巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

熊野市、一ノ水のカツラ

2009-03-31 | 三重県

ここに紹介するこのかつらの巨木はあまりにも見つけにくく、又NETの検索でも見つけることは出来ない。

環境庁のデーターにも洩れてしまっていて不審に思う。

僕がこの木の存在を知ったのは、たまたま紀州のホテルで宿泊した折に知り合った奥熊野在住のかづらアート作家、原秀雄さんの助言に拠るものでした。

熊野市育成町大丹倉近くの谷に大桂が有るという情報でしたがいくらネット検索しても出て来ません。

ただひとつ気になる情報が熊野市の巨木紹介コーナーに有る一の水のカツラの巨木(有馬町)という情報でした。

熊野市の有馬町は海岸沿いの町で花の窟神社があって以前にもその辺りでこの桂のことを聞いたのですが知らないということでした。

今回は、大丹倉近くで聞けば何とか成ると、大丹倉そのものにも出会いたいという気持ちもあって紀伊半島を縦断しました。

熊野市育成町は紀伊半島大台山系の真っ只中、和歌山県の飛び地である北山村から尾川川の渓谷沿いに約10kmほど遡った所が育成町赤倉、そこまでの渓谷沿いは注意怠り無く小さな看板まで見落とさず来たのだが何の表示板も見つけることは出来なかった。

赤倉から、大丹倉へは更に林道のような道を車で約20分ほど進むことになる。

この間もしっかり表示板の確認をしながら進んだが何の収穫もなし、ただただ深山幽谷は深まるばかりです。

大丹倉の絶壁から雄大な風景を眺めて帰りがけに地元の人に出会ったので桂の巨木のことを訊ねて見るとこれが大当たり、しっかり教えていただきました。

この大丹倉に来るまでに右手に折れる林道があってそれをどんどん進むと表示看板があり、桂は底の谷底にあるという。

教えられる通りに進むとやがて左手道路わきにそれらしき表示板が現れるが固有名詞も無く、なんとも寂しい

車を降りても深い木立ばかりでまったく桂の巨木のこずえさえ見えない。

表示板はあるがこの先どう進むのか何の説明も無く、谷底に向かう踏み分け道らしきものもまったく見当たりません。

しょうがないので聞いてた通り、まったく道なき崖を谷底に向かって降りて行きました。

とにかく急なV字谷で木立を持ちながら下ると、谷底に巨岩がごろごろしていて目の前に巨大な桂がそびえていました。

川岸なのか川の中なのかよくはわかりませんが回りはまだ芽吹き前の雑木がとり囲んでいて、なかなか写真になるようなアングルが見つけられません。

長らく人など入った事も無い様子、自然のあるがままの姿で、太い幹が1本倒れてそのまま朽ち果てていました。

桂特有の樹形で、7~8本に分かれた主幹が株立ちしています。

樹齢は良く解りませんが500年ぐらいのものでしょうか??

幹周り約10mばかし、樹高は約30mといったところでしょうか??、ただただ深山幽谷に人知れず立ち尽くしているように見えました。

夏場はとても近づけそうに無く、ここでなら、誰の邪魔もされずに大自然のままで、その命をまっとう出来そうです。 

しかし、これではどうNETで検索しようが出てきそうにないと言うことが納得できました。

PS:後ででよく調べて見ると桂の有る辺りは熊野市有馬町で、近くには一ノ水峠という地名も有り熊野市の巨木紹介コーナーの情報に納得、名称は取り敢えず「一ノ水のカツラ」としておきました。

尚、谷川の名前はわかりません。

撮影2009.3.28

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東平寺のシイノキ樹叢

2009-03-29 | 三重県


絵にはなるがオドロオドロしい様な雰囲気と静寂さに包まれた異空間に居るような錯覚にとらわれるところです。


一種独特の怪しい雰囲気さえ漂う森での長居はカンベンといった感じさえします。


伊勢方面からの帰り道、R42号線からR368の山越えコースで、旧飯南町経由、またまたひどい山越えで旧三杉町へと入って、更に県道15号線でJR名松線と平行して比津駅脇の県道666号線へと入る。



比津駅から県道の上り坂を登りきって道路が大きく左にカーブ、その左手山裾に集落の公民館らしき建物がみえる。


その建物こそが東平寺で集落の公民館と一体になっているようです。


まあ、そういうのは辺鄙な集落では良く見かけることで何の不思議も無いのですが、当然のことのようにここも無住です。



この建物の奥が墓地になっていて、鬱蒼とした昼なを暗い巨椎と竹林の中、石塔墓とともに現在でも埋め墓がそのまま存在していて不気味さを際立たせている。


多分ここでは現在でも土葬が生きているような気がしますが、どうなんだか??。





墓地入り口の崖上から境内に覆いかぶさるようにツブラジイの巨木が立並んで居るが、どの樹も古色然とした風格と言うより、累々とした根周りと古椎独特のうねるような主幹がいやがうえにも不気味さを倍加させる。




大きな二本の樹の間には白木丸太の鳥居があって、それが墓地のためのものなのか??、はたまたこの巨椎のためのものなのか??、シイの根元には役の行者らしい石像があったけど??



