巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

岡崎市夏山町 寺野薬師堂の大クス

2012-01-31 | 愛知県

巨大な根張りを顕わに見せる楠の巨木、崖面に主幹の何倍にも達するような根を下ろし、踏ん張るように力強く巨幹を支えている姿は圧巻です。

東名高速岡崎インター東方約10km、国道1号線より国道473号線へ、道なりに20分も走れば山間僻地感の強い夏山町寺野地区に入る。

国道はこの大楠のある寺野薬師堂前で大きくヘアピンカーブ、この国道を通る車は真正面にこの大楠と薬師堂の姿を目にする事になる。

国道から少し高台に有る薬師堂、その御堂に覆いかぶさるよう大枝を広げ、背後の崖一杯、異様に発達した根張りを持つ楠木。

この捩れ蠢く巨大な株元は最早根張りと呼ぶだけで良いのか?それとも主幹の下部とでも見たほうが良いのだろうか??

そんな巨楠も少し方向を変えれば、石垣越に平凡な楠の大木。

伝承樹齢1000年、樹高 36m、目通り約12m、となっていますが何処をどう計った数字なのか解りません。

しかしまあ崖下から仰ぎ見るこの巨楠の重量感と圧迫感は強烈です。

撮影2009.8.29


豊田市畝部東町 八柱(やはしら)神社の大楠

2012-01-29 | 愛知県

この地方の楠の巨木はどうしてこうも決まって下膨れの芋虫なのだろうか?? 岩盤や地下水脈が影響してるとはいうもののやっぱり異常な姿です。

愛知県豊田市東名豊田ジャンクション近くの矢作川西岸、県道239号線の天神橋手前を左折し、川端集落のドン突きにこの八柱神社が鎮座する。

やっぱりこの異様な姿の大楠もしっかり注連縄を掛けられ、神木とし大切に守られている。

この杜も矢作川の岸辺にあり、肥沃な土地なのか何本もの大楠が繁っているのが見られる。

土饅頭に角を突き出したような異様な樹姿は目通り11.6mと中々巨大ですが何処をどう計ったものか解りません。

この樹はどうしてこのよう姿に成ったのだろう??主幹が落雷や嵐で欠損、残った根元から噴出したヒコバエがその命を繋いで来たのだろうか??

この異様な姿で存在感の強い大楠は愛知県の天然記念物に指定されています。

推定樹齢1000年、(これは不明と云うに等しく、巨木の標準のように使われる)樹高21mと成っている。

この楠の巨木も桂の巨木がそうで有るようにヒコバエが世代交代を繰り返し、永遠の命を与えられた神の様にこの境内に鎮座しつづけるだろう・・

傍らに在った楠も若いながら、もうこんなにも下ぶくれ・・・・。

この地の地下には一体何があるのやら??

撮影2009.8.29


名古屋市 村上社の楠

2012-01-27 | 愛知県

まるでぶち投げられて潰れたぼた餅に大きな串を三本突き刺したような・・・とでも形容するしかない様な異様な姿の楠木です。

何処までを根張りとするのかどれを幹だとするのか??元からこんな姿じゃなかっただろうに・・・。

前回紹介の熱田神宮から南東へ約5km、市街地住宅の家並みが続く中、この楠だけのために有るような村上社の境内が有る。

村上社に社殿と呼べるほどの建物は無く簡素な小さい祠が一つ有るだけで、祭神はこの楠自信となっているようです。

往古こ地は付近を流れる天白川の渡船場で舟人目標の大楠であり、大空高くその樹冠を広げていたようです。

以上に下膨れした異様な姿の巨木も好きなのですが・・・・、此処まで異常だとちょっと身動ぎしてしまいそう。

何処をどう計ったのか??説明板には根回り13.2m幹周10.8m、樹高約20m、樹齢/約1000年と好い加減・・・。

しかし方向を変え角度を変えるとこのようにまだまだ元気一杯のようにも見える。

もう何世代も主幹が代替わりしてきたのだろう・・・・・この地で神そのものとして君臨している。

撮影2009.8.29


名古屋市 熱田(あつた)神宮の大楠

2012-01-25 | 愛知県

名古屋城より南へ約7km、市街地に往古の杜を持つ熱田神宮が有る。

熱田神宮は三種の神器の一つ「草薙の剣」を祀り、景行天皇の43年(113)創建とされる国内でも名だたる古社です。

 熱田神宮の樹林には楠の巨木が多く「熱田神宮の七本楠」として有名だそうですが、そのうち参拝者が見れるのは三本だけ、残りの四本については一般参詣者が見ることの出来ない場所に有るようです。

