巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

与謝野町字石川 神宮寺のコウヤマキ

2013-02-27 | 京都府

 

京丹後、峰山方面からの帰り道、同じ京都府民でも南部に住む僕には余り聴き慣れない町、与謝野町神宮寺のコウヤマキに遭って来た。

丹後半島の付け根「天の橋立」近くにあって織物の盛んな地域として知られて居ます。

町の中心地に近い石川は野田川を挟んで東側山裾、神宮寺は民家の連なる奥、本堂は平成十三年に焼失、現在老人ホームとなった建物脇に所在無さげに立っていた。

樹皮の一部には、火災のため焼け痕が残っていてちょっと痛々しいが、神宮寺の本尊は女性だという言い伝えから、地域では、このコウヤマキに手を触れて子宝の恵みを願うそうです。

さりとて特徴もなく撮り辛く、困った巨樹ですが・・・・、目通り4.1m、樹高27m、樹齢約400年、 京都府の天然記念物に指定されて居ます。

撮影2010.5.29


京丹後市峰山町 縁城寺のシイノキ

2013-02-23 | 京都府

京都の北端、天の橋立、宮津湾を基点として日本海に突き出す丹後半島、その中程にある京丹後市峰山町にあるシイの巨古木。

京丹後市峰山支庁舎付近依り府道663号線で北上すること約3km、橋木公民館への辻で右折、そのまま道成に進めば、集落を抜け縁城寺へと突き当たる。

山懐の寺は縁城寺と言う丹後きっての名古刹、養老元年(717)、天竺僧「善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)」が千手観音像を安置し開闢。

そんな山内には「京都の自然二百選」に選ばれたシイの古巨木が群生している。

参道右手、土手上に主幹をうねらせながら大空を目指すシイの大木。

樹襞や樹瘤が複雑に絡み有って、シイの古木独特の樹容を呈し、目通り5.1m、樹高17m・・・、巨古木としてはちょっと物足りない気もするが・・・・・

築地塀脇にもこんな1本・・・・、これも中々どっしりして居ます。

なぜか?本堂前の廻縁には古色豊かな仁王像・・・・・、結構立派な仁王門が在ったのだろうか???

名古刹も度重なる天災人災には勝てなかったのだろう。

撮影2010.5.29


川上村神之谷(こうのたに) 金剛寺(こんごうじ)のケヤキ

2013-02-19 | 奈良県

吉野川右岸、峡谷斜面の古寺に立つケヤキの巨木です。

国道169号線、川上村中心の複合施設辺りから峡谷沿いに南下すること約10km、吉野川に架かる「大平橋」を渡り右手山中に上ると、右手にそれと解る案内がある。

後南朝」にゆかりの深い寺として知られる高野山真言宗妹背山「金剛寺」は深い山の中、哀しい歴史を秘めてひっそりと建つ。

「金剛寺」の創建は良く解っていませんが、鎌倉時代初期1200年頃と云われ、その頃自生したと思われるケヤキ」の巨木が境内への石段途中に立って居ます。

少し裏側に回り込むとこんな様子、根元で主幹と大きな支幹に岐れ、目通り6.5m、樹高約30m、推定樹齢800年。

のたうつように地を這う根張りは力強く迫力満点、主観にも瑞々しい力も感じます。

しかし永年の風雪に耐えきれないのか?かなり破損が激しく、幹の内部に大きな空洞が出来ています。

傍らにはこんな哀しい姿のケヤキの巨木も・・・・・。

訪れる人とてたまな山寺の巨木です。

撮影2010.5.16


川上村 寺尾十二社神社の大杉

2013-02-16 | 奈良県

奈良県川上村、観光複合施設と併設されて居る村役場に程近い、「寺尾十二社神社」に聳える大杉。

<これはダム下流の景観ですが・・・>

吉野川の深い谷を縫うように遡る国道196号線、その峡谷を堰止めた巨大な大滝ダム、ダムを避けるように大滝トンネルが右岸の山腹を貫き、その出口から先、道路沿いに一筋大滝集落の家並が並んで居る。

多分、ダム工事の補償で、この地に移設したのだろう??家並は新しい。

十二社神社は集落外れ、公民館背後の斜面上、擁壁で固められた境内に在って、妙にあっけらかんとした感じがする。

社地は動かずともダム工事の影響ですっかり周りの景観も激変したのだろう・・・・。

社殿裏斜面から突き上げる大杉は目通り5.8m、樹高50m。

其れ程特別に大きいとは思えないが、集落のシンボルとしてこの地の激変振りを、どんな思いで見てきたのだろう。

樹齢は不明ながら、まだまだ若々しく元気そうです。

撮影2010.5.16


川上村東川(うのがわ) 烏川(からすがわ)神社大杉

2013-02-14 | 奈良県

川上村では最下流域に位置する東川(うのがわ)地区、吉野川右岸に注ぎ込む谷川筋に一筋軒を連ねる東川集落が建ち、その入口、谷川の左岸斜面に烏川神社(うのがわじんじゃ)が鎮座する。

