巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

油日神社の高野槙

2007-01-31 | 滋賀県

 


滋賀県、甲賀市の南端、三重県の伊賀地方と境を接する辺りは、甲賀忍者の里として全国区の地域です。



油日神社は聖徳太子が社壇を建立し油日大明神を祭ったと伝承されており、1566年建造の楼門、回廊を備えた本格的神社建築で、本殿、拝殿も含め全ての建物が重要文化財に指定されている。



一時秋篠宮家に新宮が生まれ、その「しるし」に高野槙が選ばれ一躍有名になったこの巨木が、油日神社の神域内に聳えている。



高野槙は和歌山県の高野山に美しい樹林が自生していることから高野槙と名づけられた日本特産の樹木だそうですが、本場の高野山にもこれほどの巨木は無く、この油日神社にあるものが日本一だといわれています。




樹齢750年、樹高35m、目通り幹周6.5mと表示されており、途中で大きな2本の幹に分岐しています。


 この巨木から落ちた細い槙の葉が境内にいっぱい落ちていました。


 


撮影2006.10.22


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毛原、長久寺の楠とカヤの木

2007-01-29 | 奈良県

 


毛原(毛原)の地は奈良県の北東部大和高原の山添村に属す、辺鄙な、だからこそ自然いっぱいの長閑な山里で、知る人ぞ知る毛原廃寺の礎石郡が畑や民家の庭先にも残されている、隠れた歴史の里でもある。



この地に豊原山長久寺と言う古刹があって東寺真言宗に属し、山里のひなびた山寺の雰囲気を色濃く残しています。


雰囲気のある本堂横の境内には地上1mばかりで何本の幹に分かれた、楠の巨木がそびえています。




この木のデーターなどはまったく判りませんが、根回りは約7m、巨大な根張りは力強く、付近の景観と良くつりあっています。




この寺の裏山にはこの地域の墓地と、観音霊場の石仏があってやさしい顔の石仏が出迎えてくれる。



カヤの巨木はこの墓地を覆い隠すようにそら1面に枝を広げていて、その幹周り凡そ5m、山里のこの地にあって、


いかにもまだまだこれからどんどん大きくなるカヤだと思われます。



撮影2006.3.21


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果号寺のシブナシガヤ

2007-01-26 | 三重県

 


三重県の山間部、伊賀盆地中心地伊賀上野は忍者の町として、また松尾芭蕉の生誕地としても全国的に知られた歴史的な町です。


伊賀上野から北方山越えで滋賀県信楽へと続く県道 138号線で北西に向かって約6km程走ると西山地区に到着する。


高倉神社への表示板があがる交差点を右折して西山地区の各在所に通じるどうろに入っていく。



やがて、西山地区の公会堂が右手道路端にあって、そこからこの大きなカヤの木が見える。


果号寺の門前には駐車スペースもあって行きやすい。



門前の石柱には、天然記念物果号寺のシブナシガヤ、昭和7年7月25日指定と刻まれており、国の天然記念物。


隣の看板には、土塀に崩壊の恐れがあるから近寄るなとあって哀しい。



シブナシガヤとは、種子の胚乳についている渋皮が無いという特徴をもった稀少な樹で、全国で三本の木が指定を受けているそうで、2本はこの地区に在る。


本堂横の墓地から裏庭に回るとこのカヤの木の傍に出ることが出来る。



巨木というには少し物足りない気もするが、樹高21m、幹周り約5m、幹は地上約2mで2本に分かれていて大きく枝を伸ばしている。


樹勢は旺盛、樹齢はは不明ですが、江戸時代嘉永2年の本には、すでに珍しいカヤとして紹介されていたらしい。


撮影2006.5.6


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戒場神社の朴(ほう)の木

2007-01-23 | 奈良県

 
 
戒場神社のある戒長寺には、宇陀市の榛原山辺から北側の山手に登ること約2km、寺の真横まで車で乗りいれることが出来る。
 
 
 
 
戒場神社は戒長寺の鎮守社であったのだろう,同じ境内の中に在って今でも神仏が混在している。  朴の木は、拝殿と本殿の間、玉垣の前の一角にどっしり根を下ろしている。 樹齢、約500年、幹周り6.5m、 樹高15.5m 根元の風格は只者でない。
 
 
 
