巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

岸本神社のムクノキ

2010-10-09 | 鳥取県

 島根、鳥取巨樹追い旅の最後に寄ったのがこの岸本神社のムクノキ。

米子バイパス南インターより国道181号線で10分も南東進、日野川を渡ると伯備町役場やJR伯備線の岸本駅が集まる中心街に着くが此処から先がどうにも解りづらかった。

日野川右岸、国道181号線と伯備線に囲まれた田園地帯の旧集落内にある小さな神社に有る大きなムクノキ。

因みにこの神社やムクノキはほんの近くの伯備町役場付近で聞いても全くわから無かったが、何とかムクの巨木と狙いを定めて自力で見つけた。

近所まで行っているのに何の案内も無いのは珍しい。

この辺りは日野川の河岸段丘なのだろう、砂地の畑と旧集落野民家に囲まれた乾いた小さな境内で鎮守の森といえるようなものは無く実にがらんとした境内に感じる。

樹高16m、幹周り8.8m、樹齢は不明、鳥居側から見る幹肌は年代を重ねた証を誇るかの様に隆々と波打ち力強いが裏に廻ってみればかなり痛ましく、本幹内部の奥、かなり上部にまで洞が広がっていて白骨化が進んでいるように見える。

しかし、枝を大きく伸ばし、葉を一杯に茂らせまだまだ樹勢は悪くないように見える。  

全国のムクノキ中、第7位の幹囲を有するとされるが、見た目それほどにも見えないのは余りにも樹姿が整いすぎてるからなのかも??

鳥取の名木100選 に選定されている。

撮影2008.9.22


伯耆の大シイ

2010-09-08 | 鳥取県

地図で見る限りは、前回紹介の大日寺大銀杏とは山一つはさんで隣同士、近場の奈良や滋賀辺りなら少々の隘路もヘッチャラなのだが遠方に来てまで無理はしたくないとバカナビの指示どうり県道まで戻ってうんと大回りで琴浦町浦安にと入る。



県道238号線に乗り換え加勢蛇川沿いの長閑な田園風景の中を遡ること約1.5km 、道路の左手にそれとわかる看板も出ていて駐車スペースにも困らない。


朝から降り続いていた雨も降りやまずとも小降りになっていた。




小高い春日神社の石段を登ると小雨の中に鬱蒼とした大きな樹冠の「伯耆の大シイ」が片方の斜面に身を乗り出すようにたたずんでいる。



さすがに国天、推定樹齢千年、周囲11.4m樹高15m,枝張り東西30m、南北22m、島根県の志多備神社のスダジイとともに日本一と云う事になっているのが頷けるが、近年京都府の舞鶴湾に浮かぶ無人島でこれら以上のスダジイの巨木ガ報告されている。


そちらも見てみたいものだが、未公開の無人島ということなのでどうしようも無い。


話は戻ってこの伯耆の大シイは太短い主幹は地上直ぐ近くで数本に分かれうねりながらせり出すように伸び、樹肌はあの椎の木特有の凄みの有る奇怪な感じがする。



其の樹齢にも係わらず余りにも樹勢が盛んで根元近くからの大量のヒコバエで主幹の周りを取り囲み、いささか見栄えが悪くなっている。


雨の上この始末では納得出来ず、是非とも再度の訪問をしたく思っている。



この辺りはあの伯耆富士と呼ばれる大山の北東部山麓に有って、この樹は新日本名木百選にも選ばれている。



撮影2008.9.21



倉吉市、大日寺の大イチョウ

2010-09-04 | 鳥取県

 鳥取市内を抜け日本海を望んで走るR 9号線、一路西へ西へと走るとR313号線に出会うのでそれを左折、倉吉市内へと入り県道34号線で国府川沿に約10km程遡る。


大日寺は県道34号線を小さな集落に入った中程、小さな田舎寺と言った風情だが かつての大日寺は300余の坊舎を有したと伝える名刹で、当時の本坊は現在地より6町余り(700m弱)西方にあったらしい。



その様なわけで現在の大日寺にこの大公孫樹が有るわけではなくここより500m程県道を遡った左手、山裾の一段高くなった坊跡だと言われて居る古墓群に囲まれて立って居た。



まだ秋も浅い9月の下旬、長閑な谷筋風景を前にして深い緑の中、神秘的な雰囲気の中で佇んでいる。


主幹が5~6本に分かれた様に見える株立ちの公孫樹で一本一本はさほど大きくないが合せてみると目通り11.2mと巨大奈公孫樹で樹高は30mとスクッと伸びていて樹勢も旺盛
推定樹齢の1000年はどうも俄には納得しがたい感は否めない。



