巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

日置市(ひおきし)吹上町 大汝牟遅(おおなむち)神社の大楠

2014-03-08 | 鹿児島県

薩摩半島、日置市吹上町「大汝牟遅(おおなむち)神社」境内に建つ神木の大楠。

日置市吹上町は、県外者には馴染みの薄い薩摩半島の西側「東シナ海」に面し、ウミガメの産卵地として有名な吹上浜は日本三大砂丘の一つとして知られている。

そんな日置市の中心、市役所から北へ500~600mも行くと右手にそれと解る大看板が有り見落とす事はない。

本殿右側、境内脇に立つ大楠は正面に大きな洞を抱え、その上縁に一筋のしめ縄を懸け神木であることを知観して居る。

鹿児島では蒲生の大楠に圧倒され、他の大楠は影が薄くなってしまって居るが、この神木の大楠は目通り14m、樹齢1000年以上・・・

それでも余り目立たず、忘れ去られ勝ち・・・・、ここが他の地方ならもっと貴重に扱われる事だろうに・・・割を食っている・。

大きな洞はまるでムジナの住処の様に大きい口を開いて居るが、暗くて奥までは見えない。

これほどの洞を抱えているにも関わらず主幹はまだまだ瑞々しく力強い。

この神域には千本楠と呼ばれる20数株の大クス群があり共に日置市の天然記念物に指定されて居る様です。

撮影2011.12.21


指宿市宮ヶ浜 報国神社のアコウ

2014-03-02 | 鹿児島県

指宿報国神社に「全国一のアコウの木」と称される巨木が立ち尽くしている。

薩摩半島最南端の鹿児島湾岸、JR指宿枕崎線沿いに走る国道226号線宮が浜駅近く、建ち並ぶ民家の屋根越しに大きな樹冠が見える。

ここ指宿報国神社は西南戦争の折、生命を捧げた人達の御霊を祀り創建、後、日清、日露、太平洋戦争に命を捧げた御霊も合祀した。

故に報国神社は信楽寺の墓地に喰い込むように鎮座している。

日本一の幹囲を持つアコウの巨体は、神社正面墓石に囲まれるよう墓守の樹として、また報国神社の神木とし、異様な姿で立っている。

設置された説明板によると幹囲り14.6m。

樹高15m。

樹齢約300年・・・・余りに荒々しく異様な巨体にしばし呆然。

その巨体には様々な植物が寄生、共存・・・・・しかしこのアコウ自身も元々は寄生植物だった事だしね。

これは現地の説明板。

同墓地内にはもう一株アコウの巨木が、これも異様な姿で立っている。

上記の個体には遠く及ばないものの、その荒々しさや力強さはひけを取らない

目通り7.5m、樹高約15m、樹齢約300年未満と、幹周り以外は凡そ同じだが・・・・・。

撮影2011.12.21


指宿市開聞十町 枚聞(ひらきき)神社のクスノキ

2014-02-23 | 鹿児島県

鹿児島県薩摩半島最南端、指宿市開聞庁舎の直ぐ近く、開聞岳の山裾最北端に鎮座する薩摩国一宮「枚聞(ひらきき)神社」のクスノキ。

境内に入って直ぐ、朱い二の鳥居脇から巨樟が一本突き出しているのが見える。

何故か大枝の殆どが途中で切断され、樹冠と言える程に葉を繁らせて居ない。

主幹が枝分かれする辺りに良く見ると別種の枝が伸び出していて、春にはその枝に桜の花が咲き物珍しい景観を見せて呉れるらしい。

そういえば以前にも奈良県で同じように、楠に寄生して花を咲かせて居る桜を見たことがある。

太枝を切り落とされたとは言え、樹齢800年、目通り10.6m、樹高23mと、中々のもん・・・

この楠王国の薩摩ではあまり目立たないが??。

境内はやっぱり、どことなく南国風で、師走をついそこに控えた時期にも関わらず真っ赤やピンクのブーゲンビリアが花を付け・・・

 

帰り道、池田湖畔では、12月末だと言うのに菜の花の向こうに開聞岳がその秀麗な姿を見せて呉れた。

やっぱり薩摩は南国ですね。

撮影2011.12.21


南九州市川辺町 川辺の大樟

2014-02-18 | 鹿児島県

落雷により幹が3つに裂け、肝心の主幹中央部には虚ろな空間が広がり、物凄い形相で立ち尽くす「川辺の大樟」。

薩摩半島のほぼ中央部、あの特攻「知覧飛行場跡」より西へ約6km、万之瀬川左岸段丘上に鎮座する飯倉神社の境内、鳥居横に大きく葉を茂らせて居る。

樹幹は見事に真っ二つ、落雷に遭うまでは、「蒲生の大楠」「志布志の大樟」に次ぎ、南九州ではナンバースリーの大楠として君臨していたと言う。

現在では真っ二つに割れた主幹を多くの支え棒で支えられなんとかその樹形を保っている。

しかしながら植物の生命力には目見張るものが有り、樹皮は若々しく、根回りは力強く、生への執着がみなぎって居る。

伝承樹齢1200年、目通り16.0m、根回り22m、樹高25m。

昭和16年国の天然記念物に指定されましたが、現在格下げされ、鹿児島県指定天然記念物となって居ます。

撮影2011.12.21


南大隅町 鬼丸神社のアコウ

2014-02-10 | 鹿児島県

 

