巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

熊本市 城南町下田のイチョウ

2013-12-22 | 熊本県

熊本市南端、旧城南町の中心部、隈庄(くまのしょう)旧「火の国酒造」本家脇に立つ国天の大公孫樹

本家脇と云えども一見酒造工場脇、スーパー駐車場前の空き地に取り残され、所在無さげに立って居る。

かって「火の国酒造」のあった土地は、この地方第一の旧家「下田家」の屋敷が有り、この公孫樹もその屋敷内に在った。

ゆえ、「下田の公孫樹」と冠せられた大公孫樹は、樹齢約650年、目通り12.3m、樹高 21m。

根元近くで大きく二股に分かれ、目通りの12.3mと言う程の迫力には欠ける。

栄枯盛衰、時は流れ時代は移り、周りの景観はすっかり変わり果てても公孫樹の大樹は残り、遠い昔を懐かしむかの様です・・・。 

撮影2011.12.18


宇城市(うきし) 小川阿蘇神社の大樟

2013-12-12 | 熊本県

当然ながら熊本県には阿蘇神社が多い・・・、そんな中の一つ、熊本市街から南へ約30km、旧小川町「小川阿蘇神社」に聳える大樟です。

小川阿蘇神社の大樟は八代海に注ぐ砂川右岸、山裾南端部高台に鎮座、境内に続く石段の上、境内端から集落を見下ろす様、圧倒的な存在感で立ち尽くして居る。

大きなピースマーク、V字型に二主幹を天高く伸ばし、その大きな樹冠で天に蓋でもしてる様です。

小川阿蘇神社は、平安中期の長久元年(1040年)、本社より分霊を勧請の際、その船を繋いだ樟だと伝えられ、「舟繋ぎの樟」とも呼ばれています。

現在は遥遠くに八代海を望むが、当時この付近が海岸線だったとされています。

そんなこんなでV字型の大樟は樹齢1300年、目通りり13m、樹高 32m。

株元には弊を付けた七五三縄が巻かれ、葉を一杯茂らせる姿はそんな樹齢を感じさせず、まだまだ若くさえ見える。

現在宇城市の天然記念物に指定されて居る。

撮影2011.12.18


熊本市旧植木町 寂心さんの樟

2013-12-06 | 熊本県

「一木にして森を成す」の言葉そのままに大規模な樹冠と巨大な主幹を持ち、巨樹らしい樹姿の巨樟です。

それこそTVCMの「この木なんの木、大きな樹・・・」を彷彿とさせてくれます。

前回紹介の滴水より南へ約4km足らず、JR植木駅南方高台、この樟のために造られた寂心緑地にその巨大な樹冠を広げて居る。

大樟の根元には、中世末、この地域に勢力を持っていた厳松軒寂心の墓石があり、「寂心さんの樟」と呼ばれ崇められている。

太いタコ足を大地に広げ伸ばしたように力強く張り出し、樹齢約800年、目通り13.3m、樹高30m、大きな樹冠下には特別な風が吹き抜ける

その圧倒するような量感溢れる気魄に満ち満ち、大きな傷みも見せず、樹勢は全く衰えを見せない。

堂々たる巨大さで熊本県の天然記念物に指定されて居る。

これ程の大きさでも、九州では何とか十指に入るだろううか??・・・・。

撮影2011.12.18


熊本市旧植木町  滴水(たるみず)のイチョウ 

2013-11-30 | 熊本県

九州では巨木と云えば、ずば抜けて多いのが樟、次いではこの公孫樹じゃないだろうか??

どの地方に行っても名だたる公孫樹の老巨木が在って、それには必ずそれなりの曰く因縁が有り、信仰の対象と成って居る場合が多く、この「滴水(たるみず)のイチョウ」も例外では無い。 

JR鹿児島本線植木駅より北へ約2km地点、植木バイパス鹿南中学校近くの滴水集落公民館前の一段高くなった台地にそびえています。

九州の冬がいくら遅いと言っても、年の瀬の半ば過ぎ、小さな阿弥陀堂の台地は黄金色に染まり、裸木に近い大公孫樹は、寒そうに聳えて居た。

熊本県の天然記念物に指定された大公孫樹は、主幹の周りに株元から吹き出したヒコバエとの集合体の様に見えるが、実は5本の株が密植されて成長したものらしい。

根元には「滴水東屋敷の板碑」と言われる板碑石仏や石造物の残欠などが残り、この大公孫樹は平家落人の墓標として植えられたものだと伝えられている。

目通り14m、樹高42m、推定樹齢500年、廃寺跡の大地に佇む孤高の大公孫樹はそれだけで絵になる景観でした。

撮影2011.12.18


菊池市隈府(わいふ) 将軍木(しょうぐんぼく)

