巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

高岡郡梼原町(ゆすはらちよう) 善福寺の千年杉  

2013-06-14 | 高知県

山間谷間の小さな集落、簡素なお堂一つの山寺境内にひっそりと起つ巨杉です。

愛媛県宇和島市伊吹神社の大イブキの撮影を済ませた後その足で、国道320号線、197号線、440号線と乗り継いで山岳ドライブ約60km、2時間足らずで山間谷間の田野々(たのの)集落に着く。

<善福寺境内よりの景観>

四万十川の支流梼原川、その源流域、僅かばかり平地に水田と集落がポツポツと建つ。

本道脇、山裾に積み上げた石垣上にどっしり腰を下ろした千年杉は目通り8.3m、樹高約35m・・・。

樹齢約600年・・・・、千年杉と言うにはまだまだ間がありそうな??

根元には石像品の残欠があり、大杉自身も数基の墓石を巻き込んでいると言われている 。

そんなことなどお構い無しに千年杉は、山里を見守る様にすくっと立ち尽くしていた。

梼原町指定天然記念物。

撮影2010.9.23


仁淀川町 長者の公孫樹

2011-03-10 | 高知県

須崎市で大谷の大楠を見てその足でこの日の最終訪問と決めていたここまで馬鹿ナビ頼りに走ってみたが思わぬアクシデント、このバカナビにはよく泣かされる。

国道33号線で佐川町を抜け越智町へ、越智町の川の麓の交差点を言われるままに県道18号に左折、それが間違いの元、地理に不慣れな土地の怖さと云うか??谷川沿いの県道をどんどん進めて行くと・・・・・

道路はどんどん狭くなる山はどんどん深くなる、20分も走るとすっかり心細くなり引き返そうと思ったり・・・、そんな時ちょうど道路工事をしていた人に出逢い確認すると45分ぐらいで山を越して目的地にはでられるよと・・・・・

越智で此処に入ったのが間違い、少々遠回りでも国道をぐるっと迂回するほうがよほど早くてよほど快適だとか・・・・・そんなこと後の祭り、何とか先を進めたが四国の道路は恐ろしい・・・・・、これが県道か???それでも滅多に見れない四国山中の山岳集落などを目にして思わない目の保養はさせて貰った。

県道18号線の最大難所、大峠の登りを過ぎ、峠の下りから長者の家並みが見えてほっとする、ここまで越智の交差から約1時間半、しっかり疲れました。

集落が近づいて眼下に大公孫樹が石垣積みの見事な棚田の向こうに見えたときには瞬時に疲れも吹き飛ぶ程の歓喜を覚えた。

全て葉を落とした裸木の大公孫樹と見晴るかす石組み棚田、その上に在る家並からは夕餉の煙、なんとも谷底集落の夕景と云うのはこういうものか・・・。

まさしく出逢いたい景色に出会えた喜び、そこに身を置いて感じる愛おしさ・・・・・来てよかったと感じる一瞬だった。

棚田の上に在る家並の間を下って行くと小学校の横、石垣上に素朴な十王堂が有りその境内脇にこの長者の大公孫樹が見事な長者の棚田をバックに聳えている。

何も語る言葉など必要ないかも??この存在感と、何ものにも変えがたいこの景観・・・・・。

文化13年、村の庄屋さんが十王堂の改築にと3幹のうち1幹を用材として伐採、大正期には火災や台風の被害に有ったらしいが毎年元気に芽吹いて枝一杯に葉を付けるとか・・・・。

