巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

堺市 百舌鳥(もず)の楠

2013-12-17 | 大阪府

大阪南部、堺市街に残された文化財指定民家の門前に立つ楠の巨古木。 

実の処、この場所には屋敷内にある茅葺き民家を撮影に来たが第一目的は全く屋敷外からは見渡せず、目的外だったこの大楠に出遭った。

勿論、大阪府の天然記念物に指定され僕も知らない訳では無かったが、この樹の前に立つまではすっかり忘れて居たと云うお粗末さ・・・・

問題の屋敷は、戦国武将として名高い筒井順慶を祖先に持つ名家、その広大な屋敷の門前、目の前に前方後円墳「御廟表塚(ごびょうおもてづか)古墳」を見渡し、この巨楠が立ち尽くしている。

堺市屈指の巨樹だと言われる「百舌鳥のクス」は目通り10.1m、樹高約13m、樹齢800~1000年。

雨乞いの効験あらたかな霊木として崇められ、名家の門前を守る様にどっしり構えていますが・・・・・寄る年波には逆らえず裏に廻るとこのと通り、気の毒な姿を晒して居ます。

撮影2013.12.9


堺市 金岡神社の楠

2013-03-14 | 大阪府

堺市の中心街にほど近いあの仁徳天皇陵から東へ約3km余り、新旧混じる住宅地の中に金岡神社と言う古社が有り、その境内は数本の楠の巨木で覆われて居る。

金岡神社は平安時代初期の仁和年間(885~889)に創建され、後画聖・「巨勢金岡(こせのかなおか)」を合祀、金岡神社と称したと言われて居ます。

拝殿に向かって左右一本づつの巨楠があたかも仁王立ちするように 空を覆い尽くして居ます。

中でも見事な枝振り誇る向かって右側の楠、見た目ほどの質量はなく、目通り3.65m、樹高18m・・・・・、本殿左側の楠は目通り4.2m、樹高20m。

社務所脇にも目通り5.1m樹高18mの巨楠が聳え空を覆っている。

本殿奥には白竜大神の楠と呼ばれるもう一本。

老巨楠が枯れ果て、そのあとに芽吹いた二代目楠が大きくなったもので、現在相当大きく育っている。

撮影2010.1.10


岬町淡輪 船守神社大楠

2012-02-04 | 大阪府

大阪府最南端、和歌山県境に接する岬町は紀淡海峡を挟んで淡路島と相対峙する風光明媚、又四季を通じてマリーンレジャー客の多い土地柄。

南海本線淡輪(たんのわ)駅の西方約1kmの地にこの地の産土神「紀船守」を祭神とする古社「船守神社」がある。

<直ぐ北側に在る淡輪漁港>

民家密集地の中に鎮守の杜を持つ船守神社は海岸から500mほど内陸に在るもののそこはかと磯の風を感じることの出来る境内です。

境内西側道路に大きく、明るく拓けた境内入り口に立派な石柵で囲まれ、この大楠がたっています。

根元には石祠が置かれ信仰の対象に成っていることが解りますが・・・大楠の根元には竹矢来が掛け回され全くどんな様子なのかは伺い知れません。

元々 四本の楠の根元がくっついたもののようですが・・中心部には大洞でも在るのでしょうか??一見若々しく元気そのものに見えますが。

大阪府指定天然記念物、樹齢約800年、目通り約7m、樹高約25m。

撮影2009.8.22


泉南市 岡中鎮守社大楠

2012-02-02 | 大阪府

大阪府南部、所謂泉州と呼ばれる地域、関西空港の在る泉佐野市南接する泉南市は少し遠いながら最近ベッドタウンとして住宅開発の波が押し寄せている。

阪和道泉南ICを降り、海岸方面へ次の信号で右折、府道30号線を進めば家並の向こうに直ぐにそれだとわかる巨大な楠の樹冠が見える。

その木めがけて新旧入り交じりの住宅街を行けばこの樹だけのために在るような岡中鎮守社に出遭う。

「一木杜を為す」と云う言葉通り天を覆い尽くす様な巨大な樹冠の下、すっぽり包まれるよう慎ましやかな境内と社殿が建つ。

大きく二股に分かれた根元周りは12m、、何処を測ったのか目通り約8.2m、樹高約30mとなっています。

境内を囲む道路にまでその大枝を伸ばし、巨大な鉄製アングルに支えられています。

樹齢800年根元や主幹にも一見何のダメージも無く、まだまだ若々しく元気そのもの。

「大阪みどりの百選」にも選ばれ、大阪府の天然記念物にも指定されている名木です。

神木として地域住民の篤い信仰の元まだまだ成長過程に在るような若々しい巨楠です。

撮影2009.8.22


流谷八幡宮の大銀杏、他

2009-03-24 | 大阪府

 



