巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

四国中央市富郷町寒川山(さんがわやま) 上長瀬のスダジイ

2011-03-31 | 愛媛県

山城幡神社のある富里町の上長瀬は、旧伊予三島の国道11号線から一気に山手に駆け登る国道319号線で、約30分程走った金砂湖の上流鍋山川に沿うようにして在る、小さな山里の小さな鎭守です。

小さな境内の背後に広がる椎の木樹叢に一際目立つ、かなり老骨なスダジイの巨木が立っているが、この通り痛々しい姿です。

横から見ると最早、骨皮筋衛門・・・・

主幹は大きくえぐれ・・・、洞と云うには大きすぎる裂け目はロープでぐるぐる巻き・・・・

大空に伸ばすべき梢は地上7~8mで度重なる台風にもぎ取られたとか・・・・。

それでも目通り約9m、樹高は16.5mとあり、実に堂々とした体躯です。

往古この地にはシイの巨木が群生していたらしいが明治時代にほとんど伐採されたとか??残った此の1本が今日までその姿を留めている。

椎としては愛媛県下最大の巨木といわれているが、どうにも此の痛々しさは、見るものの心を絞めつける。

それでも枝一杯に葉を付け、植物の生命力にはただただ脱帽の思いです。

撮影2008.12.22


四国中央市  下柏の大柏(ビャクシン)

2011-03-29 | 愛媛県

もう見事としか云いようの無いビャクシンの巨木です。

国道11号線を新浜方面から東進、今は四国中央市となった旧伊予三島市に下柏町と呼ばれる所があってその名の通り大柏(ビャクシン)が道路の右手、小さな公園にも見えるような空間にその威容を惜しみなく見せている。

道路横にはちょうど都合よくコンビニがあって何か買って駐車も難なく可能、もう目の前にこの巨ビャクシンが神にも近い姿で立っている・・・、と言うより居ると言うか?存在している。

なんという神々しさ、なんと云う凄まじさ、神そのものの姿を写してるような・・・・・

捩れ、捻り、白骨化したその主幹は根周り14.3m、目通り8.4m

注連縄を掛けられ主幹の洞には天明3年(1783年)地蔵菩薩が安置され信仰の対象とされ神として崇められてきた。

1200年生き続けるとはこういう事か?と頷かせるような風格、厳粛さ。

それにしてもこの交通量の多い国道、街のど真ん中という環境が気に成るが、もう後戻りは出来ないだろうし・・。

環境悪化の傷みに耐え抜いて大声で叫んでいるようにも見えないか??

大正13年に国の天然記念物に指定されている。

勿論、地名の下柏町柏槙はこの大柏(ビャクシン)に因んでいる。

撮影2008.12.22


四国中央市土居町 大川薬師堂の大楠

2011-03-26 | 愛媛県

国道11号線の新居浜から少し東に進むと合併で四国中央市と名前を変えた旧土居町の上野に出るが、その辺りで山手向かう道路で高速道路の下を潜り関川沿いに赤石山系への林道を30分も登って行くと谷川に沿った大川の小さな小さな集落に出逢うことになる。

この大楠は集落の手前、谷川を渡った対岸に在る古びた大川薬師堂の境内にひっそりとそれでも見事な根張りを見せつける様に立ち尽くしている。

この鄙びた景観がなんとも捨てがたい景観を醸し出し・・・

楠の巨木は質素な薬師堂の傍らで密かに息づいているかのよう・・・・

巨大ではあるがすっくと伸びた巨幹はバランスが良すぎて遠目にはそれほどの巨体とは感じないが近づくほどに圧倒されるものが有る。

目を見張るのは大地を捕まえて離さないぞと言わんばかりに発達した巨大な根回り根張り・・・

これほどの根張りが必要なのか、あまりに巨大な根張りに主幹が貧弱に見えてしまっているような??

