巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

旧和知町坂原 阿上三所神社のケヤキ

2013-05-19 | 京都府

舞鶴からの帰り道、国道27号線、旧和知町「道の駅和(みちのえき なごみ)」近くの 阿上三所神社にあるケヤキに会うために寄り道。

国道27号線「道の駅和」の信号を左折・・・・、

由良川に架かる橋を越え、在所道の方へ左折すると直ぐに木立が見えてそれと解る。

懐かしい田舎の鎮守、一段高くなった石垣積み本殿、その脇に大ケヤキが立って居る。

幹には大きな藤蔓が絡まり、ケヤキ本体は哀れにもボロボロ状態

どちらかと言うと藤の方が元気なようです・・・・・・大ケヤキは途中で主幹を失い、大枝の1本のみが生命をつないでいる。

根元は向こうが見えるほどの大洞・・・・、もう内部はスケスケでしたが目通り6.7m、樹高19m。

別にこんなケヤキの大木も有り

豊かな鎮守の杜を形成しています。

撮影2010.9.11


舞鶴市城屋 雨引神社のタブノキ

2013-05-15 | 京都府

舞鶴湾、西舞鶴の南方、山と山に挟まれた川岸の田園地帯に拓かれた城屋集落。

集落の外れを縫うように流れる高野川右岸、山裾に鎮座する雨引神社にちょと、「ひにくれて」斜に構えるタブノキの巨木です。

この地域の巨木ときたら飛び抜けてタブノキが多いのは気候風土のせいだけなのでしょうか??

集落の公民館脇から橋を渡れば雨引神社境内・・・・雨引神社と言うからには「雨乞い神社」であったに違い無い。

一段高い処に建つ小さな本殿脇、石垣に根を降ろし、石積みをブチ破るように斜め立つタブノキ

半身は石垣上に、半身は石垣から突き出して居るのがどうにも妙・・・、石垣はこのタブノキが此処に育つ以前からあったと言う事だろうか???

樹皮には多くの瘤がありタブノキらしい木肌、目通り約5mばかり、傷みもなく樹勢は旺盛。

撮影2010.9.11


舞鶴市行永 才之道神社 (さいのどうじ んじゃ)のタブノキ

2013-05-10 | 京都府

小さな祠の狭い境内に立つ大きな大きなタブノキが二本。

JR東舞鶴から南に約2km、倉梯第二小学校近く、旧集落の入口と思しき辺りに位置している。

当然その昔はこのタブの根元に賽の神(さいのかみ)を祀り集落の安寧を祈願していた事だろう・・・・・、それが何の拍子か神社と呼ばれるように成って現在の姿に??。

開けっぴろげで、このタブノキ二本だけが立ち尽くす境内

小さな祠を挟む様に立つタブノキは、特に向かって右側の個体が大きく立派、しめ縄も巻かれて居るので神木なのだろう・・・・。

筋骨隆々と呼びたいほどに発達した根周り特に見事・・・・。

見回したところ何の痛手もなく元気そのものの様に見えます。

樹齢350年と書かれた札が掲げられていますが・・・・・、妥当な線かも??

因に目通りは約7m超・・・無冠のタブノキの巨木です。

この辺は大きな木と云えばタブノキにぶち当たる程・・・・

撮影2010.9.11


舞鶴市青井 結城神社のタブノキ

2013-05-06 | 京都府

 