 
 樹齢はたいしたことがなさそうだが朴の木の巨樹は珍しく、全国最大クラスだといわれています。
 
 
 
 しかし、根元に大きな空洞があり,樹勢も余り良好には見えないが、毎年五月にはその大きな花をつける。  しかし、現在手付かずの状態で今後が心配されるけど、「やはり野に置け蓮華草・・・・」かも???。 又、花の咲く頃行ってみよ・・。  
 
撮影は、2006・4・1 
 
場所はここ


若宮神社の椎

2007-01-19 | 大阪府

 


「若宮神社の椎」がある能勢の地には巨木が多い。


この地を訪れる人は必ず「野間の大ケヤキ」を訪れ、その巨大さに感嘆の声を上げるに違いない。


もちろん僕もその1人だが、ほかにもこの地に巨木が多いのであちこちと訪ねて回った。



そのうち一番気の毒な巨木がこの「若宮神社の椎」の巨木。


倉垣天満宮の近くにあって、付近には新しい住宅なども立ち並び路上からは一段低くなった境内へはどこから入ればよかったのか参道も分からずじまいでした。



境内のすぐ脇に資材置き場のような空き地があって、この椎の巨木の真裏から先ずご対面という事になりました。


写真のように、ひどい痛みようで、主幹は途中で無くなりかなり上部まで大きな洞が口を開けています。


主枝から伸びた何本かの枝に葉をつけているのが痛々しく見える。



大阪府の指定天然記念物に指定されており、資料によると樹齢は400~500年、幹周りは約5m。


境内から見る主幹は節くれだってその枯淡さに趣はあるけど、大きな鉄の支えに助けられて何とか倒れずにいるのが余計に痛々しい。


撮影2006.8.18


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西柏町(さいかしちょう)のサイカチ

2007-01-17 | 奈良県

 

西柏町のある 御所市は、奈良市へは約25キロメートル、大阪の都心部へは約30キロメートルという距離にあり、大和平野の西南部に位置し、西部に金剛山・葛城山が峰を連ね、古代豪族、葛城氏や巨勢氏の本拠地となっていた土地です。

市内の中心部を南から北に流れる葛城川のにそって走る、道路脇にひときは大きな樹が聳えているのが遠くからでも見える。

国道24号線から市役所へ向かうと、豊年橋交差点の左向こうにこのサイカチの樹が聳えていて、根元には小さな「白龍大明神」の祠が祀られている。

「サイカチ」と言う樹はあまり聞きなれない樹だが実はマメ科植物だと言うので驚きです。

豆がこんな巨木になるのかとちょっと不思議な気もします。

多分このあたりは、横を流れる葛城川の自然堤で、そこに何本ものサイカチが育っていたのではないだろうか??

今は、堤防が道路にとって変わり、このサイカチの巨木も道路隅に押しやられて肩身の狭い思いをしているように見える。

このサイカチ付近は西柏町(さいかしちょう)と呼ばれていて、このサイカチの木が地名の由来になっていると言われています。

幹周り5.2m、樹齢は不明、先ず最初に大木ありきです。

このサイカチの巨木の洞には白蛇が棲んでいるという伝説があり、「白龍大明神」を祀っている。

この、先すぐの所にも気の毒なほど痛んだ巨木があって、大きな豆を無数につけている。

サイカチには雌雄があって、多分これが、雌樹で、立派な祠のあるサイカチは雄樹で豆が付いてないのだろうか??

サイカチの巨木はあまり見かけたことが無い

撮影2007.1.5

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多羅尾浄顕寺の菩提樹とカヤの樹

2007-01-13 | 滋賀県

 


滋賀県、京都府、三重県と3県の県境を接する、滋賀県の信楽はまた、陶器の町としても全国的に知られている。


信楽の中心から、三重県の伊賀上野に抜ける旧街道沿いに、多羅尾の集落があって、僕は此処を通って、伊賀に抜けることが多い。



山里の例に漏れず、くねくねと曲がりくねった道の奥まった多羅尾集落は静かな佇まいを見せているが、ひなびた風景はこのあたりに来ても、もう見られなくかなり近代的な建物に変わっている。



