巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

御所市 多太神社(おいだじんじゃ)のムクロジ:他

2014-04-04 | 奈良県

 

奈良県御所市、多太(おいだ)集落の鎮守、多太神社境内に有るムクロジと公孫樹の巨木。

御所市多太(おいだ)集落は金剛山系東面山裾、大棚田地域に軒を並べる小さいながら歴史深い土地柄。

多太神社は集落の北西外れ、公民館と旧街道を挟んで鎮座しています。

先ず一本目のムクロジは、鎮守の杜正面、石鳥居に向かって右側に、その老体に耐えながら葉を繁らせて居ます。

反対側から見ればまだまだ元気そう・・・・・目通り4.4m、樹高14.4m、樹齢は不明。

2本目のムクロジは境内奥、小さな本殿右脇に立ち、やっぱり主幹はかなりの痛手を受け、ハラワタを曝け出しています。

それでも元気に葉を繁らせ、目通り4.5m、樹高27.1mと3本のムクロジ中では最も存在感が有りました。

公孫樹の巨木は境内中央辺り、株元から起ち上がる無数のヒコバエを伐り取られ、妙な根元で立っていました。

目通り4.32m、樹高21.5m・・やっぱり相当なご老体・・小さいながら気根も垂れて居ます。

古い由緒の神社に古い巨木・・・・・、何故かこの地域にはムクロジの巨木が多く、なにか特別な理由でも有るのかと思いますが?良くわかりません。

撮影2011.11.27


西吉野町大日川(おびかわ) 丹生神社の大公孫樹

2013-07-27 | 奈良県

紀伊半島の真っ只中、奈良県最南端の十津川に行った帰り道、国道168号線「旧西吉野町」で見かけた公孫樹の巨木。

十津川方面から五條に向かって国道168号線を帰って来ると、丹生川沿いの国道が川の流れに沿うようにヘアピンにカーブ、その最深部左手山裾に大きく聳える公孫樹の巨木と丹生神社の石鳥居が見える。

この辺りが大日川(おびかわ)、集落は神社に対面する山の斜面に三々五々、見え隠れする山岳集落。

この大日川周辺では、文久3年(1863年)天誅組大日川の戦いの激戦が繰り広げられた土地、今でもこの大公孫樹の幹には、今でもその時の弾痕が残っているとか??

丹生神社の杜は深く、本殿は拝殿の後方、石段を遥上部に登った上に鎮座する。

御神木の大公孫樹は拝殿前方、拝殿へと登る石段右脇の石積の上にどっしり腰を降ろして居る。

7月の終わり、枝一杯に溢れんばかりの緑を付けた枝からは煩く忙しないセミの啼き号が響き渡って居た。

しめ縄を掛けられた大公孫樹は目通り約5m、樹高約30m、樹齢約200年とまだまだ若いが、初冬には全体を黄金に染め、その見事な黄葉は付近の名所と成って居る。 

撮影2011.7.30


御所市 佐田春日神社のムクノキ

2013-05-30 | 奈良県

葛城山系の東面する山裾に広がる広大な棚田地帯、その中を行く葛城古道沿い、古い集落の鎮守「佐田春日神社」のムクノキ。

懷かしい景観の残る神社の前の道。

佐田春日神社境内は地域の憩いの場所にもなっており、割拝殿の奥から大きいムクノキの梢が見える。

内陣?に入るとどかっと腰を下ろしたこの姿・・・・板根がロングスカートよろしく裾を広げて居る。

主幹には大きな樹瘤を何個も造り、その歴史を感じさせる。

根元に少々痛みは見えるものの、目通り約5m足らず、樹高約25m・・・・、まだまだ元気な姿を見せて居る。

この葛城地域にはムクノキ、ムクロジなどの巨木がかたまって多く存在してるのは何故だろう???

撮影2010.9.18


宇陀市榛原赤瀬 愛宕さんのケヤキ

2013-04-19 | 奈良県

宇陀市と奈良市の境に大和富士の名で呼ばれる一際は姿の良い額井岳(ぬかいだけ)山裾にある。

走り慣れた大和高原を縦断する国道369号線、いよいよ大和高原最後の峠、香水峠を越え宇陀市に入った所が赤瀬。

付近は斜面に棚田が広がり、裾野に民家が密集しているが・・・このあたりから見る眺望は、はるか室生山系や大台山系までまで見渡せる絶景です。

国道369号線玉立(とうだて)橋を左折、左手山裾に有る民家脇から山手に入るとこのケヤキの巨古木に出逢う。

「愛宕さん」のケヤキと呼ばれ地域の人々から親しまれ崇められて来ました。

ケヤキは一段高い台地状の斜面にどっしり根を降ろし力強く踏ん張っているように見えますが・・・・

根元で五支幹ほどに岐れた株立ち、しかし裏側から見ると根元が相当傷んで居ます。

総幹周約12m、樹齢は不明ですが、奈良県の保護樹木に指定されて居ます。

撮影2010.8.15


十津川村 玉置神社玉石社の大杉

2013-04-05 | 奈良県

前回の玉置神社参拝では見逃していた玉石社。

玉石社は玉置神社の基となったと伝えられ、丸い玉石を祭祀する原始信仰の様式を今に良く残しています。

神武天皇が神武東征のおり、この石の上に神宝を置いて勝利を祈ったと伝え、大峯修験道では玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するようです。

