みはまだ見えず、写真のように元気そのものです。

撮影2008.12.7


串本町 有田(ありだ)神社の大楠

2011-02-16 | 和歌山県

ひどく分かりにくい所にあってあちこちで尋ね倦ねて何とか到達、しかし苦労するだけの事はある見事な大楠に出会う事が出来ました。

有田神社と言うもののあの紀州みかんで有名な有田ではなく串本町有田で随分遠く離れているがややこしい。

串本中心街から42号線で約15分程西進、有田の交差点を右折JRの紀伊有田駅に出る。

道路は串本西小学校と隣合わせの紀伊有田駅で突き当たり、途方に暮れるが通り合わせの人に聴いてみる。

小学校の脇にある小川沿いの細道を遡りJRの下を抜け、小さな集落を越えると小川沿いの田んぼの中にそれと解る懐かしい匂いのする鎭守の杜が見えて、それがこの大楠を有する有田神社。

 ここまで駅から5分も掛からない、なんとも長閑ないつか見たような景色の中にある。

 

ズンングリムックリ・・チビデブ・・・イモムシを逆立ちさせたような・・・、とでも表現したらいいのか???

しかしこの巨大な樹肉の塊はしっかり大地に根を下ろし、黙って鎮守の奥でもう1000年以上の長い年月を生きている。

紀伊半島では楠の巨樹は珍しくもないがここまで奇形の樹姿にはお目に掛かったことはない。

樹齢1100年、目通り12.2m、樹高は20mとされているが、平成2年の台風で大枝何本ももぎ取られた様で現在主幹より再生した小枝にて葉を生い茂らせている。

根元にはそれこそ樹皮だけで命をつなげているのかと思うほどの大きな洞があるがそれを物ともせずに元気そうに見える。

和歌山県第二の大きさで、串本町の天然記念物に指定されている。

境内の一角に主幹も大枝も、もぎ取られこんな姿に成ってしまった樹も有った。

なんとも凄まじい生命力だろう・・・そのうち杖でも貸してあげないと????。

撮影2008.12.7


御浜町神木(こうのぎ) 西地のイヌマキ

2011-02-15 | 三重県

紀伊半島三重県熊野市の七里御浜の国道42号線から山沿いの走る国道311号線に入り穏やかな山裾の田園風景やみかん畑中を約15分も走ると御浜町神木(こうのぎ)の集落が豊かな田園風景の中に点在している。

国道が大きくカーブする公民館の手前で右折、川沿いに進めば小さな橋をわたり庚申堂のある出会いの辻を小川沿いに進めていくと目の前に大きく聳える木が見えてくる。

この辺りは見事に蜜柑畑と棚田が混在する絵に描いた様な里山が風情が広がって居て気持ちの良い土地です。

そんな小川にかかる小さい橋を渡ったみかん畑の中の一画にこの巨大なイヌマキが蔓性植物を一杯巻きつけて悠然と立っている姿わ何処か伸び伸びしていて気持ちよさげにも見える。

かってこの場所には寺院があったようで、このイヌマキはその寺の歴史を見守って来たのであろう??付近にはそれと覚しき石造物の残骸が見かけられる。

全国二位のイヌマキとして知られ、目通り約6.5m、樹高約20mと表示されており、残念ながら樹齢は不明。

周囲が全て低木の蜜柑畑や低い山を利用した棚田なので、このイヌマキが突抜けて聳え、衰えも見られない。

因みに西地はこの地の小字名のようですが、小字などという言葉さえ都会人にとっては既に死語に成ってるかも???

