巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

引作(ひきづくり)の大楠

2008-02-27 | 三重県

熊野巨木ドライブの第一目的はこの大楠に逢う事でした。


三重県最大の巨木と言われる「引作の大楠」葉みかんの産地として知られた太平洋熊野灘に面する三重県御浜町引作の地の引作神社のご神木です。



多分ここも先に巨木ありき、この巨木自身が神だったに違い無く、後に祠を建てたものでしょうが??、まさしく小さな鎮守の大きな楠です。



遠めには、山の斜面から大きくせり出した樹冠が整っていて、さほど大きくは見えなかったのですが近づいて主幹の根元に回ると圧倒される巨大さです。



樹齢1500年、樹高31.4m、目通り幹周15.7m、枝張りは東西35m、南北42m、根元から4.4mのところで5本の幹に分かれ、一本の幹だけでも最大のものは幹周5.7mもあるようです。



根元には写真でも解るように人が充分入れるほどの大きな洞があって中がどうなっているのか少し気になりました。



また、この楠は明治44年に、この付近にあった7本の杉の巨木と共に切られることになったが、これを知った博物学者の南方熊楠が民俗学者として有名な柳田国男に至急便を送り、その尽力で伐採を免れた話は有名です。


つい最近になって、この楠の支幹の1本が折損したと言うことを知り、痛々しい写真も目にしました。


僕が訪れたのは2007.5.3、折損は2007.9.29の事のようです。



折損したのは際右端の支幹のようです


平成元年の環境庁全国巨樹調査で三重県随一の巨木として紹介され、平成2年には「新日本名木百選」に選ばれています。



撮影2007.5.3


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熊野市、大馬神社のスギ

2008-02-25 | 三重県

ここの鎮守の森は森閑として奥深く、神々しさに包まれている。


JR熊野駅前の観光案内所で神社への行き方を確認してからこちらに向かった。


駅前から車で約15分程度だったろうか??、棚田の続く井戸川沿いを山手に向かって車を進めると観光案内所の説明ほどでもなくあっけなく神社の前についてしまった。



さすがに熊野国総鎮守を名乗るだけあって、神社前から眺める森は深い巨杉の緑に覆われている。


案内板に拠ると・・・・・・。


創始は明らかでないが、平安時代から祀られている神社で、市内で最も古い文明10年(1478)の棟札がある。
 恒武天皇(737~806)の頃、坂上田村麻呂(758~811)がこの地方を荒らす賊を討ち、賊の頭の首を地中に埋め、その上に社殿を建てたのが始まりといわれる。


その後、智興和尚という人がこの話を伝え聞き参詣しようとしたところ、田村麻呂の霊が現れ案内し、霊は大きな馬に乗っていたことから大馬神社と呼ばれるようになったという。





小川に架かる石橋を渡り、石段を登る途中の巨杉に目をとられながら参道に向かうと、参道入り口の鳥居の脇には一期は巨大な杉が迎えてくれる。目通り幹周7.3m、樹高35mと環境省のデーターはカウントしている。



ここから、本殿に続く参道は、昼なを暗し、巨杉が天を覆い神々しさに満ちあふれている。



参道途中の手水場横にはクスの巨木が見られるがここの森の巨木はほとんどが杉です。



本殿境内入り口には夫婦スギと呼ばれる巨杉が有って、この森で一番の威容を誇っている。



幹周8.7m、樹高45m。夫婦杉と呼ばれるように根元は一体ですが二本立ちしています。



又、本殿背後や周りにも目を見張る巨杉が無造作に有って熊野市はこの広大な神社の樹叢全体を天然記念物に指定しています。


撮影2007.5.3


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熊野市大又のカツラ(森の巨人百選)

2008-02-20 | 三重県

ここを訪れたのは5月の風かおる爽やかなな昼下がり、国道42号線脇にあるこの桂への進入路横に車を止めて後は徒歩での山道歩きとなる。



 



