巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

水屋神社の大楠

2006-07-26 | 三重県

 

松阪市から国道166号線を西へ約30km、三重県と奈良県の県境の松阪市飯高町赤桶に水屋神社は鎮座している。

伊勢と大和の国分け神話の残る高見山(1249m)を中心とする台高山脈を水源として東流し、伊勢湾に注ぐ櫛田川の中流域にあって、千余年前、大和の春日大社の安在所として祀られた由緒ある神社である。

国道166号線は、伊勢と大和、和歌山を結んだかつての和歌山街道で,飯高町の道の駅を松阪からこえると やがて左手に大きな赤い桶のモニュメントが見え、道の右手に、水屋神社の杜がある。

鳥居をくぐると、拝殿左側に大きな楠木と杉が並んで立っているのが見える。拝殿右手側にも大きなケヤキや杉の木が見える。

目指す神木の大楠は本殿背後に回り込んで初めて目にすることができる。

目を見張る根回りで周りは石柱と鎖の垣で囲まれているが、その根元まで簡単に近づく事ができるし、実際に触れる事もできる。

県の天然記念物に指定されており、樹齢1000年以上、根回りは実に29m、目通り13.1m、樹高38mだと言う。

実に堂々としていて、大地にうねる根張巨大さ、飛びぬけて重量感のある太い主幹が、天に向かって聳える姿はいかにも神々しい。

この水屋神社の杜には、他にも多くの巨樹がみられ、ムササビがすむ杜としてもよく知られて居る。

それは次回にでも紹介します。

撮影2006.5.28

場所はここ。


八頭(やづ)の大杉

2006-07-24 | 三重県

 

名阪国道から伊勢自動車道に入り一志嬉野インターから県道43号線で八頭山を目指す。

県道43号線は一志町波瀬から次第に林道のように細くなるが、中宮公園キャンプ場の看板を目標に車を進めていく。

やがて深山に入っていくが矢頭峠の少し手前のところで、幹周り5~8mクラスの大杉が林立し、ログハウスを備えた広場に到着する。

この駐車場の目の前に天を突き破って聳え立つ「矢頭の大杉」が飛び込んでくる。

狭い山道の県道とは言え、こんな道路町かでこれほど大物の巨木に会えるのはちょっと拍子抜けの感が否めないが横着者の僕はおおいに助かりました。

 

推定樹齢1300年、樹高45m、目通り幹周10.27mと記された三重県指定天然記念物の大スギです。

八頭山は文武天皇の時代に役の小角の開いた霊山で、蔵王権現を祀っていたと伝えられている。

明治維新までは、八頭権現と称し数千本の老杉が生い茂っていたと言われています。

「矢頭の大杉」は、古木らしからぬ艶を残しており、太く真っ直ぐに伸び切った堂々たる主幹の生命力が,見るものに突き刺さる思いがする。

この大杉の左奥てには、まるで過ぎの幹とは思えない程に節くれだった幹周り8mクラスの個性的な姿の老杉がある。

付近はマイナスイオンの空気に包まれた素晴らしい環境で、それ以外にも幹周6~8mクラスのスギが数本現存している。

撮影2006.6.10

場所はここ

 

 


椋本の大ムク

2006-07-21 | 三重県

 

全国のムクノキのなかで、2番目の太さで、国の天然記念物に指定されている。

椋本は、三重県芸濃町、伊勢自動車道・芸濃 ICの西方2Kmほどにある。

付近には旧伊勢街道の町並みがあり、落ち着いた雰囲気もあるが、この椋の木の近くには新興住宅が建ち並び、椋の木の間近まで迫っている。

もちろん、椋本の地名はこのムクノキに因んでいるものに違いなく、今を去ること1100年前には、すでに9mの幹周りが在ったという。

  「椋本の大ムク」に伝わる伝説がいくつかあり、平安時代には征夷大将軍の坂上田村麻呂 の家来、野添大膳父子が都を追われ、伊勢路を流浪しこの地に逃れたときに,巨大な椋 の木を見つけ、その下に庵を造ってくらし住んだ。

