巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

塚崎の大くす

2010-05-27 | 佐賀県

 

これほど表から見る姿と裏側から見た姿の印象が違うのにただただ驚愕・・・・・、

これが同一の樹か?と思うのは僕だけじゃないだろう。

前回紹介の武雄神社から県道をはさんで対面する丘の上、武雄市文化会館を足元に武雄市の中心街を見下ろす高台に立つ大楠。

武雄市文化会館の裏手駐車場に車を置き目の前の小道を登る事5分ほどでこの大楠に出会える。

地の有力者で塚崎城を有した旧武雄鍋島家、屋敷跡の一角に主幹も大枝も失い表皮と小枝だけで生を繋いでいる塚崎の大楠がある。

それでも小道から仰ぎ見る大楠は主幹も姿をとどめ精一杯大空を目指すように其の枝を伸ばして精一杯生きている。

根元周り38mと言われる巨大な主幹は完全なるホンガラ、其の中に入って大空を仰ぐとわずかばかりの小枝に萌え出す緑が城壁のような大楠の内(幹)襞の向こうに見える。

主幹を失ったのはこの樹齢3000年とも言われる楠にとってはつい最近のこと、昭和38年の落雷に主幹をもぎ取られ、現在のような姿と成ったという。

武雄の三大楠と言われて居る一本、しかしこの楠だけが何の手入れも、手当てもされずに、あるがままの姿で柵に囲われるでもなく立ち尽くしている。

それでも尚、命あるものの暖かさを強く感じる巨楠です。

撮影2010.4.30


武雄神社の大楠

2010-05-24 | 佐賀県

まさに神木の文字通り神様の住んでる巨樹です。
佐賀県武雄市の市街地、武雄神社の境内地である裏山の山裾を少し拓いた大地状のような処に独立樹として立つ楠の巨木

武雄神社の本殿から、なだらかな谷を挟んで徒歩で約5分ほどのところ、楠への参道の山道を上り竹林を抜けると、いきなり意表をついたように全体像が目の前に現れる。

その姿は圧巻、どう見ても神そのもののような、例えようもない神々しさと存在感で、その場所に在るべき姿で在るように感じる、まさしく犯しがたい何者かが存在してるような気配がする。

山裾の急な斜面に成長しているため、下方の根の発達が凄まじく、肥大部分より立ち上がる主幹は根元から続く大きな洞と一体となっていて、最早張りぼて状態。

主幹や大枝はことごとく、はるか昔に失われたのであろうか??、これほど形骸化していてもまだ尚脇枝には若葉を蓄え大空を目指している。

樹齢は伝承3000年以上、幹周 20m、樹高 30mとも言われているが、伝承3000年の樹齢が、あながちオーバーな表現ではないと納得できるほどの犯しがたい雰囲気を持っている。

現在楠の周りは柵が取り囲み立入禁止となってしまったが、根元肥大部分の正面、洞に向かって古い石段がつけられ、12畳もあるというその内部には天神様を祀る石祠が置かれていて、もう相当古い時代からこの楠は今のような洞を有した状態であったのだろうと察せられる。

まさに相当以前から神の存在の気配のする巨木であったことに違いなさそうです。

撮影2010.4.30


川古の大楠

2010-05-23 | 佐賀県

 

佐賀県 武雄市には三大楠と称する樹齢約3000年にも及ぶ楠の巨木が現存していて巨木好きには一度ならずとも訪れたい土地です。

その三大楠の雄、川古の大楠は、R498号線の直ぐ近く、田園風景の広がる農村地域の一角にあり、周りが大楠公園として整備され、それなりの駐車場も用意されていて、いともたやすく行き着く事が出来る。

古くより日本三大クスの一本として、全国にその名を広く知られたクスの名木で、約1200年前、行基の手によって立ち木観音が彫られたと言い伝えられるが、明治の廃仏毀釈によって幹より剥離させられ、傍の保管堂の中に安置されているが、実物を見ても仏像が彫られているのか良く解らなかった。