とにかく日ごろ見慣れない異空間のツブラジイの樹叢です。



とにかく、いくら巨樹好きの僕でもちょっと長居は禁物と言う気になってしまう程の異様な空気の流れる空間でした。


環境庁のデーターでは、幹周約5mクラスのツブラジイが4本記録されているが、実際にはもっと多かったように思います。


撮影2008.4.5


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志賀宮原丹生高野明神の大杉、他

2009-03-26 | 和歌山県


和歌山県高野山麓の紀美野町からの帰り道、西高野街道と呼ばれるR460号線を走っていてたまたま見つけた天を突くようにそびえる大きな杉の木。


高野山方面から長いトンネルを抜けると底はかつらぎ町志賀地区、三々五々集落のある平地をしばらく走っていると小学校の奥手に異様に背の高い杉の巨木が見えるので立ち寄ってみた。



学校横の旧道に入ると正面斜面を背にしてこじんまりとした清楚な神社前にでる。


正面拝殿には丹生明神とと掲げられておりその奥上段には四社の美しい祠が建っている。



拝殿右脇手の斜面に天を突く大きな杉の木とイチョウの2本が背比べでもするようにそびえている。



この杉は二本の合体木らしく異様に下部の幹周りが太く、環境庁のデーターでは幹周り7、30m、樹高40m、推定樹齢は推定400年ぐらいとまだまだ若々しい。


隣のイチョウは幹周り4、25m、幹周りにしてはやけに背の高いイチョウです。


撮影2008.3.23


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流谷八幡宮の大銀杏、他

2009-03-24 | 大阪府

 



河内長野市は大阪南部泉州地域の奈良県、和歌山県と県境を接する金剛山系の山懐の町で、かっては大阪のチベットと言われた地域だそうです。


しかし実際には山懐は大きく開発され新興団地が林立する街になっていますが それでも少し山の中に入ると、山の谷間に小さな集落があちこちに見られる山峡の地です。



大阪市内方面からR170号線でどんどん南進、河内長野市内でR371号線(高野街道)に乗り換え、和歌山県橋本市に出る金剛山系の天見川沿いに進んでいく。


R371に沿って走る南海高野線天見駅近くの出会いの辻を右折して谷川沿いを行き着いたところが流谷八幡宮です。



ここには大阪府内では珍しく大規模な勧請縄がかけられているということで訪れて見ましたが思わずこのイチョウの巨木にも出会えてラッキーでした。


ここを訪れたのはもう1年以上も前、2008.1月、半ば、巣仮冬枯れのイチョウの巨木は斜面の崖場に巨大な樹根を張り巡らせて大きな幹を支えているように見えました。




急斜面 の崖場二のたうち回るような樹根の力強さには目を見張るものがあってこのイチョウの持つ生命力に圧倒されてしまいます。


幹周、4.5m、樹高約30m、樹齢約400年となっていてそれ程の巨木では有りませんが、なんといってもこの根回り、根張りは見る者を驚かすに充分なようです。




境内石垣上にも大きな楠が有って、幹周り約5.5m、樹高約30m、となっています。


この地は大阪と高野山を最短距離でつなぐ旧高野街道沿いに位置し、平安時代中期には京都石清水八幡宮の荘園で、流谷八幡神社は長暦3年(1039年)石清水八幡宮のご神体を勧請して創建されたものだそうです。


 撮影2008.1.13


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前村の大クス

2009-03-22 | 三重県


春のうららかな昼下がり、のぞかな田園風景の広がる巨樹を訪ねるのは嬉しい。


伊勢自動車道・勢和多気ICから国道42号線を松阪方向に少し走ると前方左手、JR紀勢線越しの線路脇にそれと解る大きな楠の樹冠が見えてくる。



単線のJR紀勢線と開けた田園風景の中の大きな樹冠は心癒される風景そのものです。


説明板によると、「この一帯は北畠家及び南朝派一族の隠匿地と言われ、神祇を奉祀して王朝の興復を企図した。その後時勢の変遷を受け里人が忠臣の遺蹟を後世に伝えるために一老樹を保存し、記念の表徴として来た。かくて樹木を神木として偉霊の実在を信仰し、小祠を祀って霊木の保存をはかっている。」



