巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

金山彦神社のイチョウ

2010-02-26 | 福井県

 


敦賀市中心街より剣道225号線で三方湖方面7~8kmも車を走らせると国立病院という大きな交差点があって左手、目の前にダダ広い金山彦神社の境内が見える。


境内なのか児童公園なのか見極め難いが車はそのまま駐車出来、何の苦労もないのでラッキー。



明るく開けた境内で鎮守の森と言った雰囲気は全く感じられないのは立地条件で仕方ないのかも??しかし広い境内のあちこちにはタブ、銀杏、ハゼなどの巨木が見られる。



この広い境内で一番目立つのは社殿右脇に立つ雄株の銀杏で幹周り8m、樹高15m、樹齢約300年とまだまだ若いが主幹は高さ5~6 mの所で欠損、根元より出たヒコバエが主幹と一体化、枝一杯に葉を茂らせている。



下方にはイチョウ特有の気根(キコン)が多く垂れ下がっていて、ここでも乳の神と称えられ、乳不足の婦人はこの皮を煎じて飲む信仰があるようです。


この交通量の多い街中の境内にあってはこの銀杏も大変なんだろうなあと、ふと思ったり ・・・・。



参道入り口(実はここがそうなのかよく判らないけど)横には市指定天然記念物の標柱が建ったハゼノキがある。



ハゼと言えばウルシ、普段山で見かける漆は雑木の類でこれほど大きくは成らないだろうに??ところがこのハゼは、山野に自生しているヤマハゼではなく、漆を採取するためのリュウキュウハゼだという事でした。


幹周り約3.2mハゼとしてはかなりの巨漢だという事です、それでもやっぱり葉に触ってしまうとかぶれてしまんだろうなあ??



他に幹周り3m~4mのタブの木が二本??頑張っている。



撮影2008.7.5


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寒水(そうず)ムクノキ

2010-02-19 | 大分県


このムクノキは樹自身の姿もさることながらこの樹を取り巻く景観が素晴らしくその存在を一層、きわださせている 






ムクの巨木が、長閑な山間集落の人家近くに聳えていて周りにはなだらかな棚田とその石組、なんとも日本の里山を絵に描いたような景観に誰しもしばし見惚れてしまうに違いない。



宇佐市安心院(あじむ)から、あの湯布院に抜ける県道50号線には途中、「仙の岩」という奇岩のそそり立つ耶馬渓独特な屏風岩が見られたりして風光明媚な道路で交通量も少なくご機嫌な道路です。



約10分ほども走ると道路は大きく旋回しながらの登り坂になった辺りに、なだらかな棚田が連なり斜面の小さな集落を見下ろすようにこのムクノキが、その景観に溶け込んでいてどこか懐かしい気分にさせてくれる。



全国7位のこのムクノキは幹周り8.4m、樹高15m、樹齢は不明、間近に近づいてもそれほどの威厳を感じることもなく、かえって親しみの湧く巨木です。




主幹には何の衰えもなく、無数に伸びた枝枝に黒い実を一面に付け、民家のそばで親しまれ、大切にされて来たのだろう事が感じ取れる。


何の掲示板や案内もなくあっけらかんとしていて良いのですがせめて小さな表示板ぐらいは有っても良いんだけど???。


撮影2009.12.26


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山蔵(やまぞう)のイチイガシ

2010-02-15 | 大分県

  


樫や椎の老木は主幹が節くれだって大きな洞を抱えているものばかり見てきた僕にはこの山蔵のイチイガシは新鮮に見えた。



樹齢約1000年、目通り約7.5m、根周り実に12m超、樹高約25mと有りまるで巨杉でも有るかのように、すくっと立っている。



巨大な根元は、その樹齢を納得させるような巨大に樹瘤が隆々と脈打つが、洞などは見当たらず、至って旺盛まるで1000年も生きているというのが俄かには信じがたい


宇佐市、安心院中心街より、県道718にて高速インターを突っ切り佐多の交差点を越えると直ぐに山蔵の集落。



集落の裏、小さな斜面の広がる山裾、民家の屋根越しにその姿を確認することができる。



隆々と脈打つ主幹の木肌は鱗様の白い樹皮がめくれ上がり、幹は地上7m辺りで二分、次いでで5本に分枝して大空を塞いでいる。



根元には小さい祠が有り、小石造物がならべられていて、日々崇められているのが手に取るように解る。



もう何十年も昔には根元大きな空洞が有って石祠が祀られていたそうですが、現在その石祠を飲み込んで洞もすっかりなくなっています。


 石祠を飲み込んだイチイガシの巨木は正月前でしめ縄も新しくなり、もはやこの地の神そのもののようです。



昭和30年大分県天然物指定。




撮影2009.12.26


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西椎屋の大銀杏

2010-02-14 | 大分県

この銀杏の巨木が有る大分県宇佐市院内町西椎屋地区は宇佐市街から約20km、奇山奇岩の連なる耶馬渓のずっと奥、R387号線がはるか天井の山肌を縫って走る谷底にある小さな集落です。

 

集落に入る細い道を下っていくと、くねくね曲がりながらこの西椎屋神社の石鳥居の前に出る。

背の低い石鳥居をくぐって石段を登ると境内左手にでんと腰を下ろしていて何があってもゆるぎないという様です。

ここを訪れたのは昨年暮れの師走も押し迫った26日、裸木には既にに新しい注連縄も巻かれ、新年を迎える神木の厳かさを醸し出している。

 銀杏の古木独特の気根が幾重にも垂れ下がり、ここでも乳神さんとしての信仰があるようです。

一般的には鎌倉期に中国から伝来したと言われる銀杏の木がここでは樹齢約1300年、こんな偏境の地にいち早く伝えられたとしても?樹齢だけが独り歩きしているのかもです。

根回り: 13m、 幹回り: 11.2m、樹 高 : 34m、宇佐市の天然記念物に指定されています。

撮影2009.12.26

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湯布院 大杵社の大杉

2010-02-09 | 大分県

 


湯布院といえば別府の奥座敷、豊前富士の名前で知られた風光明媚で長閑な湯の里としてその知名度は全国区 ??



