巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

岩出市 正覚寺のムクノキ

2012-02-08 | 和歌山県

正覚寺のムクノキの有る岩出市は和歌山市街東方約15km、紀ノ川北岸域、河岸段丘に新しい町並みが広がり、背後、和泉山脈の山裾には古刹根来寺などを有する歴史的にも豊かな街です。

JR和歌山線の岩出駅と、紀ノ川に注ぐ古戸川に挟まれた住宅地の真ん中に有る由緒有りげな新義真言宗の小さな寺院です。

本堂前の境内は墓地になっており、墓地奥の一段高くなった一角に、このムクの木がどっしり構えています。

主幹は落雷か台風にでも遭ったのか無残にも引きちぎられ、残った大枝がその変わりをつとめています。

引きちぎれた側の株元は白骨化が進み、最早生気を無くしていますが、残った大枝側はまだまだ瑞々しく、濃い緑の葉をいっぱいに伸ばしています。

ずんぐりむっくりは否めませんが、目通り約6m強、樹齢は不明ですが和歌山県の天然物に指定され、県内一のムクの木だとされています。 

撮影2009.8.22


和歌山市 丹生(にゅう)神社クスノキ

2012-02-06 | 和歌山県

民家の密集地にあってどうにもこうにも車では近づき難いところに有りました。

和歌山市街から紀ノ川を挟んで約5km、県道7号線が横断する直川の街中、直川小学校の約200m程西方に小さな杜を持つ村の鎮守然とした丹生神社が鎮座する。

横長割拝殿の奥、拝殿と摂社の狭い隙間に大きな楠木が肩身の狭い姿で聳えていますが・・・なにやら申し訳無さそうにも見えて気の毒・・・。

摂社に掛けられた不釣合いなアルミカーポート屋根がどうも目障り、なんとも雰囲気をぶち壊します。

大きく踏ん張るように二股に分かれた主幹は目通り約9m、樹齢約500年とまだまだ若々しく、和歌山県の天然記念物に指定されています。

中々の大物ですが惜しみなくば、もう少し手入れされても良いんじゃないかな??

周りの雑木や棕櫚の葉などは少し邪魔だと思うんですが・・・・。

撮影2009.8.22


高野山奥の院参道巨杉群

2011-12-05 | 和歌山県

個体ごとの説明は困難を極めますが・・・あの高野山奥の院へと続く参道脇には戦国武将の墓所や宗派を越えた墓石などと共に巨杉が延々と弘法大師廟まで続き、その景観は観るものを圧倒させてくれる。

高野山入り口にはあの雄大な大門。

壇上伽藍には丹の色もまぶしい根本大塔。

一の橋から先は死後の世界とされ、弘法大師廟が有る奥の院まで巨杉と石塔が累々と2km程も続く参道となる。

参道入り口すぐに立つ巨杉は双幹の合木・・まっすぐに天を突き刺している。

林立する五輪等を背に堂々たる一本。

参道脇斜面から身を乗り出すような巨杉。

天を多い尽くすように林立する巨杉群

そのうち合木化してしまいそうな巨杉達・・

備後福山水野家墓所の前には巨杉が林立。

この辺りが一番巨杉が密集していて圧巻・・・・、石塔等の墓石群は役二十万基にも及ぶという。

此処にくれば歴史上の人物に全て出遭えそう。

樹齢400~600年、目通り5~8mの巨杉が林立し、こんな場所に無かったらこの巨杉達も、もっと注目されただろうに・・・・

撮影2009.6.20


印南町 川又観音の大栃

2011-12-03 | 和歌山県

和歌山県御坊からの帰り道、紀伊半島山中を越えて帰るのも良いものだろうと国道425号線、国道424号線、竜神温泉、高野山を経由、延々約3時間強の山岳ドライブでした。

そんな国道425号線で御坊から約1時間足らず、「印南町」谷川沿いの川又観音の大栃に遭うためにちょっと寄り道しました。

国道425号線から分岐する谷川沿いの山道を500mも遡ればその先参道、其の先すぐ、赤い馬の口から水が出る手水舎があり、其の脇に一際聳え立つこの大栃が立っている。

色々検索してみましたが紅い馬の謎は不明です。

深山幽谷の感が色濃い川又観音参道に立つこの大栃は目通り約5m、樹高約20m、樹齢は不明だと言う事ですが和歌山県の天然物に指定されています。

深山幽谷でないと大きく育たないと言われる栃の巨木、注連縄も掛かり神木として崇められ大切にされているのが良く解る大栃です。

眩しいほどの緑が特に印象深いところでした。

撮影20009.6.13


御坊市 光専寺のビャクシン(イブキ)