伐採し続けられたのだろうか・すっかり本来樹姿からは程遠く成ってしまったタブノキの巨木です。

前回紹介の白杉神社からの帰り道、白杉集落同じ海岸線に有る半農半魚の「青井集落」の結城神社にぽつんと立って居る。

勇気神社は集落入口近く、鬱蒼とした杜を持ち南山裾に鎮座、その前面の明るく開けた境内と在所道分ける様に孤立している。

道路側に枝が飛び出す事に伐採されたのだろう・・・・道路側はすっかり丸裸、蘖が一本根元の股より勢いよく伸びていた。

根元には石造物の残欠が寄せ集められ、大切にされている割には在所道のアスファルトが根元を半分隠してしまって居る。

力強い根元だが少し腐朽が進んで痛々しい。

撮影2010.9.11


舞鶴市 白杉神社の大ケヤキ

2013-05-02 | 京都府

舞鶴市の木、ケヤキの横綱に指定されているケヤキの巨木。

舞鶴湾を囲む西側の半島、道の駅舞鶴港とれとれセンター脇から府道601号線で、海岸沿いを約8km程走れば白杉の小さな漁村。

集落の在所道を山裾に向かって進むとドン突きに白杉神社があり、舞鶴市の「横綱ケヤキ」 と呼ばれる大ケヤキが有る。

境内の入口左手にどんと腰を据え、二幹が株立ち、神木なのだろう?しめ縄も巻かれ、ケヤキ自身も信仰の対象に成って居るようです。

樹齢約300年、目通り5.2m、樹高33m、集落を優しく見守るように聳えて居る。

撮影2010.9.11


舞鶴市杉山 大杉神社の大杉タブ合体樹

2013-04-29 | 京都府

舞鶴市の東端・霊峰青葉山に開けた杉山集落、大杉神社神木の大杉とタブ合体巨樹です。 

京都府舞鶴市の山奥、「西国33箇所霊場松尾寺」から峰道を約2km、山間斜面の棚田に戸数20にも満たない杉山集落が有る。

遥か遠くに日本海之見え隠れする長閑な山間集落は、懐かしい自然の景観を遠い日のままに伝えていて、訪れる人にひと時癒しの世界を提供してくれる。

集落外れの農道に車を置き、野道を歩くこと約15分程、林の斜面に小さな祠が祀られ、その脇に神木の看板が建てられた杉とタブの合体樹が有る。

大杉もタブノキも共に根元に大きな洞を持ち、積み重ねてきた歳月の長さを窺わせる。

大杉神社の名で呼ばれるのはこの大杉を御神体として居るからなのだろう・・・・、まずは大杉有りき。

お互いに相反するかの様に斜め起ちしているが、存在感には特別なものがある。

看板には樹齢800年とあるが、目通り、樹高ともに表示なし、合体部の根元でも10mには満たないだろう。 

撮影2010.9.11


左京区大原 上野(浄楽堂)の一本杉

2013-04-15 | 京都府

 

京都「大原の里」、上野町に立つ一本杉の巨木です。

大原上野町は京都の一大観光地「大原三千院」進入路付近の山裾棚田に囲まれるように軒を並べる小集落・・・。

三千院にはシーズンになるとそれこそ列を成して観光客が訪れるが、ここに足を伸ばす人など皆無です。

この地は「惟喬親王(844~897)」故地であり、近くには墓も残っている。

集落入口に「浄楽堂」と呼ぶ惟喬親王ゆかりのお堂が有り、道を挟んだ公民館脇に「上野の一本杉」と呼ばれる巨杉がどっしり腰を下ろしている。

無指定故の哀しさか??何のデーターも有りませんが、目通り約5m足らず、樹齢も300年内外だと思われます。

しかし幹には「しめ縄」が巻かれ、集落のシンボルとして大事にされていて居る様子がよく解ります。

撮影2010.9.4


左京区大原 江文神社(えぶみじんじゃ)お旅所のケヤキ

2013-04-11 | 京都府

三千院へ行った帰り道探しあぐねてやっと見つけたケヤキです。

江文神社(えぶみじんじゃ)は大原の産土神を祀る古社、神社は「大原の里」最西端、金毘羅山(江文山)の山麓に鎮座、御旅所もその近くに在るものだと探しあぐねた末、国道まで出てくると目の前にそれらしき木立があって、その前に小さな祠も鎮座していた。

大原の里を縦断する国道367号線、旧鯖街道が高野川の小さな流れを越えて右手山側、花尻の森と呼ばれる台地にあって、江文神社からは2km近くも離れて居る。

冬枯れのケヤキの巨木はその頂部を気の毒なほど欠損、僅かな小枝残しているに過ぎない。

目通り約5.7m、表皮には苔がまとわり着き、樹勢も決して良くは無さそうです。

樹いっぱいに枝を張り、緑陰に爽やかな風の通り抜ける日が来る事があるのだろうか??

