巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

西宮市 山口の大榧 

2012-11-29 | 兵庫県

有馬温泉で有名な六甲山北斜面、有馬街道?沿いの民家に聳える榧の木。

中国道西宮山口JCTで阪神高速北神戸線に乗り継ぎ西宮山口南で降り、県道82号線で有馬川沿いに遡れば高速の橋脚を潜って直ぐ、右側上手に一際大きく枝を広げた榧の木が聳え立って居る。

「山口の大カヤ」と呼ばれ、県の天然記念物にも指定され、上手「平家の流れをくむ」と云う民家への石段途中、石垣途中から身を乗り出す様に聳えている。

幹の途中からは多数の枝が四方に伸び、しめ縄をしっかり懸けられ、信仰対象の木であることが納得出来る威厳を持って居る。

樹齢約500年あまり、根回り5.5m、樹高約20m、兵庫県の天然記念物に指定されて居る。

付近は近代化により、懐かしいロケーションが失われ居て、ちょっと悔やまれる。

それでも榧の木は元気そのもの・・・。

撮影2010.4.24


神戸市 白川の石抱き榧

2012-11-26 | 兵庫県

石仏を根元に抱きかかえる様に飲み込んでしまった大榧の木。

阪神高速「神戸山手線」と「北神戸線」JCTのすぐ南、谷川沿いに軒を連ねる白川集落を跨ぐ高速の橋脚をくぐれば目の前に立っている。

神戸市内もここまで来ると懐かしい匂いのする里山田舎三昧、遠くの斜面には高層住宅が立ち並ぶものの、ここはその景色が嘘の様な別世界。

「石抱きカヤ」はやっぱり特別な信仰があるのか正面には石祠、石碑、傍らには六体地蔵・・・・。

正面奥にも地蔵石龕や五輪塔の残欠などが有り、付近には「堂の東」や「堂の西」などの地名も残り、この地が故地なのだろうと思われる。

石抱きカヤは 目通り4.5m、樹高20m、推定樹齢350年、根元に石柱(何かは不明)を抱き込んでいるのでこの名があります。

葉付きが悪く頂部は少し枯れてて居る様に見えます。

根元に赤い涎掛けを掛けられた石仏を飲み込み、その背後の隙間からは多分モチノキの木肌だと思われる木が大きく育っている。

気の良い榧の木は石仏を飲み込んだおかげで、今に元気な寄生樹に飲み込まれるかも??

撮影2010.4.24


神戸市 神前の大楠

2012-11-22 | 兵庫県

神戸市内のど真ん中、JR六甲道駅と阪急六甲駅に挟まれた住宅街の中に建つ春日神社の大きな楠。

阪神淡路大震災で大被害を受け社殿も鳥居も新しくなり、付近もすっかり新しい街並みに成りましたが、この「神前の大クス」はビクともせず、何事も無かった様に葉を茂らせて居ます。

住宅街の真ん中にあり鎮守の杜とは縁遠いような明るく拓けた境内にこの楠だけが光を遮り聳えて居ます。

大楠は「神前の大楠」と名付けられ、兵庫県の天然記念物指定「市民の木」として親しまれ大切にされています。

目通り8.2m、樹高18m、樹齢約500年・・・・長壽の楠としては、まだまだ若々しく物足りなさは有りますが、市街地のど真ん中で阪神淡路大震災の生き証人として、ますます元気に生き続けることでしょう。

拝殿右側にある大楠はすでに枯れ果てているがこれも大切に保存されてた。

撮影2010.4.24


米原市梓河内(あんさかわち) 河内八幡神社のカツラ

2012-11-18 | 滋賀県

湖北の旧中山道近く、鄙びた谷間集落の神社に立つ桂の巨木。

北陸道の起点米原ICを降り、旧中山道に沿って走る国道21号線で東、関ヶ原方面へ約6km、梓川が流れ出す先を右手に取り、名神高架下を潜り、谷沿いに家並の続く細い道路を1kmも奥へ詰めると河内の集落。