2011-12-01 | 和歌山県

 御坊市の海岸際、紀伊水道を前にして在る塩屋町「光専寺」に立つ新日本名木百選にも選ばれたイブキの名巨木です。

国道42号線で御坊中心街を抜け日高川を渡りほんの少し南進すると塩屋の古い町並みが続く、国道から町並みを縫うように走る旧街道を走ると南端に近く、左手家並みの中に一目でそれと解る大きな木が見える。

光専寺の小さい境内からはみ出すように身を乗り出すイブキの巨木は、最近整備されたであろう白壁塀の一部が切取られた様に開口していて訪問者を迎えてくれる。

のたうち捻れて十数本の大枝が大空を覆い、其の迫力気迫に思わずたじろぐばかりの様相が見事で目が釘付けです。

樹齢約600年、目通り5.65m、樹高約14m和歌山県の天然記念物に指定されています。

いくらかの枝が払われた痕が生々しく残っていましたが樹盛は至って盛ん、まだまだ元気そうに見えました。

和歌山海岸沿いの寺院にはイブキの大木が多く見られますが、この迫力は何とも凄い。

撮影20009.6.13


御坊市 湯川神社の楠

2011-11-29 | 和歌山県

学校校舎のすぐ脇、それも石垣に邪魔されるように根を延ばしていてどうにも窮屈そうな大楠です。

JR紀勢線御坊駅のすぐ近く、県立紀央館高校の東側、学校の校舎に隠れるように湯川神社があって「湯川子安神社」とも呼ばれ、安産の神、子授けの神として地域の信仰が篤いようです。

この地は元中世の豪族湯川氏の小松原館跡だそうで、水堀の一部も残りそんな感じが所どころに見られる境内です。

石橋を渡って境内に進むと境内一面を覆い被せるような大楠が強烈な様相で迎えてくれる。

根元の大きい洞を隠すようにして小さな祠・・・・、この楠自身が神としてあがめられているようです。

大きな傷痕が痛々しそうですが・・・樹齢/推定1000年、幹周約9m、樹高21m、「千年楠」と市民からもl親しまれているようです。

一段上に上って本殿脇から覗いて見ると全く別の楠のよう・・・。

まるで巨大なカブトムシが這ってでも居るように見えたりも・・、まだまだ上から見た分には元気そうに見えます。

撮影2009.6.13


日高川町 道成寺の槙柏

2011-11-27 | 和歌山県

和歌山県最古の寺として、また安珍清姫の悲恋物語で有名な道成寺本堂横に立つ槙柏の巨樹です。

槙柏の巨樹としてはいささか迫力には欠けますが有名どころでも有る道成寺はどんな寺かと興味もあって訪ねてみました。

お土産物屋の立ち並ぶ参道から石段を登ると立派な仁王門・・・やっぱり観光寺院の強みか観光客が三々五々目に付きます。

悲恋物語の問題の鐘楼は今は無く問題の鐘も京都市左京区にある顕本法華宗の総本山妙満寺(みょうまんじ)にある。

禁殺生と書かれた石碑の脇に槙柏の巨樹・・・、樹齢300年以上、高さ15m、目通り4.6mと成っていますが、根元の植え込みが邪魔になって迫力の有る写真は撮れず少し欲求不満が残ります。

撮影2009.6.13


日高川町 船津の大楠

2011-11-25 | 和歌山県

前回紹介の紀美町から此処まではどんなナビで打とうとも1度紀伊半島を大回りして御坊近くから又山の中に入ると云うルートしか出てこない。

それ程この紀伊半島、山又山を越えるルートは厳しくお勧めできないと言うことなのだろうか??

僕は途中有田川町あの見事な扇形の「あらぎ島の棚田」を見て遥か山越え谷越えでここ日高川町「船津の大楠」までやって来た。

写真の記録を見ると紀美町野熊野神社を出たのが朝8時35分、「あらぎ島」を出たのが10時35分、此処「船津の大楠」着が11時46分と成っている。

途中何箇所かの棚田にも寄ったが、こんなに長い時間、紀伊半島の山中を走りまわっていたのだろう・・・、げに恐ろしい紀伊半島山間部って感じです。

日高川の中流域に位置する日高川町船津は、今年の夏の豪雨被害は出なかったのだろうか??・・、大楠は日高川に沿って走る県道26号線沿いの中津郵便局向かいの山裾斜面にどっしり根を下ろし、その巨大な樹冠を誇らしげに大空一杯に伸ばしている。

