巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

真巌寺(しんごんじ)の楠

2008-11-26 | 三重県

真巌寺の有る尾鷲市九鬼は有名を馳せたあの九鬼水軍発祥の地。


この地も今では紀伊半島熊野灘に面した、小さな漁港を持つ田舎町に過ぎない。


紀伊半島の主要国道、あまりゲンのよくない42号線から山一つ越えた交通アクセスの悪い所です。



街は熊野灘の湾に面して海岸沿いに細い道路が続き直ぐ脇の海には小さな漁船が係留されたりしている。



民家は、海岸線沿いの道路を挟んで密集しておりその間には路地で連絡されていてとても車が入り込めるような道路はありません。



そのせいか、海沿い道路の最奥辺りにある漁港と市場は、この町の集中駐車場にもなっているようです。



漁協魚市場の前から民家の密集する路地を通り抜けて高い石垣の上に覆いかぶさるような真巌寺のクスが現れる。



真巌寺は1346年に九鬼氏の祖・藤原隆信によって薬師寺として開かれたが、1640年に焼失、4年後に真巌元達禅師が再興し、寺号を真巌寺としたようです。



細長い路地の奥から背の高い石垣を一気に登る石段上の境内左側墓地の入り口辺りにこの巨大な楠がうずくまるように立っている。



主幹にはつる性植物の着生がひどく凡そその姿の全体を見通すことは出来ない。



樹齢800年、樹高22m、目通り幹周8.0mと記されるこの楠は、奇怪な樹形とその石垣上というロケーションと相まって異様な雰囲気がする。



石垣の下から見上げる樹根は石垣を飲み込み、まるで岩肌そのもので、何処から何処までが樹根なのか大地なのかも見極めがたいほどです。


撮影2008.11.15


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湯の谷のカヤノキ

2008-11-24 | 三重県

前回紹介した、石谷神社からきびすを返し湯之谷バス停横に有る案内板どおりに集落の道路を山の奥に進むと、やがてこのカヤの木の有る「カヤの木館」前の広場に着く。



カヤの木館は廃屋になった旧家を利用したこの地方の山林作業のっ道具や資料を展示する施設のようですが利用する人もいないのか閉鎖されていた。


カヤの木はこのカヤの木館の石垣上から村を見下ろすように佇んでいる。



周りに人家も無く、ただただ時間の経過も忘れてしまいそうな空間に大きく枝を広げている。



驚くほどの巨木ではないが、周りの景観に溶け込んで気品の有る銘木という雰囲気が伝わってくる。



幹周りは4.5m、樹高は6mと低く長く横に枝を広げて見事な樹冠を作り出している。


11月23日には「カヤの木祭」がもようされ、集落の人たちのこの木に対する愛着の深さがよくわかる。



ここから見下ろす雨上がりの景色も格別に美しく感じられました。



湯之谷バス停


撮影2008.11.15


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宇陀市 片岡家の大ケヤキ

2008-11-23 | 奈良県

奈良県宇陀市大宇陀は、懐かしい面影が今に残る小さな城下町で、休みの日などには観光客も少なからず訪れるところです。

この大宇陀の街並みを抜けて、吉野へ向かうR370号線、阿騎野ゴルフ場の少し先で左に入る脇道を行くとやがて道路に突き当たるが、その少し先左側山手に威容な民家が見える。

ここ片岡家住宅は国の重要文化財に指定されており、僕がここを訪れた昨年のちょうど今頃には客室部分にはブルーシートがかけられており、ちょうど萱屋根の葺き替え工事の最中で見学もままならぬ状態でした。

しかしせっかく来たんだからと頼んでみると、気のよさそうな、当家の主人がどうぞと主屋の中にまで案内してくれ、感謝感激でした。

長く高い石垣に囲まれて大きな茅葺の主屋と客室を持つ片岡家は付近九ヶ村の大庄屋を務めた豪農らしく、ここから見える範囲の山や土地はすべてこの片岡家のもので有ったとか??。

