巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

佐賀市旧富士町 下合瀬(しもおうせ)の大カツラ

2013-11-06 | 佐賀県

 

山の神として崇敬され、伐採が禁忌となって保護されてきた事もあり、全国クラスの巨木となり国の天然記念物指定の大カツラ。

佐賀市街より北方へ約25km、福岡県との県境に近い、旧富士町、背振北山県立自然公園内、北山ダム湖流入口付近から少し山中に入った所に立って居る。 

国天の為、車で走る分には僕のバカナビでも、目と鼻の先までバッチリ連れて行って貰える。

水が命の桂の巨木、やっぱりその根元を谷川の清水が潤し、、周りは森の精気と湿潤な空気で森厳さに満たされている。

黄葉もすっかり落とした冬姿の巨木に、いつ降ったのか?少しばかり雪が残って、やっぱり低山にしろ深い山中だと知らされる。

桂特有のヒコバエが25本も群立する樹姿、その一本一本が、脇の木を押しのけるように大空めがけ、その枝を伸ばしている。

樹 齢 約1000年、目通り15m、根回り19m、樹 高34mと成って居る。

まだまだ樹勢は旺盛、ヒコバエ支幹にも、ヒコバエがいっぱい生え出している。

撮影2011.12.17


小城市 須賀神社のクスノキ

2013-10-31 | 佐賀県

 

小城市中心街のほど近く、須賀神社の鳥居近くに聳え立つ大樟。

須賀神社は祇園川沿いの城山という小高い山上に鎮座していますが・・・・、

この樟は須賀神社参道橋の手前、上町公民館脇の空き地にどっしり腰を下ろして居る。

付近はちょうど市街と郊外が溶け合うところ、街の匂いと田舎の景観が同時に見れるような場所・・・、直ぐそばには「小城羊羹」の名で親しまれる老舗の建物も見える。

樹齢約430年、目通り10.5m、どっしり大地を捕まえ実に堂々としていますが、大きく三幹に岐れた根元に大きな洞を造っています。

しかし方向を変えてみると、どっしり、いかにも逞しく、その樹冠は一木森を造るが如く聳えています。

撮影2011.12.17


有田町 有田の大公孫樹

2013-10-25 | 佐賀県

 

日本の磁器発祥の地、有田焼で知られる有田町の風情ある佇まいの中、国の天然記念物に指定された公孫樹の巨木です。

JR佐世保線上有田駅より北へ約500m、街並みを貫く県道233号線を少し迂回した市道脇にそれと解る掲示板と小さな駐車場が有り、脇の路地を進むと、この大公孫樹が立ち尽くしている。

路地より見ると正面に市杵島(いちきしま)神社があり、その前の広場を挟み、雰囲気の有る土塀(磁器塀かな?)を背に聳えて居る。

もう少し時期が早ければとと悔やまれるほど周りに黄葉を落とし、すっかり冬姿の大公孫樹は、目通り9.3m、樹高40m。

伝承樹齢1000年は、俄かに信じがたい程の樹勢、主幹にもそれほど大きな傷みは見えない。

江戸時代の後期、文政11年(1828)の大火が襲い、街は焼き尽くされたが、この大公孫樹の隣家、池田家だけが焼け残ったと言われて居る。

撮影2011.12.15


白石町 稲佐(いなさ)神社の楠

2012-12-20 | 佐賀県

神仏混淆の一大拠点として栄え、今尚、仏教色が色濃く残る境内に往時を偲ぶように立つ二本の巨楠です。

前回紹介の白石町深浦海童神社より北へ約5km強、海岸線を離れ、杵島山の東面、白石平野を一望する斜面に建つ。

寺院を思わすような大きい随心門(山門)の立つ急な石段参道脇には鐘楼も残り明治廃仏毀釈以前の姿をそのまま留めている。

稲佐神社は、古く飛鳥時代、百済より「阿佐王子」が来朝し、稲佐大神と共に両親を・・・、後「阿佐王子」自身もも合祀された。

その後平安時代には空海により稲佐泰平寺が開かれ、一大霊場になり、 稲佐神社その鎮守社となり稲佐大明神と呼ばれた。

大楠は山門への登り石段右手、稲佐泰平寺を彷彿取とさせる鐘楼脇斜面にどっしり根を下ろしている。

うんと斜めにせり出しているように見える巨幹も、しがみつく様に立つ斜面に対しては垂直・・・・・・、それでもしっかり踏ん張っています。

地上5m付近より三方に分岐、株許付近はコケに覆われ、マメヅタやノキシノブなどが共生し、幹には空洞がありますが、樹勢旺盛で夏には降りしきる蝉時雨でで溢れそう・・・・。

