巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

室浜大明神のシンパク

2013-07-11 | 香川県

志々島へ大楠を撮影に行き、その帰り道にちょっと足を伸ばして観に行った「室浜のシンパク」。

室浜は瀬戸内に細長く突き出した荘内半島の北側を行く県道232号線、最奥突きの小さな漁村。

後ろに迫る山と前に広がる瀬戸内の海との狭い平地に20戸ばかりが軒を寄せ合う。

シンパクは集落の入口、室浜大明神の社殿、神社だから社殿だろうが?その実古い形を残した御堂脇、大きく緑の諸手を挙げるように起ち上がって居る。

シンパクの巨木は株立ち四分幹、内一本は既に立ち枯れ、残りの三本に緑の葉をつけて居るが・・・とても樹勢旺盛とはいかない様子。

其れでも堂々たる株元には「しめ縄」替わりの魚綱が巻かれ、目通り約7m、樹高約8m、樹齢は不明です。

またこの地は浦島太郎縁の土地とされ、前の浜は太郎がよく釣りをしていた浜で「不老の浜」捕呼ばれて居る。

しかし風光明媚な伝説の土地も都会から遠く離れて、もはや限界集落・・・ 

撮影2010.9.25


志々島の大楠・・・・・・<昔の写真を追加UPです。>

2011-03-01 | 香川県

香川県三豊市詫間町志々島の大楠は離れ小島の限界集落の奥に自生して居る大楠です。

仕事関係の用事が高松で有ったので以前から気になっていたここ志々島を訪れることにした。

連絡船の港から見た集落と、降り立った島の人。

志々島は三豊市詫間町宮下港から北西5.5km、日に3度出る連絡船で約20分、小さな離れ小島で民家の数は見た目約100軒以上に見えるが殆どは崩れかけた廃家ばかりで現在住民は約20人足らず、それも60歳~70歳以上の人が殆どで若者と言える人は皆無の限界集落、離れ小島です。

明治以降、良好な漁場にも恵まれ漁業が繁栄、島の頂上まで開墾され一面の花畑となり花卉栽培も盛んに行われ一時200戸1000人以上の人口を擁して小中学校も有ったというが、昭和30年代から人口が激減、廃校になってもうかなり久しいとか??

島に降りたって島内の狭い道を歩くと目に付くのは今にも崩れんばかしの廃家群、其の何処かしこに昔懐かしい島の写真が掲示されている。

取り合えず、集落の細い道を通り抜け大楠への道を辿ることにするが、日に3往復の連絡船は1時10分に着いて帰りは3時50分、時間はたっぷり、周囲4km足らずの小さな島。

集落の中ほどに有る小道をあちこちに有る案内板どうりに辿って細い上り坂を島の高み高みへと上りつめる、此処の高みから見渡す景色も素晴らしいが、やっぱり崩れ果て山野に飲み込まれていく廃家が目立つ。

この家並みに人が住む家は何軒あるのだろうか??

稜線を越え谷の方に降りていくと少し開けた斜面にこの大楠が諸手を広げて迎えてくれる。

大楠の周囲の周囲は程よく整備され下草も良く刈り込まれていて、根元には大楠神社なる小さな祠と真っ赤な鳥居がたっていた。

多分殆ど訪れる人も無いだろうこの大楠は、急に訪れた今年の遅い野分に梢をヒュウヒュウ鳴らしていた。

樹齢1000年以上、根元の幹周り約12m、樹高は約40m、、根元から左右に大枝が延びていてそれだけでも独立した大木に値するほどの大きさです。

まだまだ成長期に有るようで樹勢は申し分なく、大きな痛みや洞なども見えない、島の守り神として大切にされているようですが、この島の様子を見てみると、昔、学校の有ったところには大阪に有る会社の保養所が建ったり、2~3軒の民家が真新しかったりと希望の匂いもするが近い将来連絡船も通わない日が来るのは必至の様な気がする。

そうならないことを願うが、それも部外者の勝手な言い分に違いない。

昭和45年4月に香川県の天然記念物に指定されています。

この志々島での見聞は、田舎住まいの僕にさえ衝撃であったし、また別のページで書きたいことも有る。

とにかくこのページは大楠の紹介まで・・・。

撮影2010.9.25

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このページにコメントを戴いた鷹野富士丸さんHPの中に「志々島の大楠」と言うページがあって、そこに今では見ることの出来ない50年前の大楠全体像があります。

鷹野富士丸さんはここ志々島の出身者で島の行く末を案じておられます。

今回この貴重な写真を拝借してここに再UP することにしました。

生花栽培が盛んだった頃の風景です。

ただただ今となってはこの志々島の歴史に終止符が打たれることのない事を願うだけです。


善通寺の大楠

2011-01-23 | 香川県

多分弘法大師がガキ大将だった頃この樹に登って遊んでいたのではないだろうか。

ここは香川県善通寺市、弘法大師生誕の地として名高く正式名称を屏風浦五岳山誕生院善通寺という。

善通寺は広大な境内を持っていて弘法大師の父、佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ、法名善通)が開基したと言われる東院と空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。

大きい駐車場に車を置いて橋を渡るとそこが西院、境内を通りぬけ石畳の参道を行くと東院境内にと入る。

この境内には2本の目を見張る巨楠が有る。

直ぐに目に付くのが境内に入って直ぐ右側に巨大な天蓋の様な樹冠を持つ「五社明神の大クス」と呼ばれる大楠。

五社明神の小さな土盛の境内一杯に隆々と力漲る根を張り、いかにも楠の巨木に似つかわしいまさに絵に描いた様な樹姿でその威容を誇っている

この1本でまるで小さな森の様に天を覆う姿は雄大そのもの添加の善通寺に恥じない

何処と言って痛みもなくまだまだ若々しさの漲る力強さを感じさせてくれる。

幹周10.00m 、樹高約40mとなっていて樹齢は不明。

もう1本の巨楠、こちらが本命、弘法大師の子供だった頃にはもう既に大樹だったとか??

東院五重塔の西側境内にどっかり根を下ろすがぎお社明神の楠と比べると確かに老骨、溌剌さには欠ける。

それ故、根元の鬼気迫る迫力には歴史の重みが積み重ねられている感じが強くする。

襷掛けに掛けられた太いしめ縄、その下に置かれた石祠は庶民信仰が強いことへの信仰だろうか??

それともこの老楠に弘法大師を重ねているのだろうか??

樹齢1300年以上、目通り12.5m、樹高29mと成って居て共に香川県の指定天然記念物に成っている。

正しく由緒正しき巨樹には違いない。

撮影2008.11.2