その威容を誇る石垣からこの大ケヤキが巨大な根元部分を半分石垣に隠して、主幹を天空に突き出している。

当然、この家より先にケヤキ有きで、大ケヤキの元にこの片岡家は居を構えたようで、この大ケヤキとこの家はその長い歴史を共にしてきたのだろう・・・・。

僕が訪れた初冬の大ケヤキはすべての葉を落とし裸木で異様に白い木肌の巨大な幹には累々とした樹瘤が力強く見えた。

国のデータでは幹周り7mと有るが樹齢は不明・・・・・・・。

しかし豪農の家に、このケヤキはよく似合って、なんともいえない山里の景観をかもしだしている。

撮影2007.11.23

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湯の谷石谷神社の大楠

2008-11-17 | 三重県

ブログなどという物はやっぱり感じたことを直ぐに書かなければ、感動が薄れてしまって何もかけなくなってしまう。


当然のように僕のこのページもブログという形をとっていて、それはただただ記録写真だけでは終わりたくないと言う思いが強いからにほかならない。


だとすると、やっぱり記憶のはっきりしてる物からここUP していこうと考えなおしました。


以前からたまっている画像は折々にUPすることとして・・・・・・。


昨日、11月15日は朝から晩秋の冷たい雨が降ったりやんだりする出かけるのに勇気のいる空模様でした。


僕の山城から、紀伊半島、太平洋側までは、道路事情の悪い大台山系越えの山間道路を約3時間ほど走りきら無ければ到着しない。


奈良橿原から高取、大淀経由で、吉野町にいたり、その後R169で川上村、上北山村、下北山村の峡谷沿いの山肌を走りぬけ、やがて熊野市の飛鳥五郷町にと至る。


吉野町から長いトンネルを抜け川上村から飛鳥五郷町につくまで2時間以上走り続けてもその間信号は1~2箇所、ただただ前の車が調子よく走ってくれるかのみが頼みの道路、


前が詰まらず快適に飛ばしてくれればこれほど快適な道路も少ない、ただ少しのヘアピンはスイスイと走れるぐらいの運転技術は必要かも??


くだらない前置きはこのぐらいにして・・・・・・。




R169の五郷町湯之谷口をUターン気味に左折、細いアスファルト舗装の山道を湯之谷川沿いに駆け上って行くこと約10分程度で湯之谷のバス停につく、其処は少し広場になっていて右手に「石谷神社の大楠」の案内表示板がある。



ここから川沿いに少し奥まったところ野左手奥に石谷神社の素朴な石段と石鳥居が見え、緑濃い杜叢がその奥に連なる。



杜叢の横には小さな谷川が流れていてあくまでも澄み切った清い水が流れていた。


谷川に掛かる小さな木の橋が朽ちて通行止めにされているのが何処と無く印象にのこる。



小雨のそぼ降る神社の杜は、なおのこと暗く感度をISO1600まで上げての撮影になったが、それでも手ぶれを起こしそうなシャッタースピードでの撮影でした。


大楠は根元が幹に比べて異様に太く、その分主軸がやや、ひょろひょろしてるように見える。




表示板によると直径3.2m?、と言うことは幹周り約10m、かなり巨大ではあるがそれほどの幹周りには見えなかった、それは地上すれすれの根回りのことなのかも??




樹高は20mとさほど高くなく神社横手の斜面から斜めに主軸が延びており、大枝の1つは下から鋼鉄製の支えで支えられている。



こんな山奥とは言え、紀伊半島には楠の巨木が多い。


これはひとえにこの地方の高温多湿な気象条件がそうさせるものなのだろうか??


1藤横娃娃検ィ隠院ィ隠/P>

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三日月の大椋

2008-11-04 | 兵庫県

前回紹介の作用のイチョウから車で約20分、三日月町の上本郷に日本一の椋の木があることがわかっていたので、帰りの足でよってみました。



現在は三日月町野管理にはなっているが先祖代々ここに住む久森家の裏庭に有って実質上は久森家野人たちが管理しているようです。


個人の家の裏なので少々気が引けますが、僕がここを訪れた特にはちょうど運良く家族の方が前の畑で農作業をしておられ、一声かけて裏庭へお邪魔しました。




このムク(椋)は「久森家の大ムク」と呼ばれていて、目通り幹周り9.9m、樹高18.5m、樹齢は約800年といわれていて、環境庁調査によれば、日本最大のムクの木ということになっているようです。



荒々しい主幹はには大きな樹瘤があちこちに見られ、空洞もあってかなり老齢は隠せない様子ですが、樹木医も入って篤い手当てが施されていました。


かい有ってか椋の巨木は殆ど葉を落とした時期ではあったが元気そうに見えました。



椋の樹のある場所は母屋と納屋に挟まれた窮屈な場所で、余程のワイドレンズでなければ樹姿全体は捉え切れません。


水の澄んだ小さな川が家の前を流れていて、この椋の樹が眺めてきた景色は今も昔もそう変わらないように思えました。


撮影2007.11.17


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