巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

婆羅門杉

2006-08-28 | 奈良県

名阪国道、福住ICを下りて北方向に約2.5Km進んだ所で左手にお寺に入る道があるのだが、案内標識は無い。

僕は、この寺の奥に有る、この里の埋め墓の迎え地蔵さんに会いに行く途中でみかけました。

あまりに凄い杉なので家に帰って調べて見ると色々わかってきた。

「鄙びた山寺の入り口両側に、2本の巨大な杉がそびえる姿は絵になる景観で、特に向かって右側は圧倒するような太さでした。大蛇がうねるように曲がりくねった太い枝も、迫力です。

しかし、本堂を見ても、寺の名前はありません。

杉の木の掲示板はあっても、寺号も入ってません。

無住なのか??まるで荒れるに任せたように見えます。

後からわかったのですが、寺号は下之坊寺、しかし山号も宗派もわかりません。

本尊が十一面観音であることから真言系統の寺のような気がします。

下之坊寺は、聖武天皇と天竺から渡来して東大寺大仏開眼供養の導師を務められた婆羅門僧正が作られたと伝えられる秘仏十一面観音立像を本尊にしている。

ここでいう、婆羅門僧正は実忠和尚の事であろうが、聖武天皇と実忠和尚が合作で仏像を作ったとは夢の有る話ですが信じ難い。

その秘仏の十一面観音を見る機会があればぜひともお目にかかりたい。

婆羅門杉の名前は実忠和尚を、婆羅門僧正と言い伝えて来たことによるものだと思われます。

1991年の環境庁調査によれば、大きい方は樹高48m、幹周り700cm、もう一つが樹高43m、幹周り500cmとあるが、どちらの杉も実際の幹周はもっと大きいと思われる。

本堂に向かって右側の杉は特に見事で、圧倒するような太さでした。大蛇がうねるように曲がりくねった太い枝も、迫力です。

この鄙びた寺の佇まいが、いっそうこの木の大きさと、それらの経てきた年月を際だたせている。

この寺を訪れたのは、二月十九日、立春は過ぎたとは云え、まだ寒さの厳しい時期で、杉の葉も新芽の前で少し色が悪いが、もう一度新芽の季節に訪れてみたい

巨木が2本並んで、山門のように石段の両脇で枝を広げているさまは、見事だとしか言い様がない。

「この御神木の杉に生命力をいただき,本尊秘仏十一面観音様に願い事をし、て祈願護符を受け、再びすぎに手を当て願いを込めると大願成就する」という・・・・・・。

しかし、祈願護符といっても誰も居そうに無いけどね。

撮影2006.2.19

場所はここ。


岩間寺大カツラ

2006-08-25 | 京都府

ここは何処、あの桂の樹は???、京都府?滋賀県?よくわかりません。

                                          岩間寺本堂と銀杏の大木

岩間寺は西国三十三カ所の第十二番目のお寺で滋賀県大津市と言う事になっているのですがこの桂の樹自身は宇治市の名木百選に入っている。

岩間寺は、京都府宇治市と滋賀県大津市の境、岩間山の山頂近くに建っているが宇治市側からは車で登る事は出来ない。

桂の巨木は本堂の奥から少し離れた谷間から空に向かっている。

ここを訪れたのはもう半年近くも前の四月九日、枝に芽吹きも見えない春浅き日でした。

桂の巨木が根を下ろしている谷間は下草や雑木がすっかり伐り取られすっかりきれいに整地されていて、谷間の上には真新しい祠が建てられようとしていました。

桂大明神としてでも祀ろうというのか??摩訶不思議な景色となっていました。

果たしてこれが桂の樹を神木としてあがめる事になるのかは疑問この上なく、出来る事ならば元のように雑木や下草の中に戻せないものか・・・。

樹高27.4m、幹周11.5m、推定樹齢500年と言われており、谷間を見下ろすようにこの巨木を見るのでいつもの巨木とは違うアングルで見る事が出来る。

撮影2006.4.9

場所はここ。

 


杉坂峠のスギ

2006-08-21 | 滋賀県

 

多賀大社の神木といわれている杉の巨樹です。

多賀大社から車で約30分、距離にして7~8km北東の山の中、杉坂峠に在る。

峠に至ると、右側に小さな駐車スペースがあり、この杉の案内板がたっていてます。

道路よりも一段下がった斜面に立つ大杉は多賀大社の御神木で、樹高37m、幹周り11.9m、樹齢400年。

巨大な根元は一体化していますが複雑に三分枝した樹形から合体木だろうと言われています。

滋賀県で最大級の巨樹であるとされています。

案内板によると、多賀大社の祭神伊邪那岐命(いざなぎのみこと)がこの地に降り立ち、この峠を下って栗栖の里に鎮まられましたが途中村人に栗飯を出され、そのとき地面にさした箸が芽吹いて現在のご神木になったと言われています。