根回りは驚きの35m、目通り10.6m、樹齢約400年余り、ごらんの通り樹勢も旺盛、巨大さの中にも見事な美を見せてくれる大楠です。

石積塀、墓石台石に四国独特の石積み文化を感じる境内脇の小さな古墓の風情が大楠の景観に色を添えている。

愛媛県指定天然記念物。

撮影2008.12.22


西条市 坂元天満神社の大楠

2011-03-25 | 愛媛県

前回紹介の土居の大楠より約10km強、国道11号線に出て東進すること約20分JR予讃線伊予氷見駅を越え右手山側に通じる小道で坂元の集会場を目指せば右手前方に一目で楠だと解る大きな樹冠が見える。

長閑な里山集落の小さな鎭守の大楠、坂本集落はづれに小さな観音堂を前に道路を挟んで天満神社が鎮座、その脇に境内を覆い尽くすかの様に広大な樹冠を広げてどっしり腰をすえている。

 広大な樹冠を支える主幹は根周り17m、目通り9.7m何処と言って傷みは見られず、巨大な根元はまるで呼吸しているように台地をしっかり捉えて居る。

樹高は25m、樹冠は大凡直径40mにも及ぶほど・・・、樹齢は不明だと云うことです。

樹勢や主幹の大きさから押し計らえばそれほどの老齢ではないようにも思われる。

少し離れた野面から・・・

巨大な樹冠が正しく天を覆い隠す勢いで伸びて居る。

昭和31年、愛媛県の天然記念物指定。

撮影2008.12.22


 西条市 土居の大楠

2011-03-23 | 愛媛県

なんとも、こう心の癒されると云うか・・・、巨木の有る景観としては非のつけようがない程に良い感じを醸し出している巨楠。

樹その物の形状やその樹齢から滲み出す威厳や神々しさに加えて、この道前平野の広く拓けた田圃の中の小さな祠を暖かく見守るように立つ此の巨楠には、一抹の寂しさと共に愛しさを感じる。

鎌倉中期の貞永元年(1232)、害虫退散祈願のため烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)を勧請し臼宮と称した、その時にはもう此の楠は相当な大木で有ったと伝えられて居る様です。

根元が大きく膨らみ力強く波打ち、その巨大な株元から四本に分岐した支幹が天空を目指している。

その巨大な根回りは14.3m、目通り11.4m、樹高27mと記されており、推定樹齢1000年以上と言われています。

なんとも老獪なわりには優しさと親しみ抱かせてくれる巨楠で狭い土壇の境内にはブランコなどの遊具なども設けられ小さな子供の遊び場にも成って居る様です。

子供を優しく見守って佇む巨楠はまだまだ元気で大きな傷みも見つからなかった・・・・。

撮影2008.12.22


今治市 玉澄さんの大楠 <別名(べつみょう)の大楠> 

2011-03-21 | 愛媛県

 大三島の大山祇神社を訪ねての帰り道、通りがかりからそう遠くない場所に今治市内随一の大楠が有ると言うので訪れてみた。

しまなみ海道出口の今治ICからR196、直ぐに片山交差を右折し別名の公民館を目指せば楠の大きな樹冠が目の前に飛び込んで来る。

大山祇神社のあの神々しく老獪な巨楠に出逢ったばかりなのでそれほどの感慨は無かったけれど・・・・・・

しかし愛媛県の山中には公孫樹の巨木が集中して多く、瀬戸内海岸近くには巨楠が集中しているものだと・・・・

玉澄さんの大楠と呼び親しまれている大楠は、あの大山祇神社の「乎致命の巨楠」でも名前の登場する乎致命の子孫「越智玉澄」の墓所に植えられたもので根元には玉澄公の墓石を巻き込んでいると伝えられている。

樹齢800年、まだまだ若々しく見える大楠は根元から直ぐに数本の大幹に分れ少し迫力には欠けるが根回り13.6m、目通り8.1m、樹高23mと中々の巨体です。

工場に周りを囲まれ決して良い環境とは思えないがこれ以上の環境悪化も考えられずますます元気に大きく育ってくれることだろう。

主幹や大枝にも殆ど痛みは無く、樹盛は満点・・・・その大きな樹冠は誇らしげに天を覆っている。

撮影2008.12.22


大三島  大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)楠の巨木群

2011-03-18 | 愛媛県

二回目の四国巨樹追い旅、三日目は瀬戸内海に浮かぶ大三島にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)からのスタート。

