巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

西条市 西田の椋の木

2013-07-07 | 愛媛県

石槌山、口之宮(総社)の参道脇に立つ椋の巨木。

愛媛県西条市は石槌山の麓街、その山裾には石槌山を御神体と仰ぐ石鎚山総本宮が有り・・・・・

総本宮境内から見る瀬戸内沿岸には工業地帯が連なっている。

参道脇西田集会所の前に単立、根元には祠が有り石仏らしき物が祀られて居る。

主幹から突き出る突き出る枝はその度に刈り取られ、まるでザンバラ髪の様相。

目通り約45m、樹高15m、樹齢は伝承により400年とされて居る。

椋の巨木としてはちょっと物足りない気もするが根元あたりの力強さには迫力が感じられる。

根元には洞があるのか小動物侵入防護の網が懸けられ、ちょっと興ざめ。 

撮影2010.9.24


東温市(とうおんし)樋口字片山 北吉井(きたよしい)のビャクシン

2013-06-29 | 愛媛県

国の天然記念物指定のビャクシンは全国に8本、その内3本が愛媛県に有り、そのうちの一本がこの「北吉井のビャクシン」です。

東温市は松山市の東隣、伊予鉄道松山市駅から延びる横河原線終着「横河原駅」から北に約500m、大河重信川の支流内川沿いの円通寺参道脇に立つ。

岩峰山円通寺は明治初期に廃寺と成ったらしいが、それらしき建物が林の奥に見え隠れする。

国指定天然記念物のビャクシンは主を失い、今や通る人も無くなった野良道代わりの参道脇、野原の中に佇んで居る。

樹齢約800年、根周り約7m、根元で二幹に岐れ立ち上がって居ますが、ネジ曲がるようなビャクシン特有な樹姿は中々の迫力、樹勢も決して悪くない。

現在根元は全く分離して二本の株立ちの様に見えるが、空洞だった根元で お遍路さんが休息、その焚き火の不始末でこんな姿に成ってしまったとか??

何代目かの円通寺住職が石槌山から持ち帰りここに移植したものだと言われて居る。

撮影2010.9.24


大洲市手成 西禅寺のビャクシン

2013-06-25 | 愛媛県

前回紹介に同じく大洲市手成の 山中、更に河内川上流に位置する西禅寺境内に立つビャクシンの老大木。

河内川沿いに西禅寺まで到達する道は無く、麓の河内集落迄くだり、大きく迂回して西禅寺の門前に立つ、直線で川を遡れば500m足らずが約5km、昔はきっと間道でもあったのだろうが・・・・・・。

臨済宗「横松山西禅寺」は中世から続く古刹、最近寺は新しく整備され、僻地山間寺院にも係わらず車で山門に横付け・・・。

門横、土塀に密着して立つビャクシンは庭園整備のため約1.5m埋め立てられ現在の姿と成って居る。

樹齢約500年、目通り3.7m、樹高15m、ビャクシン独特のネジ曲がるような樹形で訪れるものを迎えてくれる。

伝承では、佐々木長者という人の娘が亡くなって、その葬られた塚の上から椿とこのビャクシンが生えて来たという・・・。

現在愛媛県の天然記念物に指定されている。

埋め立てる前、1.5m下部の根元ははどんな姿だったのだろうか???

撮影2010.9.24


大洲市手成 金竜寺の公孫樹

2013-06-21 | 愛媛県

大洲市、肱川右岸山中の金竜寺に立つ公孫樹の巨木。

肱川右岸沿いに走る県道24号線、JR予讃線「伊予白滝」駅より道なりに約1.5km、三嶋神社の先で川沿い道に左折、小さな集落を越え、山肌に蛇行して続く坂道を上り詰めるとほんの僅かな広岡集落。