河内長野市は大阪南部泉州地域の奈良県、和歌山県と県境を接する金剛山系の山懐の町で、かっては大阪のチベットと言われた地域だそうです。


しかし実際には山懐は大きく開発され新興団地が林立する街になっていますが それでも少し山の中に入ると、山の谷間に小さな集落があちこちに見られる山峡の地です。



大阪市内方面からR170号線でどんどん南進、河内長野市内でR371号線(高野街道)に乗り換え、和歌山県橋本市に出る金剛山系の天見川沿いに進んでいく。


R371に沿って走る南海高野線天見駅近くの出会いの辻を右折して谷川沿いを行き着いたところが流谷八幡宮です。



ここには大阪府内では珍しく大規模な勧請縄がかけられているということで訪れて見ましたが思わずこのイチョウの巨木にも出会えてラッキーでした。


ここを訪れたのはもう1年以上も前、2008.1月、半ば、巣仮冬枯れのイチョウの巨木は斜面の崖場に巨大な樹根を張り巡らせて大きな幹を支えているように見えました。




急斜面 の崖場二のたうち回るような樹根の力強さには目を見張るものがあってこのイチョウの持つ生命力に圧倒されてしまいます。


幹周、4.5m、樹高約30m、樹齢約400年となっていてそれ程の巨木では有りませんが、なんといってもこの根回り、根張りは見る者を驚かすに充分なようです。




境内石垣上にも大きな楠が有って、幹周り約5.5m、樹高約30m、となっています。


この地は大阪と高野山を最短距離でつなぐ旧高野街道沿いに位置し、平安時代中期には京都石清水八幡宮の荘園で、流谷八幡神社は長暦3年(1039年)石清水八幡宮のご神体を勧請して創建されたものだそうです。


 撮影2008.1.13


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出灰(いずりは)素盞鳴神社の桂

2009-01-25 | 大阪府


この地を訪れたのはもう1年以上も前のこと、写真のデーターには2008.1.4とある。


北 摂三山の勧請縄を訪ねて、近場のこのカツラの巨木を訪ねた。


ここは高槻市の中心から、府道高槻~亀岡線を約20分程亀岡に向けて走った長閑な里山、京都市右京区大原野との境界線にあって、昭和33年までは京都府に属していたようですが、何故だかこの地区は今のように高槻市に越境合併、それまではこのカツラの木も京都府の天然記念物に指定されていたようです。




途中県道が、丘のように低い山を越えますが、まったく山はすべて住宅地に変わってしまっていて、マッチ箱のような家並みが林立する様はまるで小学校の時に作って遊んだ箱庭のように見えます。



出灰集落は川沿いの谷間に開けた約20軒ほどの集落で、鎮守社である素盞嗚神社の小さな石鳥居の横にこのカツラがでんと腰をすえている。


 カツラといえば人里から遠く離れた深山の奥にあって、昼なを暗い場所でひこばえが群集している物ばかりを見ていたのでこのカツラの木には少し拍子抜けでした。



中心の幹周り約3.5m、株立した5~6本の集合では約8m、樹高28.7m、樹齢300年前後と推定されている。
都会からも近く、そう標高の高くないこの地にこれだけのカツラが巨木が有るのはちょっと驚きでした。




しかしこの出灰と書いて「いずりは」と読むのはとても無理、この地はその昔石灰が産出、「いずるはい」が転訛して今のようになったとか??


撮影2008.1.4


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大阪堺市百舌八幡の楠

2008-06-24 | 大阪府

大阪泉州地方に用事が出来、ついでにと思い寄ってみた。

以前から百舌鳥の字を書く地名が堺市にあると言うのは知っていて、鳥の名の付く地名で面白そうだと思っていた。

それで少し調べてみたところ以外だった・・・・。

神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、このの地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられている。