樹齢は約600年、目通り7.5m、樹高は36mとなっている。


小さな集落を縫って走る旧道脇にどっかり腰を下ろし、堂々たる太い主幹がその大きな樹冠を支えている姿は力強さにあふれている。



根元には小さな小川が流れていて、十分な水分を得ているのだろう。



樹齢の割りに若々しく見える主幹はみずみずしくさえ見えて、脇には細いながらも風格の有るカゴノキが寄り添うようにたっているのも面白い。 


撮影2008.4.5


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加茂神社の大銀杏

2009-03-17 | 和歌山県


和歌山市の北端を流れる紀ノ川沿いに巨樹を訪ね歩いた時に訪れたイチョウの巨木です。


粉河寺の楠を訪れて、次に訪ねたのがこの加茂神社の大銀杏。



ここはR24号線から粉河寺に至る直近の信号で右手に折れ、10分も走ると至る葛城山系南面の里山,西川原集落の加茂神社境内にそびえる大銀杏です。


付近の山々はその斜面一面に段々畑が広がり蜜柑の樹が植えられていて、のぞかな中にもこの地方独特の景色が楽しめるところです。


神社は集落内を抜ける道路わきの一段高いところにあって、石段を登ると広く明るい境内になっています。



大銀杏は境内右脇に在って幹周/5.45m、樹高/約30m、樹齢/約800年と説明されています。



800年という樹齢にしてはちょっと小振りで主幹にも大きな傷や洞なども見られずもっともっと若々しく見えるイチョウです。



僕がここを訪れた2008.3.23には葉を落としたままの裸木で、新芽を吹き出す時期には少し早く一番寂しい樹姿だったのかも知れません。



また境内拝殿前には2本のスギの巨樹がそびえていて、こちらもなかなかの巨木ぶりでした。


しかしどうも境内が、がらんとしていてどこか物足りなさを感じてしまいました。


撮影2008..3.23


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丹生酒殿神社(にうさかどの) 鎌八幡宮のイチイ樫

2009-03-10 | 和歌山県


前回紹介した丹生酒殿神社本殿脇から裏手に回ると小さな石の鳥居の奥に鎌八幡と呼ばれるイチイガシの大木が立っている。


鎌八幡宮には社殿は存在せずこのイチイガシの大木自身がご神体だということです。


以前はこの地(三谷)の隣、兄井地区にあったようですが今はこうして丹生酒殿神社に合祀されています。



巨樹というほどには大木でもなくそれほど年輪を重ねているようには見えませんが、こうして無数に鎌のつきたてられた木も珍しいのでここに紹介しておこうと思います。


大阪市内には縁切りの願掛けのためエノキの木に鎌を突き立てる寺もあるとか聞きますが、ここ鎌八幡宮の鎌は無病息災、子宝、受験などの祈願のために突き立てられていると言う。



祈願成就のときは鎌が幹に食い込み、不成就のときは脱け落ちると伝承されているようですが、よほど霊験あらたかなのか抜け落ちた鎌は見かけなかったような気がします。


まだ突き立てられて間もない真新しい鎌が何丁も有って科学万能の現代においても、こうした民間信仰が根強く生き続けている。


しかしこの奇異にしか見えないこの民間信仰はイチイガシにとっては迷惑以外の何者でもないかもしれない。



でもこうして神体であったからこそここまで伐られずに守られてきたのかも知れないと考えると複雑な気もする。


撮影2008.3.22 


丹生酒殿神社の大公孫樹

2009-03-07 | 和歌山県

和歌山県の高野山と紀ノ川の間に挟まれた山懐には丹生と名の付く神社がおびただしく多い。


丹生とは朱のことで、太古これは、活力と蘇生、死との対決、死霊封じ、呪術具のひとつとして欠かせないものであった。


この朱は辰砂といわれる鉱物から取り出されるが、また水銀も同じく辰砂を精錬して取り出される。


この辰砂をつかさどる神が丹生都比売で天照大神の妹神だとされています。


丹生のつく地名や神社はこの鉱脈地域に広く存在している。



このかつらぎ町紀ノ川沿いの丹生酒殿神社は社記によると、大和国丹生川上に天降った丹生都比売尊及び一族は崇神天皇の時代、その第一御子高野明神はじめ十二王子、百二十の眷属を従えて三谷の榊山の地に天降ったとある。 古文書には石口の御榊山の御瀧の地であったと記されている。