ちょっと離れて遠くから眺めてみても、樹齢3000年の大楠はさすがに威風堂々として威厳に満ち満ちていてやっぱり神々しい。

九州には桁外れにに長寿の楠や桁外れに巨大な楠の木が多くて、本州、それもとりわけ関西圏の楠ばかり見て来た僕にとって、それは驚きの連続だった。

佐賀県には楠の大木が多く、「肥前風土記」によれば、「佐賀」の名前は、楠を「サカノキ(栄の木)」と呼ぶことに由来すると言い、勿論「県の木」にも指定されている。

川古の大楠は根回り33m、幹回り2m、高さ25mという驚くべき巨大さ、しかし根元には立ち木観音を切り離された傷口なのか?大きくえぐり取られていて痛々しい。

現在根元にはセメントで枠を設えた小さな社が祀られて居るが、どうも俄か作りのように見えて似つかわしくないが、裏(どちらが表か裏かは知らないけれど)から見る根張りの巨大さ、大地を捕まえる力強さは半端ではなく、また主幹にみなぎる樹瘤の隆々としたうねりは3000年生きてきた証であるかのような迫力で見るものに迫ってくる。

周りは余りにもきちっと整備が行き届いてまるで観光地宜しくお土産物屋さんまで有ってちょっと興醒しないわけではない。

撮影2010.4.30


大宰府天満宮の楠

2010-05-17 | 福岡県

 言わずと知れた大宰府天満宮は前回紹介の宇美八幡からなだらかな山を一山越えて南側、時間にして約く20分足らず,車を走らせば到着する。
 此処はさすがの大宰府天満宮、駐車場は全て有料、まあこれだけの有名社になると仕方無いのかも知れないが、神社で有料駐車場も珍しいので少少 戸惑うが、有名寺院のように拝観料は取らない。

勿論誰もが承知のようにこの地は菅原道真の墓所、その上に建てられたのが大宰府天満宮で、その神霊を御奉祀する為のものと言う事になって居る。

神社側のパンフに依ると・・・・・・。

延喜3年(903)2月25日、菅公は謫居(たっきょ)の地、南館(榎寺)において清らかな御生涯を終えられました。その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。これは、菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を葬りました。


京より追従した、門弟味酒安行(うまさけのやすゆき)は延喜5年ここに祠廟(しびょう)を創建、次いで左大臣藤原仲平は勅を奉じて大宰府に下って造営を進め、延喜19年に御社殿を建立しました。

醍醐天皇は大いに菅公の生前の忠誠を追懐されて、延長元年(923)に本官を復されました。そして、一条天皇正暦4年(993)には正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ、天満大自在天神(天神さま)と崇められました。その後、度重なる勅使の下向があり、22社に準ぜられました。

明治4年、国幣小社に、同15年には官幣小社、同28年には官幣中社に社格を進められ、天神さまの聖廟(せいびょう)の地と称えられて年間700万余の参拝があり、日本全国より尊崇を集めています

 

大宰府天満宮は100本以上のクスが生い茂り、中でも本殿に向かって左手、誠心館と呼ばれる建物脇にこの地で一番の大楠が有る。

大楠は太く張りのある主幹から分岐した数本の支幹を立ち上げ、樹勢も旺盛、根元はどっしりとして大地を捕まえる根張りも見事で安定感がある。



樹齢 1000~1500年、樹高 :39m、幹回り 12m、根回り 20mと成っていて、国指定天然記念物。



菅原道真没後1100年、もし樹齢が事実だったらこの楠に当時の様子を聞きたいものです。



太鼓橋を渡って、楼門の続く参道の石鳥居横にも大楠が有って、これもかなりなものです。





また太鼓橋手前の延寿王院の土塀横には2本立した大楠、シダをその太い幹に一杯蓄えているのが印象的です。



 「東風吹かば匂いおこせよ・・・」で名高い飛梅は本殿正面の向かって右側、にひっそりたっていた。

撮影2010.4.30


宇美八幡宮 湯蓋の森

2010-05-11 | 福岡県

 前回に引き続き宇美八幡宮、湯蓋の森と呼ばれる楠の巨木です。

参道から門をくぐって直ぐ目に飛び込んで来る大楠で、拝殿の右脇に大きく地上に蓋をするようにその巨大な樹冠を広げています。 応神天皇がここで産湯につかった際、蓋をするように枝が覆っていたとされていて、その名が残っているとか??

「湯蓋の森」は、樹齢2000年、樹高20m、目通り幹周15.7mと記されているが、もう一本の巨楠「衣掛の森」と比べると明らかに樹齢も若く、1000年には足りないんじゃ無いかな??

