巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

東近江市 君ケ畑(きみがはた)の桂

2011-06-30 | 滋賀県

環境庁のデータや巨樹サイトなどを何処を如何探してみても出てこなかった桂の巨木です。

<桂、巨木辺りから見る集落>

紅葉の名所のして名の知れた永源寺脇を走る「八風街道」と呼ばれる国道421号線で愛知川(えちがわ)沿いに遡り、政所(まんどころ)で愛知川支流の御池川に沿うようにどんどん奥へ奥へ進むこと約20分・・・、やっと鈴鹿山系山間僻地の君ケ畑集落に到達する。

君ケ畑集落は全国木地師のふるさと、また「君ケ畑」の名前の元と成った惟喬親王(これたかしんのう)幽閉の地 としても知られている。

集落の脇を流れる御池川の谷川でも見ようと廃家の奥へと進んで行くと・・

コンクリートに固められた護岸、川面に傾く様に桂の巨木が濃い緑の葉を一面につけ谷風にそよがせていた。

廃家と谷川に挟まれた桂の巨木は・・・

樹高15mばかり、目通約7~8mと桂としてはそれほど大きく無いが

ひこばえばかりが多い桂の巨木の中に有ってこの桂は主幹が健在で実に瑞々しい。

巨大な主幹は川面に迫り出し、無数のヒコバエが若々しい樹冠を形成している

人に逢うことの少ないこの集落でたまたま出遭った人の話では・・・・、名前も無ければ特別な信仰も無く、ただ「川岸の桂の樹」だと言う事だった。

この山深く水の豊富な土地ではそんなに珍しい巨木ではないのかも知れない???。

撮影2011.6.25


庄原市西城町 熊野の大トチ

2011-06-27 | 広島県

 前回紹介の熊野神社より県道254号線を少し遡り、「熊野の大トチ」の看板通りに左折、谷川沿いに続く真新しい林道を行けば大きな車溜りの眼下、谷川の河原にそれと解る木立が見える。

 

最近整備されたものか??対岸の河原に下る散策道が用意され、至れりつくせり。

昭和33年(1958年)に国の天然記念物に指定され、散策道には柵も用意され保護には気を使っている様子が伺われる。

双幹の大トチは根元から2本の巨幹に分かれ、谷川岸の斜面に在って光をいっぱいに受けている。

双幹の根回り約12m、樹高30m、推定樹齢は凡そ500年。

おおきい方の根元にはぽっかり洞が空いていて人が30人も入れると言う・・・(ちょっとオーバーなような気もするが???)。

巨大と言われながらそれほどの印象を持たないのは周りが広く開けている事と、双幹であると言うことかも ・・・・。

 根元の岩のような樹瘤から新しい枝が一本吹き出し、新芽を付けていた。

2009.4.18


庄原市熊野 熊野神社の老杉

2011-06-24 | 広島県

中国自動車道の「庄原IC」より、国道183号線県道254号線と乗り継いで、ここ古事記にも残る「比婆山御陵」の遥拝所として建つ「熊野神社」は、また広島県下では名高い老杉群が聳え立ち、神話伝説と共に広く信仰を集めて来たと言う。

大鳥居をそのまま越えて奥に進めば巨杉の聳え立つ参道

厳粛さと古い歴史を感じさせる巨杉の参道は流れる空気もどこか違って、時間が停まっている感覚すら憶える。

参道入り口近く右手に一段と大きく石柵で囲まれて立つ巨杉は、「天狗の休み木」と呼ばれ、「比婆大神」(イザナミノミコト)使いの天狗がこの樹の梢で羽を休めたと伝えられる。