撮影2008.12.23


左京区大原 阿弥陀寺の古知谷カエデ  

2013-04-08 | 京都府

古知谷阿弥陀寺参道脇に立つ京都市天然記念物に指定されたカエデの名古木です。

あの大原の里を縦断して若狭へと続く国道367号線(旧鯖街道)、三千院のある大原中心辺りから道成に約3km、旧道脇に軒を並べる古地平集落の奥に古知谷阿弥陀寺が建っている。

集落外れ、中国風の山門が立つ参道入口からなだらかな登り参道を約10分・・・・

ようやく建物が見え出した最後の登りの左側、参道脇に一見ひょろ長く見える楓の大木が立っている。

ここを訪れたのはまだまだ夏の名残が残る九月の初旬、それでもさすが大原の奥、紅葉の名所を彷彿とさせる参道でした。

古知谷阿弥陀寺は正式名称を古知谷光明山法国院阿弥陀寺と言い、浄土宗知恩院派末、江戸時代に入って直ぐの慶長14年(1609)「木食上人弾誓(たんせい)」が開山、当時このカエデはもう大木と成っていたと言う。

目通り約3.7m、巨樹と呼ぶには少し物足りなさを感じるがカエデとしては充分な幹周り。

樹齢800年とされ、主幹には相当傷みも見えますが、まだまだ枝いっぱいに葉を着け、秋の終わりには参拝客を楽しませてくれるに違い無い。

「京都の自然200選」にも選ばれたタカオカエデ(イロハモミジ)の名古木です。

撮影2010.9.4


与謝野町 滝の千年ツバキ

2013-03-02 | 京都府

ツバキ科ヤブツバキ属クロツバキ、この椿の中では最古の古木であると同時に。、その原種ではではないかと言われる名古木です。

巨木としては論外かもしれないが・・・・・。

こんな名木は、勿論その樹が一番輝く花の時期、この椿なら三月後半から四月の後半に訪れ、その花と共に愛でたい処ですが例に依って人混みを避け、花のない五月終わりの休日に行って来ました。

天の橋立辺りから国道176号線を南下すること約30分、「道の駅シルクのまちかや」を越え、次の交差で右折、県道701を道成に約3km、滝公民館の先で枝道に左折、山道に入ると駐車場に突き当たる。

ここからは杉林の中を歩くこと約10分ばかし

奥深い杉林の奥、西面する斜面に大きく樹冠を広げている。

方々を支え棒で支えられて居るが樹勢はすこぶる旺盛なように見える。

推定樹齢1200年、目通り約3.3m、樹高、枝張り共に約10m、根元から写真の様に数支幹に岐れ立っている。

素朴で紫紅色の花を枝いっぱいに着ける頃に来ないとやっぱりなあ・・・とは思うが人混みは嫌だし困ったもんです。

撮影2010.5.29


与謝野町字石川 神宮寺のコウヤマキ

2013-02-27 | 京都府

 

京丹後、峰山方面からの帰り道、同じ京都府民でも南部に住む僕には余り聴き慣れない町、与謝野町神宮寺のコウヤマキに遭って来た。

丹後半島の付け根「天の橋立」近くにあって織物の盛んな地域として知られて居ます。

町の中心地に近い石川は野田川を挟んで東側山裾、神宮寺は民家の連なる奥、本堂は平成十三年に焼失、現在老人ホームとなった建物脇に所在無さげに立っていた。

樹皮の一部には、火災のため焼け痕が残っていてちょっと痛々しいが、神宮寺の本尊は女性だという言い伝えから、地域では、このコウヤマキに手を触れて子宝の恵みを願うそうです。

さりとて特徴もなく撮り辛く、困った巨樹ですが・・・・、目通り4.1m、樹高27m、樹齢約400年、 京都府の天然記念物に指定されて居ます。

撮影2010.5.29


京丹後市峰山町 縁城寺のシイノキ

2013-02-23 | 京都府

京都の北端、天の橋立、宮津湾を基点として日本海に突き出す丹後半島、その中程にある京丹後市峰山町にあるシイの巨古木。

京丹後市峰山支庁舎付近依り府道663号線で北上すること約3km、橋木公民館への辻で右折、そのまま道成に進めば、集落を抜け縁城寺へと突き当たる。

山懐の寺は縁城寺と言う丹後きっての名古刹、養老元年(717)、天竺僧「善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)」が千手観音像を安置し開闢。

そんな山内には「京都の自然二百選」に選ばれたシイの古巨木が群生している。

参道右手、土手上に主幹をうねらせながら大空を目指すシイの大木。

樹襞や樹瘤が複雑に絡み有って、シイの古木独特の樹容を呈し、目通り5.1m、樹高17m・・・、巨古木としてはちょっと物足りない気もするが・・・・・

築地塀脇にもこんな1本・・・・、これも中々どっしりして居ます。

なぜか?本堂前の廻縁には古色豊かな仁王像・・・・・、結構立派な仁王門が在ったのだろうか???