山並みに囲まれた湯布院の街並みを見下ろす南側山裾に大杵社(おおごしゃ)という景行天皇の時代に鎮座したという小古社がある。



車で鳥居前まで急坂を登ると小さな駐車場が用意されていて、この日も温泉客のアベックだろうかタクシーで乗りつけたりしていた。



大杵社は狭い境内の奥に鬱蒼と繁る守を抱えており大杉が何本も聳え、昼なを暗いほどの杉木立に覆われています。



その中でも一際大きいのが狭い境内の正面の一段高くなった拝殿横に腰を据え、すくっと聳えるこの大杉。





根周り、13.3m、目通り約11m、樹齢約1000年と言われる大杉は目の当たりにするとやっぱり大迫力、その威風堂々とした立ち姿は別格の存在感があり、見る者を圧倒する力を持っていて、小さな境内からはみ出してしまいそうです。



根元には畳3枚ほどの空洞があり、明治30年の大晦日、ごみ焼き火が入り2年2ヶ月2日も燃え続け、煙が幹上部の穴から噴出していたと伝えられていますが樹勢の衰えを感じる事はない。




昭和9年に国の天然記念物に指定されています。


撮影2009.12.28


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本庄の大楠(国指定天然記念物)

2010-02-06 | 福岡県

前日の夜9時過ぎに京都の自宅を出て名神、中国、山陽自動車道を突っ走り、途中山口県防府を過ぎた辺りのSAで小休止、その先中国道と合流、関門橋を越え、九州道、東九州道と走り切 、行橋を越え、築上町本庄のこの地近くに着いたのはまだまだ夜明けまでは有り余る程の時間があるAM5時過ぎ。

周りがまだまだ真っ暗で何処に神社があるのかも解らないので道路端にある広場でしばし小休止、眠ろうとしたが眠れなかった。

九州の夜明けは遅く、周りが明るくなるまで眠れぬ無駄な時間を2時間近くも潰した。 

本庄の大楠は小休止した広場から目と鼻の先、周りが明るくなると目の前に楠への道案内表示が有って、広くて新しい道路がそのまま大楠前の精一杯駄々広い駐車場へとつながっていた。

まだ日が昇りきるまでのぼんやりした光の中に 精一杯背伸びをするように枝枝を伸ばしているように見えた。

この楠は大楠神社の境内にデンと腰を据えている、というより大楠の脇にこの大楠を神格化した社を建てたもの、古文書によれば、景行天皇が九州平定のため行宮を造営したとき山河清浄の地に常磐木の楠を植え、戦勝を祈願したという謂れの楠で、推定樹齢1900年と言われるが定かではない。

奈良時代に始まったという宇佐神宮の30年毎に行われる遷宮造営は、この大楠の下で「御杣始(みそまはじめ)祭」が執行される。御杣始祭は、安政年間で途絶えていたが、平成7年に復活したそうです。

表側から見る限り樹勢は旺盛、根元は隆々と盛り上がり力強く,巨大な生あるモニュメントの様です。

幹周り21m、樹高26m、樹齢は1900年と伝えられる大楠ですが、明治34年に浮浪者の火の不始末により空洞内が火災に逢い大半を焼失、十畳敷きも有るという裏側根元は表側とは全く違った哀れな姿になっていますが。「寿命長久の霊験あらたか」と言われ、幹に触れ長寿にあやかろうとする人も多く、築上町のシンボルになっています。

日本三大楠の一つとして 大正11年に国の天然記念物に指定、環境庁が実施した全国巨樹巨木調査で全国第五位の巨木と認定されて居るようです。  

撮影2009.12.26

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建屋のヒダリマキガヤ

2010-02-04 | 兵庫県


兵庫県北部、但馬地域の神鍋、鉢高原域は密集して多くの巨木が存在する地域として見逃せない。



播但連絡道、朝来インターで県道70号線に入りそのまま道なりに一気に北上、建屋小学校手前左折して谷間の能座集落に入っていく。



途中の案内板通りに里山の細い生活道路を山手に進めていくと正面の小高い丘?の上に一際は目立つ木立が周りの棚田と程良い景観をかもしだしている。



この樹は幕末の生野挙兵に参加し、後に京都府知事として京都疎水を完成させた北垣国道の旧宅があったところで、今では空き地になって公園化されているが江戸時代に庄屋も務めた郷土の偉人の記念碑的な銘木です。




樹の前には生野義挙などの明治維新で亡くなった同士をとむらうために建立した忠魂社で、現在のものは昭和52年に再建されたようです。




建屋のヒダリマキガヤという名前が示すように実の表面に左巻きの波紋があり珍しいとされていて、カヤとしては全国九位であるが、ヒダリマキガヤとしては最大、樹齢800年、目通り幹周約7.35m、高さ約26m、親しみをこめて「かやのきさん」と呼ばれています。



地上約4mのところで2つの大きな幹に分かれていて深い裂け目が有るのか太い鎖が3重にも巻かれています。



僕が訪れた一昨年夏、樹勢は至って盛んなようにみえましたが、北側の幹からのびる枝では葉が極端に減少、枯死も進み、樹勢回復治療の実施中で根元付近が堀起こされ、養生シートが架けられていたりしたが今は元気になってあの痛々しい鎖も外されているのだろうか?



昭和13年に県指定文化財となり、昭和26年6月9日には、国の天然記念物に指定されました。


撮影2008.7.12


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