この巨杉は根元で合着したものか二本の梢を持っている。

樹齢約1000年、目通り8.2mで広島県下第2位の大きさと成っている。

境内へ登る石段脇にも・・・

正面に拝殿を見て・・

脇から見る拝殿と渡り廊の有る本殿。

本殿脇の一本・・・樹齢1000年、目通り7.4m、この鳥居の奥は「比婆山御陵」への道となっている。

広島県下の巨杉50傑の内、この地のものが26本を占めると言い「熊野神社」の老杉群として広島県の天然記念物に指定。

紀州「熊野那智大社参道大門坂」にも似通う雰囲気を感じる。

撮影2009.4.18


庄原市高野町 上高野山の乳下り大公孫樹

2011-06-21 | 広島県

まるで鍾乳石を全身に纏ったような、なんとも凄い形相・・・・・、小さな里山集落の小さな鎮守「天満神社」境内脇に立ち尽くしています。

この地は高野町新市、中国道庄原ICより国道432号で40kmほども北上した比婆山系、鳥取県との県境も近い谷間の山里。

国道から集落を突きぬけた長閑な里山風景の山裾に巨大な枝をいっぱいに広げる公孫樹が見える。

比婆山系の遅い春は四月中頃だと言うのにまだ梢に若葉も萌え出さず冬姿のまま。

地表まで垂れ下がり、また芽吹くだろう気根は永久の命を与えられ、まるで蠢いているようにさえ見える。

数多い広島県下の公孫樹の中では最大と言われ、目通り9.6m、樹齢約1000年とも言われています。

神木として崇められ、また名の通りいっぱいに乳房を垂らした姿そのままに地域と共に生き抜いて来たのだろう・・・。

老樹としての風格と、見ごたえの有る生きとし生けるものが造り出す自然の造形に驚嘆せずには居られない。

まだまだ元気そうで多分そう遠くない時期に地中に入り込んだ気根から次世代の新芽が芽吹くだろう・・・・。

広島県の天然記念物に指定されている。

撮影2009.4.18


敦賀市 道ノ口一里塚の榎(えのき)

2011-06-18 | 福井県

国道161号線を湖北から敦賀方面向けに走り県境を超え、峠の下りを気持ちよく走っていると大きく左回りのカーブで急に目の前に巨木が現れ、後ろを気にしながら車を脇に寄せSTOP。

立派な自然石に「一里塚・福井県」とあり、この地が一里塚であり、巨木は目印に植えられた榎(えのき)でした。

此の峠道は敦賀から京畿に向かう七里半越え(西近江路)と呼ばれ、関所が設けられた山中宿場への道の口だったのでしょうか??

少し下った敦賀側には荷馬運送に地名の由来がある駄口の集落が在って「駄口の一里塚」とも呼ばれているようです。

榎の巨木は一里塚が設置された慶長年間に植栽されたもののようで樹齢約300年強、目通りは約6mぐらい。

元気そのものの様に見えますが・・・・、ここは幹線道路、大型トラックが大きく張り出した枝をかすめてフルスピードで走っています。

それでも付近はには谷川が流れ濃い緑が失われるようなことは無い。

撮影2008.4.27


敦賀市 谷八幡神社のスダジイ

2011-06-16 | 福井県

北陸道敦賀ICの近く、滋賀県側から国道8号線を北上してくると右手山裾に大きな敦賀温泉病院の建物が見えるが、 その横の道を山手に登り詰めた谷間にその数10戸ばかりの小さな谷の集落がある。

集落の奥突き、北陸自動車道が走る斜面を背にして鎭守八幡神社が鎮座、その社殿脇に此の大きなスダジイが立っている。

かなりの老体、あちこちに傷みは見られるものの主幹は漲る力強さを見せつけ、枝いっぱいに葉を付け樹勢は旺盛

根本の板根もよく発達、目通り約6m、樹高20mにして樹齢は300年以上だと言われています。

北陸の小さな山襞の集落で村の歴史と共に生き抜いて来たのだろうと・・・・・・。

敦賀市の天然記念物に指定されています。

撮影2008.4.11


彦根市武奈 大杉竜王の大杉

2011-06-13 | 滋賀県

大杉竜王が此の杉に付けられた固有名詞なのか?はたまた此の杉を拝する神社の名前なのだろうか??

北原(きとら)竜宮の名前も見えてこんがらかってしまう。

ここは鈴鹿山系北端、霊仙山中、鈴鹿カルストの石灰岩がごろごろしている山深い場所。

霊木と崇められ、神聖な土地だとされているためなのだろうか・・・巨樹データーからはすっぽり 抜け落ちている杉の巨木です。

雪深い霊仙山中にあり、霊木と崇め続けた為か枝という枝は自由奔放に伸び、手付かずの森厳さを感じずには居られない。

小さな祠と簡素な鳥居を前にして特別な存在感を持つ・・・・、周りには枯れ果てた大枝が象牙のように散乱していた。

カルストのむき出した巨石灰岩と巨杉は、神そのものの存在を彷彿とさせるに充分・・・

存在感を示すようにものすごい形相で雄叫びするこの巨杉は目通り6~7mはあろうか??