名古刹も度重なる天災人災には勝てなかったのだろう。

撮影2010.5.29


西京区大原野 善峯寺の遊龍の松

2013-01-30 | 京都府

余りにもその懸崖造り枝が長く伸びだし、とても一枚の写真では全姿を捉える事が出来なく、継合わせのパノラマ写真でやっとこんなあんばいです。

長岡市の中心より約7km、15分ほど西山山中に入った西国三十三ヶ所観音霊場第20番札所にもなっている平安中期開基の名古刹。

大きい山門を潜り、正面の本堂から一段高い多宝塔前の庭園に地を這うように枝を伸ばした松がある。

長く延びた松之枝を潜り多宝塔の前に立つとこんな姿・・・・。

「新日本名木100選」にも選ばれ、その横に長く伸びた樹姿から安政四年(1857)、花山院前右大臣家厚公により付けられたものだそうで、国の天然記念物にも指定されて居る。

高さ2m強だが横へ40m以上も幹を伸ばし、その姿は名の通り、龍が遊ぶ姿に似ていると言う・・・・。

とぐろを巻いたような主幹は目通り約1.6m、樹齢600年と言われる五葉松。

全体をパノラマで入れるとこんなふうになります。

これでも平成六年、松食い虫の被害のため北側の枝がが15m程も切られたようです。

庭師はこの1本の松のため、毎年どれほどの時間を掛けるのだろう??

正しく人工の所作に依る賜物です。

撮影2010.5.8


宇治田原町 清水家の榧

2012-11-01 | 京都府

京都府の南東端部、滋賀県甲賀市の信楽と境を接する宇治田原町は最近でこそ住宅開発が進んだもののつい最近までは長閑な里山地域だった。

大阪枚方より滋賀県彦根市を最短距離で結ぶ国道307号線沿い、往古より交通の要所と知られた宇治田原町岩山の集落内高台、民家の庭に二本の榧が並び立っていて遠くからでもそれと解る。

かっては国道だった旧道沿いの斜面集落岩山は、新しいバイパスからは奥まって雛壇状に軒を連ねる。

昔ながらの集落の中程、集落内道が出会う角地に真新しく建て替えられたであろう清水家が在り、その庭先にその威容を誇る様に二本の榧の木が聳え立っている。

雌雄の株が並び立ち、共に樹齢約400年、目通り約5m足らずだろうか??

互いにしめ縄を巻きつけられ、この家の神木として崇め続けられて来たのだろう。

根元に大きな洞が見えるが樹勢は旺盛・・・、まだまだ衰えを知らず元気そのものの様に見える。

柿とお茶の里宇治田原にに在って際立った景観を醸しだし町の天然記念物に指定されて居る。

撮影2010.2.20


京丹波町 九手神社(くてじんじゃ)のアラカシ

2011-12-10 | 京都府

京都の自然200選の一つ九手神社のアラカシは国道9号線沿いにあって誰でも簡単に出会える。

京都市内と山陰方面を結ぶ国道9号線が国道27号線と分岐する京丹波町役場前の信号から、そのまま9号線を道なりに3kmほども進むと右手にそれと解る九手神社の杜が見える。

通常樫類の古木は根元が空洞化、枯損しやすく、このアラカシもその例に洩れず根元の片側が相当痛んでいるように見えますが、参道脇、石鳥居の左手前に神木として大切に守られているようです。

しかし根元から何本にも分岐した支幹がその傷みを覆い隠すように元気に育って、世代交代を図っているようにも見受けられます。

京都府内においては目通り4m、樹高15mに及ぶアラカシは珍しく「京都の自然200選」に選ばれています。

撮影2009.7.12