周りの古墓群に囲まれ、又濃い緑したたるなかでの訪問だったので光も充分に回らず良い画像にはならなかったが黄葉する頃に訪ねてみたい公孫樹です。



2008.9.21





倉田八幡宮のイチョウ

2010-09-02 | 鳥取県

大雨の中の到着となったが遠出しての訪問、撮影をやめるわけにもいかず、レンズに水滴が付かないよう気をつけて何とか撮影続行、余り満足いく画像には成らなかった。


R53号線で岡山津山方面から千代川沿いに北上、倉田小学校を越えて直ぐに右折、県道292号線を約2kmも進むと広がる田園の中に鬱蒼とした鎮守の森が見える。




292号線から続く参道の奥には鳥居と四脚門其の奥に注連柱、続いて拝殿、本殿へと一列に並んでいる。


此処ではもう出雲型のしりを持ち上げた狛犬が両側にすえられていて、此処はもう出雲文化圏なのだと知らされたような気がする。




拝殿左手に有る大公孫樹が伝承樹齢・1000年、目通り9.7m、樹高37mと重量豊かな公孫樹の巨木で根張りは良く発達して地表を覆い樹盛は盛んだが、根元から主幹と共に支幹も数本に分かれて直立している。


余りの雨足に耐えられず早々に退散してきたが、社叢全体が低湿地を代表する自然林として国の天然記念物に指定されている。



撮影2008.9.21



西御門(にしみかど)仁王堂の大公孫樹

2009-02-02 | 鳥取県


岡山から鳥取に抜ける道すがら,どこか寄るべきところは無いかと探し当てたのがこの西御門仁王堂の大公孫樹。


R53号からは少し反れることにはなるがちょっと寄り道、県道を通ってR29号八頭町の西御門へと出る。



西御門バス停横の細い道を山手側に少し進むとこの大きな公孫樹の梢が見える。


道の突き当たりの少し小高いところにこの仁王堂が在って、参道の石段脇の斜面に身を乗り出して大きな根がしっかり大地をつかんでいる。


9月の下旬、まだまだ青々とした葉を茂らせていたが激しい雨に打たれて銀杏が境内一杯に落ちていた。



幹の途中にはまだ咲き始めたばかりの彼岸花が咲いてたりしてちょっと不思議な光景でした。


後で聞いた話に依ると、彼岸花は球根で増える植物、オマケに毒が有るので鳥が運ぶことは無いらしく、摩可不思議なことだということでした。


元弘3年(1333)後醍醐天皇がここを通った折、随従の女人が天然痘で急逝され、この地に葬り小詞を建てて祀り、墓標としてこの公孫樹を植えて大切にして来たという。


以来この公孫樹の葉は天然痘除けの守り札とされているようです。



樹齢650年、幹周り約8m、鳥取県の天然記念物に指定されています。


まだまだ樹盛もよく、若々しく元気そうに見えました。


撮影2008.9.21


MAP


落河内のカツラ

2009-01-12 | 鳥取県


最近カツラノ巨木を紹介することが多い。


何故だろう??、カツラの巨木の殆どは主幹の根元より伸びたひこばえがが主幹を取り囲み一種独特な樹姿をしていて、その姿と「ひこばえ」が大きくなって主幹が朽ち果てた後も世代交代をして永遠の命を得たように生きぬく姿に感動を覚えるからかも知れない??。



このカツラも他のカツラの巨木と同様、自然豊かな深い山村のはずれにあって、地域からは、「山の神」とあがめられ大切にされているようです。


岡山県から鳥取に抜けるR53号線河原端交差点を左折、千代川を渡って直ぐに千代側沿いを暫く走り、山の方へと向かう千代川の支流の谷間の道を奥へ奥へと車を走らせる。


あまりよく覚えていないのですが途中北村の公民館を過ぎて暫くいくと左手に行く道路へと入って行く。


こんな処までも鳥取市内なのかと、最近の行政合併をいぶかしく思う。



いよいよ道路は深い山の中に入ったような感じになり途中集落を超えた左側山手にこの巨大なカツラの巨木が聳えているのが見える。


僕がここを訪れた9月21日昼前には集中豪雨のような強い雨足の最中で道路脇をすさまじい勢いで谷川からあふれた水が流れていた。



それでも意を決してカメラ片手に大雨に打たれながら何とか撮影しましたがレンズに雨粒は容赦なく降り注ぎ、光も弱く残念な画像になっています。



車に積んでいた長靴に履き替え、カツラの傍まで寄って見ましたが足元も悪く充分な時間も取れずに残念です。


それでも雨の中で見るこのカツラの巨木は、緑の葉をいっぱいに付けまるでこの豪雨を満喫するように聳えていました。



このカツラはいつも僕が見慣れているカツラとはちょっと趣を異にしており、株立ちの「ひこばえ」は少なく主幹から分かれた大きな枝がこの樹の樹姿を作りあげている。
樹齢約500年、目通り12.9m、樹高40m、鳥取県の天然記念物に指定されている。


撮影2008.9.21


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