巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

尾鷲市 三木里神社の大杉

2014-03-24 | 三重県

紀伊半島南東部賀田湾最奥沿い、尾鷲市三木里町、三木里神社境内脇の斜面に根を下ろした神木の巨杉です。

神社は賀田湾沿いに建ち並ぶ三木里の町並みを見下ろす山裾斜面の高台に鎮座、古くは貴船明神(きぶねみょうじん)と称し、京都貴船神社より勧請された様です。

神社は元、三木里の町並みと参道でつながって居たのだろうが・・・・、現在JR紀勢線が参道を横切り町並みと神社を隔てて走っている。

神社へは専用の跨線橋を渡って参詣する事になり、何ともそぐわない。

狭い境内、拝殿脇の大杉は目通り6m、樹高25m、樹齢約300年。

全国有数の大降水地域に在って、巨杉にもしっとり緑濃い苔が纏わり着いていた。

撮影2010.7.8


大台町大杉 大杉神社の大杉

2014-03-16 | 三重県

遥か辺境の地、大台山系大杉谷、大杉神社の大杉。

伊勢道に続く紀勢自動車道「大宮大台」ICで降り、県道31号、国道422号、県道53号と宮川を約1時間強も駆け上ると宮川源流域、宮川ダム湖の右岸域「大杉谷林間キャンプ場」に着く。