多賀大社は、もと杉坂山頂に始まり、麓の調宮に遷り、ついで田宮とでも言うべき現社地に遷ったといわれており、この杉が神木だとされているらしい。

勿論、樹齢と神話の時代とはまったく適合しませんが、滋賀県ではなぜか箸が育って、大木になったと言うこのての話が多くて面白い。

撮影2006.7.15

場所はここ

 


井戸神社の桂の樹

2006-08-17 | 滋賀県

 

このの樹の巨木に逢うのは大変でした。

なんといっても、この神社を鎮守としていた向之倉と言う集落は廃村になってしまっていてまったくの無人で、集落自身も草や木々飲み込まれてしまって哀しい姿をさらしていました。

滋賀県多賀町の山の中、今は車の通る事も殆ど無いだろうと思われる向之倉集落への道は険しく細い、しかし歩いていくには厳しすぎる距離と登りです。

登りつめた突き当たりの駐車場所から少し左へ下がった山中の小さな井戸神社境内の中央に巨大なカツラが立っていた。

廃村になって人の気配はまったくありませんが,神社の境内は手が入っているらしく、それほど荒れてはいません。

桂の樹特有の株立ちで大小十数本の幹に分かれ天に向かって聳えている。

 

その姿は圧倒的で、人気が無くなった廃村の鎮守の神木として、孤高の巨木と言う趣がある。

その根元には小さな殆ど水溜りにしか見えないような、神社の名前の基になったと思われる井戸があった。

滋賀県指定天然記念物、樹齢400年以上、樹高39m、目通り幹周11.6mは滋賀県第一位の巨木だとされています。

 

 撮影2006.7.15

場所はここ。

 

忍坂山口坐神社の大クス(楠)

2006-08-13 | 奈良県

 

忍坂山口坐神社は、奈良県桜井市の国道165号線から、あの藤原鎌足で有名な淡山神社へと続く国道166号線沿いにある延喜式内社であるが、今は小さな敷地の古びた鎮守と言った趣です。

付近には新興団地が迫っていて巨樹の環境的にはそんなに恵まれたところとはいえないが、神社の付近だけは開発の波から逃れたように静まり返っている。

忍坂(おっ坂)と言えば神武東征時、宇陀から峠を越え土蜘蛛八十建(やそたける)を征伐した地とも云われ、日本最古の地名としても知られているそうです。

 

この、「忍坂山口坐神社」の境内には一際は目を引く桜井市指定「大クス」の巨樹があって、推定樹齢600年、樹高30m、幹周り7.85mで、根元から2mほどの所で二股に分かれ、空洞はなく今も樹勢はいたって旺盛です。

なお、この木は二代目で、初代の楠は、室町時代の1397年(応永4年)将軍足利義満が、京都北山に金閣寺を建てる際の天井板に伐り倒され、木の先が隣村まで届いたので現在でも「木の下」と云う地名が残っているそうです。

その後植えられたとされる現在の楠はそれでも見事な巨木で、この小さな鎮守の神木としては巨大すぎるほどに見事楠の木です。

撮影2006.6.24

                             <Ahref="http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=MapionBB&nl=34/30/27.321&el=135/52/12.696&scl=70000&bid=Mlink">場所はここ


信貴山 千手の銀杏 「仏手白果」

2006-08-11 | 奈良県

 

前回紹介の、信貴山朝護孫子寺にもう1本珍しい巨木が育っている。

カヤの巨木の少し手前から塔頭の「千手院」へ行く分かれ道に、この銀杏を示す表示板が立っている。

参道脇の石灯籠の建ち並ぶ所に樹齢約五百年の銀杏(いちょう)が植わっていて、枝振りが千手観音菩薩の沢山の手の様に見え、また、銀杏の形が仏様の合掌された両手に似ている所から、千手の銀杏「仏手白果(ぶっしゅはつか)」と名付られているそうです。

そう言われて見てみると、普通の銀杏の樹よりは枝振りがよいように見えるのだが??

銀杏の方は、秋の実りの頃になるまではどんな形なのか確認することは出来ない。

巨木と言うより銘木と言うべきか・・・??