しかし、やっぱりその巨漢ぶりは見事で天を覆うばかりに葉をひろげているが主幹から分れた大枝の一本が折損している。

主幹にはこれと言った傷も洞も見当たらず、今の処樹勢ははこの上なく、根張りや株元の力強さには目を見張る物が有る。

 衣掛の森と同じく国指定天然記念物。

同じく境内、受付横に有る無名の巨楠、これなど他の場所に有ったら堂々の県指定天然記念物ぐらいには成っているだろうに??

ここではこんな楠が何本も有って目立った存在では無いのか何の表示も無い。

境内には何本もの巨楠

撮影2010.4.30


宇美八幡宮、衣掛の森

2010-05-09 | 福岡県


車にナビを付けてから、いつもそうなのだが、何処をどう走っていたのかは、よく判らない、特に近畿以外の土地では全く土地勘がないので尚更、東を向いてるのか西を向いているのかも、時として定かではない。



遠出の時はいつもそうであるように前日の夜遅くに家を出かけて、夜明け、日が昇る頃に第一目的地に着くようにしている。


今回、この宇美八幡宮は、初日3番目の訪問先、2番目の訪問先飯塚、遠賀川堤からの山越えでこの宇美の地に着いた。


朝9時過ぎで有っただろうか?参拝客も全く居なく、神社の人達が広い境内を清掃中だった。



此処は凡そ巨楠の境内で、近畿では巨の付くと思われる楠ばかりが、広い境内のあちこちに何本も 見える、といってもそれほど森閑とした境内ではなく広く開けた明るい境内です。



鳥井脇の神社入り口には「日本第一樟の森」との看板が有って、なるほどそんな言い方も有るんだと妙に納得したりする。 



宇美八幡は神功皇后が応神天皇を産んだ土地、そこから「産み」となり、いつしか「宇美」の字を当てるようになり、地名として残ったとされている。



それにより宇美八幡は、安産のご利益があるという信仰が現在にまで伝わり、此処では八幡宮本来の武運長久よりも、安産信仰の神社として名高いようである。



境内の中で尤も巨大な楠がこの拝殿左奥に鎮座する「衣掛の森」と呼ばれる楠の木で、応神天皇の産着をかけたと伝えられ、一本の楠であるが、あまりの巨木ゆえ森のように見える所からそう呼ばれている。



樹齢、凡そ2000年、根元で幹は写真のように二本に別れ主幹の方はひどく大きな洞を抱え、表皮のみで生きている様にも見える痛々しさだが、根元から立ち上がった副幹が主幹にとって代わって若葉を大量に茂らせ樹勢は悪くない。



主幹の木肌にはごつごつした樹瘤が累々と脈打って、まだまだ力強さと尊厳は感じるものの、根元は白く枯れ死化が進行しているようにも見える。


大正十一年三月、国指定天然記念物、目通り幹周り18.2m、根回り24.7m、樹高18.3m、樹齢約2000年 


撮影2010.4.30



正法庵の大スダジイ

2010-05-04 | 兵庫県


冬の味覚として関西人にはお馴染み、山陰の蟹の産地として名高い兵庫県浜坂漁港脇を通る国道178号線を東進、久斗橋の信号を右折、久斗川を遡ること数分,正法庵集落の一番奥の外れに大きな木立が見えてくる。



民家に庭に小さな森のように葉を広げるスダジイは、平家の末裔といわる地元の庄屋などをつとめた由緒ある伊賀家の守り神であり、大切にされている。


訪問したときにはちょうど家の人が農作業から帰ったばかりで気安く対応してもらえた。



古い庭らしく良く侘びた雰囲気は残すものの良く整備、清掃も行き届いて、さぞかし維持管理は大変だろうと思われた。




スダジイの古木は何処でもそうで有るように累々とした樹瘤が脈打ち、大地の命を感じないでは居られない。


しかし、幹には太いフレキシブルパイプが取りつけられていて痛々しいが樹勢は悪くない。




推定樹齢800~1,000年、目通り5.9m、樹高17m、枝張り東西南北17mと樹冠も整っている。


 正法庵の大スダジイは、県の天然記念物に指定されています。


撮影2008.7.12


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