巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

禅昌寺の大スギ

2008-04-13 | 岐阜県

 前回紹介の久津八幡宮よりR41号線を3~4km南進すると禅昌寺への進入標識が目に入る。


禅昌寺は恵心僧都源信が開いたと伝える名刹で、当初は天台宗だったのだろうが、永和3年(1377)京都南禅寺派の竹処崇園を住職に迎え、臨済宗寺院として再興されたという。



茶人金森宗和が築いた美しい日本庭園と雪舟筆の「八方にらみ達磨」で知られる名刹からか、門前には立派な駐車場があり、しっかり拝観料も必要です。


後から気づいたのですが、巨樹を見るだけなら寺の門前を右折そのまま暫く進むとこの大杉の横手に出ることが出来ます。



境内に入って左奥、観音堂の背後に立つこの巨杉、樹齢1200年、幹廻り10m、樹高41mに達する巨大さで聳え立っている。


1200年という樹齢は遠望では全く感じさせないほどにびっしりと葉を付け、樹勢はこの上なく盛んなように見えます。



近づくとその巨大な幹廻りに圧倒されますが、地上3mほどのところに大きな樹瘤があって、この瘤を亀の甲羅に例え吉兆の印と、捕らえられているとか???。



さすがに1200年の気の遠くなるような歴史は、この巨杉の主幹にしっかりと刻まれているような気がする。



樹の周りがあまりにもきれいに整備されすぎていて、少し乾燥気味に思えるが、問題は無いのだろうか少し気がかり・・・・。


撮影2007.10.7


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久津八幡宮の夫婦スギ

2008-04-09 | 岐阜県

 


国道41号線が高山方面から来ると下呂温泉に差し掛かる少し手前、国道からJR高山本線越しに久津八幡宮の巨大な2本の杉を見つけることが出来る。



雌杉



雄杉


夫婦スギと言われている場合は根元が1本で二本立ちの杉が多いのですが、ここの夫婦杉は社殿右横に立つ「雄杉」と、石鳥居のすぐ上に立つ「雌杉」の二本で夫婦スギと呼ばれています。




神社は大きく立派ですが、訪れる人も無くただ二本の巨杉が立ち尽くすだけ・・・。


雌杉は主幹を途中でなくしており、脇枝から出たわずかな杉葉で命をつないでいるように見えて痛々しい。



目通り幹周囲約9.3m、樹高10m、樹齢1200年



社殿横に立つ雄杉は根元幹廻り約12m、目通り幹周囲10.7m、樹高約25m、樹齢1200年といわれておりこちらもかなりの老骨、とはいえ未だ健在。


しかしこの夫婦杉、雌杉が欠けてしまったらなんと呼ぶのかなあ??



真近に寄り見上げる雄杉は巨大な壁のようでも有る。


夫婦杉として国の天然記念物に指定されているようです。


撮影2007.10.7


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高山市甲(かぶと)の七本サワラ

2008-04-06 | 岐阜県

 


高山市街から国道361号線で約20分ほど走り、甲(かぶと)の信号を左折、集落の中に入ると、ひときは背の高い姿の良い木立が見える。



樹は道路わきの低い塚の上に在って、傍らには小さな釈迦堂と、安永3年(1774)、大原騒動で斬首された義人市左エ門の墓標がある。



案内板によると、伏見天皇のころ甲村に文作という者がいて、剣道に志し諸国修行をし、永仁元年(1292)2月2日家を出たまま行方不明になっていたが、仏道に入り高野山で髪をそり釈常栄の法号をうけ66ヶ国を遍歴した後、ここに帰り乾元元年(1302)3月2日に大往生を遂げたという。



彼には七男がいて長男が父の遺骸と経書をここに埋め、7人兄弟であったので6本のサワラの苗とサクラ1本を一束にして植え墓標として、ここに植えたのが今の七本サワラだという。


このうち、桜は大正末期に枯れてサワラだけなったといわれているから、実のところは6本サワラです。



6本のサワラの樹が合体しているようですが、樹齢700年、樹高43m、目通り幹周り9.6m、全国第二位にランクされるサワラの巨木です。



集落の屋根越しにもひときは高くそびえるこのサワラの樹は遠めにも秀逸の姿形で、今でも脳裏に残っています。


撮影2007.10.7


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飛騨国分寺の大イチョウ

2008-04-03 | 岐阜県

 


飛騨国分寺は高山の観光名所の一つで訪れる人も後を絶たない。


ここを訪れたのは秋の黄葉にはまだまだ早い10月7日、樹一杯のまだ青々とした葉を茂らせていました。



重たいほど一杯に茂らせた葉で、幹部分に濃い影を作り写真としてはあまり芳しいものが撮れなかった。


飛騨国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅願により全国に建てられた国分寺の一つで、大イチョウは、開基の行基菩薩が自ら植えたとする伝承があるそうです。



しかし中国原産のイチョウは、鎌倉時代以前には、まだ日本に渡来していなかったとする説が有力なようなので、多く見積もっても、樹齢は700年以下ということになる。



巨大な幹には樹瘤が垂れていて、「乳イチョウ」と呼ばれていて、根元の幹には地蔵尊が祭られているのがみえる。


樹齢1200年、樹高37m、目通り幹周10mと記された見事なイチョウですが、晩秋、最も美しいといわれている黄葉したこの大イチョウをもう1度たずねて見たいものです。


撮影2007.10.7


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治郎兵衛のイチイ

2008-04-01 | 岐阜県

 


石徹白(いとしろ)中居神社からとって返して東海北陸自動車道に乗り、富山方面に向かう。



荘川ICを下りて国道158号を高山方面に1.5Kmほど走ると右手に小さな惣則橋があり、イチイの案内標識が立っている。




小さな在所のなか、この地の鈴木治幸氏所有の墓地に墓標として植えられている樹で、屋号を治郎兵衛と呼ばれている事からこのような呼び名で呼ばれているようです。


広く開けた斜面が公園化されていて見通しも良く素晴らしいロケーションでこのイチイの巨木に出会うことが出来る。



樹齢2000年という気の遠くなるような、表示がされていてちょっと首を傾げたくなるが、環境庁調査では目通り幹周り8.0m樹高15m、となっており日本最大のイチイであると認定、平成6年には国の天然記念物に指定された。



回りの環境も良く、手入れも行き届いてるようで、樹勢は申し分なく、次から次へとひこばええが成長してこういう造形になっているのだろうか。


垣根などに良く使われて赤い実のなるあのイチイがこれほど巨大に成るものかと驚嘆、まんざら2000年の樹齢がまったく根拠のないことではないのかも知れない。


撮影2007.10.6


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