この銀杏は中国産の品種で、昭和58年7月に偶然発見されて、それまでは日本では、宮崎県高千穂の岩戸神社の境内にある1本だけが知られいて、我が国で2本目の極めて珍しい銀杏の巨木です。

撮影、場所、前回分に同じ。

 

 


信貴山朝護孫子寺の榧(カヤ)

2006-08-09 | 奈良県

 

信貴山は、信仰の山、生駒山系の最南端、奈良と大阪の県境に位置している。 西暦587年(第31代用明天皇2年、寅年)寅の月の7月、寅の日、寅の刻、聖徳太子が、仏敵物部守屋の討伐を祈願し、毘沙門天から、戦いに勝つためのヒントを授り、見事討伐に成功したことから、「信ずべき山、貴ぶべき山」信貴山と名づけられましたと言われており,聖徳太子開基の寺とされています。

護孫子寺の名は毘沙門天に醍醐天皇の病魔退散を願い、成就されたことから、朝護孫子の号を賜ったそうです。

駐車場から、参道をとおって山門をくぐると、有名な「張りこ大寅」の上の方に本堂の舞台と大きな屋根が望まれる。

山門から石畳の参道を暫く行くと石の鳥居を越えて正面にカヤの巨木が聳えている。

聖徳太子が開基した頃芽吹いたとされているカヤの巨木で、表示板には樹齢1500年とある。

見た目には樹齢1500年と言うのは少しオーバーな気もするが・・・

この寺の神木とされていて、樹の前には稲荷大明神の社があって参詣者も後を断たない。

このカヤの樹自信が信仰の対象と成っていて、まさに神木である。

残念なことに、樹の周りには石柱の垣が設けられていて近づくことはできず、根張り等の確認も出来ていません。

目測、幹周り、4m~5mはあるように見え、樹盛は盛んで衰える様子も見えない

撮影2006.6.17

場所はここ


咋岡(くいおか)神社の「スダジイ」

2006-08-03 | 京都府

 

 咋岡(くいおか)神社は、京都府京田辺市の東方、木津川の西岸にある独立した小高い飯岡丘陵(古くは咋山と呼んだ)の東麓に鎮座している式内社で、万葉の時代から詠われている。

僕はちょうどこの飯岡丘陵を見渡せる木津川の対岸に仕事場を持っていて目と鼻の先の鎮守ということになります。

国道24号線の井手町役場前の信号で24号線に分かれて木津川にかかる玉水大橋をわたって西岸の土手上を北方に暫く行くと飯岡丘陵の入り口、直ぐ右折して咋岡(くいおか)神社の鳥居の前に出るが、駐車スペースはありません。

右側のスダジイのほうが大きく見える。

何とか道路わきいっぱいに寄せると駐車は可能ですがかなり狭い道路です。

左側の二本並んだスダジイ

元は飯岡の北端、宮ケ森に鎮座していたらしい。

咋岡神社の近辺には飯岡古墳群があり、東側を北流する木津川には飯岡の渡し跡、すぐ南西の池畔には古代の山本駅跡が存在し、対岸の井手丘陵は橘諸兄に所縁の地であり、古來より交通の要衝として重きをなした地点であつた。

無住の鎮守社ではあるが、境内には、しいやクヌギの巨木が多く見られる。

上が注連縄の巻かれている神木(左側)下は(右側の木)

境内の左手側の道路際に二本の巨大なスダジイが聳えてていて、「京都府自然の二百選」の表示板が立てられている。

幹周りはおおよそ約3.5m程度、樹高、樹齢ともに不明です。

山城に巨木が多くないのは、あまりにも早くから開発が進んだせいなのかもしれない。

撮影2006.7.30

場所はここ

 

 


水屋神社の巨木‐2

2006-08-01 | 三重県

 


前回、「水屋神社の楠」で紹介した水屋神社には巨木が多い。



国道に隣接した鳥居越しに大きな樹が何本か空に向かって其の大きな手を広げているのが見える。


この神社の関係者が、この宮の杜をいかに大切にしてきたか、又いかに密接に接して来たのかが窺い知れる。



拝殿左側には2号楠の看板のある楠の巨木、神木の大楠にははるかに及ぶべくも無いがそれでも目通り5mクラス、根元の根張りはは見事で、となりの杉の大木の根と絡まりあって面白い姿を見せている。




この二本の樹が何百年も経つと1本の樹のように合体する事は無いのだろうか???


杉と楠の合体木は見たことがないけど、どこかにはあるかもしれない。




社殿の奥には、あの独特な樹肌のカゴノキの巨木があって、これもかなりの大物だけどまったく資料が見当たりません。



 



拝殿右側には椋の巨樹、拝殿側から見ると大きな洞になっているが樹盛は盛んで、枝いっぱいに葉をつけています。




拝殿右横には、「水屋の大杉」、目通り4~5mクラス、幹が螺旋状の樹脈(こんな言葉は無いかも??)のようになっていて、樹齢の長さをかんじさせてくれる。



この杉の右手には白い鳥居と赤い鳥居が並んで立っていて、白い方は大楠社、赤い方は祖霊社とある。



大楠社は勿論水屋の大楠を神として崇める社だと思うが、この鳥居の奥にも、もう一本かなり大きな楠木がある。


何の表示も無いが3号楠としてもいいのではないだろうか??。


撮影2006.5.28