沢沿いになだらかな上りを15分も歩くと、沢合の開けたガレ場のようなところに、桂のあの若葉が風にそよいでいるのが見える。



森の巨人百選に選ばれた巨樹にしては、たいしたことはないと思ってもう少し奥に進むと、やっぱり森の巨人が佇んでいました。



確かに巨大なのですが、杉や雑木も共存していて巨大なその姿をうまく捉えることが難しい状況でした。


樹盛はかなり衰えているように見え、根元の巨大さからは寂しいほどの幹が1本だけ命をつないでいるように見えました。



他の幹は、いつの時代に損失してしまったのか、幹の途中で無くなっています。


樹齢300年以上、樹高32m、目通り幹周10.6mとなっていますが、樹齢はもっと行ってるのではないでしょうか??



この桂は樹木医なども入らず、沢沿いにあるがままの状態におかれていてそれが又森の巨人としての威厳を持っているかのようでした。



撮影2007.5.3 


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三重県熊野市飛鳥神社の四本杉他

2008-02-18 | 三重県

京都からは、紀伊半島の屋根、大台山系の山懐を縫うように走る国道169号線で一気加勢に熊野市の五郷まで走り、そこで分かれて309号線で国道42号線まで出る。



ここまで家を出てから約2時間半、目的の飛鳥神社はもう目と鼻の先、42号線で小阪の信号の手前からこの鎮守の森が見える。



国道に沿って流れる大又川河岸にある小阪飛鳥神社はクスノキ、ツクバネガシ、タブノキなどの広葉樹とスギ、ヒノキの針葉樹が混生した森で、熊野市は特定の樹木ではなく社叢全体を天然記念物として指定している程に緑豊かな杜を形成している。



神社正面、鳥居にも巨大な二本の杉がそびえていて、この神社の歴史の深さを物語っているようです。




鳥居をくぐって境内敷石の脇にも巨大な双幹の杉がそびえていて、その巨大な根は敷石を持ちあげている。



いずれも幹回り6m以上の大物です。


この神社最大の神木の四本杉は神社本殿の脇を抜けた裏の社叢に身を潜めるように、しかし天を突く巨大な姿で佇んでいる。




樹齢1300年、樹高40m、目通り幹周り8.5m。



写真のように根元から4本の幹に別れていますが、幹には注連縄が巻かれ、根元には祀り物があって、この杉自身も神としてあがめられているのがよくわかります。



撮影2007.5.3


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陽夫多(やぶた)神社の大杉

2008-02-15 | 三重県

平成の市町村合併は歴史的な地名をどんどん消し去っていく、ここ旧阿山郡阿山町馬場の地は途中の阿山という地名がすっかり無くなってしまって伊賀市馬場となってしまって、非常に解りづらくなっています。



伊賀上野から、甲賀信楽方面に抜ける街道筋の古社である陽夫多(やぶた)神社は横長の広い拝殿を持ちその前はまるで学校のグランドほどもある広い境内を持っている。


拝殿、背後の本殿は1段高い石垣の上にあって石段を登って行く。



その石段の両脇にまるで巨大な門柱のように神々しく二本の巨杉がそびえている。



巨大なその根は今にも石垣を破壊しはしないかと思われるほどです。


共に幹回り約4.5m,樹高20mと30m、樹齢は不明ですがまだまだ若々しく見える樹盛です。


撮影2007.5.13


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川上村、十二社神社の公孫樹

2008-02-13 | 奈良県

 京都より紀州南部熊野地方へ抜けるのによく利用する国道169号線、紀伊半島を縦断するこの山岳道路は崖崩れなども多く危険な道路として有名な国道です。

吉野町より、最初の長いトンネル、五社トンネルを抜けたところが、川上村西河(にしがわ)地区で、国道169号沿線を進むとしばらくしてカーブ左手にイチョウの巨樹の有るのが目に飛び込んできます。