引きちぎられた大枝が痛々しいが、推定樹齢1200年、目通り約11m、樹高約15m、県の天然記念物に指定されている。

なんとも良いものを見せて貰った。

撮影2008.12.20


須崎(すさき)市  大谷の大楠

2011-03-08 | 高知県

大谷の大楠の在る須崎市は高知県のほぼ中央部にあって高知市内から西へ約30km、黒潮押し寄せる土佐湾に面して穏やかな気候に恵まれた豊かな土地です。

高知市内方面から国道56号線で須崎市内に入り県道23号線に乗り換え押岡から長いトンネルを抜け野見湾に面して開けた大谷へと着く。

大楠の在る須賀神社は進路方向右手、山裾に広がる大谷の家並の中にあって一目でそれと解る大きな楠がその樹冠を大空一杯に広げて居る。

懐かしい風情の残る須賀神社の前は広い空地で、近くの人達の憩いの場ともなっているらしくベンチなども置かれ、なんとなくほのぼのとする景観の中にある。

明るく開けた境内、社殿右手の塚のような所を飲み込むようにその根を伸ばし大きく波うち、主幹は失われて居るようですが大きな支幹が数本立ち上がってまるで巨大な角を持つでんでんむし・・・、今にノソノソ動き出しそう。

<主幹は失われて久しいようです>

四国最大の巨樹だと言われるこの大楠は最早樹と云うよりも岩塊、その根回りは25mにも達するようです。

楠の前には鳥居が設えられ、根元の大きな洞の奥には小さな祠の楠神さんが祀られ神格を与えられている。

なんとも凄まじく、また神々しい生命体・・・・・。

もうこの楠に命の尽きることは無く世代交代を延々と繰り返していくような気がする。

国の天然記念物、推定樹齢2000年、目通り約17m、樹高約25m。

その長寿や再生力にあやかろうと健康祈願に訪れる人は根元の大きな洞内まで入って祈願するという。

撮影2008.12.20


香南市加賀美町(こうなんしかがみまち) 天神の大杉

2011-03-07 | 高知県

 揺ぎ無い存在感で鳥居奥の境内に聳え立つ雄姿はさすがに特別な威厳に満ち々ている。

加賀美町の在る香南市は高知市の東方約20~30kmの太平洋岸に近い地域にあって、加賀美町は香宗川流域に拓けた里山集落がいくつも散在する長閑な田園地帯です。

国道55号線で香南市役所付近まで来て県道30号、230号を経由香宗川を渡ると小さな集落が見え家並の途切れた辺りの四辻を右折、田園の中を行く道なりに突き当たると山裾に天満宮が鎮座している。

小さな集落の天神さんらしく、うら寂びた参道の奥、両脇に狛犬をおいた石鳥居の向こうにこの大杉がでんと腰をすえている。

境内のほぼ中央に立つ大杉には粗末な柵が有り根元の保護に努めているのが良く解る。

高知県には杉の大杉という超有名な巨杉が在ってどうしても見劣り感は否めないが国の天然記念物に指定されている。

 

 素朴で簡素な拝殿、本殿を背にして狭い境内を見下ろす様に聳え立つ天神の大杉は樹齢約850年、目通り約10m、樹高55mとずば抜け天を突き刺している。

 

案内板を読むと2度の火災に遭い昭和46年(1971)には3日間も燃え続け、自衛隊も出動して鎮火したらしくかなりの痛手を受けたようだが現在ではすっかり回復、樹勢も悪くない。