大楠の根元には小さな祠が在り、個人の所有だそうなのですが整備も行き届き信仰強い大楠で有ることがわかります。

樹齢約600年 、目通り7.2m 、樹高さ 30m となっており日高川町の天然記念物に指定されています。

見事な根張りがまだまだ若く、これといった傷みも無くこれからもますます元気に大きくなると思うが・・・、やっぱりちょっとこの夏の豪雨被害が無かったか気に掛かります。

便宜上所在地の住所をそのまま使わせて貰って「船津の大楠」としましたが現地での呼び名は不明です。

撮影2009.6.13


紀美野町 熊野神社シラカシ大樹群/他

2011-11-23 | 和歌山県

我が家から国道24号線経由で高野山に向かう高野口のICまで約一時時間半、そこから国道370号線で途中高野方面方面に向かうことなく道なりに山又山をを越え約1時間強、紀ノ川の上流域貴志川、その又上流の山深い旧美里町国吉の集落に着く。

集落の外れから熊野神社への道路を登っていくとすぐに目に付くのがこのシラカシの大木。

正面から見ていると元気そうに見えるが裏に回るとこの通り、すっかりボロボロはらわたまで見せるように朽ち主軸は表皮だけで上部の2枝を養っているかのよう・・・

多分これが2号樹、目通り5.5mとある。

説明板に拠ると5本ものシラカシの巨木があってそのうち2本は枯れ死、3本が現存することに成っているが目に付かない。

それでも必死に探して見つけたのがこの一本。

多分こちらが1号樹、祠の横で哀れにも最早抜け殻状態、余りに気の毒なその姿です。

まあしょうがない無いので境内も見ようと一段上登ってみます。

狭い参道とは違って見事に目の前が開けてこんな山奥にしては見事な境内・・・。

おまけに境内続きで惣福寺という古めかしいお堂・・・・いづれは神仏混交の名残だろうがどちらが主だったのだろうか??

因みに寺の名は惣福寺、宝亀元年(西暦770年)開基と伝えられている。

この地には面白い言い伝えがあって坂上田村麿が当地で3年間滞在、村の娘との間に一子をもうけ、子孫が代々この熊野神社の宮司を勤めているという。

坂上田村麻呂が戦勝を祈願して建てたといわれる宝篋印塔が有るが時代は合わない室町前期造立のもの。

話しがとんでも無く脱線しましたが本殿脇には目通り4~5mの無冠の大杉

方や境内摂社横にはこんな樹瘤を持つ楠。 

撮影2009.6.13


和歌山市加太(かだ) 常行寺のビャクシン(柏槙)

2011-02-25 | 和歌山県

遠目からではまるで現代アートのモニュメントの様に見える。

よくもこんなにも白骨化した主幹に枝をを伸ばして生をつないでいるものだとその生命力の凄まじさには唖然とせざるを得ない。

和歌山県最北端の地、加太は古来より潟海(かたみ)とも呼ばれた景勝地で紀淡海峡に面し、あの紀伊国屋文左衛門が江戸へみかん船を出すなど港町として栄え、今では関西の魚釣りのメッカとしても知られているようです。

和歌山市街から紀の川を越え、国道26号、県道7号経由、南海加太線終着駅の加太駅を越えて道成りに進むと大きくカーブする左手が常行寺。

 紀伊半島ではビャクシンの大木を良く目にするがこれほど強烈な形相をしたビャクシンはかって見た事が無い。

主幹は殆ど全てと云って良いほど形骸化、何処に命を繋ぐ糸が有るのだろうかと不思議におもう。

樹齢400年強、、目通り4.7mと有るが、そんなことはどうでも良いほどの自然が作り出した造形美・・・・。

激しく左に渦巻き捩れた主幹の何処に命を繋ぐ力が残っているのだろう。

この美が、生有るものが終わりの一瞬に見せる美で無いことを祈るだけ・・・。

この写真からもう2年、まだ大丈夫かな?

撮影2008.12.13


岩出市  栄福寺のビャクシン

2011-02-24 | 和歌山県

 京都から奈良経由で和歌山方面に出かけると和歌山市内に入る直前に根来寺で良く知られた岩出市が有る。

根来寺に寄り和歌山方面の巨木を訪ねてまず訪れたのがここ栄福寺の白槙、和歌山県の天然物に指定され、その呼び名は何故だかくどいような「栄福寺イブキビャクシンの大樹名木」と成っている。

根来寺から十数分、紀の川と和泉山脈の裾野に広がる肥沃な田園地帯のなかには旧集落や新興住宅が混在しているが、この永福寺の有る小さな集落は比較的昔日の名残を留めて居て道路も狭く目的地も探しづらかった。

