巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

初瀬(ういせ)の大桂・・・(大成の大桂)

2008-12-28 | 愛媛県


四国の代表的な桂の巨木の三本目は愛媛県久万高原町大成の初背の大桂。


地元では日本一の大桂という触れ込みですが、桂の大きさの定義が良くわかりません。


この大桂も株立ちするひこばえの集合体で全体の周囲は約30mも有る馬鹿でかさです。


しかし主幹となる幹もわからず支幹が何十本も谷の崖淵から天を目指して延びる姿は圧巻です。



松山市内からR494でやく1時間ほどで久万町面川地区へと入るが、すぐ左手にわきみちに道路を跨ぐ大看板があって、四国最後の秘境、大成の看板が見える。


落武者の拓いた隠れ里、ここから車で10分とあり、天然記念物日本一の大桂の文字も見える。


四国最後の秘境にしては走りやすい道路で看板どおりに大成の集落が5~6軒見えて、集落の途切れる右手、集会所のような建物横にそれと解る看板が立っている。


前の道を少し進むと谷口の崖から突き出したあの桂独特の巨大な姿が見えてくる。



以前に観光地として売り出そうとしたのか?桂付近はよく整備されているが、思うように人を呼ぶことが出来なかったのか崖下に有る遊歩道の階段には枯葉がうずたかく積もり、危険なため立ち入り禁止の表示板などもあってひどく荒れていました。



そんなわけで下からこの桂を仰いだ写真は手に入れることが適わなかったが桂のすぐ傍までは立派な遊歩道があって真近で見るこの桂は悠久のロマンを秘めていそうに思えます。


桂の根元には小さな祠が祀られて、幹周りにはやっぱり注連縄が渡され信仰の対象として大切にされていることがわかる。



名称が「初瀬の大桂」となっているが何故そう呼ばれるのかは良くわからなかった。


僕の想像ではこの桂の有る谷を初瀬と呼ぶのかもしれない。



国の天然記念物に指定されていて、推定樹齢1000年、幹周り29.5m.。樹高32mとなっている。



集落からの景色


ふと若葉の頃にはどんなすがたなのだろうかと思ったりもしたがやっぱり京都からは、はるかに遠い。


撮影2008.12.22


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小麦畝の大桂

2008-12-27 | 高知県

今回の四国巨樹追い旅の最初の目的地であったこのカツラの樹。

ここは高知県大川村(土佐郡)小麦畝、四国高速高知道大豊インターを降りて、四国の水甕と例えられる早明裏ダムを目指して、あの酷道与作と呼ばれるR439を一走り、途中土佐町役場前の交差点を右折、県道17号へと乗り入れる。

やがて、早明裏ダム湖の橋を渡りダム湖岸の道をひた走ると大川村役場の前を通過する。

ここまでインターを降りてから約40分ほど、旧大川村役場が渇水期にはダム湖の底からその姿を現すというのはこの辺りなのだろうか??などと考えながら車を進める。

僕の車は馬鹿ナビが教えるとおりに、大川村を通過、村境を越えた「いの町」に入って直ぐUターン気味に山手の枝道に入っていく。

途中小さな集落をいくつか越えると約く10分ぐらいで小麦畝辺りに到着するが集落は見えない。

来る前に大川村役場に電話で確認したとおりに山手側に入る枝道に入っていくとやがて二軒の民家がが見えてくる。

多分ここまで高速を降りて1時間半ぐらいだろうか??

奥側の家の空き地に車を停めてその家にその由伝えに行くとちょうど運良く、この家のおばさんが大きな音でラジオを聴きながら家事をしている最中でした。

その由伝えて、桂の場所を教えてもらう。

この家の裏山なのだろうか、前の小道を山の中へ50mも歩くと、杉林の山肌にひときは異質な巨木が見える。

傍には小さな谷川があって桂の樹がいかに大水飲なのがよくわかる。

僕が見る桂の樹はいつもどうしてこんなに山奥なのだろうと???

主幹は失われていく久しいのか?株だけを残して朽ち果てている。

朽ち果てた主幹を囲むように5~6本の支幹がこの桂の樹を形づくっている。

こうして写真にしてみると大して大きくは見えないが目通り約13.8m、樹高25m、樹齢は不明ですが1世紀といったところかな??