 源平の動乱時には、平家の落人花木太左衛門酉木織口が、この巨樹のそばに家を建て農業を始めた。 北畠氏の臣野呂民部之輔が織田信長の北伊勢一帯侵攻の時、滝川一益から追われ逃げて落ちたとき、 この巨樹かくれて助かった等と言い伝えられている。

近づいて見る主幹は悠久の時と、この樹の生命力が作り上げた、ただならぬ姿が、強烈な印象と共に風格をも感じさせる。

度重なる台風の影響で樹形は、明治初期の半分になってしまったといわれていますが、昭和9年 国の天然記念物に指定、幹周  8m   樹高  18m  樹齢1500年以上とされています。

付近にこの椋の木には、比べるべくも無いが、モチの木と思われる、かなりの巨樹がたっていた。

 

撮影2006.6.10

場所はここ。

 


国道の榎木

2006-07-19 | 京都府

 

国道24号線は、城陽市の南はずれ山城大橋で、木津川をわたる国道307号線と交差して、井手町役場までの約3Kmは、木津川の堤防と一体化している。

その堤防上の24号線を南下していくと右手に大きく枝ぶり良い榎木の大木が見えてくる。

 

地元では「国道の榎木」の名前で呼れていて、ドライバーの目印にもなっている。

その昔は木津川の渡しを示す目印として、また地元の人々からは町を見守る木として知られています。

根元には小さな祠が祀られ、この榎木が神木としてあがめられて居ることが伺える。

樹盛もよく、まだまだ若若しい木なのでこれからも大切に守ってほしい大樹の一つです。

撮影2006.7.2

場所はここ


龍田神社の楠木

2006-07-17 | 奈良県

 

奈良県の斑鳩にある法隆寺は聖徳太子の寺として知らない人は居ないほど有名です。

聖徳太子が、法隆寺建立の地を竜田川に沿って探して居た際、白髪の老人が現れて「ここから東に斑鳩が群棲している郷がある。そこに伽藍を建てなされ。」と告げ、伽藍建立に適したところであるという。

「あなたはこの地の守護神なのですね。私の建立する寺をお守り下さい。」とお願いすると、「吾、守護神たらん。」といわれたこの老人こそが、龍田明神の化身であったという。

しかし、三郷立野の龍田大社(本宮)は遠いので、斑鳩に龍田神社を祭り、法隆寺の鎮守としたのだと伝えられています。

 古代の「竜田道」であり、江戸時代に奈良から大坂へ向かう幹線道路の一つであった「奈良街道」添い龍田の町並みのほぼ中央にあり、遠くからでもこの巨大な楠の木が天を突いて枝を広げているのが見える。

木製の大きな鳥居越しに見える巨大な楠の木は、「楠大明神」の神木として、赤い板垣の中に祀られています。

 

板垣の中の神域にあってその根元にまでは近づくことはできなかったが、樹盛は旺盛で巨大な根元にも目立つような傷みもなく艶やかで、幹周り、6.7m、樹齢850年とあり、広い場所で単木の楠なので、その枝ぶりは見事に広がっている。

 

撮影、2006.5.21

場所はここ。

 


室生西光寺の城之山枝垂桜

2006-07-11 | 奈良県

 

室生寺対面の山懐に有る室生集落を越えて仏隆寺に通じる室生古道沿い。

集落がやがて終わろうとする辺りに「西光寺」と言う無住の寺が鄙びた佇まいを見せている。

この寺の境内に樹齢約300年の「城之山枝垂桜」が在って花の時期には多くのハイカーがここを訪れる。

僕がここを訪れたのは4月30日、この桜の花はほとんど散り終いで、青い若葉の間にいくらか残っていました。

亜鉛鉄板をかけているとは言え茅葺き屋根の特徴はそのままで趣が有る。

本堂の前、桜の樹の下にやさしい顔の地蔵さんが微笑んでいたのはとても印象的です。

この桜の樹は巨樹と言うよりも名木で、弥勒磨崖石仏で有名な大野寺のしだれ桜の親だと言われ、種が室生川を越えて宇陀川に流れ大野寺で芽吹いたとされています。

撮影206.4.30

場所はここ


龍田神社の蘇鉄

2006-07-08 | 奈良県

 