目的地の大杉神社はここから約10分弱山道を登った小さな谷川脇に在った。

神社と言っても大杉の根元に小さな祠が有り、その前に人が3~4人肩を寄せ合う程度の拝所が有るだけ。

まさしくパワースポットと呼ぶに相応しく、一瞬身震いする程森厳な空気が付近を取り巻いて居るのを感じる。

所謂、大杉自身が神そのものの神木なのだろう。

真っ直ぐに天を突き刺す神木大杉は案内板に拠ると、目通り9.2m、樹高40m、推定樹齢1200年。

この大杉はこの地が拓け始めた頃すでに現存、大杉にちなんで大杉谷と地名がつけら れ、伊勢神宮の御杣山として、神宮用に用材が何度も切 り出された。

傍らの生き株は「大杉神社の旧社」といって今も祀られているという・・・・、確かに切り株なのに朽ちないで生きている。

撮影2010.7.8


熊野市 長全寺のナギの木

2011-05-16 | 三重県

 紀伊半島三重県側の大台山系南山懐にある棚田に囲まれた鄙びた山里の旧紀和町長尾集落。

同じく紀和町に有る棚田100選にも選ばれた丸山千枚田を訪れた帰り道がてらに寄ってみた。

丸山千枚田にしても熊野灘の海岸線からは遥かに遠い山の中、それから今来た道を更にそのまま道なりに約15分程走ると峠を越えてこの景色が目の前に広がる。

丸山千枚田と同じく斜面に広がる棚田の中に集落の家並が点在してまるで桃源郷、もうここは奈良、和歌山県境にもほど近い

集落の中程にある学校跡地に隣接するように此の鄙びた山里によく似合う境内と本堂の長全寺があり、境内隅、石垣上に大きな木立がある。

ちょうど桜満開の時期に出くわし、鄙びた山里の棚田と巨木と桜の饗宴に嬉しい目の保養をさせて貰った。

その大きな洞の根元には小さな祠と古びた地蔵石仏、石仏の上にはしめ縄、この樹は神木に違いなくここでもやっぱり神仏混淆は色濃く残っている。

かたわらの祠は熊野権現かな??このナギの木も、あの熊野速玉神社のナギの木を植えた平重盛のお手植と伝えられているが樹齢は合わない約400年。

しかし威容に発達した根株は世代交代を繰り返した結果なのかも??空洞になっている主幹の中にもう一本別の幹が厳然と有る異常さ・・・・。

まさに永遠の命を与えられたのかも知れず、樹勢も風格も衰えを見せない。

撮影2009.3.28


伊賀市治田(はった) 薬師寺の八幡杉

2011-04-06 | 三重県

名阪治田ICで降り旧国道25号線をを左折、少し奈良方面に進むと山手に石垣の上に鐘楼を控えて大きく天を突き刺す様に聳える大杉が見える。

中出公民館と薬師寺が並列するように建っていて境内脇の鐘楼横に八幡杉と呼ばれる此の巨古杉が立ちつくしている。

幾度と無く落雷に逢い近年大枝が枯損してかなり樹勢に衰えも見え、主幹にかなり白骨化も進みだしちょっと心配。

目通り5.4m、樹高27m、樹齢約500年、まだまだ頑張って欲しい大杉だが・・・・行く末がちょっと心配。

鐘楼脇から大杉越しに見る伊賀の里山風情は何物にも変えがたいのだが・・・・。

撮影2009.2.8


紀宝町 神内神社(こうのうち)の神楠、他

2011-02-22 | 三重県

そこは原始の空気と光に包まれ、時が停まったかの様な錯覚に陥るほど強烈な神の意思を強く感じる場所、まるで此処は別世界の入り口でも有るかの様・・・・・。

<神内神社付近を遠望するとこんな岩が見えるがこれが磐座(いわくら)だろうか??>

この地は熊野の自然崇拝の一環、社殿のない磐座をご神体とする神社でその原始信仰を色濃く残して、7ヘクタールにも及ぶという社叢は余りにも強い個性で迫りくるものを感じる。

国道42号線、三重県最西端の町、紀宝町鵜殿より県道141号線で山手に向かい約3km神内小学校を越え、子安神社への案内板の有る岐れ道につく。

右手脇道に進み小川沿いを暫く進むと子安神社とも呼ばれる神内神社参道前につき、目の前に小さな石の鳥居が有る。

何でも無さそうな小川沿いの短い参道を進めば大岩が現れ、その大岩を引き裂いたような岩の間の参道を進めば目の前には「子安の宮」と書かれた

神門(拝殿)??その奥にも真新しい板垣と拝門に囲まれた磐座(いわくら)、しかし正面からは全容を見ることは出来ない。

神門(拝殿)脇には涎掛けがびっしりと吊り下げられまるで涎掛けの壁に成っていた、勿論「子安の宮」として信仰され祈願されて居る証だろう・・・。

板囲いから見上げるとこんな感じで・・・

ちょっと登って見下ろせば・・・・・大岩が目の前に・・・・細部までは見えない。

参道途中から原始、神の杜を見ると別世界の空気が流れるのを感じる。

大岩を神の手で鷲掴みしたようにさえ見える神楠の木。

それはまるで強烈な神の意思でも有るかの様です。

蛸足の様でもあり・・・

磐を破り、磐に根を張り、磐と共に生きる・・・・・

根元に対して主幹が余りにも華奢に見えるのはカメラレンズのせいだけでは無い。

なんとも強い意志をこの累々とした樹塊の根元に感じる。

根元にある大穴を妊婦や若い女性がくぐると、子宝を授かり、安産間違いなしといわれているようで社叢全体は

三重県の天然記念物に指定されています。

参道、鳥居脇には

ホルトノキの古木が石を抱き込んで 「子守の木」と呼ばれているようです。

撮影2008.12.7


御浜町神木(こうのぎ) 西地のイヌマキ

2011-02-15 | 三重県

紀伊半島三重県熊野市の七里御浜の国道42号線から山沿いの走る国道311号線に入り穏やかな山裾の田園風景やみかん畑中を約15分も走ると御浜町神木(こうのぎ)の集落が豊かな田園風景の中に点在している。

国道が大きくカーブする公民館の手前で右折、川沿いに進めば小さな橋をわたり庚申堂のある出会いの辻を小川沿いに進めていくと目の前に大きく聳える木が見えてくる。

この辺りは見事に蜜柑畑と棚田が混在する絵に描いた様な里山が風情が広がって居て気持ちの良い土地です。

そんな小川にかかる小さい橋を渡ったみかん畑の中の一画にこの巨大なイヌマキが蔓性植物を一杯巻きつけて悠然と立っている姿わ何処か伸び伸びしていて気持ちよさげにも見える。

かってこの場所には寺院があったようで、このイヌマキはその寺の歴史を見守って来たのであろう??付近にはそれと覚しき石造物の残骸が見かけられる。

全国二位のイヌマキとして知られ、目通り約6.5m、樹高約20mと表示されており、残念ながら樹齢は不明。

周囲が全て低木の蜜柑畑や低い山を利用した棚田なので、このイヌマキが突抜けて聳え、衰えも見られない。

因みに西地はこの地の小字名のようですが、小字などという言葉さえ都会人にとっては既に死語に成ってるかも???