河内八幡神社は梓川右岸、集落入口にあり、村の鎮守らしい雰囲気の、西向きに明るく拓けた境内を持っている。

境内前方にはちょと斜めになった大銀杏、後方には仏堂と見紛う様な神仏混淆を色濃く残した拝殿が建つ。

桂の巨木は境内右手山裾の林に隠れるように有り、境内からは全く目立たなくなんの表示も出ていない。

株立ちで大きな支幹が3~4本、株元の蘖はその都度刈り取られうのか周りには枯れ枝が所在なく捨てられていた。

根元は相当傷んで居る様に見えるが目通り7.1m、樹高約30m、樹齢は解りませんがそれほどの老体ではなさそうです。

懐かしい鄙びた谷間集落にあって、水好き桂には持って来いの場所です。 

撮影2010.4.10


長浜市東上坂町 流岡神社跡のスギ

2012-11-15 | 滋賀県

前回紹介の野村野ケヤキから南へ約1.5km、「姉川の合戦」の由緒を持つという杉の大木がある。

姉川の南岸、田園地帯の真ん中にこんもり盛り上がった岡が有り、此処に姉川合戦の際、徳川家康が陣を敷いて勝利したと言う謂われから勝山と呼ばれている。

その勝山の南東裾に流岡神社の旧社地が有り、小さな祠の脇に大きな杉の木が一本聳え立っている。

梢は見えないが、合戦の折、両軍の矢が飛び交い梢を折ったため頂部が失われたと伝えているようです。

確かに下枝が元気良く葉を茂らせている様には見えますが・・・。

 大きなしめ縄を懸けられ神木としての威厳を示すかの様に立つ大杉は目通り5.7m、樹高27m、樹齢(伝)1300年となって居ます。

しかしどう見てもそれほどの老体とは見えず、姉川の合戦を知っているかはどうだろう???

もしかしてこの杉は二代目なのかも???

撮影2010.4.10


長浜市野村町  野村のケヤキ

2012-11-13 | 滋賀県

長浜市街北東へ約8km、田圃の中に軒を連ねる古い集落の辻、嶋盛学校之跡と書かれた石碑のある空き地に聳えている。

滋賀県境の町、岐阜県関ヶ原から伊吹山西裾を湖北に貫く国道365号線、姉川古戦場を偲ばせる姉川北岸に懐かしい佇まいの野村集落がある。

主幹の梢は遠い昔、嵐にもぎ取られたのだろうか?脇から太枝が三本ばかり伸びだし、冬姿のと言う事もあり、ちょっと奇形な樹姿の見える。

長浜市「緑のまちづくりの会」が立てた表示版に拠ると、幹周り6.0m、樹高20.0m、樹齢(伝)1000年とある。

見るからに樹齢の1000年には無理が有りすぎるような・・・・。

根元に大きな樹瘤を携え、集落の屋根を見下ろす様に聳えるケヤキの巨木は、集落の誰からも愛されて居るのだろう・・・・。

神木でも無かろうにしめ縄が巻かれて居る。

長浜市の保存樹に指定されて居る。

撮影2010.4.10


長浜市 力丸の皀莢(さいかち)

2012-11-10 | 滋賀県

 力丸と言う人の名前の様な小さな集落の小さな神社境内に立つ皀莢(さいかち)の老木です。

因に力丸と名称は、「森蘭丸」の弟「力丸」がこの地で僧となり信長や兄の菩提を弔った事から名付けられた、との言い伝えがある土地です。

長浜市街より北へ車で約20分ばかり、あの小谷城の有った小谷山東裾野の小さな盆地に点在する集落の一つです。

観地神社と言う祠一つの小さな境内に有って、滋賀県の天然記念物に指定されたこの皀莢(さいかち)の老木は、神仏混淆の名残か鐘楼脇、多くの小石仏を根元に置いてちょっと傾いて立って居る。

春まだ浅く、紅梅の花は咲いても皀莢の老木は冬姿のまま・・・

かなり歳老いて大きな洞が主幹を突き抜け哀れこのとおり、太枝も無残にもむしり取られ痛々しい。

現地説明板では、幹周3.6m、樹高11.1m、推定樹齢500年以上、観地神社の神木として大切にされて居る。

2010.4.10


滋賀県長浜市高山町  上許曽(かみこそ)神社の大スギ

2012-11-08 | 滋賀県

上許曽(かみこそ)神社と、何とも馴染みのない神社拝殿両脇に君臨する大杉です。

湖北、長浜市街より北へ約15km、湖北から福井県日本海沿岸まで延びる伊吹山脈、その山懐を流れる姉川支流の草野川沿いに軒を並べる集落、高山集落の南はずれに鎮座している。

集落は山深い地に在っても鄙びた山村独特の閉塞感がなく神社境内も明るく拓けている。

この神社の写真はどれを見ても拝殿をすっぽりビニールシートで覆ったものが多いが僕が訪ねた時はちょうど春祭りの前日だったのか?シートはまくり上げられ、紅白の幕と高張提灯が建てられて居た。