帰りがけに、この桂の持ち主であろうここではたった一軒になってしまった家のおばさんと気軽に雑談出たことがとても嬉しい。

こんな山奥の一軒家で主人が無くなってからもう2年まったく一人で、昼はラジオを相手に夜は野猿やイノシシが賑やかにするのでまったく寂しくないと言う気丈さでした。

又桂が新芽を吹く頃に京都のお土産でもぶら下げてこのおばさんに逢いに行きたい。

撮影2008.12.20

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玉取山(上猿田)の大カツラ

2008-12-23 | 愛媛県

このカツラの樹の前に立つのはそうたやすいことではなかった。

四国中央市富郷町上猿田と言う地名はわかっていたのだが、さて実際に地図を当たると上猿田は山中のかなり広い地域のようで、これを探すのは大変そうだと最初から解っていた。

当然現地で人に出会えるなどと言うことは皆無だと過去の経験からも充分承知していて、こういう場合一番いいのは地元の市役所なり、町役場に行く前にチェックを入れておくに限る。

上猿田へ向かう道路脇には山ミツバチの巣箱があちこちで見られる

しかしいつもと違ってたまたまここを訪れた12月22日は月曜日、公的施設は休みではなく、麓には四国中央市の富郷支所の有ることがわかっていた。

R11号線の伊予三島から、R319号線に乗り換え稜線を一気に駆け上がり真新しく広いいトンネルと、暗くて離合困難なような恐怖の狭いい長いトンネルを越えると富郷町に着く。

富郷支所は誰でもわかる国道沿いにあって、昼休み時間中にも係わらず気軽に入って訪ねることが出来たし、丁寧に道順も教えていただけた。

ここから旧別子銅山方面に向かい、途中上猿田方面への県道を進んでいくが道はかなり狭いところもあるが、ここは四国当たり前のことだと思える。

別れ道から10分も走るとこの県道では愛媛最後の集落と成る上猿田集落につくが目指す大カツラはこの先が大変でした。

県道は上猿田集落を過ぎた辺りからどんどん狭くなり途中ダートも何箇所かある酷道と成る。

集落から15分ぐらい走って右手に大カツラの看板を見てダートの林道へと入っていくことになるが、当然この先はとてもセダン車では入っていくのは困難、勿論僕の車は四駈なので問題なく進む。

1.5kmほど進むとやがて三叉路に突き当たるが不親切にもここには何の看板も無い、仕方なく車から降りて周りを伺うと、直進奥の方にそれと思える大きな木立が見えるのでそのまま直進してやっとこの大カツラの下に到着することとなる。