<大三島と生口島に架かる多々羅大橋>

松山のホテルを早朝に起ち、「しまなみ海道」に乗り、ここ大三島へとやって来ました。

<正面入口付近から・・・境内>

大山祇神社の駐車場に着いたのは車も人通りもまばらなまだ8時にも届かない時間帯、地元の人達が朝の参拝ポツポツ訪れて居るのを見かけました。

ここ大三島の大山祇神社は全国の三島神社、大山祇神社の総本社で、つい最近までは陸続きでなく瀬戸内海に浮かぶ島で有ったことも幸いしたのか日本最古だと言われる原始林社叢に覆われ楠木群を形成しており、その内38本が「大山祇神社の楠木群」として国の天然記念物に指定されて居る。

境内に入りまず目に留まる楠の木がこれ・・・・

能因法師雨乞いの楠と呼ばれて、その樹齢約3000年、日本最古の楠と言われているが観るも無残な姿です。

能因法師は平安時代の歌人で、雨乞いの歌を詠み、この楠の木に幣を掛け残したと伝えられています。

 しかし最早残骸、まだ天然記念物の楠木としてカウントされているのでしょうか??

上段にある拝殿の手前、下段境内ほぼ中央にデンと腰を下ろしているのが「乎知命(おちのみこと)御手植えの楠」と呼ばれている神楠で天一杯に枝を広げ葉を茂らせて居る。

<拝殿と拝殿側からの神楠>

乎知命は神武東征の折、要衝の此の大三島に大山祇神社勧請したとされ、その時それを祈念して此の楠をお手植えされたと伝えて居る。

樹齢約2600年、巨大な根元は既に抜け殻の様に表皮だけで生をつないで居る様にも見える。

目通り約11m、樹高約15m・・・・・・無残にも引きちぎられた傷跡が生々しい・・・

 

しかし角度を変えてみると、どっこいまだまだ大丈夫そう・・・

もう1本こんな楠も目に止まった。

目通り8m、樹高24m、国天指定とあるが主幹は白化している様に見受けられた。

撮影2008.12.22


内子町 上川薬師堂の大公孫樹

2011-03-16 | 愛媛県

四国山中の鄙びた山村の薬師堂境内にひっそりと佇む大公孫樹、なんとも言えず素晴らしい景観です。

前回紹介の三嶋神社より更に県道211号線とは言え全くすれ違う車など見かけない田舎道の小田川沿いを駆け登ること5分足らず・・・

静まり返った山村のはずれ、小さな上川薬師堂の石垣上にこの孤高の大公孫樹が聳えている。

この辺り公孫樹の巨木がやけに多いのは何故なんだろう??

公孫樹は日本原産樹木で無く外来種、人為的にこの地に植えられたものだろう??・・、この山村がいかに古くから在ったという証かも・・・。

素朴な造りの薬師堂、小さな境内の大きな公孫樹・・・、裸木になった姿に孤高の尊厳を感じる。

山村でも最早拾われなく成った銀杏が境内一杯に落ちていて物悲しい。

根廻り13.7m、目通り7.3m、推定樹齢は500~600年とされています。

樹齢なりの老骨さは感じるものの主幹にも大きな損傷も無く小枝を一杯に伸ばし樹勢も旺盛に見える。

素晴らしい景観を醸し出し、懐かしい景観を見せてくれる大公孫樹に感謝です。

境内付近から見た小雨に煙る対面の景観

撮影2008.12.22


愛媛県内子町 三嶋神社の乳出の公孫樹

2011-03-15 | 愛媛県

東日本大震災被災者の方々には心よりお見舞い申しあげます。

前回紹介の広瀬神社から県道211号線を小田川沿いに約1.5kmほど遡ると中川の集落があってちょうど屋並みの途絶える辺り、県道左手脇にそれと解る大きな鳥居と巨大な公孫樹が見える。