鐘楼を背に凛々しい樹姿を持つ一号樹は根回り26m」目通り約10m、樹高17mと成って居る。

片や境内社務所脇に立つ二号樹。

その巨大な幹は根回り19.2m、目通り10.5m・・・、こちら平地に在り、すくすく伸びて樹高26.5m。

共に樹齢は600年以上とされ、佐賀県の天然記念物に指定されて居る。

撮影2010.4.30


杵島郡白石町  深浦海童神社の楠

2012-12-17 | 佐賀県

佐賀県南部、有明海干拓地を走る国道207号線、白石町深浦海童神社にある大楠です。

国道龍王崎バス停前、その昔は有明海に突き出していたであろう半島先端斜面に鎮座する海童神社への石段参道がある。

神社を含む一帯には5世紀後半から6世紀頃の「龍王崎古墳群」があり、この地の歴史深いことを知らしめて居る。

大楠は国道入口から境内への急石段を上がったすぐ左手の崖、斜面に根を張り、何本もの支幹に岐れ、立ちはだかって居ます。

崖下は雑木、草叢に飲まれ詳しく解りませんが、怪しくうねり絡まるように起ち上がり、正しく妖樹の様相。

写真ではどうにも巨大さが解りづらいのですが・・・・樹齢約600年、幹回り11.5m、根回り24.5m・・・樹高はそれほど有りませんが大空を覆わんばかしに樹冠を広げて居ます。

主幹根元には6畳にも及ぶ洞がが有る様ですが、そんなことは全く感じさせない元気さで佐賀県の天然記念物に指定されて居ます。

社殿右側にもスダジイの御神木があって、椎類独特の見事な造形を見せて居る。

撮影2010.4.30


多久市(たくし)北多久町 熊野大権現神社のスダジイ

2012-12-14 | 佐賀県

樹齢は200年と若いのですが迫力いっぱい、見応えの有るスダジイの巨木です。

他県者には、まして関西人の僕にとっては、始めて聴く多久市は佐賀県のほぼ中央、長崎道と唐津方面に延びる国道203号線が交差する盆地にある。

スダジイノの有る北多久町熊野大権現神社は、長崎道多久ICを出て北方へ約5km弱、谷間の小さな岸川集落奥の斜面上に在る。

集落奥の急登石段参道を登ぼり切ると熊野大権現という名に相応しい様な神仏混淆を色濃く残したこじんまりした拝殿が建ち、傍らに更に急斜面を登る石段参道が有る。

スダジイの巨木はこの急石段を登りきった真正面、覆い被さる様に参拝者を迎えて呉れる。

まるで神が載り移った生あるもののように見える樹姿をして・・・・。

誰ひとり出逢わない森閑としたした山中、樹齢200年にしては大きすぎる目通り11.9m、樹高19.5m・・・・・・・、根元から大きく起ち上がる数本の支幹は合木の証で有るかのようです。

ねじれ蠢く根元には、神の宿る木として信仰対象になっているのだろう石碑もあって榊の枝が供されていた。

樹勢は良く若々しいが巨木から出るオーラーの様なものはひしひしと感じる。

撮影2010.4.30


塚崎の大くす

2010-05-27 | 佐賀県

 