そんな中、誰の目にも留まる大楠がこれ、手水舎傍らに大きく木柵に囲われ、熱田神宮の神木だとされています。

弘法大師お手植えだとされる楠で樹齢1000年以上、目通り7.7m樹高20mとなっています。

愛知方面では、なぜだか株元が大きく膨らんだ巨楠が多いのですが、この楠も例に洩れずこんな状態・・・・、下部がぽっこり膨らんでいます。

ぷっくりお腹の胸には神木である証の注連縄、根元の洞の前には小さな柵が設けられ中に鶏の卵が2~3個・・・・。

この大楠には神の化身の蛇が住み着いていて卵は食事に置かれているようです。

奈良三輪大社では巳の杉が在って同じように卵が置かれているのを見た。

たまたま上部で切り込まれた枝の洞から首を出し、こちらを窺っている蛇に遭遇。

根元の洞からこの枝まできっと洞が貫通しているのだろう・・・・、また蛇はこの1匹だけなんだろうか??

この蛇を見ると何か良い事が起こるそうですが・・・、蛇には出遭えたけど、不信心の僕はどうなんだかでした。

撮影2009.8.29


名古屋城のカヤの木

2012-01-23 | 愛知県

都会の信号だらけの道路を走ることが好きでない僕が意を決して行った名古屋城。

市内中心部にあって有る意味僕にとっては遠い存在・・・、それでも救いだったのは目の前に大きな大きな駐車場があって直ぐに駐車出来た事。

<1959年再建された天守>

1945年第2次世界大戦終末期の五月、名古屋大空襲で名古屋城共々焼き尽くされたそうですが、残った幹から奇跡的に若芽を噴出し何とか今の状態まで回復したようです。

正門(大手門?)を入って直ぐ左手、余り目立たない植え込みと一緒にあってそれ程の存在感は無く、殆どの人は目もくれません。

奇跡のカヤの木と呼ばれるこの樹は、名古屋城築城以前からこの地にあり、樹齢650年、国の天然記念物に指定され、戦争の生き証人としても大切にされている。

ちんちくりんながら四方八方にその若枝を伸ばし、樹勢は決して悪くはない。

つっかえ棒が余りにも多すぎるような気もするが、瀕死の重傷から蘇ったカヤの木・・・

幹周8.1m樹高15m、戦災に遭うまでは日本有数のカヤの木だったようです。

株元はまだまだ痛々しく見えるのですが、青葉は元気溌剌そのもの様に見えます。

二度と災禍に遭うことなど無く天寿を全うさせて欲しいと願うばかりです。

撮影2009.8.29


下伊那郡阿智村清内路(せいないじ) 小黒川(こぐろかわ)のミズナラ

2012-01-21 | 長野県

見事な団栗の巨木です、一体秋にはどれほどの団栗をつけて山の生き物達を狂喜させるのだろうか??

その樹姿や周りの景観も素晴らしく僕の脳裏からいつまでも消えない巨木になりました。

中央道、恵那山トンネルを長野方面に越え、直ぐの園原ICで一般道へ、昼神温泉方面へと取り国道256号線へ、256号線でそのまま道なりに約5kmほど北上、清内路(せいないじ)村役場を過ぎ中学校の有る角で右折、小黒川(こくろかわ)と呼ばれる谷川沿いの林道に入る。

国道から離れて谷川沿いに約10分、谷間の少し拓けた空間にその雄姿を中天一杯に広げ、まるで深呼吸でもしてるような・・。

山の緑が目一杯にその濃さを増す七月、山深い伊那谷奥地のこの土地はなんとも清々しい緑と空気に包まれていた。

よくもこんな奥地にまで集落が??と思うほどの山間僻地、おおきな株元には2つの小さな祠・・・しっかり信仰の痕が見える注連縄が掛かっていました。

一つは山の神、もう一つは何だろう??庚申さんかな?

ミズナラとしては全国一の大きさを持ちその樹姿の美しさでも群を抜いている。

緩やかに力強く捻れた主幹は目通り7.25m、何本もの大枝には目一杯の緑を蓄え、その樹高は30m、因みに樹齢は300年とまだまだ巨樹としては若い。

秋の黄葉、団栗が地面を埋め尽くす頃にも訪れたいと思った。

しかし此処は標高1000m以上、雪の訪れも早いのだろうなあ・・・、今頃はどんな姿だろう??