巨大な根元近くの樹皮は白い奉書でも貼りつけたようにみえる・・・。

これは白く見える苔でも生えているのだろうが・・・??それがますますこの巨杉を神々しく見せているように感じた。

鄙びた里山の小さな鎮守の巨大な杉の木です。

撮影2008.12.20


 土佐町平石 毘沙門堂の四本杉

2011-03-04 | 高知県

前回紹介の平石集落の入口辺りに四本揃って大空に並び立つ大杉です。

古びた毘沙門堂簡素な毘沙門堂の脇にしっかり根を張り400年もの長い間この鄙びた集落と共に生き抜いてきたのだろう。

1本1本はそれほど巨杉とは言えないが、4本の大杉が並び立つ姿はやっぱり壮観で古びた毘沙門堂と共に見事な景観を生み出して居る。

4本杉は最大目通り約6m、共に推定樹齢400年とされていて傷みも無く、山深いこの集落に良く似合う。

 毘沙門天は七福神の中に含まれ、大杉の脇、毘沙門堂の石段横には「福の神毘沙門天」と書かれた看板が立っている。

大杉の前には大きな♂のシンボルを思わす様な石も有り、この杉自身も信仰の対象として大切にされてきた事をうかがせる。

杉の近く、集落外れで見かけた石造物の景観が素晴らしかったので・・・

大銀杏の台地から見下ろした四本杉は小さな集落を従え、居丈に聳えていた。

小さな村の大きな樹が何時までも元気で居てくれる事を願わずには居られない。

撮影2008.12.20


土佐町平石の大公孫樹 

2011-03-01 | 高知県

四国二度目の巨樹追 旅は先ず酷道与作として名高いR439で高知大豊町から吉野川上流域を遡り、四国の水がめ「早明浦ダム湖」をクリアー、土佐町の地蔵寺地区に有る平石の大公孫樹へと・・・・。

更に山の谷間を縫って流れる吉野川支流、地蔵寺川を遡り土佐町役場を越え約10分、地蔵寺川に注ぐ平石川の合流点で右折、平石川沿いを2~3分も走ると、突然目の前が開け平石の集落へと入る。

源平の戦いに敗れた落人がこの地に住んで平石寺を建て守護としたが後の世に毘沙門堂と大銀杏だけを残しこの地を離れた。

残された公孫樹の気根に村人が願をかけ、傍らに不動堂を建立したという。

平石集落を望む高台に立つ大乳銀杏は、国指定の天然記念物、目通り7.6m、樹高30m、開花しないの銀杏も付けないと言う。

此処を訪れたのは黄葉も散り果てた12月の下旬、樹勢回復の為か大きな足場に囲まれた痛々しい姿であった。

古木老木の公孫樹には多くの気根が垂れ下がるもにだがこの公孫樹の場合は特に見事なように感じる。

推定樹齢800年強、いかに風雪に耐え忍んだとは云え、大きい洞や裂け目でも有るのか合成樹脂で塗り固められたりして満身創痍です。

根元から見上げる巨大な公孫樹野老木は威厳に満ちて迫力そのもの、その上4mにも達するような気根が無数に垂れ下がる姿は圧巻です。

集落を見下ろす小高い丘の上で諸手をあげて何かを訴えているようにも見える。

ドンとして動じないその姿は、静かな山里を見守る守り神なのだろう・・・

遠くで土佐の赤牛の長閑な声が聞こえてきた。

あの大きな足場も取れてまた元気に年を重ねていることだろう・・・・。  

撮影2008.12.8


桃原の「熊野十二所神社」の牡丹杉

2011-01-18 | 高知県

四国巨樹追いの旅は早朝、新浜の宿を出て一気に高速で高知県大豊の「杉の大杉」を訪ね、その足でこの桃原の牡丹杉を訪ねた。

 四国三郎の名を持つ吉野川は四国4県全てをその流域に持つ大河、高知県の山間部を水源域に四国山脈を横断し、あの祖谷のかづら橋で名の知れた大歩危小歩危峡を作り徳島県に出、徳島市内で紀伊水道に注ぐ。

その吉野川の中流域上流に当る高知県大豊町はその深い峡谷と剣山系の急峻な山がせめぎあって集落は山肌に点在し、まさに恐るべし四国山岳集落を形成している。

徳島県側から高知県へつながる四国山地を縫うように走る国道439号線は「酷道与作」として有名ですが一部国道32号線と共用、ちょうど国道32号と酷道439号線が分岐する大豊町役場付近から吉野川の支流である穴内川を下ること約5km、本流の吉野川に合流、其処から本流沿いに峡谷を更に6km程下っていく左手斜面に登るわき道が有り、其処が桃原集落への進入路となっている。