これほど表から見る姿と裏側から見た姿の印象が違うのにただただ驚愕・・・・・、

これが同一の樹か?と思うのは僕だけじゃないだろう。

前回紹介の武雄神社から県道をはさんで対面する丘の上、武雄市文化会館を足元に武雄市の中心街を見下ろす高台に立つ大楠。

武雄市文化会館の裏手駐車場に車を置き目の前の小道を登る事5分ほどでこの大楠に出会える。

地の有力者で塚崎城を有した旧武雄鍋島家、屋敷跡の一角に主幹も大枝も失い表皮と小枝だけで生を繋いでいる塚崎の大楠がある。

それでも小道から仰ぎ見る大楠は主幹も姿をとどめ精一杯大空を目指すように其の枝を伸ばして精一杯生きている。

根元周り38mと言われる巨大な主幹は完全なるホンガラ、其の中に入って大空を仰ぐとわずかばかりの小枝に萌え出す緑が城壁のような大楠の内(幹)襞の向こうに見える。

主幹を失ったのはこの樹齢3000年とも言われる楠にとってはつい最近のこと、昭和38年の落雷に主幹をもぎ取られ、現在のような姿と成ったという。

武雄の三大楠と言われて居る一本、しかしこの楠だけが何の手入れも、手当てもされずに、あるがままの姿で柵に囲われるでもなく立ち尽くしている。

それでも尚、命あるものの暖かさを強く感じる巨楠です。

撮影2010.4.30


武雄神社の大楠

2010-05-24 | 佐賀県

まさに神木の文字通り神様の住んでる巨樹です。
佐賀県武雄市の市街地、武雄神社の境内地である裏山の山裾を少し拓いた大地状のような処に独立樹として立つ楠の巨木

武雄神社の本殿から、なだらかな谷を挟んで徒歩で約5分ほどのところ、楠への参道の山道を上り竹林を抜けると、いきなり意表をついたように全体像が目の前に現れる。

その姿は圧巻、どう見ても神そのもののような、例えようもない神々しさと存在感で、その場所に在るべき姿で在るように感じる、まさしく犯しがたい何者かが存在してるような気配がする。

山裾の急な斜面に成長しているため、下方の根の発達が凄まじく、肥大部分より立ち上がる主幹は根元から続く大きな洞と一体となっていて、最早張りぼて状態。

主幹や大枝はことごとく、はるか昔に失われたのであろうか??、これほど形骸化していてもまだ尚脇枝には若葉を蓄え大空を目指している。

樹齢は伝承3000年以上、幹周 20m、樹高 30mとも言われているが、伝承3000年の樹齢が、あながちオーバーな表現ではないと納得できるほどの犯しがたい雰囲気を持っている。

現在楠の周りは柵が取り囲み立入禁止となってしまったが、根元肥大部分の正面、洞に向かって古い石段がつけられ、12畳もあるというその内部には天神様を祀る石祠が置かれていて、もう相当古い時代からこの楠は今のような洞を有した状態であったのだろうと察せられる。

まさに相当以前から神の存在の気配のする巨木であったことに違いなさそうです。

撮影2010.4.30


川古の大楠

2010-05-23 | 佐賀県

 

佐賀県 武雄市には三大楠と称する樹齢約3000年にも及ぶ楠の巨木が現存していて巨木好きには一度ならずとも訪れたい土地です。

その三大楠の雄、川古の大楠は、R498号線の直ぐ近く、田園風景の広がる農村地域の一角にあり、周りが大楠公園として整備され、それなりの駐車場も用意されていて、いともたやすく行き着く事が出来る。

古くより日本三大クスの一本として、全国にその名を広く知られたクスの名木で、約1200年前、行基の手によって立ち木観音が彫られたと言い伝えられるが、明治の廃仏毀釈によって幹より剥離させられ、傍の保管堂の中に安置されているが、実物を見ても仏像が彫られているのか良く解らなかった。

ちょっと離れて遠くから眺めてみても、樹齢3000年の大楠はさすがに威風堂々として威厳に満ち満ちていてやっぱり神々しい。

九州には桁外れにに長寿の楠や桁外れに巨大な楠の木が多くて、本州、それもとりわけ関西圏の楠ばかり見て来た僕にとって、それは驚きの連続だった。

佐賀県には楠の大木が多く、「肥前風土記」によれば、「佐賀」の名前は、楠を「サカノキ(栄の木)」と呼ぶことに由来すると言い、勿論「県の木」にも指定されている。

川古の大楠は根回り33m、幹回り2m、高さ25mという驚くべき巨大さ、しかし根元には立ち木観音を切り離された傷口なのか?大きくえぐり取られていて痛々しい。

現在根元にはセメントで枠を設えた小さな社が祀られて居るが、どうも俄か作りのように見えて似つかわしくないが、裏(どちらが表か裏かは知らないけれど)から見る根張りの巨大さ、大地を捕まえる力強さは半端ではなく、また主幹にみなぎる樹瘤の隆々としたうねりは3000年生きてきた証であるかのような迫力で見るものに迫ってくる。

周りは余りにもきちっと整備が行き届いてまるで観光地宜しくお土産物屋さんまで有ってちょっと興醒しないわけではない。

撮影2010.4.30