集落の最奥、斜面に立つ寂れた金竜寺に二株の大公孫樹がただ立ち尽くしている。

境内は荒れ、本堂の屋根にはブルーシートが懸けられ、限界集落の現実を知らされますが・・・。

向かって左、本堂への石段前にある一株が大きく、株立ち状5~6本に分幹して直立してい る。

諸手を大きく伸び上げる様に立つ目通りは約9.5m、最大の分幹は約3.7m、樹高42mと成って居る。

傍らには小さな祠や石造物などが見られ公孫樹自身も信仰対象になってる様です。

かたや、本堂傍らに立つ大公孫樹。

こちらも三分幹の株立ち、目通り約7.5、最大分幹は約3.1m、樹高39mと成って居る。

文化3年(1806)資金調達のため伐採された大公孫樹、その切り株から芽を吹き出したのが現存する金竜寺の大公孫樹。

これで株立ちの理由の謎が解けたような気がする。

撮影2010.9.24


大洲市豊茂 金山出石寺(きんざんしゅっせきじ)の大桂

2013-06-17 | 愛媛県

標高820m、弘法大師開闢の古刹、金山出石寺参道脇に立つ桂の巨木。

大洲市と八幡浜市を分ける出石山山頂、大洲市側に金山出石寺がある。

大洲市側のふもと、肱川嵐で有名な肱川口近く依り県道29号線で約18km30分ほどの山岳ドライブ、登るに連れワイドビューが素晴らしい。

金山出石寺・・・、正面は護摩堂、石段奥に本堂と太師堂が建つ。

桂の巨木はこれ程山奥まで駆け上って来たものの拍子抜け・・・、中程の主幹が折れて欠損、ちょっと貧弱に見えます。

目通り6~7m、樹高約20m強と言ったところ・・・車道脇に大洲市の天然記念物標柱が有り誰にも目がつく。

撮影2010.9.24


松山市福見川町 新宮神社の三本杉

2013-06-09 | 愛媛県

愛媛県、巨樹の筆頭として君臨する新宮神社(しんぐうじんじゃ)の三本杉。

松山市街から北東方面山中へ約15km、 棚田に囲まれた福見川町鎮守、新宮神社境内山裾斜面からそそり立つ。

遠くから、みはるかすと三本杉の梢が飛び抜けて高く聳えてひと目でそれと解る。

一見、二本に見える三本杉だが・・・、向かって右手の大杉は二株が合木化して株近くは単幹に見える。

右側の合木化した大杉は目通り12m(合木部分)、樹高約55m・・・

見ように依っては殆ど一本にしか見えないのでかなり壮観巨大です。

もう一本左側の大杉は目通り約8m、樹高55m・・・・、ともに樹齢400年足らずと推定されて居る。

四国では高知県「杉の大杉」に次ぐ大杉として松山市の天然記念物に指定されて居る。

撮影2010.9.24


宇和島市伊吹町 伊吹八幡神社のイブキ

2013-06-02 | 愛媛県

四国西端豊後水道に面した宇和島市伊吹八幡神社、拝殿正面に並び立つ国の天然記念物に指定された二本の大イブキです。

JR北宇和島駅の南東約500m、山裾に南面して建つ、和銅5年8月15日に創建したとされている古社です。

このイブキ二本は「伊予守源義経」が社殿を造営したとき、家臣に植樹させたとされ、樹齢は800年を超えている。

正面から見ればまるで二本のイブキが生きた鳥居・・・・結界の印でもあるように見える。

向かって右側の一本が大きく目通り約5m、高さ約20m。

相当な年月を生きながらえ、それなりの傷みも有るがまだまだ活力旺盛、枝いっぱい緑に染めている。

左の一本は傷みが激しい。

尚、神社名や町名の伊吹はこのイブキにちなんだ命名だとか・・・・。

撮影2010.9.23


四国中央市富郷町寒川山(さんがわやま) 上長瀬のスダジイ

2011-03-31 | 愛媛県

山城幡神社のある富里町の上長瀬は、旧伊予三島の国道11号線から一気に山手に駆け登る国道319号線で、約30分程走った金砂湖の上流鍋山川に沿うようにして在る、小さな山里の小さな鎭守です。

小さな境内の背後に広がる椎の木樹叢に一際目立つ、かなり老骨なスダジイの巨木が立っているが、この通り痛々しい姿です。

横から見ると最早、骨皮筋衛門・・・・

主幹は大きくえぐれ・・・、洞と云うには大きすぎる裂け目はロープでぐるぐる巻き・・・・

大空に伸ばすべき梢は地上7~8mで度重なる台風にもぎ取られたとか・・・・。

それでも目通り約9m、樹高は16.5mとあり、実に堂々とした体躯です。

往古この地にはシイの巨木が群生していたらしいが明治時代にほとんど伐採されたとか??残った此の1本が今日までその姿を留めている。

椎としては愛媛県下最大の巨木といわれているが、どうにも此の痛々しさは、見るものの心を絞めつける。

それでも枝一杯に葉を付け、植物の生命力にはただただ脱帽の思いです。

撮影2008.12.22


四国中央市  下柏の大柏(ビャクシン)

2011-03-29 | 愛媛県

もう見事としか云いようの無いビャクシンの巨木です。

国道11号線を新浜方面から東進、今は四国中央市となった旧伊予三島市に下柏町と呼ばれる所があってその名の通り大柏(ビャクシン)が道路の右手、小さな公園にも見えるような空間にその威容を惜しみなく見せている。

道路横にはちょうど都合よくコンビニがあって何か買って駐車も難なく可能、もう目の前にこの巨ビャクシンが神にも近い姿で立っている・・・、と言うより居ると言うか?存在している。

なんという神々しさ、なんと云う凄まじさ、神そのものの姿を写してるような・・・・・

捩れ、捻り、白骨化したその主幹は根周り14.3m、目通り8.4m

注連縄を掛けられ主幹の洞には天明3年(1783年)地蔵菩薩が安置され信仰の対象とされ神として崇められてきた。

1200年生き続けるとはこういう事か?と頷かせるような風格、厳粛さ。

それにしてもこの交通量の多い国道、街のど真ん中という環境が気に成るが、もう後戻りは出来ないだろうし・・。

環境悪化の傷みに耐え抜いて大声で叫んでいるようにも見えないか??