境内から蛇行する吉野川越しに向こう斜面には、奥吉野特有の山間集落が急斜面にへばりついて居る。

この辺りは元鵜川(うかわ)と呼ばれる地域、音から色んな漢字が当てはめられ、東川(うのがわ)と書いたり、烏川(からすがわ)神社と書いたり、神社の隣にある寺は運川寺(うんせんじ)と書いたりする。

神社裏に一際大きく聳える三幹の大杉、うち一本は地上4~5mの高さで失われ、ちょっと無残・・・・・。

目通り7.1m、樹高25m、樹齢は不明ながらまだまだ若い。

石段脇にもこんな一本、奥吉野もやっぱり杉が多い。

撮影2010.5.16


川上村 枌尾(そぎお)十二社神社の大杉

2013-02-10 | 奈良県

ここも前回同様「十二社神社」、こちら「中奥川」谷淵の境内にある枌尾の十二社神社に聳える大杉。

奈良県川上村は深い山の中、谷は深く流れはあくまでも清く、どこへ行っても新緑の頃には萌える緑が眩しく美しい。

前回の武光橋から「R169」で吉野川を遡ること約2km、白川渡で、県道258号線に、渓を跨いで吉野川に流れ落ちる中奥川を遡ると程なく左手にこんな景色。

溪淵の狭い境内、白砂を敷き詰め清楚な社殿を前に両脇から抱える様に大杉が聳えています。

向かって左手大杉は目通り約5m、樹高40m、大杉自身はそれ程ではないのですが、この緑に包まれた白砂とのコントラストが眩しい。

撮影2010.5.16


川上村武木 十二社神社の大杉 

2013-02-07 | 奈良県

前回の井光(いかり)集落の隣り村、尾根を挟んで西側谷の武木集落、十二社神社の見事な景観と大杉です。

川上村の険しい吉野川渓谷を跨ぐ「武光橋」は、武木と井光、両集落の一文字を取って名付けたものでこの橋は両集落へ行く以外に利用される事はない。

<十二社神社よりの武木集落>

左岸を走る国道169号から「武光橋」で右岸に、右手に行けば井光、左に向かえば程なく急傾斜の斜面にしがみつく武木集落。

集落の最奥、最高点にある十二社神社は急斜面に石垣を何段にも分けて積み上げ、山岳集落特有の見事な景観を造り出している。

大杉は社殿の向かって左脇、三摂社を前にし、石垣中段から大空めがけて突き出す様に聳えて居る。

見た目にも明らかなように三本の合体木、根元から仰ぎ見るその迫力は圧倒的です。

目通り8.7m、樹高25m、まだまだ若々しく、傷みなどは全く見られません。

<帰りがけ参道よりの景観>

集落を見守り続ける守護神の様な存在なのでしょう。

撮影2010.5.16


川上村井光 井光神社(いかりじんじゃ)の大杉 

2013-02-04 | 奈良県

いかにも由緒有りげな・・・、井光神社を「いかりじんじゃ」と読ませる神社境内裏斜面に聳える大杉。

川上村井光は紀伊半島の屋根、大台ケ原に続く深い渓谷上の山深い山岳集落。

奈良方面より紀伊半島を縦断する2ルートの内の東側ルート、「千本桜」の吉野山ふもと辺りから吉野川沿いに遡る国道169号線で約20km、大峡谷をなす吉野川を武光橋で左折、吉野川に流れ出す井光川沿いに約3km、急坂を登り詰めると井光集落に着く。

井光神社は神武天皇による大和平定の際、光る井戸から出て来て、吉野国の神だと名乗った井氷鹿(いひか)を祭神とする古い神社。

いひかを「井光」と書き「いかり」と転訛したのだろう・・・・なんともややこしい話です。

そんな事はさて置き、問題の大杉はこの神社の歴史程に驚くべきものでは無く・・・まあ何処にでも在りそうな大杉。

神社裏、社殿上の崖に根を貼り、樹齢約300年、樹高約33m、目通り5.6mと記されて居る。

傍らに在ったトチノキは目通り4.2m 樹高26mとなって居る。

両樹共にまだまだ若く、それほど特記すべくもないが、こんな山奥に古事記神話に出てくる神が居たとは・・・と感慨一入。

全く現在とは別の価値観があったんだろう??。

撮影2010.5.16