古代、万代と書いてもずと発音していたようで、まったく鳥のモズとは関係なかったようですが堺市の「市の鳥」にはモズが堂々と指定されているのがこっけいです。

有名な仁徳天皇陵の近く、街の中を走るのが苦手な僕はまた例によって馬鹿ナビに教えられるがままにここの駐車場までつれてこられた。

駐車場は広く何十台とめても平気な広さで境内も広く明るく、参堂脇も広々している。

正面の石段を上がると正面が本殿、その右前にこの大きな楠が枝を八方に延ばし本殿前方の空を覆っている。

幹周5.2m、樹高25m、樹齢700~800年と云われています。

 楠の巨木としてはまだまだ物足りませんが神木として崇められているからこそ保存されているのでしょう。

撮影2007.6.9

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和泉市 松尾寺の楠

2007-07-21 | 大阪府

 この楠は、その樹齢(700年)にかかわらず見事に若々しく瑞瑞しい。

松尾寺は奈良にもあって、よく間違えそうなのですが、ここは大阪泉州和泉市、岸和田市と境を接する辺りの山懐にあります。

松尾寺は、修験道の開祖として名高い役行者(えんのぎょうじゃ)の開基(672年)と伝えられる古刹ですが、織田信長焼き討ち全山消失したことがあるようです。

府道、松尾口交差店より山手に登っていくとやがてこの見事な樹冠の巨大な楠木が見える。

松尾寺の楠とは言えど境内にあるのではなく、路線バスの松尾寺バス停広場のすぐ脇から、単独立ちのこの楠の巨木が周りの景色を従えている。

周りを見渡すと2~3、楠の巨木らしい木立が見えて大きな樹の育つ条件を満たしてる土地なのかなとおもわれました。

神木の巨樹には、たいてい小さな祠が祀られていて、注連縄のかけられていることが多いが、やっぱりこの楠も例に漏れず、根元の立派な社や鳥居がたてられ、どっしりしたその根回りの存在感は圧倒的でした。

樹齢700年、樹高30m、目通り幹周9.36m、まだまだこれからも成長し続けるに違いない楠の巨木です。

大阪府天然記念物に指定されています。

撮影2007.2.18

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岸和田市 奥家の椋

2007-06-03 | 大阪府

大阪府、岸和田市は大阪湾岸から葛城山麓に伸びる一般的には泉州と呼ばれる中野中核都市の一つです。

岸和田城や、秋祭りのダンジリは全国的にも有名なところです。

このムクノキがある阿間河滝町辺りは山の斜面に古い町並みが続く、懐かしいにおいの残る地区のように思いました。

大きな長屋門の前にどっしり根を張ったこの椋の木は市の天然記念物に指定されており、幹周り3.m、樹高5mとされています。

実際には、脈打つ大きな主幹、うねるような巨大な根張りは、背景にある長屋門と対峙して見事な存在感を見せている。

これほどの巨樹を、個人として維持管理していくのはかなり大変な事だろうと思います。

撮影2006.9.24

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高槻市 一乗寺の楠

2007-04-18 | 大阪府

 


一乗寺と言うと、京都一乗寺下がり松の宮本武蔵、吉岡一門の決闘を思い出すが、この一乗寺は、高槻市の東はずれ、


東海道新幹線や、阪急電鉄などの軌道と名神高速道に挟まれた山裾にあるが、この辺りもしっかり住宅が立て込んでいて古きよき風情は失われつつある。



日親上人が、室町時代の1427(応永34)年に建立した古刹で、真新しい本堂左手の開山堂脇に、この楠の巨木がデンと腰をすえている。



弁慶が馬をつないだとの伝説が残る樹齢約780年、幹周り6.6m、樹高29mと裏山を背に堂々とした姿で立っている。


波打つ巨大な根回り、樹瘤もなくすくっと伸びた主幹が威容を誇っています。



境内が明るく広いので、威圧感は感じられませんが、近づくと圧倒される巨大さです。


撮影2007.2.25


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萱島神社の大楠

2007-04-11 | 大阪府

 


京阪電鉄の京都大阪間、大阪府寝屋川市「萱島駅」上りホームの間から幹を出し、葉を茂らせている楠の巨木。



この駅のホーム下に萱島神社の祠があってその奥、殆ど光の差し込まないようなコンクリートに囲まれた小さなスペースに、幹周り約7メートル、高さ約20メートル、樹齢700年ともいわれる楠が立っているのが、なんとも妙です。



おまけに根元は野良猫の溜まり場になっていて、少々うんざり。


今となってはこの楠の全体像を見ることはかなわないが一体往古、この楠はどのような姿をしていたのだろうと想像するのは僕1人ではあるまい。


この楠の根元には、『萱島神社の大クスノキは、高さ約20メートル幹回り7メートルもあります。樹齢700年ともいわれ萱島の大クスノキとして地元の皆さんに親しまれてきました。



昭和47年11月,輸送力増強のため着工した土居,寝屋川信号間高架複々線の建設の際地元の皆さんのクスノキに寄せる尊崇の念にお応えし、新しい萱島駅と共にこのクスノキを後世に残すことにしました。


特有の芳香を放ち豊かな緑を繁らせて人々にやすらぎを与えてきたクスノキをいついつまでも大切に育ててゆくため,ご覧の通り樹木がホームと屋根を突き抜けるという,全国に例をみない姿となりました。』と、いかにも楠を大切にしているといわんばかりの掲示板が掲げられていますが、ちょっと首を傾げたくなる。



楠の巨木が口を利けたらなんと言ううだろう??足が有って歩けたらこんなところには居ないだろう。


なんとも身勝手なのは人間様、だってこの楠700年も前からここに立ち尽くしていた・・・・。


後から来たのは電車のほう、後から来たものが大きい顔をするのは世の常のようですが???