境内中央の立派な拝殿、それを抱き抱える様に両脇に二本の巨杉。

向かって拝殿右側に聳え立つ大杉は目通り6.1m、樹高約40mと背高のっぽで枝打ちもされ杉らしい杉です。

向かって左手も退けを取らず、殆ど同じ様に見えますが少し小振りとか・・・・・。

主幹、根元にも殆ど傷や痛みも見られずまだまだ若々しい壮年期の大杉の様に見えましが、少し枝打し過ぎ感は否めません。

一方境内入口辺りにはちょっと痛々しい枝振りのケヤキの老巨木。

全身にコケを纏ってかなり弱って居る様に見えます。

もう二年以上も経つので少し気がかりです。

因に「上許曽」の許曽(こそ)は古代朝鮮語で「様」に当たる言葉だという・・・・そうだとすれば「上許曽」の上は神なのかなあ??

撮影2010.4.10


長浜市湖北町速水 伊豆神社のケヤキ

2012-11-06 | 滋賀県

奥琵琶湖岸に程近い旧湖北町、伊豆神社境内に立つ、かなり老体のケヤキの巨木。

長浜市街より国道8号線で北へ約10km足らず湖北中学脇の速水交差点で左折、次の辻を右折すると、この伊豆神社正面に着く。 

鎮守の森と言える程の木立はなく、明るく開けた境内に数本の大物ケヤキが枝をすっかり落とされ、少し哀れな姿で立ち尽くしている。

多分一昔前はケヤキの杜のお社だったのかも???

石鳥居を正面に左右に1本づつの大ケヤキが君臨しているが特に目立つのは向かって左手、真新しい狛犬の背後から被さる様にちょっと斜めに伸びている。

樹齢は不明ながら目通り約7m、樹高約20m、単幹で立ち上がった主幹は途中で大きく二幹に分れている。

一本の支幹では白骨化が進み少し元気もなさそう・・・・。

根元を見ているとまだまだ元気そうに見えるのだがもう少し手入れをしてやらないとちょっとやばいかも??

撮影2010.4.10


長浜市木之本町田部 「等波神社?」のエノキ

2012-11-04 | 滋賀県

湖北、眼病平癒の地蔵尊として名高く信仰を集める「木之本地蔵尊」近くに立つエノキの巨木です。

此処木之本は北国街道と北国脇往還が交わる宿場町、また「木之本地蔵尊浄信寺」の門前町として栄えたところで、街並みにも懐かしい宿場町の風情をよく残しています。

地蔵尊浄信寺の狭い脇道を入って行くと木之本小学校を抜け、狭い小川を渡り右手に100m程も進むと左手、細い道の奥に両手を挙げて「お出でお出で」をしているようなエノキの巨木が見える。

歴史的景観の宿場街も一歩裏手に回れば田んぼの中に小さな家波が並ぶ田舎町・・・、この地は少し離れた「等波神社」の御旅所なのか?NET検索では等波神社のエノキとして長浜市の保存樹として登録されている。

合体木なのだろうか?根許から大きく三本に分かれた支幹がお互い抱き合う様に伸びだし、何とも微笑ましくも見える。

一本一本の支幹はそれほどでもないが根張りは力強く脈打ち傷みや洞も見いだせなくまだまだ若々しい。

木の股には護符を付けた竹竿が掲げられこの地方に多い「野神さん」じゃないのかと思われる。

この木については何の説明もなかったが、目通り約7m、樹高約12m、樹齢は不明となっている。 

撮影2010.4.10


宇治田原町 清水家の榧

2012-11-01 | 京都府

京都府の南東端部、滋賀県甲賀市の信楽と境を接する宇治田原町は最近でこそ住宅開発が進んだもののつい最近までは長閑な里山地域だった。

大阪枚方より滋賀県彦根市を最短距離で結ぶ国道307号線沿い、往古より交通の要所と知られた宇治田原町岩山の集落内高台、民家の庭に二本の榧が並び立っていて遠くからでもそれと解る。

かっては国道だった旧道沿いの斜面集落岩山は、新しいバイパスからは奥まって雛壇状に軒を連ねる。

昔ながらの集落の中程、集落内道が出会う角地に真新しく建て替えられたであろう清水家が在り、その庭先にその威容を誇る様に二本の榧の木が聳え立っている。

雌雄の株が並び立ち、共に樹齢約400年、目通り約5m足らずだろうか??

互いにしめ縄を巻きつけられ、この家の神木として崇め続けられて来たのだろう。

根元に大きな洞が見えるが樹勢は旺盛・・・、まだまだ衰えを知らず元気そのものの様に見える。

柿とお茶の里宇治田原にに在って際立った景観を醸しだし町の天然記念物に指定されて居る。

撮影2010.2.20