巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

福岡県朝倉市山田 隠れ家の森 

2012-12-29 | 福岡県

物凄い迫力で存在感の塊のような・・・、又々楠の巨樹です。

「一樹を持って森と為す 」そんな言葉がぴったり当嵌りそうな、巨大老楠が筑後川の堤を背にして立って居る。

その巨大な幹や樹冠からの様相から「隠れ家の森」と呼ばれる様に成ったのかと誰しも思いがちなのですが・・・、実際は往時この地には関所が在り、関所破りが夜まで身を潜めた森の一株が、今に残った物の様です。

見ると巨大な主幹は地上3m付近で亡失、輪切りにされてデッキ状になり脇から三本に分かれた太枝が起ち上がり大きな樹冠を造っています。

正面から見ると下半身の大部分は白骨化して痛々しくも見えますが・・・・、 祠や七五三縄などが無くても神が宿る木だと言うことは誰の目にもよくわかるほどに「気」を感じます。

白骨化が気になるのは正面だけ、裏側に廻るとまるで別人、いや別樹です。

その根回りの巨大さ、力強さはずば抜けて居ます。

樹齢1500年、根回り約35m、目通り18m、樹高21m・・・・・、こんな数字を聴いても素直に納得出来る力を持って居る楠です。

勿論国の天然記念物に指定されている。

ただ・・・・巨楠と共生するように大きなムクの木が一本生育していて、今後、この関係がどうなって行くのかちょっと気掛かりです。

撮影2010.5.1


朝倉市甘木 祇園社の大樟

2012-12-27 | 福岡県

前回紹介の「安長寺の大樟」とは夫婦樟と称される祇園社の大樟です。

安長寺門前道を道なりに300mも進むと朝倉高校手前、左側に楠の杜が見える。

現在の社号は須賀神社ですが、明治廃仏毀釈で廃寺とされた祇園寺と併存、今にその歴史を伝えて居る。

朝一番に訪れた境内は広く明るく、清々しく掃き清められ、神聖さが感じられ身の引き締まる思いがする。

神殿、左脇にどっしりと威容を見せる大樟は、隣国豊後、玖珠郡切株山に有った大樟の幼苗を持ち帰り安長寺と此処に植栽したものだと伝えられ、切っても切れない夫婦樟と呼ばれて居る。(それなら兄弟樟だろうと突っ込みたくなりますが・・・・)

主幹には七五三縄(しめなわ)が巻かれ、根元の洞や小さな襞には、小石仏や供養塔らしき石造物が置かれ、この大樟が信仰の対象として崇められて居るのがよく解る。

<正面の小石仏は三猿を足下に置青面金剛像>

目通りは13.7m、樹高28m、樹齢はとなって居ますが、途中主幹が分岐する辺りではもっと巨大な岩塊の様です。

根元で大きく洞になって居ますが、樹勢は問題なく旺盛・・・・福岡県指定天然記念物になって居ます。

境内の摂社脇にもこんな根張りの見事な樟もありました。

これだけみたら結構立派ですが目の前の大樟があまりにデカイ・・・・・。

撮影2010.5.1


朝倉市甘木 安長寺の大樟

2012-12-24 | 福岡県

九州の巨木では何と言っても先ず筆頭に上がるのは樟の木・・・・九州、どこへ行こうが樟がついてくる。

朝倉市は福岡県南部を横断、有明海に注ぐ九州きっての大河、筑後川沿いに位置し、合併以前は甘木市と呼ばれ、この「甘木」という地名は、この寺「甘木山安長寺(かんぼくざんあんちょうじ)」に由来すると言われている。

そんな名古刹「安長寺」地蔵堂背後から建物を覆い尽くすかのように、見事な樹冠の大樟が聳えて居る。

延喜二十年(920)、南都よりこの地管理のため移り住んだ甘木安長(遠江守安長)により創建、地蔵堂には何と矢田寺より請来の地蔵が祀られ天然痘予防に霊験あらたかとされ、「バタバタ市」として、今に信仰が伝えられて居る。