撮影2008.11.15


串本 潮崎本之宮神社の柏槙

2011-02-14 | 和歌山県

本州最南端、紀伊半島の和歌山県串本町の潮岬の根本付近にあって気の毒なほど痛みの激しい柏槙( ビャクシン)の老大樹です。

串本町の役場前から潮岬へと通じる県道41号線へと入り串本高中学校脇の道路を進むとこの柏槙が聳える潮崎本之宮神社に突き当たる。

境内右奥側の本殿後ろ脇の窮屈すぎる程狭い場所にこの巨大な柏槙が立ち尽くしている。

太平洋の荒波や潮風を直接受ける台風の常襲地でも有るこの地でよくも気の遠くなるような歴史を刻みこんできたものだと感心せざるを得ない。

古くから神木として崇められてきた柏槙の老大樹で、樹齢1200年、樹高19m、目通り7.5mと記録されています。

「大正10年9月の台風の為め巨幹は二つに裂け、平成2年の台風でも相当な重傷を負ったがそのたび補強や丁寧な手当を施され今なお元気に葉を茂らせているのはまさに驚異と呼ぶに値する。

あちこちに鉄の支柱やワイヤーでを張り巡らせ痛々しいが何とか樹姿を保っているようにも見え、老化も激しく重症には違いないが良くがんばってるなあ・・・

撮影2008.12.7


熊野市 有馬の大イブキ

2011-02-13 | 三重県

紀伊半島の三重県側、熊野灘の広がる太平洋はいつ見ても雄大そのもの、そんな熊野市の日本の渚100選にも選ばれている七里御浜が始まる花の窟神社の直ぐ近く。

神社参道脇の道路を道なりに住宅街へと入り込み天理教有馬分教会を見つけるとその脇の民家前に大きなイブキの老木が佇んでいる。

民家の庭にこんな古木が?と思い調べて見ると、この地は江戸初期の「口有馬城址」に当る場所でこのイブキは当時からこの地に在ったらしい。

根が持ち上がり、一部白骨化も進んで大きな洞も見られるものの、この樹種独特の風格もあり樹齢も約800年と言われています。

目通り5.0m 、樹高11.8m、熊野市の天然物に指定されている。

老体とは言え威風堂々、野武士のような風格を持ち、まだまだ青い葉を一杯つけて衰えは見えない。

撮影2008.12.6


熊野那智大社の大楠他

2011-02-12 | 和歌山県

駐車場から、土産物屋さんの建ち並ぶ長い石段を登ると中段、大きな朱塗りの大鳥居の頭上に拝殿らしき朱塗りの建物。

此処は熊野三山の中核をなす熊野那智大社と境内続きの西国33ヶ所第一番の那智山青岸渡寺が同居する熊野信仰の中心地。

山肌にしがみつくかの様な境内からは遥か熊野の下界を眺められ素晴らしい景観の中に有る。

境内の傍ら城壁のように詰まれた石垣の傍に天然記念物の大楠が大きく枝を広げて居るのが目立つ。

「那智の大楠」と呼ばれているこの楠は往古平重盛が此処に参詣した折に御手植えした物とと伝えられ、樹齢約850年、目通り約8.5m、樹高27mといわれています。

巨大な根元には人が通りぬけられる程の洞が有って、誰が考えたのか願掛けの護摩木と共にその洞をとおり抜けると願いが叶うと言われて居るようですが・・・・。

巨樹好きの僕の目から見るとなんと勝手な言い分なんだろうと思わずには居られない・・・気の毒な大楠です。

<青岸渡寺境内から振り向く熊野那智大社>

一方境内続きの那智山青岸渡寺の本堂の前には樹齢約700年、目通り約4.4mと言われるタブノキがある。

取り立て言うほどの巨木ではないが和歌山県の天然記念物指定、明治の廃仏稀釈の折には見なくてもいいものまで見てきたのだろうと・・・・・

撮影2008.12.6


大門坂の大杉他

2011-02-11 | 和歌山県

熊野三山や熊野古道の名の下に全国的に有名な熊野那智大社の熊野古道参詣路、最終の上り坂の杉並木は特に素晴らしく、その歴史的背景やそれを取り巻く景観とともに、社寺や巨樹愛好者には垂涎の的にもなっている。

熊野灘の海岸線那智勝浦温泉街方面から県道46号線で那智川沿いに山手に向かって北進すること約20分弱、那智大社への新道?ドライブウエーが始まる少し手前辺り、左手に世界遺産の大きな石碑と少しばかりの家並みの中を旧街道の熊野古道参詣道が見える。