所謂玉置神社の名称は、この神武天皇の話が因に成って居ます。

<玉置神社本殿>

玉置神社の御神体で社名の起こりとなりました。

境内を奥に進むと玉石社へと続く参道登山道が有り・・・・

急な登りを15分も登ると

玉石社と書かれた結界、簡素な木柵に囲まれた三本の巨杉が見える。

玉石社の巨杉は玉置神社に数多くある巨杉群に比べれば、正直見劣りします。

しかし霊石、玉置の玉を根元で抱くように建つ三本杉にも、どこか近付き難い霊力が宿って居る様な・・・。

何代目に成る霊杉かは?知りませんが・・・、やっぱり霊力を宿したようにすくっと屹立して居ます。

撮影2010.7.24


川上村神之谷(こうのたに) 金剛寺(こんごうじ)のケヤキ

2013-02-19 | 奈良県

吉野川右岸、峡谷斜面の古寺に立つケヤキの巨木です。

国道169号線、川上村中心の複合施設辺りから峡谷沿いに南下すること約10km、吉野川に架かる「大平橋」を渡り右手山中に上ると、右手にそれと解る案内がある。

後南朝」にゆかりの深い寺として知られる高野山真言宗妹背山「金剛寺」は深い山の中、哀しい歴史を秘めてひっそりと建つ。

「金剛寺」の創建は良く解っていませんが、鎌倉時代初期1200年頃と云われ、その頃自生したと思われるケヤキ」の巨木が境内への石段途中に立って居ます。

少し裏側に回り込むとこんな様子、根元で主幹と大きな支幹に岐れ、目通り6.5m、樹高約30m、推定樹齢800年。

のたうつように地を這う根張りは力強く迫力満点、主観にも瑞々しい力も感じます。

しかし永年の風雪に耐えきれないのか?かなり破損が激しく、幹の内部に大きな空洞が出来ています。

傍らにはこんな哀しい姿のケヤキの巨木も・・・・・。

訪れる人とてたまな山寺の巨木です。

撮影2010.5.16


川上村 寺尾十二社神社の大杉

2013-02-16 | 奈良県

奈良県川上村、観光複合施設と併設されて居る村役場に程近い、「寺尾十二社神社」に聳える大杉。

<これはダム下流の景観ですが・・・>

吉野川の深い谷を縫うように遡る国道196号線、その峡谷を堰止めた巨大な大滝ダム、ダムを避けるように大滝トンネルが右岸の山腹を貫き、その出口から先、道路沿いに一筋大滝集落の家並が並んで居る。

多分、ダム工事の補償で、この地に移設したのだろう??家並は新しい。

十二社神社は集落外れ、公民館背後の斜面上、擁壁で固められた境内に在って、妙にあっけらかんとした感じがする。

社地は動かずともダム工事の影響ですっかり周りの景観も激変したのだろう・・・・。

社殿裏斜面から突き上げる大杉は目通り5.8m、樹高50m。

其れ程特別に大きいとは思えないが、集落のシンボルとしてこの地の激変振りを、どんな思いで見てきたのだろう。

樹齢は不明ながら、まだまだ若々しく元気そうです。

撮影2010.5.16


川上村東川(うのがわ) 烏川(からすがわ)神社大杉

2013-02-14 | 奈良県

川上村では最下流域に位置する東川(うのがわ)地区、吉野川右岸に注ぎ込む谷川筋に一筋軒を連ねる東川集落が建ち、その入口、谷川の左岸斜面に烏川神社(うのがわじんじゃ)が鎮座する。

境内から蛇行する吉野川越しに向こう斜面には、奥吉野特有の山間集落が急斜面にへばりついて居る。

この辺りは元鵜川(うかわ)と呼ばれる地域、音から色んな漢字が当てはめられ、東川(うのがわ)と書いたり、烏川(からすがわ)神社と書いたり、神社の隣にある寺は運川寺(うんせんじ)と書いたりする。