集落では小雨だったがここまで来ると雪に変わっていて高度が高いことを確認させられた。

右手杉木立のガレ沢に何本もの大枝を広げ、降り仕切る粉雪の中で立ち尽くす桂独特の冬姿は、威厳を持って聳えていた。

多分永らく人など訪れたことも無いのだろうか??、カツラの周りは下草こそ枯れてないのだが、足の踏み場にも困るほどに枯れ枝や、ガレ岩がゴロゴロしている。

薄っすらと雪化粧をして立つ桂の老木と対峙してるとその場を離れがたくなってしまうのだがこんな山中で雪が強くなるのを恐れて早々に退却を余儀なくされた。

看板には近くにイタヤカエデの巨木も在ると書いては有るけどまったく不親切で場所の表示がまったくされていません。

この雪の中長い時間は探せないのでこっちはあきらめて帰って来ました。

資料に依ると、目通り15m、樹高30m、樹齢800年、トチノキとの合体木とある。

しかし僕の確認したところに依るとトチノキはもう相当以前に朽ち果てたようで、木株だけが大きな口を空けて要るのが確認できた。

若芽の芽吹く頃に又来て見たい思いの強いカツラの木です。

このカツラにまつわる昔話を見つけたので下記に転載させていただきます。

昔、上猿田の集落には、とても仲の良い二人の姉妹が住んでいた。 ある年、その娘たちの家は兵庫山に近いごぜんの森で焼き畑を行い粟(アワ)を蒔いたところ、秋には立派な粟が実ったという。 そこで姉妹は両親とともにごぜんの森に出かけ、大喜びで粟の穂を刈り始めた。 しばらく刈り進んで、ふと畑の中央を見ると、2メートルほどにも伸びた大きく立派な粟の穂が見えたので、二人の娘たちは喜び急いで駆け寄り先を争って粟の穂に鎌をかけた。 ところがあわてていた二人は、なんと、過ってお互いの首に鎌をかけ力の限り引っ張ったため、二人の首はころりと切り落とされてしまった。 両親はこれを見て大変悲しみ、二人の亡くなった所に桂の木を植え、小さな祠を建てて娘たちの霊を慰めたという。 爾来、村人たちはこの地をごぜんの森と呼んで畏れたが、両親の植えたという栃の木と桂の木は、ぐんぐん太り続け、今では天を突くほどに大きく成長し、天然記念物に指定されるまでになったといわれる。 (参考-ごぜんの森の物語を秘めた桂の木-「伊予三島市の歴史と伝統」より)

撮影2008.12.22

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小又川の大杉

2008-12-19 | 三重県

この樹は探し当てるのに本当に苦労しました。


小又川沿いに有るとわかっていて、道路は川沿いに走っているのだから直ぐにわかるとタカをくくっていました。


前回紹介の乳・鎌地蔵の大杉と同じ道筋なのだがどうしても見つけることが出来ません。


幸いにしてこの辺りのお年寄りが散歩をしてるのに出くわし訪ねて何とか教えていただきました。


道筋から見ると対岸に自動車工場らしきものがあってその家の前からしか、その場所にはいけなくなっていました。



其処の工場のお願いして、車も置かせていただき、其処から2~3分川沿いに下った川岸から斜めにその幹を川面に突き出していました。


主幹はそれほど巨木でもないのですが川岸の岩の上に有って根元部分が異様に肥大化しています。



こちらもまるで松かと思わせるような枝ぶりの杉の木です。


幹周り8m、樹高は25mとなっていますがどの辺りの幹周りかと思いました。


よくもまあこんな川岸の岩の上でここまで育ったもんだと思います。



ここに目を吹いて岩の上に活着してからでも何度も何度も洪水はあっただろうし、良くも流されないでこの岩にしがみ付いていたものだろうと??


なんと運のいい杉の木なんだろうか??、話が出来たら聞いてみたいこの杉の身の上話。


撮影2008.11.15


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乳・鎌地蔵の大杉

2008-12-14 | 三重県

熊野路の巨木を訪ねてR169とR42は何度と無く走りぬいてきた道ですが、それだけ僕にとってこの地域は特別なものです。


何か現代人が遠い昔に置き忘れてきた精神的な物をしっかり残してくれているような気がする地域です。



R169、R309と走りぬいて熊野市飛鳥でR42に突き当たる、その信号をを左折走ること約5分、小又川沿いの道を上流に向かってどんどん進むと民家が途絶えて山道になるが、暫くすると左手崖上に異様な枝振りの杉の樹らしからざる巨杉に出遭う。



崖地を登ると巨杉の前は小さな平地になっていて、根元の小さな祠と小さな石室には小さな地蔵が祀られている。


ひとつは乳地蔵、その名の通り子育ての・・・・・もうひとつは、鎌地蔵、山仕事のお地蔵様だそうです


真っ赤な派手な幟が何本も立っていて今でも、しっかり信仰の対象になっていることが伺われます。



幹周り凡そ5m、とそれほどの巨樹ではありませんが、枝振りがまるで松の様の広がって杉の木としてはズングリムックリな一寸異様な姿です。


裏側から眺めて見ると大きな洞が口を空けていますが、そんなことにはお構いなしに樹勢は良く、まだまだ元気な様子でした。


地蔵の目印に杉を植えた物なのか??、杉を祀る地蔵を置いたのかは解らないけど・・・・。


撮影2008.11.15


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青蓮院の楠

2008-12-09 | 京都府

この道はいつか来た道・・・・・・


と言うより、学生時代には四条通りから八坂神社の前を通って円山公園ぶらつき知恩院さんの門前を通り抜けこの青蓮院の楠楠を見上げながら平安神宮や京都会館へと良く散歩が寺に歩いたものです。