集落の入口、いや出口か??に近い田んぼに囲まれた一角に栄福寺が有って、その境内一杯にその曲がりくねった触手を伸ばしている様に見える。

此処には二本の大樹が有ってどちらかがイブキで、どちらかががビャクシン??と言う事かと調べてみたら全く同じ樹種だという、おまけにカイズカと呼んだりカイズカイブキと呼んだりするとか??全くもってややこしい。

二本有るうち奥の一本が大きく目通り約4.5m、樹齢は約500年以上だとか、主幹には大きい樹瘤を溜め大きく捩れながらたっている。

根元にはちょっと風変わりな阿弥陀石仏や宝篋印塔が見られるがそう古い物ではなさそうです。

それよりなんといっても見事なのは隣に有る一本。

のたうち、這いずり廻って延びる主幹や二股に分かれた大枝はまるで龍体そのもの・・・

螺旋状に巻きながら延びて独特な枝振りを呈しているが,まさしく渦巻きながら天に向かって伸び上がる龍のようにも見えて来る。

一部白骨化した部分も有り凄まじい迫力に圧倒されてしまうが、こちらは目通り2.5mとやや小振りながら樹齢は変わりないのかも?? 

ここでも弘法大師が差し残した杖が根を出し、大樹になったという伝承があると云う・・・・・はてさてどちらの一本なのだろうか??

 撮影2008.12.13


浜の宮王子跡の大楠

2011-02-19 | 和歌山県

熊野那智大社からの帰り道大きな楠が有ると言うので訪ねた浜の宮王子跡の大楠。

<補陀洛山寺>

<三所権現・・現在では熊野三所大神社と呼ばれる>

現地を訪ねて驚いた、此処はあの補陀落渡海で有名な補陀洛山寺と熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)、それにこの浜の宮王子跡が同一境内続きで並んでいた。

熊野灘の海岸からは100m強、JR紀勢本線那智駅と国道42号線を挟んで直ぐ脇に補陀洛山寺の駐車場が在り小さな境内に本堂があり。その脇に熊野三所大神社、そしてその参道入り口にはこの大楠が聳える。

境内脇には補陀洛渡海舟を再現したという小さな覆屋が有って興味をそそる、往古生きながらにして観音浄土である補陀洛山へ向かう死出の旅の殯(もがり)舟として利用されたもので屋形には扉も無く入り口は外から釘が打たれ、四方に4つの鳥居が建てられ「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」死出の四門を示している。

これはもう棺桶そのもの即身成仏、僕が子供だった頃、野辺の送りで目にした、あの棺桶の四隅に貼られた白い和紙に墨書された四門がまざまざと蘇った。

往古目の前は海岸だったのであろう・・・・・・、興味はつきないけど補陀洛山寺については別の項にでも・・・・。

大楠の立つ「浜の宮王子社」は補陀洛山寺との神仏習合の形態がそのまま残った熊野三所大神社の参道入り口に在って全て一体をなすものです。

大楠は夫婦楠とも呼ばれているように2本が並び立ち大枝を天空に広げているがその巨大な根元は連理している様に見える。

共に大枝一杯に葉をつけ元気そのものに見えるが、参道奥側の固体は裏に廻るとこんな有様。

まるで樹皮だけで命をを繋いでいるようにも見える。

樹齢約800年、目通り約7.5mと7m、共に巨体では有るがこの南紀においてはそう珍しくも無い。

それより、この地で何人の補陀洛渡海を見送ったのであろう・・・話が出来たら聞いてみたいその真実を・・・。

撮影2008.12.7


 古座川町三尾川(みどがわ) 光泉寺の子授け公孫樹(イチョウ)