撮影2009.7.18


伊那市伊那 内の萱(うちのかや)の桂

2012-01-19 | 長野県

中央高速小黒川(おぐろかわ)パーキングの南側を流れる天竜川支流、小黒川に沿って中央アルプス木曽駒ケ岳麓をめがけ一直線に県道202が伸びている。

天竜川沿い、伊那谷を下る国道153の伊那市街より中央高速を潜り小黒川に沿って遡ること約15分程か?やがて集落も途絶え林道に入る。

もう此処は中央アルプスの裾野、右手に何やら曰く因縁のありそうな社と看板を発見・・・・。

この地が信州蕎麦の発祥地、駒ケ岳修行していた「役小角(えんのおずぬ)」が伝えたとされ、付近には今でも「行者蕎麦」の看板の立つ店がある。

そのまま道成りに進めばシーズンオフなのか人影も無いキャンプ場、更に進めば駒ケ岳登山道口、脇に建っているのは信州大学演習林の宿舎らしい。

内の萱の桂はこの山小屋の手前、演習林入り口辺りの空間を独占するように聳え、根元には素木の鳥居と小さなな祠が祀られています。

国有、信州大学の演習林とは言え、地域住民の信仰対象として大切に守られ、それが今も続いているのでしょう。

目通り約9.2m、樹高30m、桂の古巨樹としては見慣れない単木立ちです。

通常桂の古木は主幹を取り囲むようにヒコバエが発達して一種独得な樹姿を見せるものですが、この巨桂の樹姿はごらんの通り。

苔生し太い主幹が2~3本に分かれて天空に聳えています。

やっぱり桂の巨木としてはちょっと異様な姿のように思われました・・・・、これは神木故、手入れが行き届いていると言うことの表れなのだろうか??

撮影2009.7.19


伊那市西箕輪 前平のサワラ

2012-01-17 | 長野県

前回の中曽根の桜より約2km西方、中央アルプス山裾、吹上地区の最奥に集落を見下ろす様に鎮座する産土神。

この地はもう海抜930m、中曽根の桜が海抜820mだから2kmで約100m以上も高みに有る事になる。

檜(ヒノキ)の亜種であるサワラは檜より成長は早いが木質が柔らかいため建築資材としては余り長方されないとか・・・。

夏草が伸び放題で余り人も近づかないような境内、石段を上がった社殿脇に聳えるサワラの巨木はその先端を落雷に打たれ頂部を欠損、有るべきものが無い空虚さが痛々しく感じられます。

サワラ王国の長野県に在って県下一と言われるこの吹上神社の御神木は推定樹齢約1000年、目通り8.0m、長野県天然物指定と記されています。

まっすぐ中天を目指して立ち上がるサワラの樹肌には威厳に満ちた風格を感じますが、なんとも頂点を無くした樹脂は中途半端な印象です。

主幹に大きな藤蔓が絡み付きまるで昇り竜のような・・・・傍の社倉が小さくみえます。

名称が前平のサワラと成っているが、そんな地名は地図上で確認できない。

今に始まった事ではないが、近頃の市町村合併でもまたまた歴史的地名が失われ、なんとも歯がゆい想いをすることが多過ぎる

撮影2009.7.19


上伊那郡箕輪町中曽根 中曽根のエドヒガン

2012-01-15 | 長野県

前回紹介した木ノ下の大ケヤキから中央アルプスの山並みをめがけて 西方へ約5km、中央アルプスの裾野に広がる農地の中を一直線に進んで行くと中央高速道の下を潜り抜け中曽根集落の家並みに出遭う。

集落の中ほどに公民館があり、その脇道を右折すると、左手空き地に巨大な桜の巨木が孤立している。

勿論桜は花の時期に撮影するのが一番でしょうが遠く離れてそうも行かなく、花の時期を逸した時期、他の巨木達とついでの訪問になってしまいました。

遠目にも雄大でまるで絵に描くようなその樹姿は、周りの風景とも相俟って素晴らしい景観です。

根元から大きく二股に分れ、主幹は樹瘤を一杯付け、少しねじれながら起上がっています。

傍らには簡素な鳥居と社の権現様が祀られ、地元では「権現桜」と呼ばれ親しまれているようです。

樹齢1000年、樹高15m、幹周り8.2mと記され、長野県の天然記念物指定。

根元付近には大きな治療痕があり相当な洞があったと推察できますが御覧のように樹盛は良好。

洪水で流れて来た別種の二本が合木したようで、花色は二股の幹でそれぞれ少し違っているようです。

そんな花の時期にもう一度機会を作って訪れて見たい桜の巨木です。

撮影2009.7.19


上伊那郡箕輪町 木ノ下のケヤキ

2012-01-13 | 長野県

前回紹介の「白山、八幡社合殿」のケヤキより国道153号線で北上すること約8km弱、JR木ノ下駅より500mほど北方に有るの園庭に「木下のケヤキ」と呼ばれる大ケヤキがどっしり腰を下ろしている。