あの有名な法隆寺から少し西へ行ったところ・・・、斑鳩町竜田に有る龍田神社は、又法隆寺の鎮守としても知られている。

境内は鎮守の森に囲まれていないので「あっけらかん」として森厳さにはかける。

鳥居をくぐって左手に能楽一流派の「金剛流発祥之地」の石碑が建っていて、その横に蘇鉄の巨樹がある。

この関西では、野生の蘇鉄が育っていることは無く、蘇鉄と言えば寺院で見かけることがほとんどで余りよく知らない。

平安時代の初期に植えられ、樹齢1200年、根周り5.7m、 最大樹幹2.7m、高さ6.3mとあり、大きいという事は、わかりますが ・・・・・・他に蘇鉄の巨樹など見たことが無いのでこの蘇鉄が飛びぬけて巨樹なのかはよくわからない。

しかし樹齢が1200年、平安初期に植栽されたもので蘇鉄は雌雄異株ですが、これは雄株であるといわれています。

正直なところ実感として、巨樹の存在感が余り感じられ無かった。

 

撮影2006.5.21

場所はここ


西念寺カヤノキ

2006-07-04 | 三重県

 

「西念寺」は、三重県の最西端、京都府、奈良県との県境の旧島ヶ原村にある。

島ヶ原は今回の市町村合併で、伊賀市島ヶ原町と其の名前を変えたが、のどかな山里の景観をみせていて、古刹正月堂で知られている。

その正月堂の少し南に、この「西念寺」は、位置していて小さい山門の中に見栄えの良い巨木が聳えている。

山門をくぐると左手の巨大な幹が目の前にみえる、推定樹齢500年、樹高20m、目通り幹周は6.03m、三重県下最大と言われているカヤの木で、どっしりと大地に根を下ろして、風格のある姿で訪れるものを迎えてくれる。

このカヤの樹の傍に六体地蔵があって巨樹と対峙していてお互いに引き立て在っている。

特別な保護指定は受けていないが、樹精は旺盛で、落下した種子も沢山見られ、大切に守り育てられてる事が伺われる。

 

撮影2006.5.6

場所はここ

 


叶の大杉

2006-07-03 | 奈良県

 

 奈良県東吉野村は、現在では絶滅してしまったとされている、日本狼が最後に捕獲されたところ、と言うほどに、山又山の辺境の地である。

丹生川上神社中社はこの東吉野村から流れ出す高見川沿いに鎮座している日本最古の水神で、神武天皇のころに祀られ始めたとあり、祈雨止雨野上として現在は電力、水道関係からも篤く信仰されている。

道路わきの大きな鳥居をくぐると、大きな広場になっていて車は自由に駐車できる。

石段を登ると正面に拝殿が在って、その脇手に巨大な「叶の大杉」が注連縄をされて天を突き刺している。

この大杉の幹に両手を当てて、心願、口唱されたら御神威が授かるそうです。

樹齢約1000年、幹周り約5.5m樹高45m

杉の巨木は多いので、余り目立った存在ではない。

又本殿左奥手には「相生の杉」と呼ばれる2本の巨大な杉の木が有る。

2本とも、「叶の大杉」に匹敵する大きさで夫婦杉とも呼ばれているらしい。

又、境外の道路沿い、高見川のほとりにも欅(しっかり確認していません)??の巨樹がありました。

車の行きかう道路上で、周りをアスファルトに塗り固められていますが、直ぐ横に高見川の清流が流れているからなのか元気そうに見えた。

 

撮影2006.5.2.

 

場所はここ