小さな、村の鎮守の大きな公孫樹の木です。

目通り幹囲490cm、樹高25m、樹齢は不明ですが、まだまだ若く、ちょうど遅い山里の芽吹きの頃で元気の良い若葉を全身につけていました。

撮影2007.5.3

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室生、田口水分神社の大公孫樹

2008-02-11 | 奈良県

室生田口の里は、あの室生寺から、さらに室生川沿いの県道をさかのぼること約5km、山間に小さな集落が点在するのぞかな里山です。



田口水分神社は、約400年数年前、宇陀郡菟田野町古市場の宇太水分神社(中社)より分祀されたものと伝えられていて、秋の例祭に行われる獅子舞はよく知られています。



参道から短い石段を登った境内左側、集落を見下ろす高台に立っています



樹皮は荒々しく節くれだって、その命をつなぎ続けてきた木の遠くなるような時間の経過を感じさせてくれます。


累々とした根は土の表面から顔を出して力強く大地をつかんでいるように見えます。



しかし寄る年波なのか、葉のついてない時期のためなのか、緊急事態ではなさそうだが少し衰弱しているように見えなくもない。


幹周り約9.6m、樹高27m、樹齢は不明、


撮影2007.3.12


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酒解神社の赤樫

2008-02-06 | 三重県

環境省の巨樹データーを見てたずねて見ることにした。


伊賀市東部の山間地域、青山町に近い旧大山田村の坂下(さかげ)集落の古社で、酒解神社の裏山に人知れず


幾星霜を生き抜いてきた。



酒解神社で検索してみると、出てくるのはほとんどが京都府大山崎町にある酒解神社で、「大山祇神を主祭神とし、素盞嗚尊を相殿に祀る」とあって、こちらの祭神木花咲夜比売命(このはなさくやひめのみこと)とは異なっているのが興味深い。


また、現在の地名が坂下(さかげ)というのはいつの時代かに酒解が坂下と転化したものらしくて、これも興味深い。


肝心の赤樫の巨木は神社の裏山の竹林の中にあって神社境内からは窺い知ることは出来ない。



 



神社の右手から裏山に入る山道があって、それを登っていくとこの赤樫に出会うことが出来る。


神社境内の表示板に拠ると巨木が3本あって樹齢云々・・・とありますが僕が確認できたのは2本のみでした。



いずれもかなり老化が激しく、主幹はほとんど枯れ死状態に近く、何本かの細い枝から葉を伸ばしてはいるもののかなり切羽詰まった状況のように見えました。


何しろ回りの竹やぶが生い茂り日当たりも、かなり悪い状態のように見えます。




幹回り約5.5m、樹齢ともに約700年と推定されています。


また、この赤樫の巨木は母胎の象徴、子孫繁栄を祈る神木として信仰されているようです。


ここの酒解神社の読みは、「さかげ」と読むのか「さかとけ」と読むのかはわかりません。


ちなみに、京都の方は「さかとけ」ですが。


1号樹、2号樹どちらがどちらなのかよくわからなくなってしまいました。


撮影2007.5.13


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かえで橋のイロハモミジ

2008-02-04 | 三重県

 


前回紹介した霊山から旧大山田村へ向かう途中で見かけた大カエデ。



表示板には樹齢400年、この地域ではほかに例を見ない古木だとかかれていました。



三重県伊賀市上阿波 子延川(ねのべかわ)渓谷の岩場にしっかりと根を下ろし、主幹を何本にも分けて渓谷のもれる光を求めるかの陽に枝を大きく広げている。



幹は長い歳月を経てきた証のように、ごつごつとした瘤で節くれだって居り、うねりながら天に向かっている。



付近は、最近整備されたらしく、駐車場も新しく、秋の紅葉の頃には渓谷沿いを散策するのにはもってこいのところのようです。


その他の詳しいデーターは不明です。


撮影2007.5.13


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