龍王神社のアコウの在るアメリカ村から日御碕を山越え和歌山市内方面に北進すること10分余り、誉田皇子(後の応神天皇)が産湯をつかわれた井戸跡が在ることでそう呼ばれている産湯(うぶゆ)の集落に着く。
この集落を流れる川沿いの民家の脇、小さな橋を渡った風情の在る場所は又、産湯の地名の起こりとなった場所でも有り、その地にアコウのあの独特な樹姿の巨樹が在るのは妙に南国感を醸しだしている。
樹齢400年、幹周り7m、樹高13.5m,この木には果たして樹齢と言うものが存在するのか疑わしい、気根は次々に更新するだろうし、どれが主幹と呼べるのかさえ良く解らない気がする。
川なりの道を少し河口付近まで歩くと防潮堤を飲み込む様に聳えるもう一本のアコウの巨木が見える。
本家本元よりも樹齢も若いのか、その姿も雄大で樹勢も旺盛、その気根?は防潮堤からヒゲおやじのヒゲの様に垂れ下がっていて普段余り見かけない風景です。
裏に回ると旧家の前庭。
それほど古いとは思えない防潮堤をしっかり飲み込んで立っていて、この木の並外れた成長力、生命力には驚きです。
この時期新しい実を一杯付けています、果たしてどんな花が咲いたのだろうか?
撮影2009.6.13