 丹生都比売大神は、民人の為に農耕、糸つむぎ、機織り、煮炊きのことなどを教え、特に木の川(紀ノ川)の水を以て酒を醸し奉りてより丹生酒殿と称えられると言う。



そんな難しい話はさて置いて、僕のこのページはあくまでも巨木の紹介ページなので・・・



がらんとした境内は広く開けていて、石鳥居の奥、中央に長く広がった割り拝殿の右手に天をつく大きなイチョウの木がそびえています。 


幹周/5.3m、樹高/25m、樹齢は不明ですがまだまだ若々しく活力いっぱいに見えました。


ここを訪れた昨年3月22日にはまだ裸木でしたが「境内を 黄に敷きつめて 大いちょう」 の句碑がイチョウの前に立てられていて、黄葉のころには見事な黄金の絨毯が境内を染めるようです。


再度そのころに訪れてみたいものです。


 撮影2008.3.22


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信主(シンシュ)神社のケヤキ他

2009-03-05 | 福井県


京都から若狭へ行くのに一番良く利用するルートは湖西道路の高島町今津からR303号線で若狭町上中経由、R27号線に乗り換えて小浜市に入るのが距離的にも時間的にも無難なコースです。


R303がR27に出逢う直近の信号を左折するとすぐにこの信主神社の横に出る。




南面して建つ大きな石鳥居の奥は広く明るく開けた境内で、子供の遊具が有ったり、地区の公民館が有ったり、あたかも市民広場のようです。




本殿右脇にひときは大きなケヤキの巨木が聳えている。


一見ケヤキらしからぬ木肌に見えましたが間違いなくケヤキのようです。


主幹のあちこちに大きな瘤をつけ、二股に分かれた主枝の1本は台風にでも引き裂かれたのか欠損していますが樹盛は良く、まだまだ元気そうで若々しく見えます。



目通り約7m、樹高20m、樹齢は不明ですが、幹廻りから推察するほどの樹齢ではなさそうに見えます。


土壌が樹の生長に適していて成長が早いのかも知れません。




 本殿裏側に廻るとここにもタブの巨木が聳えていて、目通り6.5mで、こちらも樹齢は不明ですが幹周りの割には若々しく、まさに成長盛り、青年期の巨木のように感じました。




 撮影2008.3.29


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和歌山県紀美野町、善福寺のカヤ

2009-03-02 | 和歌山県


和歌山県紀美野町は旧、野上町と美里町が合併して出来た高野山麓の町でその殆どが森林地域に有って総面積の75%にも及ぶ。


そんな紀美野町の中でも尚山深い地域に有る旧三里町勝谷は国道370号線が通る長谷毛原中学校前の交差点で小さな川を越えて山道へと入って行く。



その先は山岳ドライブのような細い道が延々と続き最後の峠を越してつづら折れを下っていくとやっと民家が何軒か見えて直ぐにこの大きなカヤの木が道路にせり出しているのが見えてくる。


ここまで国道から別れて約20分、山岳道路の細い道に不慣れな人はちょっと心細い思いをするかも知れない。



道路わきの少し高台に善福寺のこ小奇麗に清掃の行き届いた小さな境内があって、善福寺の小さながら趣の有るお堂とこの大きなカヤの木が相対峙している佇まいが、なんとも云えずありがたいご馳走のような気がする。


細い谷川沿いに棚田が開け、長閑な山里を絵に描いたようなところで、鳥のさえずり以外は何の物音も聞こえて来ず、勿論前の道路を通る車などまったく皆無でした。



当然のことのように無住の寺で誰に遭うことも無く、何の気兼ねも無くこのカヤの大木との時間を充分楽しめる環境でした。


本堂前の鐘楼脇に静かにたたずむこの枯淡なカヤの巨木は目通り約7m、推定樹齢700年、樹高23mと表示されています。



道路わきから境内に上る苔むした石段脇から見たこのカヤの巨木は美しく又力強い。



境内の石段下にも、目通り約4.5m推定樹齢800年の大カヤがあって共に雌株で、県の天然記念物に指定されています。



こんな山中を切り拓き、人が住み着いたのはいつの頃なのか??、このカヤの樹はそれ以前からここにあって、この木の元に寺を建てたのかも知れない??


  撮影2008.3.22


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