大正13年に国の天然記念物に指定されている。

勿論、地名の下柏町柏槙はこの大柏(ビャクシン)に因んでいる。

撮影2008.12.22


四国中央市土居町 大川薬師堂の大楠

2011-03-26 | 愛媛県

国道11号線の新居浜から少し東に進むと合併で四国中央市と名前を変えた旧土居町の上野に出るが、その辺りで山手向かう道路で高速道路の下を潜り関川沿いに赤石山系への林道を30分も登って行くと谷川に沿った大川の小さな小さな集落に出逢うことになる。

この大楠は集落の手前、谷川を渡った対岸に在る古びた大川薬師堂の境内にひっそりとそれでも見事な根張りを見せつける様に立ち尽くしている。

この鄙びた景観がなんとも捨てがたい景観を醸し出し・・・

楠の巨木は質素な薬師堂の傍らで密かに息づいているかのよう・・・・

巨大ではあるがすっくと伸びた巨幹はバランスが良すぎて遠目にはそれほどの巨体とは感じないが近づくほどに圧倒されるものが有る。

目を見張るのは大地を捕まえて離さないぞと言わんばかりに発達した巨大な根回り根張り・・・

これほどの根張りが必要なのか、あまりに巨大な根張りに主幹が貧弱に見えてしまっているような??

根回りは驚きの35m、目通り10.6m、樹齢約400年余り、ごらんの通り樹勢も旺盛、巨大さの中にも見事な美を見せてくれる大楠です。

石積塀、墓石台石に四国独特の石積み文化を感じる境内脇の小さな古墓の風情が大楠の景観に色を添えている。

愛媛県指定天然記念物。

撮影2008.12.22


西条市 坂元天満神社の大楠

2011-03-25 | 愛媛県

前回紹介の土居の大楠より約10km強、国道11号線に出て東進すること約20分JR予讃線伊予氷見駅を越え右手山側に通じる小道で坂元の集会場を目指せば右手前方に一目で楠だと解る大きな樹冠が見える。

長閑な里山集落の小さな鎭守の大楠、坂本集落はづれに小さな観音堂を前に道路を挟んで天満神社が鎮座、その脇に境内を覆い尽くすかの様に広大な樹冠を広げてどっしり腰をすえている。

 広大な樹冠を支える主幹は根周り17m、目通り9.7m何処と言って傷みは見られず、巨大な根元はまるで呼吸しているように台地をしっかり捉えて居る。

樹高は25m、樹冠は大凡直径40mにも及ぶほど・・・、樹齢は不明だと云うことです。

樹勢や主幹の大きさから押し計らえばそれほどの老齢ではないようにも思われる。

少し離れた野面から・・・

巨大な樹冠が正しく天を覆い隠す勢いで伸びて居る。

昭和31年、愛媛県の天然記念物指定。

撮影2008.12.22


 西条市 土居の大楠

2011-03-23 | 愛媛県

なんとも、こう心の癒されると云うか・・・、巨木の有る景観としては非のつけようがない程に良い感じを醸し出している巨楠。

樹その物の形状やその樹齢から滲み出す威厳や神々しさに加えて、この道前平野の広く拓けた田圃の中の小さな祠を暖かく見守るように立つ此の巨楠には、一抹の寂しさと共に愛しさを感じる。

鎌倉中期の貞永元年(1232)、害虫退散祈願のため烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)を勧請し臼宮と称した、その時にはもう此の楠は相当な大木で有ったと伝えられて居る様です。

根元が大きく膨らみ力強く波打ち、その巨大な株元から四本に分岐した支幹が天空を目指している。

その巨大な根回りは14.3m、目通り11.4m、樹高27mと記されており、推定樹齢1000年以上と言われています。

なんとも老獪なわりには優しさと親しみ抱かせてくれる巨楠で狭い土壇の境内にはブランコなどの遊具なども設けられ小さな子供の遊び場にも成って居る様です。

子供を優しく見守って佇む巨楠はまだまだ元気で大きな傷みも見つからなかった・・・・。

撮影2008.12.22


今治市 玉澄さんの大楠 <別名(べつみょう)の大楠> 

2011-03-21 | 愛媛県

 大三島の大山祇神社を訪ねての帰り道、通りがかりからそう遠くない場所に今治市内随一の大楠が有ると言うので訪れてみた。

しまなみ海道出口の今治ICからR196、直ぐに片山交差を右折し別名の公民館を目指せば楠の大きな樹冠が目の前に飛び込んで来る。

大山祇神社のあの神々しく老獪な巨楠に出逢ったばかりなのでそれほどの感慨は無かったけれど・・・・・・

しかし愛媛県の山中には公孫樹の巨木が集中して多く、瀬戸内海岸近くには巨楠が集中しているものだと・・・・

玉澄さんの大楠と呼び親しまれている大楠は、あの大山祇神社の「乎致命の巨楠」でも名前の登場する乎致命の子孫「越智玉澄」の墓所に植えられたもので根元には玉澄公の墓石を巻き込んでいると伝えられている。