現在市街地の一角に位置する木ノ下北保育園、この地は元「芝宮」という神社があってこのケヤキの巨木はその境内に聳える神木だったようです。

遠目にも見事な樹姿、樹冠は付近の住宅街を見下ろす様に聳えていて圧巻です。

所々、治療痕は見られるものの大きな洞や激しい傷痕も無く、巨大な主幹はまるで生き物のが蠢いてでも居るように生気に溢れている。

長野県はケヤキの巨木の多い地方、その中でも三位の太さを誇るその目通りは10.4m。

大地をしっかり捕まえるその根元の力強さ素晴らしい。

樹齢は不明ながら、約1000年と云われてもそのまま納得してしまう程・・・

巨大な主幹越しに見ると、傍に軒を並べる民家がまるで箱庭細工の様に小さく見えてしまう。

ずば抜けて美しい樹姿を持つこの大ケヤキは、園庭で遊ぶ子供達をこれからもずっとやさしい母親の微笑で見守り続ける事だろう。

撮影2009.7.19


伊那市山寺区 「白山、八幡社合殿」のケヤキ

2012-01-11 | 長野県

異様に大きな瘤を持ち、主幹は既に白骨化したような様相で立ち尽くす神木のケヤキです。

JR飯田線伊那北駅から直ぐ北方に有る伊那北高校北東脇、新旧入り混じる住宅街外れの一角に、小さな鎮守の杜を持つ白山社と八幡社の合殿がある。

合殿の正面、一壇下がった狭い境内にでんと鎮座するケヤキの巨木。

主幹は既に遠い昔にでも失ったのか?殆ど形骸化、そんな脇より伸び出した大枝一本だけで命をつないでいる。

異様といえば異様、見事だと言えば見事な株元、そんな痛々しい老骨さの一部の木肌には、まだまだ精気が残っていて僅な大枝の命を繋いでいる。

明治初期の記録によれば幹囲6.7m、樹高約45m、雲にまで届きそうな大樹であったと記されているが、昭和に入り度重なる天災や火災見舞われ、現在のような痛々しい姿に成ったと言う・・・。

推定樹齢800年、目通9.8m、伊那市の天然記念物に指定されている。

これでも樹盛は治療のかい有って随分持ち直しているとか??。

撮影2009.7.19


飯田市南信濃和田 龍淵寺のスギ

2012-01-09 | 長野県

南アルプスの深い谷間を下る遠山川沿いに併走するような国道152号線、「天空の里」麓より流れに沿って下ること約10分ばかり、遠山郷の中心として知られる南信濃和田の町に着く。

<龍淵寺からの和田の町>

遠山郷は長野県の最南端、深い谷や山襞に在り、日本三大秘境のひとつと言われて居るようですが、往時この地は遠山氏という地方豪族が和田城を構え、城下町として又、宿場としても栄えたという。

元々遠山氏の菩提寺だった龍淵寺は遠山氏没落で和田城が廃城と成った後、近くの旧地よりこの地、山氏ゆかりの本丸跡に移転したようです。

大杉は本堂奥手の墓地正面、遠山一族墓碑が数基、一列に並ぶのを見守るかの様に並び立っている。

寺の移転と同時に植えられ、主君を偲んで大切に守り育て来たのであろう・・・・。

並び立つ四本の巨杉の内、向かって右端の固体が最大で、目通り6,1m・・・・・樹齢は四本共に約450年とされている。

推定樹齢と寺の移転の時期がいくらかずれているようですが??