撮影2008.11.15


熊野市 有馬の大イブキ

2011-02-13 | 三重県

紀伊半島の三重県側、熊野灘の広がる太平洋はいつ見ても雄大そのもの、そんな熊野市の日本の渚100選にも選ばれている七里御浜が始まる花の窟神社の直ぐ近く。

神社参道脇の道路を道なりに住宅街へと入り込み天理教有馬分教会を見つけるとその脇の民家前に大きなイブキの老木が佇んでいる。

民家の庭にこんな古木が?と思い調べて見ると、この地は江戸初期の「口有馬城址」に当る場所でこのイブキは当時からこの地に在ったらしい。

根が持ち上がり、一部白骨化も進んで大きな洞も見られるものの、この樹種独特の風格もあり樹齢も約800年と言われています。

目通り5.0m 、樹高11.8m、熊野市の天然物に指定されている。

老体とは言え威風堂々、野武士のような風格を持ち、まだまだ青い葉を一杯つけて衰えは見えない。

撮影2008.12.6


伊勢 松下社(まつしたしゃ)の大楠 

2011-01-03 | 三重県

国道42号線であの「初日の出のスポット夫婦岩」の有る二見町の新二見トンネルを抜け、橋を渡って道成りに大きくカーブすると其処は松下町、約500mも走ると街並みも途絶え、左手に「蘇民の杜(もり)」松下社の看板、大きな空き地が有って何処にでも停めてくださいと言わんばかり。

車を停めた目の前に大きな口を開けたような巨大な楠の根元。

根元はすっかり風が吹き抜けるほどの大きな洞になっているが、その上に緑を一杯背負ってこの楠の生命力の強さを伺わせる。

樹皮だけのように見える樹幹の基部脇から張り出した枝幹は堂々と伸び上がって見事な景観をつくり出し、その姿は風格を感じさせる。

まるで巨大なカタツムリの殻に小さな楠の森を乗せたかの様な姿です。

しかしこの場所から全容をうかがうことは出来ない。

境内脇から奥に進むとちょうどこの楠の裏側に出る。

しかし根元から見た楠と、裏側から見た楠では全く違う印象です・・・・、あの根元のひょろひょろした枝の集まりと言った印象など何処へやら。

主幹は大きく二つに割れてものすごい形相で雄叫びを上げてでもいる様・・・・。

一応掲示板では樹齢2000年、目通り 7.0m、樹高 12mと成っている。

楠の巨木もさることながら「蘇民の杜」と呼ばれる松下社境内は、駐車場から鳥居を潜って一歩境内に入るとその様相を一変する。

其処は特別な空間、まるで沈んだ空気が包み込む幽玄の世界。 

茅葺屋根の絵馬堂と拝殿が一列にならび、拝殿と松の幹には三つ房を下げた縄

縄の傍には余り見たことの無い樫の枝を束ね縄掛けをした呪具・・

これが神殿、素朴な神明造り??・・・、やっぱり脇には樫束の呪具。

此処には素盞鳴尊(すさのおのみこと)、菅原道真他1座を合祀する。

素盞鳴尊の本地牛頭天王だとされ、この松下社も加木牛頭天王社とも言われているようです。

素盞鳴尊を助けた「蘇民将来」の説話からこの地では「蘇民将来子孫」という木札を付けた注連縄が年間を通じて民家の玄関に掲げられている。

また「笑門」と書かれた注連縄を一年通じて良くみかけるが、これも文字通り「笑う門には福来たる」という意味だけではなく やっぱり「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言う事だそうです。 

巨樹追いの旅でも色々興味深いものが発見できて止められそうに無い。  

撮影2008.10.4


一色神社(いっしきじんじゃ)の楠(長寿の樹)

2010-12-31 | 三重県

一色町は伊勢神宮の近く、画像でも見慣れた夫婦岩の有る二見が浦に行く道筋からちょっと外れた、 五十鈴川と勢多川に挟まれた岬状の先端部に位置する長閑な田園が広がる河口の古い集落(集落と言うには大きすぎるけれど)です。

ちょうどその真ん中辺りに有る一色神社の境内に「長寿の樹」と呼ばれるこの大楠が腰をすえている。

この地に人が住み始めた約800年前には既にこの楠は聳えていたようで人々はこれを「産土の木」として崇拝、その後この樹の懐に氏神、一色神社を創建したようです。

しかし時は流れ、慶応2年(1886)、付近から出火した火にあぶられ、神木の楠も延焼を免れることなく消失・・・・・、ところが命の灯が完全に消え去ることは無く復活を果たし、根元から出た新芽が消失した主幹を囲むように大きく成長して現在の姿になっているようです。