そんあ地蔵堂背後に聳える大樟は伝承樹齢700年、目通り約12m、樹高32mと、九州の大樟としては特別飛びぬけたものでは無いが、目の当たりにすると馬鹿でかい。

姿の良い緑泥片岩の自然板碑を前にどっしり根を下ろした大樟は、100m程も離れた道路工事の際に確認された程、その根を伸ばしている。

根元の大きい洞には小さな祠が祀られ、この樟自身も信仰の対象に成っているようだが・・・、天正14年(1586)、羽柴秀吉と戦った島津軍がこの地に侵入放火、その傷跡が今に残ったものだそうです。

しかし、そんな事はものともせずに樹勢は益々旺盛、ここより400m程離れて対峙する須賀神社(祇園社)の大樟とは「夫婦樟」と呼ばれ、こちらは芽起ちが「赤芽」なので「女樟」と呼ばれています。

因に、二樹共に福岡県の天然記念物に指定されて居ます。

撮影2011.12.16


白石町 稲佐(いなさ)神社の楠

2012-12-20 | 佐賀県

神仏混淆の一大拠点として栄え、今尚、仏教色が色濃く残る境内に往時を偲ぶように立つ二本の巨楠です。

前回紹介の白石町深浦海童神社より北へ約5km強、海岸線を離れ、杵島山の東面、白石平野を一望する斜面に建つ。

寺院を思わすような大きい随心門(山門)の立つ急な石段参道脇には鐘楼も残り明治廃仏毀釈以前の姿をそのまま留めている。

稲佐神社は、古く飛鳥時代、百済より「阿佐王子」が来朝し、稲佐大神と共に両親を・・・、後「阿佐王子」自身もも合祀された。

その後平安時代には空海により稲佐泰平寺が開かれ、一大霊場になり、 稲佐神社その鎮守社となり稲佐大明神と呼ばれた。

大楠は山門への登り石段右手、稲佐泰平寺を彷彿取とさせる鐘楼脇斜面にどっしり根を下ろしている。

うんと斜めにせり出しているように見える巨幹も、しがみつく様に立つ斜面に対しては垂直・・・・・・、それでもしっかり踏ん張っています。

地上5m付近より三方に分岐、株許付近はコケに覆われ、マメヅタやノキシノブなどが共生し、幹には空洞がありますが、樹勢旺盛で夏には降りしきる蝉時雨でで溢れそう・・・・。

鐘楼を背に凛々しい樹姿を持つ一号樹は根回り26m」目通り約10m、樹高17mと成って居る。

片や境内社務所脇に立つ二号樹。

その巨大な幹は根回り19.2m、目通り10.5m・・・、こちら平地に在り、すくすく伸びて樹高26.5m。

共に樹齢は600年以上とされ、佐賀県の天然記念物に指定されて居る。

撮影2010.4.30


杵島郡白石町  深浦海童神社の楠

2012-12-17 | 佐賀県

佐賀県南部、有明海干拓地を走る国道207号線、白石町深浦海童神社にある大楠です。

国道龍王崎バス停前、その昔は有明海に突き出していたであろう半島先端斜面に鎮座する海童神社への石段参道がある。

神社を含む一帯には5世紀後半から6世紀頃の「龍王崎古墳群」があり、この地の歴史深いことを知らしめて居る。

大楠は国道入口から境内への急石段を上がったすぐ左手の崖、斜面に根を張り、何本もの支幹に岐れ、立ちはだかって居ます。

崖下は雑木、草叢に飲まれ詳しく解りませんが、怪しくうねり絡まるように起ち上がり、正しく妖樹の様相。

写真ではどうにも巨大さが解りづらいのですが・・・・樹齢約600年、幹回り11.5m、根回り24.5m・・・樹高はそれほど有りませんが大空を覆わんばかしに樹冠を広げて居ます。