その後、社会人になってからも何度もこの地を訪れたが今ほど観光客も多くなく車で自由に円山公園内を駆け抜け、この楠の下で車を止めたりもしていたのだが・・・。


ここを久しぶりに訪れた昨年の暮れ知恩院の参道から青蓮院の前を通って平安神宮へ抜けようとしたところガードマンに車を停止させられた。


この先は車の北行禁止だという??、永らく市内に来なかった浦島太郎の心境だった。


前置きは、さておき・・・・・・・・。



青蓮院は天台宗総本山比叡山延暦寺の門跡寺院の一つとしてよく知られ、ちょうど京都の観光メインの場所円山公園から平安神宮へと抜ける道路沿いにあってこの辺りは鬱蒼とした木立が道路を覆っている。




北行する道路の右手石垣上には白壁の塀をバックに第一の楠。




第二の楠が青蓮院メインの楠で正面門前駐車場左手上壇の石垣上で諸手を天空一杯に広げている。



樹元から見上げると、それはまるで青空を覆い隠そうとでもしているようです。


累々と脈打ちうねるような根を緑の苔が覆い、この楠が生き抜いてきた長い長い歴史を物語っているかのようです。


背景には武家屋敷を思い起こすような長屋門風の建物を従えたロケーションが素晴らしく老楠と溶け込んでいる。



この楠は親鸞聖人のお手植え、樹齢800年、幹周り約6m、樹高26mとされている。



山門右手には第3の楠が有って此方も中々の風格でした。


撮影2007.12.23


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君尾山幻の大栃

2008-12-03 | 京都府

京都府綾部市は京都市内より丹後半島にいたるR27号線沿いに有る小さな地方都市で、その大部分は緑深い山郷です。


27号線山鹿の交差点を右折、若狭方面へ抜ける府道1号線へと乗り換え五津合町 (いつあいちょう)へと向かう。


五津合町 大町交差点の一つ先の脇道に、光明寺への案内板がありここから君尾山への山道に入っていく。


この栃の木の存在はかなり以前から知っていて必ず合おうと決めていたのだが、今回意を決して訪れることにした。


山深く、熊や、山蛭などに襲われることも少しは躊躇させる原因でもあった。


君尾山への道をたどるとやがて右に行けば光明寺への分かれ道、大栃へはそのまま直進、直ぐに大栃の案内板が現れるが案内表示の道路は立ち入り禁止とある。


これはどういうこっちゃ??、どういう案内板やと、迷った挙句に車をこの場所に寄せて捨て、立ち入り禁止の道路を歩く。


道路は充分車が走れる事に何ら問題ない道路なのだが一体どうしたものか??


道路が行き着くドンつきには車が何台も駐車できるスペースも有って、何のための立ち入り禁止看板なのかといぶかしく思う。



ここより先は遊歩道が谷へ、下へと延びていてどんどん山を下ることになる、途中ロープなども張ってあって道に迷うことは無い。


しかしやっぱり熊の登場は怖いので手元のラジオを目一杯ボリュームを上げて歩く。



どんどん斜面を下っていくとやがて薄暗い木立の向こうにカツラの巨木が見えて、その向こうにひときは異様な巨木が見える。



京都丹波、綾部市のはるか山奥、君尾山のV字谷源頭部辺りにしっかり腰をすえた大栃の木。


イエスキリストが生まれた頃、日本でははまだ弥生時代に一粒の実から生まれた命が今も生き続けて居ます。




主幹はすっかり朽ち果て、洞と言う言葉では済まないほどの大きな空間を、残った樹皮が囲んで、正面から見ると万歳でもしているように二本の大枝を天に向かって広げている。

落雷にあったのは何百年前、台風が梢を引きちぎったのは何時の頃、またまた降り積もる雪が凍って主幹を引き裂いたこともあったのだろう???。

時には熊の寝ぐらになったり、杣人の一夜の宿になったり・・・・・。

ただただ何も語らず立ち尽くすだけの気の遠くなるような時間の経過・・・・・・。




この大栃の前に立つのさえ恐れ多いような気迫を感じさせる巨木です。

樹木医が入るでもなく、寺社の神木でもなく、ただただ山奥で時の流れに身を任せている。

幹の周囲は最大で10.4m、樹高は23mあり、栃の木では京都府一の巨木、全国4位の巨木だとされています。



谷川に下って仰ぎ見ると、空洞は見えず堂々とした主幹でその巨大さに、ただただ唖然とせずにはいれない


そろそろだいぶ疲れて来ているような気もする???。