残酷な悲劇の跡を残す正面も・・・・・

廻り込み、方向を変えて見るとこの穏やかさ・・・堂々とした巨木ぶり・

まるで何事も無かったよう・・・・、子供が親の命を引き継いで成長し続けている。

樹齢としては150年弱、大枝一杯に羊歯をつけ貫禄充分・・・・・しかしこの成長の速さは凄い。

目通り幹囲 8.0、m樹高 10mとなっている。

撮影2008.10.4


箕曲中松原(みのなかまつばら)神社のクスノキ

2010-12-29 | 三重県

伊勢市、近鉄宇治山田駅 すぐの繁華街の真ん中に在ってこじんまりした森の中に有る。

境内は道路代わりに使われているのか人通りも多く厳粛さには欠けるが緑は濃く揺らぎの一画を市民に提供してるのではないだろうか??

内宮、外宮を始めとする伊勢神宮やその摂社の多い中でなんとなく親しみやすく、一息つける佇まいが嬉しい。

豊受稲荷社と箕曲中松原神社は同境内に有って、この大楠は西側入り口から入って直ぐの正面、境内の真ん中辺りにドンと腰を据えている。

根元より大きく数本に分かれた大枝にシダ類を一杯大枝に纏い、根幹は大きな洞を有している。

推定樹齢800年と言われ、楠正面には鳥居が建てられ楠神社として神格を与えられた大楠です。

目通り 7.7m 樹高 25mの大楠は神そのもののような厳粛さを有している。

根元の洞には守り神の白蛇が棲みついているという話だが確認は出来なかった。

撮影2008.10.4


月夜見宮のクスノキ

2010-12-28 | 三重県

JRと近鉄の総合駅の真正面に鎮座しているのが外宮と呼ばれる豊受大神宮が鎮座していて、またその前方200mぐらいの処に月夜見宮(つきよみのみや)が在る。

伊勢神宮の祭神が天照大御神の太陽神であるのに対して月夜見宮の祭神月夜見命は月の神・・・昼と夜、陽と陰の関係に有るのだろう。

外宮と月夜見宮を一直線に結ぶ道は神が通う道とされ「神路通り」と呼ばれて親しまれているようです。

 清清しい空気の流れる境内に入ると拝殿の東側に大きな楠が聳えている。

手水社の傍で両手を挙げたように見えるのは途中で主幹を失い大枝三本がその代わりを果たしているからなのだろう・・・古い昔に落雷にでも遭ったのだろうか??

しかしそんなことが有ったことを物ともせずに巨大な目通りは7.8m、樹高 28mと言う事になっている。

主幹や大枝にも大きなダメージは無く樹勢も盛ん、推定樹齢 300年以上と言うがまだまだ若々しく見える。

撮影2008.10.4


朝田寺(ちょうでんじ)のスダジイ、楠

2010-12-26 | 三重県

松阪の中心街より伊勢湾方面へ約3km、田園地帯の真ん中に「朝田の地蔵さん」と呼び親しまれている伊勢国最古の地蔵菩薩立像を本尊にする天台宗光福山延命院朝田寺(ちょうでんじ)がある