樹齢800年、まだまだ若々しく見える大楠は根元から直ぐに数本の大幹に分れ少し迫力には欠けるが根回り13.6m、目通り8.1m、樹高23mと中々の巨体です。

工場に周りを囲まれ決して良い環境とは思えないがこれ以上の環境悪化も考えられずますます元気に大きく育ってくれることだろう。

主幹や大枝にも殆ど痛みは無く、樹盛は満点・・・・その大きな樹冠は誇らしげに天を覆っている。

撮影2008.12.22


大三島  大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)楠の巨木群

2011-03-18 | 愛媛県

二回目の四国巨樹追い旅、三日目は瀬戸内海に浮かぶ大三島にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)からのスタート。

<大三島と生口島に架かる多々羅大橋>

松山のホテルを早朝に起ち、「しまなみ海道」に乗り、ここ大三島へとやって来ました。

<正面入口付近から・・・境内>

大山祇神社の駐車場に着いたのは車も人通りもまばらなまだ8時にも届かない時間帯、地元の人達が朝の参拝ポツポツ訪れて居るのを見かけました。

ここ大三島の大山祇神社は全国の三島神社、大山祇神社の総本社で、つい最近までは陸続きでなく瀬戸内海に浮かぶ島で有ったことも幸いしたのか日本最古だと言われる原始林社叢に覆われ楠木群を形成しており、その内38本が「大山祇神社の楠木群」として国の天然記念物に指定されて居る。

境内に入りまず目に留まる楠の木がこれ・・・・

能因法師雨乞いの楠と呼ばれて、その樹齢約3000年、日本最古の楠と言われているが観るも無残な姿です。

能因法師は平安時代の歌人で、雨乞いの歌を詠み、この楠の木に幣を掛け残したと伝えられています。

 しかし最早残骸、まだ天然記念物の楠木としてカウントされているのでしょうか??

上段にある拝殿の手前、下段境内ほぼ中央にデンと腰を下ろしているのが「乎知命(おちのみこと)御手植えの楠」と呼ばれている神楠で天一杯に枝を広げ葉を茂らせて居る。

<拝殿と拝殿側からの神楠>

乎知命は神武東征の折、要衝の此の大三島に大山祇神社勧請したとされ、その時それを祈念して此の楠をお手植えされたと伝えて居る。

樹齢約2600年、巨大な根元は既に抜け殻の様に表皮だけで生をつないで居る様にも見える。

目通り約11m、樹高約15m・・・・・・無残にも引きちぎられた傷跡が生々しい・・・

 

しかし角度を変えてみると、どっこいまだまだ大丈夫そう・・・

もう1本こんな楠も目に止まった。

目通り8m、樹高24m、国天指定とあるが主幹は白化している様に見受けられた。

撮影2008.12.22


内子町 上川薬師堂の大公孫樹

2011-03-16 | 愛媛県

四国山中の鄙びた山村の薬師堂境内にひっそりと佇む大公孫樹、なんとも言えず素晴らしい景観です。

前回紹介の三嶋神社より更に県道211号線とは言え全くすれ違う車など見かけない田舎道の小田川沿いを駆け登ること5分足らず・・・

静まり返った山村のはずれ、小さな上川薬師堂の石垣上にこの孤高の大公孫樹が聳えている。

この辺り公孫樹の巨木がやけに多いのは何故なんだろう??

公孫樹は日本原産樹木で無く外来種、人為的にこの地に植えられたものだろう??・・、この山村がいかに古くから在ったという証かも・・・。

素朴な造りの薬師堂、小さな境内の大きな公孫樹・・・、裸木になった姿に孤高の尊厳を感じる。

山村でも最早拾われなく成った銀杏が境内一杯に落ちていて物悲しい。

根廻り13.7m、目通り7.3m、推定樹齢は500~600年とされています。

樹齢なりの老骨さは感じるものの主幹にも大きな損傷も無く小枝を一杯に伸ばし樹勢も旺盛に見える。

素晴らしい景観を醸し出し、懐かしい景観を見せてくれる大公孫樹に感謝です。

境内付近から見た小雨に煙る対面の景観

撮影2008.12.22