神社裏に一際大きく聳える三幹の大杉、うち一本は地上4~5mの高さで失われ、ちょっと無残・・・・・。

目通り7.1m、樹高25m、樹齢は不明ながらまだまだ若い。

石段脇にもこんな一本、奥吉野もやっぱり杉が多い。

撮影2010.5.16


川上村 枌尾(そぎお)十二社神社の大杉

2013-02-10 | 奈良県

ここも前回同様「十二社神社」、こちら「中奥川」谷淵の境内にある枌尾の十二社神社に聳える大杉。

奈良県川上村は深い山の中、谷は深く流れはあくまでも清く、どこへ行っても新緑の頃には萌える緑が眩しく美しい。

前回の武光橋から「R169」で吉野川を遡ること約2km、白川渡で、県道258号線に、渓を跨いで吉野川に流れ落ちる中奥川を遡ると程なく左手にこんな景色。

溪淵の狭い境内、白砂を敷き詰め清楚な社殿を前に両脇から抱える様に大杉が聳えています。

向かって左手大杉は目通り約5m、樹高40m、大杉自身はそれ程ではないのですが、この緑に包まれた白砂とのコントラストが眩しい。

撮影2010.5.16


川上村武木 十二社神社の大杉 

2013-02-07 | 奈良県

前回の井光(いかり)集落の隣り村、尾根を挟んで西側谷の武木集落、十二社神社の見事な景観と大杉です。

川上村の険しい吉野川渓谷を跨ぐ「武光橋」は、武木と井光、両集落の一文字を取って名付けたものでこの橋は両集落へ行く以外に利用される事はない。

<十二社神社よりの武木集落>

左岸を走る国道169号から「武光橋」で右岸に、右手に行けば井光、左に向かえば程なく急傾斜の斜面にしがみつく武木集落。

集落の最奥、最高点にある十二社神社は急斜面に石垣を何段にも分けて積み上げ、山岳集落特有の見事な景観を造り出している。

大杉は社殿の向かって左脇、三摂社を前にし、石垣中段から大空めがけて突き出す様に聳えて居る。

見た目にも明らかなように三本の合体木、根元から仰ぎ見るその迫力は圧倒的です。

目通り8.7m、樹高25m、まだまだ若々しく、傷みなどは全く見られません。

<帰りがけ参道よりの景観>

集落を見守り続ける守護神の様な存在なのでしょう。

撮影2010.5.16


川上村井光 井光神社(いかりじんじゃ)の大杉 

2013-02-04 | 奈良県

いかにも由緒有りげな・・・、井光神社を「いかりじんじゃ」と読ませる神社境内裏斜面に聳える大杉。

川上村井光は紀伊半島の屋根、大台ケ原に続く深い渓谷上の山深い山岳集落。

奈良方面より紀伊半島を縦断する2ルートの内の東側ルート、「千本桜」の吉野山ふもと辺りから吉野川沿いに遡る国道169号線で約20km、大峡谷をなす吉野川を武光橋で左折、吉野川に流れ出す井光川沿いに約3km、急坂を登り詰めると井光集落に着く。

井光神社は神武天皇による大和平定の際、光る井戸から出て来て、吉野国の神だと名乗った井氷鹿(いひか)を祭神とする古い神社。

いひかを「井光」と書き「いかり」と転訛したのだろう・・・・なんともややこしい話です。

そんな事はさて置き、問題の大杉はこの神社の歴史程に驚くべきものでは無く・・・まあ何処にでも在りそうな大杉。

神社裏、社殿上の崖に根を貼り、樹齢約300年、樹高約33m、目通り5.6mと記されて居る。

傍らに在ったトチノキは目通り4.2m 樹高26mとなって居る。

両樹共にまだまだ若く、それほど特記すべくもないが、こんな山奥に古事記神話に出てくる神が居たとは・・・と感慨一入。

全く現在とは別の価値観があったんだろう??。

撮影2010.5.16


山添村 神野寺(こうのじ)の天狗杉

2013-01-27 | 奈良県

巨杉としてはどうしてもちょっと物足りなさが残る、奈良山添村の天然記念物。

大和高原は奈良の都に近く、奈良時代には社寺の杣山として利用され、その建築資材に大木の殆どが伐採され山間地にも係わらず巨木の類は殆ど見られない。

そんな山添村では珍しい杉の巨木です。

山添村の神の山として崇められる神野山山麓に天平二年(730年)聖武天皇の勅命を受け「行基」が平城京の鬼門鎮護のため創建した「法性寺正院」を前身とする古刹「神野寺」がある。