此処から山肌を縫うようにジグザグ急峻な斜面を約5km、ほとほと運転が辛くなった頃桃原の集落が見え、この巨杉の有る「熊野十二所神社」はもう直ぐそこ。

神社は集落脇の山肌を拓いた広い境内を持っていて、歴史の深さを感じさせる神錆びた雰囲気をかもし出している。

「桃原の牡丹杉」 と呼ばれる老杉は境内奥の斜面からまるで見るものを威圧するように見下ろしている。

密集した葉が遠目にはまるで盆栽の松の枝ででも有るようにいくつにも分れ、その一つ一つが牡丹の花に見える事からの命名らしいが、確かに特異な姿で聳えている。

こんな姿の巨杉に出遭うのはこれがはじめて。

伝承に拠ると、往古、都の巫女17人が捕らえられ土佐に流されたが、そのうちの幾人かは阿波から国境の京柱峠を越えこの地に到達し杉の木を植えたとされていて、それが現代まで残った一本だといわれている。 

樹齢1200年、樹高31m、目通り幹周10.6m 、何度と無く天災を潜り抜けたであろう老杉はその根元の老骨さをさらけ出しているがまだその牡丹の枝葉健在です。

見事な巨体、特異な樹姿葉こんな人里離れた山奥だから保たれているのでは無かろうか???

またこの神社では「百手の的打ち」神事が今に伝えられ大豊町の無形文化財に指定されている。

畿内、大和や近江では良く見かける的打ち神事と同じだろうが???

撮影2008.11.2


高知県足摺岬、松尾のアコウ

2010-07-14 | 高知県

 


ついでに僕の見たアコウの巨木をもう一本。


これは四国の最南端、土佐清水市の足摺岬、 バカナビに教えられるままに、土佐清水港から、ひたすら怖いような山道、崖道の県道を走ること約30分、やっと辿り付いいた松尾集落。




集落の足摺半島一帯は太平洋の荒波打ち寄せるリアス式の松尾地域は、海岸から段丘の上に向かって堅固な石垣で築かれた集落、松尾漁港への坂道を一気に下ると鰹節の香ばしいい匂いがしてきて見事なタコ足を絡みつかせた様なアコウの巨木が眼に入る。



すぐ傍には天満宮が有りこの地一帯は、車道建設以前には宮の森と呼ばれて鬱蒼とした森と云うより山なりだったようです。



現在アコウの周りは良く整備され誰もが簡単に近づくことができる。


この木は目通り9m、樹高25m、樹齢約300年だと云うことですが、絞め殺しの樹と呼ばれることを納得させる様に、宿主であるイスノキを絞め殺す(もう締め殺されていますが??)無数の気根を巻きつけている。



このアコウは谷川上の台地にあり、かなり谷側に傾斜生長しており、この巨体を支える板根は幾重にも大きく発達、谷川に飲み込まれないように踏ん張っているようにも見える。




又、左手奥の鰹節工場の前に絞め殺し進行中の大きなアコウの樹がある。


因みにこの辺り一帯、3本のアコウを含め松尾のアコウ自生地国指定天然記念物として指定されている。


撮影2008.12.21


http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=324403&l=1325909




 


杉の大杉

2009-01-16 | 高知県


四国に来たからにはここは外せないと、前日泊まった新居浜からホテルの朝食もとらずに6時に出発、高速を突っ走って大豊インターに着いたのがちょうど7時頃。


インターからは目と鼻の先の杉集落八坂神社は到着しても駐車場に誰が居る訳でなし、通常ならここで協力金を払うらしいが、どうしょうもなく賽銭でちょっと奮発。



ここはさすがに観光地化してるのか神社脇には少々派手なポスターとか、美空ひばりの顛末記のようなものがべたべたと貼られていたりして少し興ざめ。



この杉のうたい文句は「日本一の大杉」、何が日本一なのか??、杉と聞いて誰もが思い浮かべるのは屋久島の縄文杉、あれは樹齢で日本一、こちらはその規模


で日本一だとか??。


早朝の八坂神社は南国とはいえ山と山の狭間、11月の秋冷の中に森閑と静まりかえっていた。



誰も居ない境内でこの巨木と対峙するのは何かしら神(動かざる物、絶対)と対峙しているのだという気分になる。



とにかく大きい、動かざること岩の如しと言うけど、この杉にもその言葉をそのまま、あてはめることが出来そうなほど威厳に満ちて重壮である。



この巨杉を抱える神社にしては、境内はそれほど広くなく、村の鎮守の域を出ない、これだけのものを長い年月支え守り続けてきた杉集落のこの巨杉に対する思いの強さが感じられる。