主幹根元には6畳にも及ぶ洞がが有る様ですが、そんなことは全く感じさせない元気さで佐賀県の天然記念物に指定されて居ます。

社殿右側にもスダジイの御神木があって、椎類独特の見事な造形を見せて居る。

撮影2010.4.30


多久市(たくし)北多久町 熊野大権現神社のスダジイ

2012-12-14 | 佐賀県

樹齢は200年と若いのですが迫力いっぱい、見応えの有るスダジイの巨木です。

他県者には、まして関西人の僕にとっては、始めて聴く多久市は佐賀県のほぼ中央、長崎道と唐津方面に延びる国道203号線が交差する盆地にある。

スダジイノの有る北多久町熊野大権現神社は、長崎道多久ICを出て北方へ約5km弱、谷間の小さな岸川集落奥の斜面上に在る。

集落奥の急登石段参道を登ぼり切ると熊野大権現という名に相応しい様な神仏混淆を色濃く残したこじんまりした拝殿が建ち、傍らに更に急斜面を登る石段参道が有る。

スダジイの巨木はこの急石段を登りきった真正面、覆い被さる様に参拝者を迎えて呉れる。

まるで神が載り移った生あるもののように見える樹姿をして・・・・。

誰ひとり出逢わない森閑としたした山中、樹齢200年にしては大きすぎる目通り11.9m、樹高19.5m・・・・・・・、根元から大きく起ち上がる数本の支幹は合木の証で有るかのようです。

ねじれ蠢く根元には、神の宿る木として信仰対象になっているのだろう石碑もあって榊の枝が供されていた。

樹勢は良く若々しいが巨木から出るオーラーの様なものはひしひしと感じる。

撮影2010.4.30


直方市植木 花の木堰の大公孫樹

2012-12-10 | 福岡県

前回の水巻町八剣神社から遠賀川沿いに遡ること10km足らず、遠賀川と犬鳴川の合流地点から犬鳴川を右岸の県道27号線に入れば直ぐ目に飛び込んでくる。

往時、遠賀川を上下する石炭運搬船の船頭たちから目印の公孫樹として親しまれたという。

公孫樹は広々と広がる河川敷にあり、灌漑用水用の「花の木堰」傍にある事から、「花の木堰の大公孫樹」と呼ばれています。

4月30日、大公孫樹の浅い若葉が濃い緑色に変わり諸手を挙げ、陽の光を目一杯に受けている 。

均整が取れているのか?遠目にはそれほど巨体には映らない。

福岡県指定天然記念物、樹齢約1000年、目通り8.3m、樹高28.4mとある。

株元には石祠が祀られ、神格化された公孫樹だと云う事が容易に納得出来る威厳を醸し出して居る。

数多く分岐した太枝には巨大な気根が垂れ、ここでも子育てや安産のご利益があると祈願の対象になっているようです。

真近まで近づくと圧倒される迫力を持っています。

撮影2010.4.30


水巻町 八剣(ヤツルギ)神社の大公孫樹

2012-12-06 | 福岡県

九州まで夜中を徹して走り、夜明け最初に出遭った公孫樹の巨樹です。

関門海峡を越へ九州に入って直ぐ高速道を降り、ひたすら国道3号線を走り続けて約1時間強、遠賀川に掛かる遠賀大橋の手前で遠賀川右岸、堤防上を走る県道73号線へ左折すると前方眼下に大きな公孫樹の木が聳えている。

晩春の四月末、いくら朝が早いとは言え六時前、明るく拓けた境内に人影はなく、清々しい朝の空気が辺りを包んで居た。

木々は若葉をいっぱいに芽吹きその緑を一層際出させる頃・・・・。

大公孫樹は南面して建つ八剱(ヤツルギ)神社の小さな社に向かて左側、遠賀川堤防下から諸手を挙げる様に聳えて居る。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)お手植え伝承を持つこの銀杏は、地上2m程から大きく四本の支幹に岐れ、目通り9.7m、樹高約22m。

太枝からはやっぱり気根が垂れ下がり、何処も同じ「乳公孫樹」信仰も盛んだった様です。

樹齢1900年と云う夢の様な推定樹齢で語られるこの大公孫樹は大主幹部に相当腐朽が進んでいるのか?大きく樹脂で固められてる様だった。

まあ、何れにしても日本武尊(ヤマトタケルノミコト)伝説からの推定樹齢1900年だろうがちょっとオーバーな気がする。

因にこの大公孫樹は、福岡県の天然記念物に指定されている。 

撮影2010.4.30