県道から真正面に見る三嶋神社の鳥居、その奥に続く石段右脇に大公孫樹、その奥には随身門。

県道脇下方から見上げる大公孫樹は・・・

その根元に小さな祠を持ち、威厳に満ち々てまるで野武士の風貌。

参道石段から見上げると大きな乳首のような気根・・・・・その下には鞠持ち狛犬。

集落を見下ろす公孫樹は愛媛県下第一の巨木で根廻15m、目通り11.5m、推定樹齢1300年。

随身門脇の大公孫樹は乳出し公孫樹と呼ばれ、この気根の皮を煎じて飲むと乳の出がよくなると言い伝えられています。

なんと云ってもこの鄙びた集落の古社にはこの大公孫樹がとても良く似合う。

乳出しの大公孫樹根元でから五本の株立ち、主幹頂部は欠損、根幹部は1300年の歴史に耐えて神々しい。

随身門越しに望む公孫樹の巨木は黄葉を全て落とし、冬の到来を告げる時雨に煙る集落を見守るように立ち尽くしている。

愛媛県の天然記念物指定。

社殿左側、境内の片隅には榧の大木、「兄弟カヤ」と書かれた説明板。

こちらが兄の木、目通り4.7m、樹高25m、推定樹齢800年弱、榧の木らしからぬ樹姿です。

こちら弟、目通り4m、樹齢は兄の木に同じようです。

奥の木は榧の木では無いようです。

撮影2008.12.22


内子町小田 広瀬神社のケヤキ、イチイガシ

2011-03-12 | 愛媛県

前回訪ねた高知県境「松野町」から約2時間弱、90kmの長丁場、この日は移動の時間が多すぎたかな??

南北にも意外と広い愛媛県のほぼ中央部、石鎚山系の真っ只中「内子町」にやってきた

国道56号線と分かれて小田川沿いに走る国道380号線を遡ること40分、やっぱり此処も相当山深い辺境の地。

それでも此処は内子町と合併する前には旧小田町という小さな町として独立していた中心部に近く、近くには高校まである。

<これは逆方向から>

小田町の中心部を抜け県道52号線で更に小田川沿いに2kmも遡れば左手にそれと解る大きなケヤキのある神社が見えてくる

笠屋根付きの両部鳥居と石垣に挟まれる様に巨大な根をはっている。

樹齢約1000年、目通り約7m、県指定天然記念物と成っているようですが樹勢は余り芳しく無さそうにも見える。

痛々しく大枝を払われても立派な楼門や鳥居と相対峙している。

広い境内の真ん中にどんと陣取る様に腰を据えてるのがこのケヤキ。

こちらの方は鳥居横のケヤキの親分、まさしく大きな痛手を負った孤高の野武士、根元には大きな洞が有ったのかしっかり合成樹脂??で塞がれている。

苔むし、大きな樹瘤を一杯ためた巨大な主幹は寄る年波には勝てないのか??やっぱり樹勢は芳しく無さそう???しかしそれも、もう2年前、まだ大丈夫だろうか??

こちらやっぱり県天で目通り7mと鳥居横と変わらないが根回りは一回り大きい13m・・・・、確かに巨大ですがちょっと心配。

この境内にはもう1本県天が有って、境内脇、土蔵の横に巨大なイチイガシが枝一杯の葉を広げている。

2本のケヤキに比べるとこちらは樹勢も旺盛、主幹にも大きいダメージは無さそうな・・・

それと云うのもケヤキは落葉でイチイガシは常緑・・・・、この差は冬に見ると大きいかもですが??

まあこちらはとにかく元気で、目通り6.7m、根回り約10m、樹高約30m。

広い境内ですが県天の巨木が3本も立ち並ぶ景観はやっぱり壮観。

因みに樹齢は3本共に1000年以上と成っている。

撮影2008.12.21


松野町 逆杖(さかづえ)の大公孫樹

2011-03-11 | 愛媛県

四国一晩目の宿は四万十市の中村駅近くで取り、朝早くに足摺岬先端のアコウの巨木と対面、その足でここ愛媛県松野町の山奥へとやって来た。

年の瀬のそぼ降る小雨にけむる四万十沿いに遡る事約100km約2時間強の長丁場・・・・。

途中四万十の一つ支流広見川と別れ更にその支流の奥の川を県道106号で遡り、まだ山間の谷川沿いをを遡る・・・・やっぱっりここまで来ると辺境感は拭えない。

谷沿い道を詰めて行くと民家が点在、何軒もない集落の途切れる辺りに一段と高い石垣が有って、素朴な薬師堂と共に、この逆杖の大公孫樹が冬枯れの枝を一杯に広げているがやっぱり冬場は物哀しく見える。

この公孫樹は関西でも巨樹伝説によく登場する弘法大師が杖を差し、根付いたと言い伝えられているようです。

この辺境の地に中国原産と言われる樹齢1000年とも言われる公孫樹が有るというのはちょっと不思議な気もしないではない。

この地は1000年以上も続く集落なのだろうか??