南国独特の生態を持ち、最初他の樹木に寄生して発芽着生し、成長すると気根で親樹を覆い尽くし、枯らしてしまうことから「絞め殺しの木」とも呼ばれるアコウの巨木です。

此処は前回紹介の錦江町の南隣町「南大隅町」、鹿児島湾に注ぐ「雄川(おがわ)」右岸、河口から約3kmばかり遡った鬼丸神社社頭に君臨しています。

鬼丸神社は長閑な里山の鬼山と呼ばれる低い山裾に鎮座、一帯の山林自身も鬼山の暖帯林として天然記念物に指定されて居ます。

境内入口、朱い鳥居の両脇には灯篭と、腰から下は無く腕も捥ぎ取られた仁王が立ち並び、こんな辺境の地にも「廃仏稀釈」の波が押し寄せた事を窺わせる。

しかし、すぐ近くの道路脇には大隅半島で一番古い「久保の田の神」が有り、信仰心の強い地であることが窺える。

さて本題のアコウの巨木は、鳥居脇の少し高くなった土段の上、その気根の集まりを思わすような独特な樹姿で聳えて居る。

着床した樹木はとっくの昔に締め付けられ命当てたのだろう・・・・・気根とも枝幹とも見分けが付かない主幹にはまた、蔦やシダ類が共生して植物界の凄まじい生存競争を見る思いがする。

 

樹齢300年、樹高25m、目通り約10.0mとカウントされるが、それほどデカクは無い。

撮影2011.12.20


錦江町 旗山神社の大楠と大イチョウ

2014-02-04 | 鹿児島県

 

大隅半島、錦江町池田小学校近く、旗山神社に君臨する大楠と大イチョウ。

籏山神社は錦江町役場のある鹿児島湾岸、大根占市街地より大隅半島中央部、東部山稜へ約10km、山塊の山肌に拓けた集落の鎮守。

鎌倉時代の始め、平家の落人が住み付き創建された謂れの古い神社ですが、領主「島津氏」が朝鮮、琉球に出兵する際、この山の竹を採って旗竿としたため、旗山と呼ぶようになったとの伝承を紹介している。

朱塗りの鳥居両脇には鹿児島地方独特の石造仁王が起ち、畿内の僕は異質な文化を味わえる。

道路を挟んで境内の向かい、一段高い土壇に威容を誇る老骨の樟が、壮絶な姿で聳え立ち・・・

その主幹には木肌も見えぬほど一杯の寄生植物をまとわりつかせて居る。

大樟は終戦直後、空洞内に住み着いた行商人が火災を起こし、洞の内部が焼焦げ、すっかりこのようにセミの抜け殻状態・・・・、空洞化は否めないものの命を繋ぎ留めてりるが、ちょっと足元が覚束無さそう。

なんの指定もなく無冠だが・・・・樹齢800年以上、幹廻り16m、樹高30m。

空洞内には小さな祠も祀られ神木として大切にされている。

一方境内中央、一段高い拝殿脇には黄葉を落としたばかりの大銀杏が裸木に成ったばかりで聳えていた。

もう一週間程前に訪れていたらちょうど絶好の黄葉に出会えただろうに・・・・・。

因みに目通り5mぐらいだろうか??。 

撮影2014.12.20


肝付(きもつき)町 塚崎の樟

2014-01-28 | 鹿児島県

 

鹿児島、大隅半島中央部、 肝付町塚崎古墳群に君臨するようにその威容を誇る巨古樟。

志布志湾に注ぐ肝属川(きもつきがわ)右岸に大きく広がった長閑な水田地帯の丘陵裾、南限の古墳群と言われる塚崎古墳群、一号墳頂部ににどっかり腰を据え、巨大な根を降ろしている。

古墳の頂部と云う特殊な立地条件にもあり、どこから見ても霊木らしい威厳に満ち溢れ、特に根元近くの大きい洞は何者をも見通す千里眼のよう・・・・・。

樟の巨木が列記される鹿児島に在っても、蒲生の大樟、志布志の大樟に次ぐ巨木で数多くの植物が着床共生、中でも南国らしいオオタニワタリが樹上で見事に育っている。

根元はかなり腐朽化、白骨化が進行、 平成19年度から平成22年度にかけて、枝や樹幹の着生植物を取り除き防腐剤を塗るなど、樹勢回復処置がされたようです。

推定樹齢1200~1300年、目通り14.0m、樹高32m、国の天然記念物に指定され、最近ではパワースポットとしても訪れる人が多いとか??