幾多の火災のため堂塔伽藍は見る影も無いが、奈良国立博物館寄託の「銅造菩薩半珈像(如意輪観音像)」は重文指定の飛鳥仏だと言われて居ます。

そんな境内傍らから裏山への山道を辿ると小さな説明板をの有る大きな杉の木に出逢う。

天狗杉と呼ばれるこの大杉は、初代 天狗杉が枯死したのに変わり近くに有ったこの大杉がその名前を引き継いだそうです。

目通り約4.3m、樹高約20m、樹齢約300年とされ、どうにか巨樹の仲間入りを許される範疇に有ります。

それでもしめ縄をまかれ、地上2m辺りで三幹に岐れ、天いっぱいに力強く伸び出す姿は、中々迫力があり、まだまだこれからが期待できそうな大杉です。

撮影2010.5.3


五條市西吉野町  奥谷のヤマモモ

2012-10-23 | 奈良県

紀伊半島を縦断する国道168号線の入口に当たる五條市に、平成の大合併で編入された旧西吉野村に有るヤマモモの巨木です。

旧西吉野村は全国的にも有名な富有柿の産地、また南朝三帝の行宮(あんぐう)、賀名生皇居跡なども有りよく知られて居ます。

このヤマモモの有る西吉野町奥谷はその地名からも察せられる通り、山肌に柿畑の続く山間僻地に在って、小さな集落が点々と軒を並べる。

そんな奥谷集落の斜面上に、現在は廃校となり奥谷老人憩の家として利用されて居る奥谷小学校跡地の崖地に根を下ろし、その濃い緑を枝いっぱいに付けるこのヤマモモがある。

直樹賞ゆかりの直樹三十五が代用教員としてこの小学校に赴任し、このヤマモモ木に登り大声でデカンショ節を歌っていたと伝えられている。

道路を見下ろす崖淵に立つヤマモモの木は大きく旺盛な樹冠を持ち、目通り約5m,樹高15m、地上近くで大きく数本の支幹に分かれています。

全国的にはそれほどではないにせよ、五條市の天然記念物に指定されて居ます。

まだまだ若々しく生気みなぎる若武者の様な感じです。

撮影2009.11.21


法隆寺 境内の老楠

2012-10-19 | 奈良県

言わずと知れた国宝の寺、この寺は古いはずなのに余り大きい木はないと思っていたら・・・・一本だけ物凄い形相の老楠の巨木がありました。

環境庁の巨木データーからは抜け落ちているので巨木として該当しないのかもですが・・・。

<法隆寺中門>

広い法隆寺の境内、中心伽藍の正面、中門の向かって右手、鏡池の傍に一際威容を誇るこの楠の木があまり目立たず生きている。

<風伐り鎌を付けた国宝五重塔>

 周囲は何せ国宝だらけ、見るもの全て存在感の有る物ばかり・・・・、こんな処にあるとちょっと気の毒。

東西に走る中参道を前にして、殆ど「はらわた」まで曝け出したような老楠が生きながらえて居る。

他の小さな古寺にでもあればもっと際立っていたろうに・・・。

主幹の殆どが白骨化、まるで現代アートのモニュメントを思わせる迫力です。

うねりもがく様に、白骨化した空洞周りの樹皮だけでその命を繋いでいる。

樹齢、目通り共に不明ですが巨樹としての威厳と貫禄は充分。

<境内を横切て行く中参道>

この法隆寺境内にあっては殆ど立ち止まる人さえなく、何の説明板も有りません。

撮影2010.2.7


天川村 天水分(あめのみくまり)神社の大杉

2011-07-06 | 奈良県

近畿の霊峰、修験道の発祥地として知られる大峯山、その麓の洞川(どろがわ)への進入路分岐点に当る地に忽然と現われる大杉です。

洞川への道を走っていた僕は何の予備知識も無く突然現われた大杉にビックリ、車を道路わきに停め早速近づいた。

大杉はちょうど道路下方に鎮座する天水分神社の神木で、この県道が開通するまで背後斜面は一面深い鎮守の杜であったに違いない。

なんとも気の毒と言うか今は県道がこの大杉をかすめて通る。

天水分神社は前を流れる天川の合流点、地名も川合と云うほどに水分の意味を彷彿とする位置に鎮座している。

大杉には何の説明板も無いが1991年、環境庁調査によれば、目通り約8.5m、樹高35mと有りかなりの巨木ぶりです。

神木を示すように巨大な幹にはしめ縄が掛けられ・・・

株元より数メートル上部で数本の支幹や大枝に分岐…、この地もまた冬場は雪が多いのか一部の枝は、雪国のそれのように垂れ下がっている。

それでも樹勢は衰えを知らず、特に目立った傷や洞も見受けられない。

力強く、圧倒的な根元には、やっぱり神木の気魄のようなものを感じる。

撮影2011.7.2