此処には今年七月の中頃一度訪ねて来たにも係わらず時間切れにてこの場所にまで到達しないで引き返した苦い経験があり,今回はそのときの経験も踏まえて時間には余裕を持たせて再度の訪問です。
奈良県十津川村は紀伊半島の山また山の真っ只中に有って、どの市街地からも遥かに遠いまさしく秘境と呼ぶにふさわしい山間僻地です。
奈良市内方面からどう走っても約2時間30分、R168号をひた走って十津川をダムにして造った風屋貯水池付近の津越野トンネルを越えて直ぐに右折県道733号線に入り
十津川の支流、神納川(カンノガワ)の清流を遡ること約20分あまり三浦峠登山口辺りで車を駐車させておく、勿論駐車は」邪魔にならない空き地なら何処でもOK、滅多に車の通ることなど無い道路。
付近には2~3軒の民家が有ってそのうち一軒は民宿、熊野古道小辺路(こへじ)を歩く人の宿泊場所にもってこいかも??
この大杉は「吉村家跡防風林」という名で呼ばれているように、熊野古道三浦峠登りの途中に昭和23年ごろまであったという吉村家の屋敷跡に立っている。
車を置いた三浦峠登山口から神納川に架かる船渡の吊橋を渡って熊野古道三浦峠登り路へと入っていく。
橋を越えて5分も歩くと三浦集落一軒目の家が一段高い台地上に有るが良く見えない、2軒目の家は少し先、小さな棚田のその奥にしっかり生活の匂いがする。
この民家を越していよいよ山登り、石畳道を登って行くと全く生活臭の無い荒れた廃家、更に登りつめるとまた一軒、この家はまだ廃家では無さそうだがどうも生活臭が乏しい。
夏にはもっとはっきり生活が見えたのだが???、此処まで歩き出して約25分、かなり高度を上げたように思うのだが。
現在この集落はここまで、廃村とは言いがたいが車社会の現在、家の前まで車の入る道路が無いという事実には驚かざるを得ない。
この先、杉の植林の続くジグザグ登りを約20分も登ると異様な存在感を持つこの古杉に出会う。
人工のオブジェ宜しく、周りに立ち尽くす若い植林の杉とはまるで異質、人工のものと自然のものではこんなにも違うものだろうか??。
まるで植林の若杉は割り箸でも突きたてたように立ち尽くし、この巨杉の一群だけがそんな中で圧倒的に強烈な存在感、まるで意思を持ってる生命体のようにも見える。
うねうねと蠢く様に大空を目指す枝、それを支える幹には主幹と言えるものは無く根元近くで何本にも別れ台杉状、これはこの杉の若い頃、この地の自然が厳しく険しく
今の環境とは丸で違っていたことの証でも有るような・・・。
ここはその昔、「蟻の熊野詣」と称されたように多くの参詣者が行き来し、この険しい山道にも多くの民家が軒を並べ、こんな深閑とした杉林などではなく、もっと自然な広葉樹林が広がって明るい声が山中に反響してたに違いない??。
ここ吉村家は三浦集落の名家でも有った様で、また峠の旅宿にも成って居たようで、建物跡だと思われる石組みや、墓地なども残っていて往時が偲ばれる。
<吉村家に纏わる話の掲示板>
国策としての杉の植林は全国の山と云う山を埋め尽くし、全国何処に行っても杉の人工林のない山は皆無に近く、国策も時には国の未来をも飲み込む愚策で有ることが多いのはこの一つをとってもよく解る。
最近の熊騒動もそのひとつの結果の現れに過ぎない。
そんな事はさておき、古道脇の見事な老杉群は六本、一番大きなものは古道脇の一番低い位置にあり、諸手を挙げて叫ぶが如く立ち尽くす、その幹周り約8m、樹齢大凡500年と言われている。
多分吉村家の歴史とともに有り、主はなくなっても取り残されたのであろう??
山裾から吹きあげる、烈風から家屋を守って来たであろう老杉は今や小辺路三浦峠のオブジェと化してはいるがその特別な存在感は見人を釘付けにしない訳はない。
仰ぎ見ると・・・こんな感じ。
上方から見下ろして見るとこんな・・・・。
滅び去るものは美しくも有り哀しい、しかしこの老杉はここに有った屋敷の事をつぶさに知っているに違いない。
撮影2010.11.20