しかしそんな事はさておき、薬師堂の狭い境内に大きく枝を広げて鄙びた山間集落を見下ろす姿は確かに孤高、なんとも言えない存在感がある。

薬師堂をバックにするとこんな感じ・・・

反対側には集落・・・・と言っても家は少ない。

石垣下から見上げて見ると・・

推定樹齢1000年、目通り約12m、樹高約32m。

樹齢の1000年はともかくとして相当歳を重ね世代交代も果たしてるようです。

 撮影2008.12.21


仁淀川町 長者の公孫樹

2011-03-10 | 高知県

須崎市で大谷の大楠を見てその足でこの日の最終訪問と決めていたここまで馬鹿ナビ頼りに走ってみたが思わぬアクシデント、このバカナビにはよく泣かされる。

国道33号線で佐川町を抜け越智町へ、越智町の川の麓の交差点を言われるままに県道18号に左折、それが間違いの元、地理に不慣れな土地の怖さと云うか??谷川沿いの県道をどんどん進めて行くと・・・・・

道路はどんどん狭くなる山はどんどん深くなる、20分も走るとすっかり心細くなり引き返そうと思ったり・・・、そんな時ちょうど道路工事をしていた人に出逢い確認すると45分ぐらいで山を越して目的地にはでられるよと・・・・・

越智で此処に入ったのが間違い、少々遠回りでも国道をぐるっと迂回するほうがよほど早くてよほど快適だとか・・・・・そんなこと後の祭り、何とか先を進めたが四国の道路は恐ろしい・・・・・、これが県道か???それでも滅多に見れない四国山中の山岳集落などを目にして思わない目の保養はさせて貰った。

県道18号線の最大難所、大峠の登りを過ぎ、峠の下りから長者の家並みが見えてほっとする、ここまで越智の交差から約1時間半、しっかり疲れました。

集落が近づいて眼下に大公孫樹が石垣積みの見事な棚田の向こうに見えたときには瞬時に疲れも吹き飛ぶ程の歓喜を覚えた。

全て葉を落とした裸木の大公孫樹と見晴るかす石組み棚田、その上に在る家並からは夕餉の煙、なんとも谷底集落の夕景と云うのはこういうものか・・・。

まさしく出逢いたい景色に出会えた喜び、そこに身を置いて感じる愛おしさ・・・・・来てよかったと感じる一瞬だった。

棚田の上に在る家並の間を下って行くと小学校の横、石垣上に素朴な十王堂が有りその境内脇にこの長者の大公孫樹が見事な長者の棚田をバックに聳えている。

何も語る言葉など必要ないかも??この存在感と、何ものにも変えがたいこの景観・・・・・。

文化13年、村の庄屋さんが十王堂の改築にと3幹のうち1幹を用材として伐採、大正期には火災や台風の被害に有ったらしいが毎年元気に芽吹いて枝一杯に葉を付けるとか・・・・。

引きちぎられた大枝が痛々しいが、推定樹齢1200年、目通り約11m、樹高約15m、県の天然記念物に指定されている。

なんとも良いものを見せて貰った。

撮影2008.12.20


須崎(すさき)市  大谷の大楠

2011-03-08 | 高知県

大谷の大楠の在る須崎市は高知県のほぼ中央部にあって高知市内から西へ約30km、黒潮押し寄せる土佐湾に面して穏やかな気候に恵まれた豊かな土地です。

高知市内方面から国道56号線で須崎市内に入り県道23号線に乗り換え押岡から長いトンネルを抜け野見湾に面して開けた大谷へと着く。

大楠の在る須賀神社は進路方向右手、山裾に広がる大谷の家並の中にあって一目でそれと解る大きな楠がその樹冠を大空一杯に広げて居る。

懐かしい風情の残る須賀神社の前は広い空地で、近くの人達の憩いの場ともなっているらしくベンチなども置かれ、なんとなくほのぼのとする景観の中にある。

明るく開けた境内、社殿右手の塚のような所を飲み込むようにその根を伸ばし大きく波うち、主幹は失われて居るようですが大きな支幹が数本立ち上がってまるで巨大な角を持つでんでんむし・・・、今にノソノソ動き出しそう。