2013-11-25 | 熊本県

菊池市の中心街に程近い県立菊池高校、その正門脇に由緒有りげな祠と並び立つ、大きなムクノキ。

この地の中心、「菊池本城跡」直ぐ近く、古くは武家屋敷群でも並んで居ただろうと思われる一角・・・・

由緒有りげな祠は、城主「菊池氏」の祖霊三代を祀った菊池神社の御旅所、椋の巨木はその御神木だとされて居ます。

しめ縄を巻かれ、菊池神社の神木とされるこの椋は南北朝時代、征西将軍宮「懐良親王(かねながしんのう)」のお手植えだとされ、地元住民からは親王の身代わりとして崇敬され、将軍木と呼ばれている様です。

目通り8m、樹高16m、推定樹齢約600年、つっかえ棒で四方を固められ、ちょっと痛々しい姿です。

おまけに裏側に廻ると・・・・、ちょっと哀しいこの姿、鉄のワッパが根元の裂け目が広がるのを抑えています。

それでも大空一杯枝を広げ、まだまだ大丈夫だと言わんばかりに立ち尽くして居る。

撮影2011.12.18


菊池市七城町 妙見の樟

2013-11-20 | 熊本県

 

この巨樟自身が「妙見の樟」と呼ばれ、霊木として信仰対象と成って居る。

国道325号、菊池市七城町のメロンドーム依り北西に約500~600m、福祉施設脇の道路際、なだらかな斜面にどっしり腰を下ろして居る。

目通り10.0m、どっしり構えた巨幹には微塵の揺ぎも無い様に見える。

主幹は大きく二股に岐れ、樹高30m余り、樹齢約600年。

平成3年の台風で大小の枝が折れ、大きな被害を受けた、言われて居るが全くそんな気配さえ感じさせず、大きな樹冠を茂らせて居る。

しかし国の天然記念物から、菊池市の天然記念物に降格したようだ。

地元では、この樟を「上霍(か み づ る)神社」・「妙見さん」と呼び古くから「水の神様」として信仰対象に成って居る。

撮影2011.12.18


和水町(なごみちょう)西吉地  山森阿蘇神社の樟

2013-11-14 | 熊本県

前日の宿泊地、鳥栖市街から南へ約50km、和水町(なごみちょう)西吉地集落の鎮守、山森阿蘇神社参道脇に立つ巨樟です。

朝一番に宿を出、九州自動車道を南下、 南関ICから県道4号、県道194号経由でこの場所に着いたのが朝まだ早き7時半・・・・、集落の朝は遅く、まだまだ静まり却って居た。

集落入り口脇から石段参道を登れば右手、斜面上、岩盤にしがみつくような格好の大樟が聳えている。

集落を見下ろす形の大樟は、説明板によると、樹高25m、目通り10m、推定樹齢800年と成って居ます。

根元は蔓性植物に覆われ、神木のしめ縄が巻かれて居ますが、大きな洞や傷み等は無く意気軒昂に聳え、とくに根元のボリューム感は凄い。 

撮影2011.12.18


小国町宮原 「けやき水源」のケヤキ

2013-01-14 | 熊本県

山国小国の中心地、小国町役場と鼻の先、筑後川上流の静川、小国小学校の対岸にみごとな姿のケヤキの巨樹がまるで川面から聳えるように立って居る。

小国郷の総鎮守、小国両神社の門前町として開けた上町通りを行くと、瀟洒な家並の向うに大きく広げるケヤキの樹冠が飛び込んでくる。

家並小径の石畳を川岸に向かうと、樹齢千年といわれる「大ケヤキ」が川面一杯、爽やかな新緑の影を落とし立ち尽くして居る。

大ケヤキの前面は、「けやき水源」と呼ばれる小さな湧水池になっており、大ケヤキの根元からはコンコンと清水が湧き出している。

大ケヤキには立派なしめ縄が巻かれ、の根元には福運を呼ぶと信じられている水神様が祀られている。

少し斜めに構えた主幹の目通り7.5m、根回りは大きく発達していて約20m、樹高18.5m。

主幹上部には大きな洞が見えますが樹勢は極めて旺盛なように見受けられます。

なんとも清々しく透明感のある景観が脳裏に焼きついて居ます。

撮影2010.5.1


南小国町 竹の熊の大ケヤキ

2013-01-10 | 熊本県

国の指定天然記念物で熊本県下最大のケヤキですが、主幹?は遠い昔、台風にでも引きちぎられたのか既に無く、脇の大枝二本がその代りをしているようだが小枝も少く、少し痛々しい。

南小国町中心部、国道212号線から県道40号線に入り、程なく道路脇を流れる満願寺川を渡り左岸に立ち並ぶ竹の熊集落を走ると左手にそれと解る申し訳程度の案内板に出逢う。