とにかく今も縄を渡され大切に守られている。

撮影2009.7.18


飯田市上村 赤崩沢(あかなぎさわ)の大栃

2012-01-07 | 長野県

「天空の里」と呼ばれ、また昨年などは有名宅配業者のTVCMのバックグランドとしても使われた南アルプス山麓、遠山郷上村はまさしく遥か雲の上。

深い谷を見下ろす急斜面に耕地と低い軒を並べる下栗集落。

雛壇状の集落直下を掠めて通る林道、遥か下界に深い遠山川の谷を見下ろし道なりに約4~5km、深い崖渕にそれと解る説明板が見える。

深い峪にも青葉の萌え出す五月半ば、周囲は一面の緑に包まれ全く巨木の姿など見えもしないが・・・・

赤崩沢の大栃は深く落ち込んだ谷底に近い急斜面に在り、林道から建築現場で使われる鉄パイプの仮設足場階段が一気に急斜面を下り・・

巨栃は山深い谷間にしか育たないと言われるように、深い谷間からその諸手を広げて起ち上っている。

仮設足場が無ければとても近づけ無い様な急斜面、目の下に遠山川支流沢、赤崩沢の流れが見える。

仮設足場はデッキ状に大栃を三方から取り囲むように造られ、巨木ファンにはこの上ない撮影ポジションを提供している。

右手下部より見上げた大栃・・・・巨大な根元がしっかり急斜面の崖に踏ん張っています。

こちら側は主幹にもおおきな傷みは見えず、元気そのもののように見え、目通り10.5m、樹高40m、深い谷底から大空一杯枝を広げています。

片や左に廻り込めばこの通り・・・・根元から半身を抉られたように大きく深い洞?傷痕?。

上部の大枝は二本、一寸アンバランスながら元気一杯大きな葉を広げています。

この時期すっかり雪に覆われ息を潜めているのだろうか??

環境庁の巨樹・巨木調査の栃の木部門では全国三位にランクされているようです。

撮影2009.7.18


飯田市 立石の雄杉雌杉

2012-01-05 | 長野県

飯田市の最南端、市街から約15km、天竜峡沿いに走るJR飯田線天竜峡駅に程近い山襞にひっそりと軒を連ねる立石の山里が有る。

周りに棚田を見下ろせる峠を越えれば・・・・・

青田の広がる中に古刹立石寺の山門・・・・

その向こうには集落の家並みを見下ろすかの様に巨杉が聳えている。

先端が1本アンテナを立てたように白骨化しているのが一寸気に成るが??

この大杉は集落の何でも屋さんの横、多分鎮守のお旅所だろうと思われる広場に根を下ろし天空高く直立している。

「立石の雄スギ・雌スギ」として長野県の天然記念物に指定され、こちらは雄杉。

樹齢約1000年、目通り9.8m、樹高約40m、巨木の多い伊那谷でも以前紹介した根羽村の「月瀬の大杉」に次ぐ巨漢振りです。

一方400m程東方の民家裏庭に雌杉が相対峙するかの様に聳えている。

雌杉と呼ばれるだけあってこちらは一寸遠慮の目通り約9m

こちらは樹頂まで葉を一杯の茂らせ、樹高、樹齢はほぼ雄杉に等しい。

こちらは柵も無く根元まで近づくことが出来、その巨大な根元は一瞬たじろぐ程の迫力。

地元では夫婦杉と呼び慕われ、春秋彼岸の朝夕にはそれぞれの影が伸び、一方の根元に達すると言われている。

一寸確かめたい気もしないではない。

撮影2009.7.18


下伊那郡阿智村  駒繋ぎの桜

2012-01-03 | 長野県

巨木としてより名木の誉れが高く、水をたたえた田植え前の田圃に映すその姿、その景観はアマチュアカメラマンの垂涎の的となっています。

花のある内に訪れたかったけどそれ程近場ではない恵那山麓、神坂神社の日本(やまと)杉 と共に遅い花も散り果て青葉の蒸せ返る五月中旬に訪れた。

神坂神社より谷沿い道を駆け下りること約2km、右手路肩にそれと解る看板が有り、見下ろす谷川沿い棚田の畦道に青々と葉を繁らせた格好の良い大きな桜木が見える。

早苗が風にそよぐ奥、畦道の孤立する桜は、源義経が奥州に向かう折、馬をつないだという伝承のある桜・・・・現在のものはその親木から世代交代を果たしたものだと言うことです。

あの厳しい東山道、神坂峠を駒と共に越えて来たのかと思うと感慨一入。

主幹は苔生し古色を帯びて弱っているかの様にも見えるが樹冠の繁りを見るとまだまだ元気そのもの・・

樹齢約400年、目通り約5.5m、花のある時期に又出直してみようかとも思うが、その時期の激しい車列やレンズの列を考えると一寸踏み切れないかも・・・。

撮影2009.7.18