<主幹は失われて久しいようです>

四国最大の巨樹だと言われるこの大楠は最早樹と云うよりも岩塊、その根回りは25mにも達するようです。

楠の前には鳥居が設えられ、根元の大きな洞の奥には小さな祠の楠神さんが祀られ神格を与えられている。

なんとも凄まじく、また神々しい生命体・・・・・。

もうこの楠に命の尽きることは無く世代交代を延々と繰り返していくような気がする。

国の天然記念物、推定樹齢2000年、目通り約17m、樹高約25m。

その長寿や再生力にあやかろうと健康祈願に訪れる人は根元の大きな洞内まで入って祈願するという。

撮影2008.12.20


香南市加賀美町(こうなんしかがみまち) 天神の大杉

2011-03-07 | 高知県

 揺ぎ無い存在感で鳥居奥の境内に聳え立つ雄姿はさすがに特別な威厳に満ち々ている。

加賀美町の在る香南市は高知市の東方約20~30kmの太平洋岸に近い地域にあって、加賀美町は香宗川流域に拓けた里山集落がいくつも散在する長閑な田園地帯です。

国道55号線で香南市役所付近まで来て県道30号、230号を経由香宗川を渡ると小さな集落が見え家並の途切れた辺りの四辻を右折、田園の中を行く道なりに突き当たると山裾に天満宮が鎮座している。

小さな集落の天神さんらしく、うら寂びた参道の奥、両脇に狛犬をおいた石鳥居の向こうにこの大杉がでんと腰をすえている。

境内のほぼ中央に立つ大杉には粗末な柵が有り根元の保護に努めているのが良く解る。

高知県には杉の大杉という超有名な巨杉が在ってどうしても見劣り感は否めないが国の天然記念物に指定されている。

 

 素朴で簡素な拝殿、本殿を背にして狭い境内を見下ろす様に聳え立つ天神の大杉は樹齢約850年、目通り約10m、樹高55mとずば抜け天を突き刺している。

 

案内板を読むと2度の火災に遭い昭和46年(1971)には3日間も燃え続け、自衛隊も出動して鎮火したらしくかなりの痛手を受けたようだが現在ではすっかり回復、樹勢も悪くない。

巨大な根元近くの樹皮は白い奉書でも貼りつけたようにみえる・・・。

これは白く見える苔でも生えているのだろうが・・・??それがますますこの巨杉を神々しく見せているように感じた。

鄙びた里山の小さな鎮守の巨大な杉の木です。

撮影2008.12.20


 土佐町平石 毘沙門堂の四本杉

2011-03-04 | 高知県

前回紹介の平石集落の入口辺りに四本揃って大空に並び立つ大杉です。

古びた毘沙門堂簡素な毘沙門堂の脇にしっかり根を張り400年もの長い間この鄙びた集落と共に生き抜いてきたのだろう。

1本1本はそれほど巨杉とは言えないが、4本の大杉が並び立つ姿はやっぱり壮観で古びた毘沙門堂と共に見事な景観を生み出して居る。

4本杉は最大目通り約6m、共に推定樹齢400年とされていて傷みも無く、山深いこの集落に良く似合う。

 毘沙門天は七福神の中に含まれ、大杉の脇、毘沙門堂の石段横には「福の神毘沙門天」と書かれた看板が立っている。

大杉の前には大きな♂のシンボルを思わす様な石も有り、この杉自身も信仰の対象として大切にされてきた事をうかがせる。

杉の近く、集落外れで見かけた石造物の景観が素晴らしかったので・・・

大銀杏の台地から見下ろした四本杉は小さな集落を従え、居丈に聳えていた。

小さな村の大きな樹が何時までも元気で居てくれる事を願わずには居られない。

撮影2008.12.20