巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

昭和町の「ムクノキ」

2007-02-26 | 滋賀県

 


滋賀県湖東の穀倉地帯、いまは東近江市、旧八日市市は、蒲生野と呼ばれて、古代から良く知られた土地です。



この地の昭和町、民家と町工場に囲まれた県道沿いに、この「椋の木」の巨木が単木立ちしている。




葉をすべて落とした梢を天空に突き刺し、冬の鈍い光に巨大な白い木肌をさらしている。



根元の周りには金網フェンスで囲われむやみに根回りを踏み固めないように、大切に保存、育てられている。


この付近にはもう1本「東の椋」と呼ばれる巨木があったようだが、現在この「西の椋」だけが残っている。



樹齢約650年、幹周り7.3m、樹高22m「ムクノキ」としては滋賀県最大クラス、すくっと単独で立ち尽くす姿は孤高の巨木としての存在感がすばらしい。


撮影2007.1.14


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薬王寺の樟

2007-02-21 | 奈良県

 


 薬王寺の樟が在る奈良県田原本町は、奈良県の北西部、奈良盆地の中央部を占め、町の中央部を国道24号線と西部を京奈和自動車道が縦断し、田原本町薬王寺の交差点からこの大きな木立を見ることが出来る。



薬王寺集落はこじんまりした古い集落だが、この楠のある「八幡神社」の周囲にも新興住宅街が迫っている。



薬王寺とは、室町時代ここに禅宗の「薬王寺」があり付けられた名前で、その遺跡が今も残っているようです。


境内は集落の中の細い路地の奥にあって、車では近づくのは不可能で、駐車場もありません。



境内はがらんとしていて、鎮守の森らしいものは無く、この楠の巨木がその森の役目を果たしているようでもある。



この楠の巨木は拝殿奥の神域にあるが、まったく自由に真近に近づける。



目通り周り6.18m、樹高約30mで、樹齢約500年余の古木です。樹枝が四方に広がり、約400平方メートルの境内を覆い、樹勢は今も盛んです。


撮影2007.1.4


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楠 正行(まさつら)墓の楠

2007-02-19 | 大阪府

 


大阪市内の東方、奈良県との境にある生駒山系北端の大阪側麓に位置する四条畷市。


楠 正行は、あの楠正成の長男、正成を大楠公と呼ぶのに対して、正行は小楠公と呼ばれ親しまれている。



四條畷の戦いで弟の正時とともに討ち死にした正行の供養塚はこの四条畷市の中心街、JR の四条畷駅のすぐ近くにあって、ここからまっすぐ東の方に伸びた参道奥には四條畷神社があって祭神として祀られている。



この地野表示板には正行は「この地で戦死、葬られた所である」としているが墓所は京都にもあり、定かではないとか??。



その後誰かが碑の近くに2本の楠を植え、それが合体して現在のような姿になったと言われています。



墓所には立派な門があって周りを石柵で囲んでいるため、柵外より見るしかなく、そばまで近づくことは出来なかった。



樹齢約550年、幹の周り12mにおよぶ大木に成長し、大阪府の文化財に指定されております。
また、楠の木は四条畷の「市の木」にも指定しされています。





 小楠公墓碑から東に十分ほど行くと、正行の家臣・和田賢秀の墓がある。堅い主従関係を結ばれ、正行の死後も戦い続けたといわれています。



ここにもやっぱり大きな楠の木があって枝いっぱいに葉を広げている。



撮影2006.12.3


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蘇武橋(そぶはし)の榎

2007-02-16 | 奈良県

 


奈良県橿原市の今井町は、戦国時代石山本願寺の家衆である今井兵部が築いた宗派の称念寺を中心とした城塞都市であったようです。


町を囲うように環濠が掘られているのがその名残で、その後江戸時代になると、商業都市に様相を変え大阪の堺と共に「海の堺、陸の今井」と言われるほどに栄えていたようです。


東西600m、南北310mの小さな町ですが、かつて「大和の金は今井に七分」と言われるほどに繁栄した町で、現在旧環濠内にある600軒余の民家のうち、約500軒が江戸時代からの伝統様式を残す町家で、伝統的街並みがそのまま残されています。