2011-02-17 | 和歌山県

紀伊半島を一周する縁起でもない国道死に(42)号線は周りの景観とは裏腹に余り気分のいい道路ではないが・・・・。

紀伊半島の突端串本から山手に延びる国道371号線で30分、距離にして約15km、古座川の流れの美しい古座川町三尾川地区に着く。

対岸に有る三尾川小学校前の橋を渡り学校の脇を行く県道39号線を暫く走ると左の方に延びる脇道が有って、それと解るしっかりした看板が建っている。

左折して直ぐ、左手山裾の石垣に囲まれた高台に、それとわかる大きな箒を逆さまにしたように一杯の小枝を伸ばした公孫樹の樹が有る寺が目に入る。

門前には駐車場も用意されていて、こんな辺鄙な土地ながら住職も居て良く整備されている。

僕が此処を訪ねたのは12月の始め、もう2~3日早ければ見事な黄葉に出遭えたのにと出遭う人ごとに慰められた。

確かに慰められるとおり境内は一面黄色の絨毯、公孫樹の梢には散り忘れた何枚かを残して殆ど丸裸、青空に見事な枝が密集していた。

この枝振りなら、さぞかし見事な黄色に染まって居たに違いない。

光泉寺の「子授けイチョウ」と親しまれるこの公孫樹の巨木は推定樹齢400年以上、目通り約7m、樹高約30mと和歌山県に有っては最大級で街の文化財に指定されている。

「子授けイチョウ」と呼ばれるように主幹の脇や大枝から何十本にも及ぶ大きな気根を垂れ下げ、巨大なものでは3m以上にも及ぶとか??

所謂乳房信仰が子宝や健康安産の祈願と成って、遠く大阪方面からの参詣者も有ると聞きます。

境内を埋め尽くす黄葉の奥に六体地蔵が建ち並び見事な彩りを添えていて素晴らしい景観をかもしだしています。

樹そのものの大きさもさることながら、周りの景観や、垂れ下がる気根の見事さ、はたまた境内一杯に敷き詰められた黄金の絨毯には感歎の声を挙げざるを得なかった。

本樹に痛みはまだ見えず、写真のように元気そのものです。

撮影2008.12.7


串本町 有田(ありだ)神社の大楠

2011-02-16 | 和歌山県

ひどく分かりにくい所にあってあちこちで尋ね倦ねて何とか到達、しかし苦労するだけの事はある見事な大楠に出会う事が出来ました。

有田神社と言うもののあの紀州みかんで有名な有田ではなく串本町有田で随分遠く離れているがややこしい。

串本中心街から42号線で約15分程西進、有田の交差点を右折JRの紀伊有田駅に出る。

道路は串本西小学校と隣合わせの紀伊有田駅で突き当たり、途方に暮れるが通り合わせの人に聴いてみる。

小学校の脇にある小川沿いの細道を遡りJRの下を抜け、小さな集落を越えると小川沿いの田んぼの中にそれと解る懐かしい匂いのする鎭守の杜が見えて、それがこの大楠を有する有田神社。

 ここまで駅から5分も掛からない、なんとも長閑ないつか見たような景色の中にある。

 

ズンングリムックリ・・チビデブ・・・イモムシを逆立ちさせたような・・・、とでも表現したらいいのか???

しかしこの巨大な樹肉の塊はしっかり大地に根を下ろし、黙って鎮守の奥でもう1000年以上の長い年月を生きている。

紀伊半島では楠の巨樹は珍しくもないがここまで奇形の樹姿にはお目に掛かったことはない。

樹齢1100年、目通り12.2m、樹高は20mとされているが、平成2年の台風で大枝何本ももぎ取られた様で現在主幹より再生した小枝にて葉を生い茂らせている。

根元にはそれこそ樹皮だけで命をつなげているのかと思うほどの大きな洞があるがそれを物ともせずに元気そうに見える。

和歌山県第二の大きさで、串本町の天然記念物に指定されている。

境内の一角に主幹も大枝も、もぎ取られこんな姿に成ってしまった樹も有った。

なんとも凄まじい生命力だろう・・・そのうち杖でも貸してあげないと????。

撮影2008.12.7


串本 潮崎本之宮神社の柏槙

2011-02-14 | 和歌山県

本州最南端、紀伊半島の和歌山県串本町の潮岬の根本付近にあって気の毒なほど痛みの激しい柏槙( ビャクシン)の老大樹です。

串本町の役場前から潮岬へと通じる県道41号線へと入り串本高中学校脇の道路を進むとこの柏槙が聳える潮崎本之宮神社に突き当たる。

境内右奥側の本殿後ろ脇の窮屈すぎる程狭い場所にこの巨大な柏槙が立ち尽くしている。

太平洋の荒波や潮風を直接受ける台風の常襲地でも有るこの地でよくも気の遠くなるような歴史を刻みこんできたものだと感心せざるを得ない。

古くから神木として崇められてきた柏槙の老大樹で、樹齢1200年、樹高19m、目通り7.5mと記録されています。

「大正10年9月の台風の為め巨幹は二つに裂け、平成2年の台風でも相当な重傷を負ったがそのたび補強や丁寧な手当を施され今なお元気に葉を茂らせているのはまさに驚異と呼ぶに値する。

あちこちに鉄の支柱やワイヤーでを張り巡らせ痛々しいが何とか樹姿を保っているようにも見え、老化も激しく重症には違いないが良くがんばってるなあ・・・

撮影2008.12.7