因みに樹齢2000年とされているようですが・・・・。

撮影2011.6.4


敦賀市 田結神社(たいじんじゃ)のスダジイ 

2011-06-10 | 福井県

なんとも凄まじいスダジイの鎮守の杜、日本古来の広葉樹が埋め尽くす鎮守の森は最近ではもう見ることが少なくなってしまった。

敦賀の国道8号バイパスで敦賀港方面に田結トンネルを抜け田結口の信号を右折すぐ奥に田結の小さな集落に突き当たる。

集落の鎭守、田結神社は集落右手の山裾に日本の鎭守の杜らしく、スダジイやツバキなどの常緑広葉樹に包まれ、息を潜めているかのように静まり返っている。

境内には何本ものスダジイの巨木が有り、残骸と成り果てたスダジイの骸が無残にも、打ち捨てられて居たりする。

朱い鳥居の奥の境内は緑が豊かなせいか湿気が多く、苔むす境内と成って豊かな植生を育んでいる。

社務所脇拝殿への石段下に斜めに延びるスダジイの巨体が在ってこれが此の境内最大のスダジイ。

主幹はいつの台風でもぎ取られたのだろう??、痛々しいが・・・・

しかし此のスダジイはまだまだ若々しく見えて元気そのもの、あの椎類特有の洞や樹瘤もそう見受けられず、樹齢約300年以上、目通り約5.6m、樹高は約18mとなっている。

拝殿石段脇に左右一本づつのスダジイが敦賀市の指定天然記念物と成っているが左手の一本は無残な骸を晒している個体なのだろう・・・・

しかし石段を登り詰めた拝殿脇には双幹の年老いたスダジイ・・

こちらも無指定ながら中々の巨体・・・、かなりの老体のようですが??

他にも何体もの巨体が・・・

豊かな植生と共に春の淡い光を一杯に受けていた。

豊かな杜は豊かな自然を一杯育んでいるのが良く解る。

撮影2009.4.11


池田町 猩々の杜(しょうじょうのもり)のケヤキ

2011-06-07 | 福井県

前回までと同じ池田町に在るケヤキの巨木です。

476号線を道なりに奥へ奥へと詰めて行くと国道はやがて大きく左に迂回し、やがてこの一目でそれと解る「猩々の杜」の前に着く。

山懐に囲まれた鄙びた山村風情そのままの小さな東俣集落、その入口付近にある「猩々の杜」は池田郷の大庄屋を務めたのが飯田彦治兵衛家の鎮守社で県内随一の規模だとされています。

道路横に石鳥居が有って小さな境内に瀟洒な鎮守社の社が建っている。

小さな社の大きなケヤキ・・・「猩々の杜」と云えど、杜とも呼べる程の木立も他にはありません。

二本共に巨体でありながらスマートに丈高く伸び、少しひ弱い感じを受けます。

二本あるうち奥側の個体が大きく目通り幹囲約6m、樹高35m、推定樹齢は300年足らずと言う事に成っている。 

二本揃い踏みでのケヤキの巨木はそう有るものではない。

ケヤキそのものじゃなく、「猩々の杜」(しょうじょうのもり)として全体が池田町指定史跡に成っている。

撮影2009.4.11


池田町 常安の逆杉(つねやすのさかすぎ)

2011-06-03 | 福井県

実にこう、観るも無残な姿に成ってしまったと云うか ?まるで悲痛な叫び声が聞こえて来そうな巨杉です。

池田町の中心辺りから約1km程南下、左手に延びる国道417号線を1km程東進すると足場川沿いに広がる里山の常安集落。

 集落の東端に火の宮神社へと続く境内と思しき空地が在って、その傍らにこの無残な姿の常安の逆杉(つねやすのさかすぎ)が立って居る。

逆杉と云うだけ有って確かに下方の枝は地表に付くほど垂れ下がっているが積雪の多い地方では良く見かける姿です。

元もとは双幹で有った主幹の一本は落雷に打たれ欠損、伐採され切り口には屋根が掛けられている。

それより哀れを誘うように残った主幹も台風に相当傷められたのか傷跡も生生しく痛々しく見えた。

推定樹齢300年、目通り7m、樹高35m、池田町指定天然記念物となっている。

ただただ残念な事に杉のある境内地は手入れが行届いて無くて残念。

こじんまりした日野宮神社は良く手入れが行き届いているように見えたのだが・・。

今度、此の杉に遭うときはどんな姿でいるだろう・・・、ちょっと心配。

撮影2009.4.11