巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

藤坂の大カツラ

2007-11-28 | 兵庫県

 

丹波篠山の藤坂春日神社に兵庫県下一位の幹周りを誇る桂の巨木が有るというデーターを頼りに馬鹿ナビにその由打ち込んで車を走らせた。

家を出てから下道ばかりを約2時間、ついに着きました藤坂の春日神社・・・

境内を見回しても付近を眺めて見てもそれらしき巨木など見当たりません。

たまたま通りかかった老婆に訊ねて、それは春日神社の神木だけど境内じゃなく山の中に有るという・・・。

神社より2~3分神社の前の道を走ると左手に「藤坂の大カツラ」の道標があって一安心。

案内に沿って車を山手に進入させるがすぐに車止めのゲートがあってここで車は乗り捨てる。

ここからは歩いて山道を登るが、ここを訪れたのは新緑が濃い緑に変わる5月の末、

山道はウツギの薄ピンクの花が満開、さわやかな風が吹きぬける心地よい散歩道でした。

10分ほど登ると右手にカツラへの道標があり狭い急なのぼりの沢道となり、ヒイヒイ登ること5分ぐらいで前方に巨大なカツラが姿を現す。

周りは若い杉の植林で昼なを暗いといった感じがしますがこのカツラは谷の水源からすくっと大空目指して何本もの幹を突き上げています。

滴り落ちる桂の若葉が谷川野狭い空をうずめ尽くして居るさまは、たとえようも無くすがすがしく又頼もしい。

カツラの巨木は主幹を取り巻くひこばえと共に成長して独特な樹形で、巨木を愛でる僕たちの眼を楽しませてくれる。

目通り13m、樹高25~35mと表示されているが樹齢は不明。

根元にはおびただしい数のひこばえが立ち上がりまたいつの日かこの主幹を取り巻く大きな幹になることだろう。

まさに森の巨人としての風格が漂うが,森の巨人百選には入っていない。

毎年5月10日に藤坂の春日神社で行われるお田植え祭りには、この大桂の生命力にあやかろうと、この木の枝を24本切り取って祭礼に用いられるようです。

地域住民と共に有るカツラの巨木は樹勢も盛んでまだまだ若々しい姿でした。

 撮影2007.5.26

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天引八幡神社の大椋

2007-11-25 | 京都府

 


丹波篠山辺りには巨木が多いというので出かけたその道中、亀岡から篠山に抜ける国道372線沿の旧園部町天引の神社でたまたま見かけた巨木です。



この先の天引峠を越えるとそこは兵庫県篠山の地、この県境に位置する天引は、宿場として栄えた時代もあったようです。



車窓から一目でそれとわかる巨木の鎮守の森が確認でき、社叢全体が風致林として町指定記念物となっています。



以前この巨木はケヤキだとされていたようですが5年ほど前に椋であることが確認され、一躍全国レベルの椋の巨木として確認されたようです。



本殿東側の一角にカヤの大木と寄り添うようにこの椋の巨樹は立っている。


国の環境庁のデータでは幹周り7.8m、別のデーターでは9.1mとあってどっちを信用すればいいのかわからない。



三重県椋本の大椋、又兵庫県三日月の大椋、ともに全国1.2を争う大椋だが、ここの無垢はすらっと背丈が高い長身で樹勢も盛んなように思えるが、主幹から伸びた大枝が台風の被害で痛々しく折れていた。


樹 高 29.0 m、幹 周 9.1 m、が正確な数値だとすると全国レベル2位の幹周りということだそうです。


 


撮影2007.5.26


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木の根橋のケヤキ

2007-11-20 | 兵庫県

 


旧兵庫県氷上郡柏原(かいばら)町、現在は丹波市柏原町、この何年かかの間に平成の大合併やらと住所変更がめまぐるしく僕のアホナビではとても検索し切れません。



この日は丹波篠山で、何本かの巨木にあってそのままここまで足を伸ばして見ました。


丹波篠山市から国道176号線を北上すると、山間に柏原(かいばら)町という静かな町がある。かつては柏原藩という小さな藩で、市街地の中ほどにはわずかながら武家屋敷の面影が残っており、小さいながらも趣のある町です。



旧町役場の隣、小さなバスターミナルのような広場の目の前の小さな奥村川をこのケヤキの根が跨いでいる。


根といってもそこいらで見かける気の根っことは比べようもなく、幹の変形かとも思えるようにたくましく太く、まるで橋のように向こう岸まで延びて対岸の土中に潜りこんでいます。


その長さ約10m、その昔間違いなくこの木の根は橋の役割を果たしていたであろうことが、簡単に創造できるほどの巨大な根っこです。



川の流れまで降りてこの木の根を見上げるとそれはやっぱり橋そのもので有ることが納得できる。



世の中には本当に面白い物が有るものだと、ほほえましくもなって来ます。


今は隣に道路ができ、車が行きかう橋が掛かっていて、この木の根を渡ることはできませんが・・。



この山間部の風光明媚な、小さな町のシンボル的存在になっているようです。


この辺りは近くの柏原八幡神社の参道にもあたり、万寿元年(1024年)に創建された当時から、奥村川に架けられていた土橋に沿ってこの根が延びたものと考えられているようです。




目通り幹径6m、樹高21m、枝張各25m、樹齢1000年以上とも推定されていて県の天然記念物にも指定されています。


撮影2007.5.26


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天女の衣掛柳

2007-11-11 | 滋賀県

奥琵琶湖の北端に琵琶湖から切り離されたように静かにたたずむ余呉湖がある。


余呉の地は、春は長閑な湖北の田園地帯なのだが、冬には一面の銀世界となる北陸への入り口に当たるところです。



ここを訪れた6月初旬、余呉この周りの水田にはまだ植えられたばかしの稲が湖北の薫風にそよいでいた。


余呉湖の周遊道路わきに一期は目立つ姿の好い樹が田園風景と湖を背に立っている。



樹高11m、幹周り3.9m、マルバヤナギで僕らがなれ親しんだあの細長い葉を持つ柳とは少し違って中国系の柳だという。



美しい灰色の樹皮が縦ラセン状に裂けて見事な模様を呈している。


湖に天女が舞い降りて羽衣を掛けて水浴中、この地の男に羽衣を持ち去られ、帰ることができなくなったという天女の羽衣伝説がある。


菅原道真を絡めた天女の羽衣伝説からすると樹齢は1100年以上になるが、明治初期に前の木が枯れ、更新したものと伝承されているため、樹齢は130年ぐらいと思われます。


巨木としてはさほどたいしたことは無いのですが銘木の類、またまた伝説ゆかりの有る樹として掲載しました。


余呉町に伝わる伝説は衣掛柳ここから


撮影2007.6.10


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