島津家の守護神として建立された大塚神社の敷地にあたり、その当時からこのクスノキは神木とされ、大切にされてきた。

最早、神を感じることの出来る一樹です。

撮影2011.12.20


志布志(しぶし)市、志布志町 志布志(山宮神社)の大樟 

2014-01-22 | 鹿児島県

大隅半島、志布志の山宮神社境内入口に建ち、威容を誇る樟の巨古木。

鹿児島県、鹿児島市のある薩摩半島と鹿児島湾を挟み対峙するかの様な大隅半島・・・・・、今も噴煙を上げるあの桜島とは反対側、宮崎県境に近い大隅半島の根元、志布志湾に面して志布志市広がっている。

志布志フェリーターミナルやJR日南線終着駅「志布志」のある志布志港付近より南西に約3km、安楽小学校すぐ南側、緑に囲まれながらも明るい「山宮神社」の境内がある。

境内中央を行く参道脇には畿内では見たこともない石像随神像が両脇に坐し、ちょっとした異文化の匂いを感じさせてくれる。

境内、石鳥居入口右手脇に脈打つような巨大な根元を見せ「志布志の大樟」と呼ばれる巨樟が緑いっぱいの樹冠を大きく広げている。

根元が異様に膨らみ、その樹齢の長さを目の当たりに感じられる樹姿をしている。

社伝によれば、この大クスは天智天皇お手植えと伝承され、かつて参道の反対側にも同様な大クスが立ち、威容を誇っていたようですが明治26年(1893)に枯死してしまったとの事です。

巨大な樟の根元周りには木道が設けられ、根元を保護していますが、境内側の根元には大きく口を開いた洞があり、積み重ねた樹齢の長さと重みをひしひしと感じさせてくれます。

主幹の補修痕や、大きな洞は気に掛かりますが樹勢はいたって盛ん、その枝ぶりにも揺ぎは見られない。

推定樹齢約1200年、目通り幹囲17.1m、樹高24mとされ、国の天然記念物に指定されている。

撮影2011.12.20


霧島市隼人町 荒瀬城跡のイチイガシ

2014-01-14 | 鹿児島県

諸手を挙げ、「通せんぼ」する様に荒瀬城跡に立ち尽くす、まるで城守のイチイガシの巨木です。

日豊本線「隼人駅」近くより、国道223号線で南下すること約5km、西光寺の交差点を越え、切通しの低い峠の右手側、斜面の奥が荒瀬城址・・・・。

国道からは巨木の梢さえ見渡せず、見落とし勝ちだが道路右手に案内板と標柱が設置されているのでそれと解る。

進入路を進むと国道からは陰に成り見えない谷間に成った左手斜面に、ささくれ立った木肌の荒々しいイチイガシの巨木が迎えてくれる。

目通り6.2m、樹高20m、地元では千年樫と呼ばれ、霧島市の天然記念物に指定されている。

荒々しい樹勢を見せ、まだまだ意気軒昂・・まるで野武士にも似た風貌で立ち尽くす。

撮影2011.12.19


霧島市隼人町  鹿児島神宮の大樟

2014-01-08 | 鹿児島県

霧島市隼人町、大隅正八幡(おおすみしょうはちまん)と呼ばれ、大隅国一の宮の鹿児島神宮に立つ大樟。

鹿児島、錦江湾(鹿児島湾)の最奥、その錦江湾を包み込むように突き出す薩摩半島と大隅半島の分岐付近に有る霧島市隼人町。

あの「大隅隼人」の名で知れた「日豊本線隼人駅」依り北へ約1km、南面する山裾に鎮座する。

境内には数本の巨樟が聳え立つが、参道中壇、右手に立つのが鹿児島神宮御神木の巨樟・・・・、伝承樹齢800年、目通り6.2m?、巨樟の多い、ここ鹿児島に在ってはそれほど特別な巨樟では無い。

しかしもう一本、参道入口、太鼓石橋の手前、右手の樟は御神木にも増してちょっと見もの・・・。

此方の個体は根元に巨大な瘤を蓄え、まるで岩塊の様にも見える・・・・ちょうど下校途中の小学生が通りかかったのでコンチワとバシャ。

この巨樟には何の掲示板も無いのだが・・・鹿児島神社の樟と称されるのは、どうもこの個体ではないのだろうか??