多羅尾小学校手前の路地を右手奥に入っていくと清龍山浄顕寺( ジョウケンジ)と言う浄土宗の寺院に突き当たる。


石段を登って、真新しい山門脇にこの菩提樹の老古木ががある。


この寺院には、石仏巡礼で訪れ、たまたま目に留まったもので、何の資料の持ち合わせもなく、後から調べてみてもまったく資料らしきものは見当たらなく無指定。



巨木と言う程のものでは無いが、菩提樹の大木なので此処に紹介しました。


高台にあるこの菩提樹の根元はきれいに整備され、樹こぶで節くれだった幹が、いい雰囲気を醸し出している。


幹周り約3m、樹齢、樹高ともにわかりません。



 



また、境内奥の墓地入り口にもカヤの樹の巨木が聳えていましたが、これもまったく資料が見つかりません。


撮影2006.11.5


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平群.杵槻(きつき)神社のカヤ

2007-01-11 | 奈良県

 


生駒山系の最南端にある信貴山近くの尾根筋付近にある福貴畑集落の氏神である杵槻(きつき)神社に2本の大きなカヤの樹が空を覆い隠すように聳えている。



石仏巡礼でこの地を訪れ、その折たまたま見かけたこのカヤの樹が余りに大きく見事なので紹介することにした。


参考資料を探してみてもまったくこの樹の存在は無く、巨木としてはカウントされていないのかも知れないが、僕が見た反にでは十分巨木としての範疇内にあると思う。



この神社の古びた正面石段両側に聳え立つカヤの樹は向かって右側の方が大きく見えたが、幹周り約4~5m、左側のカヤの樹は石段脇から少し離れて、ほぼ同じ大きさ。



右側の樹



左側の樹


両木ともに根元には蔓草が伝い枯淡な雰囲気を醸し出していて、樹盛は盛ん。


付近は、まだまだ開発の波からは遠く、環境劣化もさほど進んでいなく、この先また何百年もその樹齢を重ねていくに違いない。


撮影2006.8.26


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高倉神社のケヤキ

2007-01-09 | 三重県

 

伊賀は僕の住む山城と境を接する土地、家からは国道24号線、163号線を経由して約1時間、伊賀上野城がこんもりした丘の上に建っているのがよく見える。

伊賀上野の中心街から北方に向かって、一山越えるとそこは近江の信楽へと続いている風光明媚なところです。

春姿のケヤキ

御斎(おとぎ)峠を越えて多羅尾、信楽方面へと続く西高倉の北方山懐に高倉神社の古社が鎮座している。

秋姿のケヤキ

集落から神社に通じる赤い一の鳥居の横に、このケヤキの巨木が聳えていて、その大きな幹を、蔓がびっしり覆っていて

ほとんど樹皮も見ることができない。

このケヤキの背後には新しい道路が横切り、参道はこの道路下をくぐって神社へと伸びているが、古き風情はすっかりなくなってしまっている。

この巨木は1月7日に行われる山之口神事の縄掛けの木で、高倉五銘木として地域の人々から大切にされている。

山之口神事で唱えられる言葉は、「東の銭金この国へ引き寄せよ、西の国の糸錦この国に引き寄せよ。

この集落の番屋の辻と呼ばれるところに「ヨノミの木」とかかれた聞き慣れない木を見たのでここに紹介しておきます。

調べて見ると何のことはない、榎のことのようでしたが、「大和地方では神木とされ、野神をまつる木とする所が多いようです。」

とありました。

撮影2006.5.6/11.5

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旭神社の巨木

2007-01-07 | 大阪府

 


 この神社は非常に見つかりにくいところに在って、車で行くには大変でした。


住宅密集地地の細い道路奥の一角にあって、普通車ではかなりきついが、神社についてしまえば境内は広く駐車に困ることはない。



境内は、さすがに住宅密集地にあるためなのか、鎮守の森という雰囲気はなく、あっけらかんとした空間の広がる境内に数本の巨木だけが目に付きます。



旭神社は、古来から治水雨乞いの神として信仰を集め、祈雨祈願所として知られた処で、付近には古代寺院の加美正覚寺跡もあり、創建の年月は明らかでないが、縁起により天平5年(733年)頃と推測される古社です。