この今井町の東側を流れる飛鳥川にかかる蘇武橋の畔に、ひときは大きな榎が聳えている。



今井町の繁栄と共に生きてきたと思われるこの榎の巨木は、背後に近代的なマンションを背負い、車の往来が多い道路脇に立っていて、厳しい環境のもとに活き続けている。



動けない植物にとっては、周りの環境の激しい変化は命取り・・・・・・・この榎もかなりきつい。


幹周り4.9m、樹高14m、樹齢約400年といわれています。


撮影2007.1.4


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櫛羅崇道神社のムクロジ

2007-02-15 | 奈良県

御所市櫛羅(くじら)の集落に崇道神社という小さな鎮守がある。

祭神は神社の名前が示すように崇道天皇(早良親王)で不遇の親王として知られ、藤原氏政権獲得の犠牲者として世人の同情も集まったようである。

崇道神社は京都や奈良には多く存在するようだがこの地にどうして崇道神社が勧請されたのかはわからない。

神社は町並みの小さな路地の向こうに天を突き刺すように伸びた三本のムクロジと小さな鳥居がみえる。

鳥居の前には写真のように気の毒な看板が立てられており、拝殿の傷みも痛々しい。

その小さな境内、拝殿の前右側に1本左側に2本の巨大なムクロジの樹が聳えている。

右側のムクロジ

左側のムクロジ

右側の大きい方が、幹周り4.66m、樹高38m、左側のは幹周り4.1m、樹高32mと成っている。

撮影2007.1.4

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王龍寺のヤマモモ

2007-02-12 | 奈良県

 


奈良県、生駒の高山から、大和郡山の通じる県道を南進していくとやがて杵筑橋の信号に出る、ここを左折して、進行住宅地を抜け谷田丘陵の懐へと入っていく。



すぐに飛鳥カンツリークラブが開けていて「石仏観音岩屋大黒天王龍寺」の石碑が建ち、参道の奥の方に黄檗宗海龍山「王龍寺」の山門が見える。


ここには石仏行脚のつもりで来たのだが、石仏は磨崖もろとも本堂の奥深くにあるようで、正面の扉は固くく閉ざされていて見るのを拒んでいるようでした。



深山幽谷の趣きが感じられる境内裏門脇に大きなヤマモモの巨木があって葉を生い茂らしている。



根元部は葉約5mで3本の側幹に分かれ、樹高11m、最大目通り約3m、庫裏横の崖状地に巨大な根を張っている。



樹齢約300年、本堂創建(1689)ごろに飢えられたものだと考えられていて、参詣した賓客をもてなすのに、ヤマモモはかけがいのない果物であったとか。


撮影2006.12.3


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水口の椋の木

2007-02-07 | 滋賀県

 


国道307号線が信楽方面から来ると、野洲川の橋を渡って直角にカーブ、野洲側沿いに走ることになる。



右側が野洲川でそのまましばらく走るとやがて左手に大きな木の聳えているのが見えてくる。


水口は東海道五十三次の五十番目の宿場町として栄えて今もその面影を残しています。



この椋軒が当時の面影を伝えるものかは良くわからないが、近くには、水口の宿、陣屋跡なるモニュメントがあったりする。


2000年の環境庁のデーターによると幹周り4m、樹高20mとあるが、もう少し大きく見える。



付近は新興住宅も建ち並び、道路にも面して良い環境とはいえないが、樹盛はよく、まだまだ若々しい。


気の根元には小さな石仏を祀った祠があって、大切にされていることが伺われる。


撮影 2006.10.7


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うつくし松

2007-02-05 | 滋賀県

 


「うつくしの松」の自生地である美松山は、現在、湖南市と言う名前に成った石部町は古く、近江と伊勢を結ぶ伊勢参宮街道として栄え、江戸時代には東海道五十三次の51番目の宿場がおかれ、宿場町として栄えたところです。


今でも、この街道筋を歩くとあちこちに旧街道の面影を彷彿とさせる景観にめぐりあえます。



「うつくしの松」は、美松山の斜面一面に群生している松で、大小約200本がとても美しい景観をなしています。


アカマツの変種で、一本の根から地表近くで放射線状に枝が分かれた珍しい樹形をしており、国の天然記念物になっています。江戸時代の古書にはすでにその美しい姿が描かれており、東海道の名所として江戸時代から語り継がれてきました。



なぜ此処にあるにある松だけがこういう樹姿をしているのかは解っていませんが昔から「男松にあらず、女松にあらず、これ神木なり」といわれているそうです。



確かに日本人好みの優しい姿をしていて国の天然記念物に指定されています。


撮影2006.10.22


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奥山田のカヤの木

2007-02-02 | 京都府

 



奥山田の地は、京都府宇治田原町の東端、滋賀県甲賀市の朝宮と境を裏白峠で接する。





ここは僕が自宅から、滋賀県湖東、湖南方面に出かけるときのルート、国道307号線沿いにある小さな集落が集まった地で、山深いひなびた所です。





この道路を通るたびに気になっていた木があったので、、今は通ることもなくなった在所の中を走る旧道をへと入って、この巨木との対面を果たしてきた。







大きな旧家の石垣下から立ち上がるカヤの巨木で、根元には小さな祠があって、化粧をされた地蔵さんが祀られていた。



いずれここは、この村の特別な場所であったのだろう??。





根元から2~3m上で二股に分かれて天を目指す幹周りは凡そ5mばかり、遠めに見ても形のよい姿をしている。



旧家の白壁土蔵や、石垣とのバランスも良く、山里の景観に一花添えている。



詳しいデーターはまったく見当たらずまったくの未指定。



撮影2006.10.22



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