根元をアスファルトに固められ、白骨化しているものの新しい樹皮がそれを隠す程に元気です。

撮影2011.12.19


鹿児島県薩摩川内市  新田(にった)神社の大樟

2014-01-02 | 鹿児島県

九州第二の大河、川内川右岸の小高い神亀山(高さ70m)に鎮座する新田神社の大樟。 

薩摩川内市は、薩摩半島の根元、東シナ海に面した自然豊かな地方都市。 

新田神社は肥後オレンジ鉄道上川内駅の南約1km、神亀山(高さ70m)の山頂にあり、ニニギノミコトを祭神とし、かつて、薩摩国一の宮として呼ばれた風格を今でも残しています。

境内への長い石段参道の上部、境内に近い右手脇、朱の柵に囲まれ、主幹を途中で失った巨古樟が聳え立つ。

七五三縄を巻かれた根元は既に向こうが見える程のがらん洞・・・、地上2mの主幹には「大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)」の像が刻まれて居るらしいが確認できなかった。

苔むし、シダ類が寄生する巨古樟は樹齢2000年と伝わって居ますが約800年足らず、目通約10m・・、相当痛みが酷く行く末が案じられます。

かたや、参道左脇にもかなり大きく、こちらはまだまだ元気な大樟が聳えて居ます。

本殿脇から、「天孫ニニギの陵」 と言われる「可愛山(えのやま)陵」への参道途中にも、すっかり骨川筋衛門に成り果ててしまったような巨樟が立ち尽くしていた。

信仰の山だけに、手つかずの巨樟の森として残ったのだろう。

撮影2011.12.19


鹿児島県薩摩川内市 永利(ながとし)のオガタマノキ

2013-12-26 | 鹿児島県

余り耳慣れない「オガタマノキ」は招霊木とも書き示す通り、昔から神社にゆかりの深い樹木で、長崎県旧小長井町にある木と、この永利町石神神社境内のオガタマノキの二本のみが国の天然記念物に指定されて居る。

石神神社(いしがみじんじゃ)はJR鹿児島本線、九州新幹線「川内(せんだい)駅」より東に約2km、平佐川左岸、田園地帯に囲まれ、神社だと聞かされないと、それとは思えない程の老人広場の様な境内と、祠程の簡素な社の神社です。

オガタマノキは、一見、物置小屋かとと見紛う程の社殿脇に、主幹を途中で無くし、万歳をするように二本の大枝を伸ばして起ち尽くしている。

途中で無くした主幹下部には、木肌も見えぬほど蔦類が着床していたが・・・平成7~8年に樹勢回復事業がなされ、これでもいくらか良くなったとか??

推定樹齢800年、目通り幹囲6.7m、樹高22mと成っているが、少し心もとない巨樹でした。

撮影2011.12.19


姶良市蒲生町 蒲生の大楠

2011-12-25 | 鹿児島県

何としてもこの楠の巨木に遭いたくて出かけた今回の九州気ままな一人旅。

感動の新しいうちにこれだけはどうしてもUPして置かないと・・・

前日の夜泊まった薩摩川内のホテルを朝早くに発ち、あちこち4~5箇所撮影しながらこの姶良市蒲生町に着いたのはちょうど昼飯時。

その日は良い天気で師走の中頃とは言え南国の強い光で正面からはちょうど逆光・・・。

直ぐ近く、がらすきの駐車場に車を捨て置き蒲生小学校横に明るく開けた長い参道の奥、一段高い境内左手にこの大楠は鎮座している。

それは植物を越えた別の生き物のようです。

日本最大の巨樹だと言われるこの楠は目通り24.2m、根回り33.6m、根回りといわず幹や枝にまで着生植物を一杯に纏いまるで命そものが蠢いているようにも見え、誰もが神そのものを感じるに違い無いほどの圧倒的な存在感にみなぎっている。

樹齢1500年、遥か気の遠くなるような昔に芽吹いたこの楠は、蒲生八幡神社約900年前の創建時にはもう既に大木になっていたのだろう・・

周囲は一段上がった見学用の木道に囲まれ保護をしているがそれでもこの存在感は特別、圧倒するような巨大さで、最早僕の超ワイドレンズでも手に負えない。

根元には大きな洞が有るようで正面には人が立って入れるほどの木製扉・・、その奥は8畳敷きの空間が有るという。

特に目を見張るのはどっしり大地を捕まえるその力強い根元が脈々と波打つ・・・・。

着生植物を一杯身に纏った生有る巨岩とでも云うべきか

合間から覗く樹肌はまるでタイルでも貼ったように見える・・・・因みに根回り33mは畳70畳敷きにも匹敵するという。

国の特別天然記念物に指定され、まだまだ樹盛に衰えは見えない。

撮影2011.12.19