家並みの中を5分も歩くと迎えの鳥居?それを潜ると俄かに古めかしい石畳古道になってその入り口に夫婦杉と呼ばれる巨杉が古道を挟んでまるで巨大な門柱を建てたように相対峙している。

ここは熊野古道の観光ポスターで良く目にしているポイント、今でも突然平安貴族が当時の衣装で歩いていたとしても全く違和感が無さそうな景観が素晴らしい。

共に樹齢約800年

目通り8.5m、樹高約55mと有って、痛みも無く神域で特別な存在感を持って聳えている。

此処から那智大社駐車場までの古道を大門坂と言って全長600m、高低差100m、両側に原生林を控えた大杉木立群の間を石畳古道が延びている。

この古道には現在100本以上の大杉が有って昼なお暗い。

夫婦杉から少し登ると熊野九十九王子、最後の王子となる多富気王子が有ってその脇には妙にも大杉群の古道にあって大楠が大きく枝を伸ばしている。

やっぱり樹齢約800年、目通り8m足らずか??、根元は少し洞に成っているが樹盛は悪くない。

古道の脇を九十九折れで登るドライブウエーは二度目の急カーブで古道と接していて古道からも車が勢い良く登ってくるのが見えて、新旧織り交ぜた面白い景観が楽しめる。

この近くにもこれはと言った杉の巨木が有ったのでついでにバシャ。

入り口の夫婦杉にも負けず劣らず、目通りも同じようなものだろうか??

この大門坂の巨樹達は目の当りに見てきた歴史を一杯秘めて聳えているの居るのだろう。

撮影2008.12.6


加古川市 国包(くにかね)の榎・椋の樹

2011-02-09 | 兵庫県

兵庫播磨地域を縦断する加古川南岸沿いの県道18号線を海側から遡ってくるとJR加古川線が県道と加古川を南岸から北岸に横断するあたり・・・

堤防上を走る県道から左手堤防下の集落を見下ろすと大きな木が聳えているのが見える、

県道をそれて大きな樹の有る国包(くにかね)の集落に降りて直ぐ右手の高台にその木はたっていた。

<築山からの集落>

此の高台は大阪で商人として成功し富を得た国包出身の長浜屋新六郎と言う人が、加古川の洪水から人々救おうという目的で、出水に避難できる高台の目的で築かれた築山でその上には、このエノキ、ムクノキの合木と築山神社が鎮座している。 

 この築山が築かれたのは今から約250年前の宝暦年間、したがってこの樹の樹齢もそれを越える事は無くまだまだ若い。

見ての通りエノキがムクノキを包み込むように成長しているがムクノキは少し痛々しく先にムクノキありきだったろうか??

特別の巨木というほどでもないが遠くから見ると一本に見えるこの合木の幹周り約7mと堂々としたもの・・・・。

 

 撮影2008.9.14


峰山町木橋、荒神さんのスダジイ

2011-02-05 | 京都府

丹後半島を巡った最終、帰りがけ同じ京都府内に住んでいても余り聞きなれない京丹後市峰山町に京都最大のシイの樹が有ると居うので訪ねて見た。

丹後半島の付け根、日本海側から宮津湾に向けて走る国道482号線の峰山高校分校近くの「京都府農業公園丹後あじわいの郷」のある丘陵南斜面にそれはある。

丹後あじわいの郷南面を取り囲むような木橋集落、その木橋の公民館に車を駐車させ、前の辻を西へ民家の脇をかすめる里道を山裾へ進んでいくと目の前に覆いかぶさる様なシイの巨木が現れる。

山裾の崖縁に何本にも分かれた株元を持って踏ん張っているがその分岐した株に依って少し迫力には欠ける。

古来より荒神さんの樹として信仰され地域の守護神として大切にされており根元には小さな祠が祀られている。

樹齢約500年、目通り7.9mと云うが何本にも分かれた合計であろう???。

京都最大のシイの樹と云うのも過去の話で、京都府舞鶴湾の成生岬では一般公開はしていないものの日本一のシイの巨木が在るのが知られている。

撮影2008.5.17