拝殿の前には 樹齢400年と言われる公孫樹の巨木が聳えています。


幹は三本立ちで巨木というにはちょっと頼りない気がしますが大阪府の天然記念物に指定されています。



拝殿左側には石の鳥居と、石柵に囲まれたクスの巨木が聳えている。




樹齢600年以上、幹周り5m内外と、これも巨木いうには、ちょっと頼りない気がする。




もう1本は椋の巨木で樹齢約300年、これも石柵に囲まれて大切されている。


この住宅密集地にあって、これだけの巨木を守り続けることは、大変ではないかと心配になる。


撮影2006.10.28


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大神神社(おおみわじんじゃ)の巳の神杉(みのかみすぎ)・他

2007-01-03 | 奈良県

 


大神神社(おおみわじんじゃ)は、国のまほろばと称えられる大和の東南に位置する円錐形の秀麗な山、三輪山を御神体として、大物主神(おおもの ぬしのかみ)【大国主神(おおくにぬしのかみ)に同じ】を祀る。



本殿 は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、神体そのものである三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられており、我が国最古の神社であり、山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして一切斧(おの)をいれることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われ千古の趣を今に伝えている。




拝殿の右手前に「巳の神杉」と呼ばれる杉の巨木が聳えていて、いつ訪れても信者がこの前で手を合わしている姿が見られる。



江戸時代には、「雨降杉」と呼ばれていて、雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉にお詣りをしていたらしいが、いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいて、「巳の神杉」とよばれるようになり、根元の洞には今も白蛇が棲むと信じられ、巳の好物とされる卵が、酒とともにお供えされています。




三輪の神の原初の形とされる蛇は、水神であり、雷神ともなり、農業神、五穀豊穣の神とされ、この杉を依り神格化させている。



樹齢約600年、幹周り約5m、主幹は地上4~5mのところで2本に分かれて、高く聳えていて、巨樹として紹介するのを戸惑うほどに神格化された杉です。


ほかに、今は枯れて根本だけが残る名巨木があるので紹介しておきます。


 衣掛杉(ころもがけのすぎ)



もう、いつの時代に枯れ果てたのかもわからない古株が、ほとんど朽ち果てようとしているが、現在、覆屋が作られて、周囲10メートルにおよぶ巨大な古株が残されています。



しるしの杉



三輪神の坐す杉とされていました、当初、神杉として信仰されていたすべての杉のことを指していましが、この杉もそのうちの1本だったようで覆屋が作られ、根本だけが残っています。


 おだまき杉(緒環杉)



大神神社の神宮寺としての由来を持つ、大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ。若宮社とも言われる)の鳥居右側の覆い屋に根元だけが残されている。


大田田根子命(おおたたねこのみこと)の御誕生を物語る杉だそうで、 江戸時代には、すでに文献に記載されている名木だそうです。


撮影2006.9.9


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慈恩寺のケヤキ

2007-01-01 | 奈良県

 


国道165号線を桜井から長谷方面にしばらく走ると、慈恩寺という交差点にさし掛かる、この交差点の次が慈恩寺北の信号、このあたり左山手の一帯に慈恩寺という集落がある。


この集落の会所のそばに玉列神社(たまつらじんじゃ)と言う三輪大社の摂社があって、椿の名所としても名高い。



この慈恩寺は、南北朝時代には、南朝方の支配下にあったそうで、集落名の由来となった慈恩寺は、玉列神社の神宮寺だったそうで、創建の時期は明らかではないのですが、南北朝の争乱によって廃寺の憂き目に会い、現在は阿弥陀堂一宇を残すのみと成っています。



玉列神社の参道右側に阿弥陀堂の小さな境内があって、小石仏の並ぶ庭にこの古老なケヤキが斜め前にせり出す形で立ち尽くしているが、あまりいい姿とはいえない、一口で言うと「チビデブ」、しかし枯淡なこの「チビデブ」さが見事です。



境内から向かって左側から見る主幹は、ほとんど洞状態、表皮を残して「枯れ死」しているように見えるが,大きな脇枝1本から多くの小枝を伸ばし、葉をいっぱいに広げていて、見た目よりは元気な様子です。




いつの日にか、このケヤキの巨木に落雷があって、今のような樹姿に成ったようで、「雷の落ちた木」と言われていて、奈良県の保護樹木に指定されています。


樹齢900年、樹高15m、幹周り6mと、ずんぐりむっくり、ちょっと可愛そうな状態にはなっていますが、樹木医の手入れも入って枯れ死の心配はなさそうに見えました。


撮影2006.9.9 


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