高架ホーム下の神社といい、ホームの間から首を出さざるを得なくなった神木の楠といい、なんとも哀しく、哀れに思うのは、もう熟年域に達した、人間の戯言なのかもしれない。


撮影2007.2.25


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大沢のスギ 

2007-04-03 | 大阪府

 


大阪高槻市から京都長岡京市奥海印寺に伸びる府道79号線、島本町大沢集落の神木としてあがめられている杉の巨木です。


大沢野小さな神社を過ぎるとすぐにゴルフ場の駐車場が見えてくるが、その駐車場へ行くまでの右側山の斜面に小さな表示板あり注意しないと車では見落とし勝ちです。


僕もゴルフ場の駐車場でUターンしてこの表示板を見つけました。


道路わきから斜面を登る道がつけられていますが、車の置けるようなところはありません。



府道の邪魔にならないところに車を止めて、山道をっ少し登るとすぐ杉林の中に、この巨大な暴れた杉の姿が見えてきます。



目通り約6.7メートル、樹高約20メートル、樹齢約800年、八方に太い枝を伸ばした真っ赤に見える幹を持った巨大な杉で、地元では古くから神木の一つとして大切にされてきたようです。



杉の周りには簡単な策が設けられていますが1箇所入り口があって出入りできるようになっていてすぐ真近に行くことも可能です。


ただ神木なので榊の木に御幣をつけたものがこの木の根元に立てかけられていて、その巨大な神々しい姿と共に見るからに畏怖の念を覚えずには居られない。




この木は集落の境にあり、邪悪なものの侵入を防ぐ意味があり、山ノ神、賽の神の役目も果たしているように思えます。ました。

 大阪府指定天然記念物になっています。




   撮影2007.2.25


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岩作大明神のムク

2007-03-27 | 大阪府

 


東海道本線の京都と大阪のちょうど中間点あたり、工業化やベッドタウンとして市街化しているが、この地は古い歴史の街で、古代の古墳や、古い地名も多く興味深いところです。



今回訪ねた安威と言う地名には何か古代においが感じられます。



名神高速茨木インターからさほど遠くない、新興団地と旧村が混然一体となっている丘陵地の一角に小さな祠のようなこの神社、岩作大明神があって、旧村集落の入り口にもあたるような場所に見える。



この神社、(祠)の背後にどっしり根を下ろしているのがこの椋の木で、樹齢約450年、幹周り6.5m、樹高 18.2mとなっています。



周りの近代化した風景からは想像もできないような一角で、あの懐かしい昭和の面影の残る家並みを背景に従えてたつ巨大な椋は、この地に暮らす人々の心のよりどころなのかも知れず、撮影の合間にも手を合わす人が何人か立ち寄っていた。



撮影は2月の後半、椋の木はまだ冬枯れの状態で1枚の葉もつけてなく、淋しい姿であり、伐られた枝跡が痛々しく見えた。


 撮影2007.2.25


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八尾善光寺の楠

2007-03-07 | 大阪府

 


生駒山系の西側裾、大阪府八尾市の善光寺は、あの信濃の本田善光が難波の堀江に於て、一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)を得て、信濃へ帰る途中、この地に一泊した折、仏法有縁の地として、御分身如来を本尊として安置したのが始りであり、元善光寺と呼ばれています。


その後本田善光が、再びこの地に来た時ついてきた杖をここに突き刺したのが育ったと伝え、その楠が今ここに聳え立つ大楠であると言われています。



小高い丘の上にあるこじんまりとした古刹で、下の方から見上げると、この木だけがやけに目立ち、すぐに場所の確認ができる。




緩やかな細い坂道の参道奥に青空を覆い隠すように大きくその葉を広げ、楠に隣接する庫裏は今にもこの巨楠の幹に壊されかねない様子です。




樹齢約800年、幹周り6.3m、樹高25m


撮影 2007.2.4


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渋川神社のクス

2007-03-05 | 大阪府

 


ここは、大阪の下町、JR八尾駅のすぐ傍で、カーナビを頼りにつれて言って貰いましたが、これがまた大変、路地のような細い道を、あっちへこっちへつれ回されてなんとか到着。




神社までの道路は狭く大変ですが境内は広く、駐車もらくらくOKガランとしていました。



神社本殿裏手に2本の巨大な楠が聳えており、目指す大楠は向かって右手、小さな鳥居越しに巨大な主幹が見える。


背後には下町の民家や、工場が建ち並び決して恵まれた環境だとは思えないがこの広い境内が救いなのかも知れず、樹盛は旺盛。



樹齢1000年、樹高16.5m、目通り幹周7.0mと記されたどっしり腰をすえ、堂々とした姿の樹です。



第二の大楠は、大楠より約2~30m離れて立ち、こちらも負けず劣らずの巨大さで、この神社の末社の神木になっているようでした。



大阪の神木にはどうして、これほどにも楠が多いのか不思議です。


撮影2007.2.4


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