現在では少し違う方向にも動いているような気もしないわけではないが、それは時代のなせる業、仕方ないことなのかも知れない。



この大杉は二株の大杉からなっており二株が根元で合着していることから夫婦杉とも呼ばれているようです。



往古、須佐之男命(すさのおみこと)が植えたと伝えられ、延喜12年(912)杉本太郎なる者がこの巨杉のもとに貴船大明神と祇園牛頭天王を勧請したと言う伝説も有り


1000年以上前にはすでに巨杉であったようです。


しかしなんと言ってもかなりの老体、やっぱり寄る年波には勝てず、あちこちかなりの手当ての後が痛々しく残っていますが、まだまだ元気に葉を茂らせています。



二本のうち大きい方は南大杉で根元の周囲が約20メートル、幹周り17メートル、樹高が約60メートル、また一方北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、幹周り13.5メートル


樹高約57メートル、樹齢約3000年といわれ、勿論国の特別天然記念物に指定されています。




撮影2008.11.1


MAP


小麦畝の大桂

2008-12-27 | 高知県

今回の四国巨樹追い旅の最初の目的地であったこのカツラの樹。

ここは高知県大川村(土佐郡)小麦畝、四国高速高知道大豊インターを降りて、四国の水甕と例えられる早明裏ダムを目指して、あの酷道与作と呼ばれるR439を一走り、途中土佐町役場前の交差点を右折、県道17号へと乗り入れる。

やがて、早明裏ダム湖の橋を渡りダム湖岸の道をひた走ると大川村役場の前を通過する。

ここまでインターを降りてから約40分ほど、旧大川村役場が渇水期にはダム湖の底からその姿を現すというのはこの辺りなのだろうか??などと考えながら車を進める。

僕の車は馬鹿ナビが教えるとおりに、大川村を通過、村境を越えた「いの町」に入って直ぐUターン気味に山手の枝道に入っていく。

途中小さな集落をいくつか越えると約く10分ぐらいで小麦畝辺りに到着するが集落は見えない。

来る前に大川村役場に電話で確認したとおりに山手側に入る枝道に入っていくとやがて二軒の民家がが見えてくる。

多分ここまで高速を降りて1時間半ぐらいだろうか??

奥側の家の空き地に車を停めてその家にその由伝えに行くとちょうど運良く、この家のおばさんが大きな音でラジオを聴きながら家事をしている最中でした。

その由伝えて、桂の場所を教えてもらう。

この家の裏山なのだろうか、前の小道を山の中へ50mも歩くと、杉林の山肌にひときは異質な巨木が見える。

傍には小さな谷川があって桂の樹がいかに大水飲なのがよくわかる。

僕が見る桂の樹はいつもどうしてこんなに山奥なのだろうと???

主幹は失われていく久しいのか?株だけを残して朽ち果てている。

朽ち果てた主幹を囲むように5~6本の支幹がこの桂の樹を形づくっている。

こうして写真にしてみると大して大きくは見えないが目通り約13.8m、樹高25m、樹齢は不明ですが1世紀といったところかな??

帰りがけに、この桂の持ち主であろうここではたった一軒になってしまった家のおばさんと気軽に雑談出たことがとても嬉しい。

こんな山奥の一軒家で主人が無くなってからもう2年まったく一人で、昼はラジオを相手に夜は野猿やイノシシが賑やかにするのでまったく寂しくないと言う気丈さでした。

又桂が新芽を吹く頃に京都のお土産でもぶら下げてこのおばさんに逢いに行きたい。

撮影2008.12.20

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