<境内入口脇、二本の杉の木に渡された注連縄>

邪魔にならないように車を道端に寄せ、民家の脇を抜けると少し高台になった境内に屹立している。

見た感じ目通り付近のボリュームは凄いのだが紡錘形に見える程、上部、梢部はすけすけで華奢。

主幹基部にはびっしり苔を纏い時代を感じさせるが、ケヤキには気の毒。

戦後の台風で引きちぎられたと言う主幹部には、空洞化を防ぐトタンが掛けられている。

根回り15.8m、目通り11.7mと全国的なスケールですがどこか物足りなさを感じてしまう。

横に寄ると岩塊のようにゴツゴツした木肌、樹齢約1000年、樹高33m・・・、それでも驚く程の迫力に欠けるのは、漲る生気が感じられないからなのかも・・・。

撮影2010.5.1


熊本県小国町  阿弥陀スギ(あみだすぎ)

2013-01-07 | 熊本県

遠目に一見すると杉だと云う観念からは程遠い樹姿をした巨杉です。 

先日紹介の鉾納宮寄り北西に約2km、なだらかな斜面に囲まれた畑地に飛び飛びに民家が建ち、牧歌的な風景の中、特別に守られ単立して居ます。

最早支えが無くては立って居る事も覚束無い様ですが・・・凄まじい生命力で生き存えて居るように見えます。

一昔前、平成11年(1999)9月24日の台風18号によって、主幹は引き裂かれ現在のように脇枝だけが残る壊滅的な被害を受けてしまったようです。

被害に遭う前の阿弥陀杉は目通り12.6m、樹高38m、枝張り約38mと威容を誇って居たようですが・・・、すっかりこの痛々しい姿で支え棒に寄りかかりなんとか倒壊は逃れて居ます。

大きく引きちぎられすっかり腸(はらわた)まで曝け出し・・・、それでも残った枝には葉を生い茂らせて居ます。

樹齢1300年・・・、阿弥陀杉と言われた立派な樹冠も今はない。

最早昔の勇姿には比ぶべくも無いがなんとか命をつないで居ると言った感じ。

脇には覆い屋が建てられ倒壊した幹の一部が展示されていた。

周りは長閑と言えば長閑すぎる平和な山村と言った風情です。 

撮影2010.5.1


熊本県小国町 鉾納宮(ほこのみや)のケヤキ/夫婦杉

2013-01-04 | 熊本県

国道沿いの小高い斜面上にある鉾納宮(ほこのみや)、その参道石段脇の崖に踏ん張るように根を下ろすケヤキの巨木。

境内には二本のケヤキの巨木が有ると云う事だったがこの一本だけしか見当たらなかった。

小国の中心辺りから国道387号で道成に西へ約3km足らず、右手脇頭上にに大きく枝を広げ、今まさに新芽を吹き出したばかりのケヤキの巨木が見える

石鳥居を潜って石段から見上げると、真正面に威風堂々とケヤキ独特の節くれだった巨体がどんと座って居る。

正面には誇らしげに天然記念物の標柱・・。

道路を見下ろすように立つケヤキはまるで岩のようなゴツゴツとした樹皮で威厳にに満ち満ちている。

脇には目通り7.3m、樹高18m、推定樹齢300年以上と書かれた表示板が立っていた。

参道下、崖側から見上げると片足をはみ出して、根元には空洞も見え、巨幹はシダ類が覆い尽くして居る。

 

境内奥の茅葺き屋根を持つ社門?前には大きな夫婦杉と呼ばれる巨杉が屹立している。

二本の巨杉にはしめ縄が渡されこの先は禁足地だと言っているような・・・・・ 

左右対象、双子でも有るかの様に伸びる目通りは共に約6m程・・・・・、標高約450m、辺は自然豊かな阿蘇山懐高原域、巨木も多く残されて居る。

撮影2010.5.1


熊本県小国町 下城(しもんじょう)の大公孫樹

2013-01-01 | 熊本県

熊本県阿蘇山系の北方山襞、高原域に拓けた小国町に有る、今度は大公孫樹です。

熊本中心部、熊本城辺りより、阿蘇外輪山縁を通って北東に約70km、標高約450mの高原の町は又巨木の町でも有ります。

九州とは言え此処では楠は影を潜めて居ます。

大分道、日田ICを降り、国道212号線で筑後川支流の大山川を遡ること約1時間程、ダム湖の淵を道なりに進めば川の名前が変わって杖立川、遡ること約10分足らず、国道から左折すれば左手高台に大空を覆う公孫樹の巨木が見える。

この地を訪れたのはGWの5月1日、高原の遅い若葉が青空にキラキラ輝いていた。 

ここは、その昔この地を治めた城主、「下城氏」の墓所、古びた五輪塔は「下城上総介経賢」の母「妙栄」のものだと云われ、大公孫樹はその墓標替わりだと言われて居ます。

熊本県下一のおお公孫樹は平成16年、台風18号の強風により、幹と大枝が根本からもぎ取られた様ですが、根元からはたくさんのヒコバエが起ち上がり元気そのものです。

根回り約21m、目通り10m、樹高約25m、国の天然記念物に指定され」、樹齢約1000年とされて居る。

地元では 「チチコブ」さんと呼ばれ、ここでも母乳信仰が有り、10月の終わり頃には「ちちこぶ祭り」が行われている様です。

撮影2012.5.1