この寺では道明供養という独特な信仰形態が受け継がれ、葬式終了後宗派にかかわらず朝田寺の地蔵菩薩にお参りし、故人愛用の衣服を掛けて極楽浄土に行くことを祈ると言う。

山門前の良く整備された広場に車を置き、山門を潜ると右手にスダジイ の老木が蹲るように佇んでいる。

根元から何本にも分かれ、新しいヒコバエも大きく世代交代も進んでいるようです。

古い主幹はさすがに老獪、しかし荒々しく隆々とした木肌には力強さがみなぎっている。

枯損した大枝も有って痛々しくも有るが、樹勢そのものに衰えは感じない。

樹高 8m、目通り幹周5.3mとなっています。

左側鐘楼脇には楠の巨木もあって、鐘楼と隣のお堂を覆い隠すように枝を一杯広げている。

しかし楠の巨樹が多い三重県に有っては全く目立った存在ではない。

推定樹齢約 300年、目通り 5.8m、樹高 15m。

撮影2008.10.4


松阪神社の長寿楠

2010-12-24 | 三重県

前回まで紹介していた岐阜県のお隣り、三重県では巨樹もガラっと変わって、岐阜県の大杉からがぜん楠の木の老大樹が目立つ様になる。

岐阜県は山の中、三重県は太平洋側の海沿いに有る県だと云うことなんだろうが・・・・。

三重県の県庁所在地、津市に近い松阪は言わずと知れた松阪牛で有名ですが、市の中心部は松坂城址有す城下町でも有り、本居宣長を排出したところとしても知られている。

松坂城址の城壁を真直ぐ進むと本居宣長神社の鳥居、参道を登って行くと同じ境内に松阪神社があって、この大楠が聳えている。

もっとも松坂神社の参道は別に有る云うのがあとで分かりましたが、松坂城址脇の小高い丘の上に有る緑豊かな森に囲まれた由緒深そうな境内です。

この楠は表示版に依ると、1092年に意非神社のあった「意非の森」(おいのもり)で誕生し、後1588年に蒲生氏郷公が松阪城を築いて城主となり、この森を「四五百の森」と名付け、当神社を城の守護神として崇敬、この楠も神木として崇められ大切にされてきたようです。

この楠の根元には大きな穴があって、これは松阪城からの抜け道の出口だと言う伝承があるそうですが??、僕が此処を訪れたときには根元の洞は見えないようにこの通り割竹の目隠しがされていてどんな様子なのか不明でした。

推定樹齢900年、樹高22m、目通り6.49mと記される老楠ですが見た感じはそれほどの樹齢とは感じられなかった。

 

たしかに洞は大きく深く人が通り抜けるのには充分な大きさ・・・

裏に廻ってみてもこの通り、洞は貫通しているような??

この無粋な囲いは動物が住まいにするのを防ぐためのものでしょうか??

傍らに有った樫の樹の幹にミツバチが巣食って居て充分近づくことは出来なかったがまだまだ元気そうに見えた。

撮影2008.10.4


福王神社の大子杉

2009-11-16 | 三重県

 



ここを訪れたのはもう1年以上も前のことで記憶も定かではない・・・。



その頃すでにこの巨杉は全身白骨化が進み、枝先にはまばらな葉を申し訳程度につけていたが今も何とかその命をつないでいるのだろうかと少し心配です。


三重県の最北端部、鈴鹿山系東斜面、いなべ市との境界近くに福王神社が鎮座している。




長い参道から境内に入っても本殿までは遠く、巨杉の聳え立つ石段の長い参道が続く。


社伝では、百済より仏像経巻が伝来したとき、来朝した仏師安阿弥が勅によって毘沙門天を刻み、のち聖徳太子の命により福王山に国の鎮護として安置したといわれています。



 福王神社とは言え、仏教色の強い神仏習合礼霊場の感がが強い。



大使杉と呼ばれるこの老杉は福王神社のご神木で、幹周/6.63m、樹高/38m。樹齢/1000年以上といわれていますが何もかも少し物足りなさを禁じ得ないのは僕だけだろうか



撮影2008.6.1


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亀山 正覚寺のツブラジイ

2009-04-03 | 三重県


伊勢方面を訪れるには良く通るR25号線、人呼んで名阪国道。


ここは珍しく高速道路状のつくりにも関わらず一般国道で、走行車両のスピードや事故の多さで人知れず有名な道路です。


このR25が名前を変えて有料道路になる手前のインターが亀山で、この地は交通の要所として車がひしめきあっています。



インターから約20分ほど東に走った県道646号線沿い、小高い岡の上に有る正覚寺のツブラシイです。


国道から正覚寺に上る細い道は直ぐ門前に着き正面本堂左脇にこのずんぐりとしたシイの木が目につく。


本堂から続く墓所への入り口に当たるこの場所は小高く眺めも良く、日当たりも良い。



ツブラジイなのかスダジイなのか見分け葉付けにくいが巨樹として良く見かけるのはスダジイが圧倒的に多いような気がします。


写真のように主幹には大きな空洞が広がっていてまさしく表皮居間で生きながらえているようにも見えますが、樹盛は良く樹冠はびっしり若葉を生い茂らせていました。


根元といわず主幹からもひこばえが元気に吹出し、老いてますます盛んなようです。



目通り約6m、樹高約10m、樹齢は不明ながらも威風堂々の風格でたたずんでいる。


撮影2008.4.5


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