巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

御坊市 湯川神社の楠

2011-11-29 | 和歌山県

学校校舎のすぐ脇、それも石垣に邪魔されるように根を延ばしていてどうにも窮屈そうな大楠です。

JR紀勢線御坊駅のすぐ近く、県立紀央館高校の東側、学校の校舎に隠れるように湯川神社があって「湯川子安神社」とも呼ばれ、安産の神、子授けの神として地域の信仰が篤いようです。

この地は元中世の豪族湯川氏の小松原館跡だそうで、水堀の一部も残りそんな感じが所どころに見られる境内です。

石橋を渡って境内に進むと境内一面を覆い被せるような大楠が強烈な様相で迎えてくれる。

根元の大きい洞を隠すようにして小さな祠・・・・、この楠自身が神としてあがめられているようです。

大きな傷痕が痛々しそうですが・・・樹齢/推定1000年、幹周約9m、樹高21m、「千年楠」と市民からもl親しまれているようです。

一段上に上って本殿脇から覗いて見ると全く別の楠のよう・・・。

まるで巨大なカブトムシが這ってでも居るように見えたりも・・、まだまだ上から見た分には元気そうに見えます。

撮影2009.6.13


日高川町 道成寺の槙柏

2011-11-27 | 和歌山県

和歌山県最古の寺として、また安珍清姫の悲恋物語で有名な道成寺本堂横に立つ槙柏の巨樹です。

槙柏の巨樹としてはいささか迫力には欠けますが有名どころでも有る道成寺はどんな寺かと興味もあって訪ねてみました。

お土産物屋の立ち並ぶ参道から石段を登ると立派な仁王門・・・やっぱり観光寺院の強みか観光客が三々五々目に付きます。

悲恋物語の問題の鐘楼は今は無く問題の鐘も京都市左京区にある顕本法華宗の総本山妙満寺(みょうまんじ)にある。

禁殺生と書かれた石碑の脇に槙柏の巨樹・・・、樹齢300年以上、高さ15m、目通り4.6mと成っていますが、根元の植え込みが邪魔になって迫力の有る写真は撮れず少し欲求不満が残ります。

撮影2009.6.13


日高川町 船津の大楠

2011-11-25 | 和歌山県

前回紹介の紀美町から此処まではどんなナビで打とうとも1度紀伊半島を大回りして御坊近くから又山の中に入ると云うルートしか出てこない。

それ程この紀伊半島、山又山を越えるルートは厳しくお勧めできないと言うことなのだろうか??

僕は途中有田川町あの見事な扇形の「あらぎ島の棚田」を見て遥か山越え谷越えでここ日高川町「船津の大楠」までやって来た。

写真の記録を見ると紀美町野熊野神社を出たのが朝8時35分、「あらぎ島」を出たのが10時35分、此処「船津の大楠」着が11時46分と成っている。

途中何箇所かの棚田にも寄ったが、こんなに長い時間、紀伊半島の山中を走りまわっていたのだろう・・・、げに恐ろしい紀伊半島山間部って感じです。

日高川の中流域に位置する日高川町船津は、今年の夏の豪雨被害は出なかったのだろうか??・・、大楠は日高川に沿って走る県道26号線沿いの中津郵便局向かいの山裾斜面にどっしり根を下ろし、その巨大な樹冠を誇らしげに大空一杯に伸ばしている。

大楠の根元には小さな祠が在り、個人の所有だそうなのですが整備も行き届き信仰強い大楠で有ることがわかります。

樹齢約600年 、目通り7.2m 、樹高さ 30m となっており日高川町の天然記念物に指定されています。

見事な根張りがまだまだ若く、これといった傷みも無くこれからもますます元気に大きくなると思うが・・・、やっぱりちょっとこの夏の豪雨被害が無かったか気に掛かります。

便宜上所在地の住所をそのまま使わせて貰って「船津の大楠」としましたが現地での呼び名は不明です。

撮影2009.6.13


紀美野町 熊野神社シラカシ大樹群/他

2011-11-23 | 和歌山県

我が家から国道24号線経由で高野山に向かう高野口のICまで約一時時間半、そこから国道370号線で途中高野方面方面に向かうことなく道なりに山又山をを越え約1時間強、紀ノ川の上流域貴志川、その又上流の山深い旧美里町国吉の集落に着く。

集落の外れから熊野神社への道路を登っていくとすぐに目に付くのがこのシラカシの大木。

正面から見ていると元気そうに見えるが裏に回るとこの通り、すっかりボロボロはらわたまで見せるように朽ち主軸は表皮だけで上部の2枝を養っているかのよう・・・

多分これが2号樹、目通り5.5mとある。

説明板に拠ると5本ものシラカシの巨木があってそのうち2本は枯れ死、3本が現存することに成っているが目に付かない。

それでも必死に探して見つけたのがこの一本。

多分こちらが1号樹、祠の横で哀れにも最早抜け殻状態、余りに気の毒なその姿です。

まあしょうがない無いので境内も見ようと一段上登ってみます。

狭い参道とは違って見事に目の前が開けてこんな山奥にしては見事な境内・・・。

おまけに境内続きで惣福寺という古めかしいお堂・・・・いづれは神仏混交の名残だろうがどちらが主だったのだろうか??

因みに寺の名は惣福寺、宝亀元年(西暦770年)開基と伝えられている。

この地には面白い言い伝えがあって坂上田村麿が当地で3年間滞在、村の娘との間に一子をもうけ、子孫が代々この熊野神社の宮司を勤めているという。

坂上田村麻呂が戦勝を祈願して建てたといわれる宝篋印塔が有るが時代は合わない室町前期造立のもの。

話しがとんでも無く脱線しましたが本殿脇には目通り4~5mの無冠の大杉

方や境内摂社横にはこんな樹瘤を持つ楠。 

撮影2009.6.13


豊田市杉本町 杉本神明神社貞観杉(じょうがんすぎ)

2011-11-21 | 愛知県

豊田市は言わずと知れた豊田自動車の企業城下町、しかしそれも市街地の広がる平野部に集中、背後に岐阜県恵那市や土岐市に隣接する膨大な山地を抱えていて近畿に住む僕にはちょっと驚き・・・。

そんな西三河高原の真っ只中、恵那市の矢作ダムよりん流れる矢作川の上流域近くに有る杉本町はまさに、その名の通りこの巨杉に因んで付けられた地名だろう???。

今は集落内を迂回するようにバイパスが集落を避けて通過しているが・・・、集落内を行く旧街道に入れば懐かしい匂いのするような家並みがあってその中央当たり、斜面に続く神明神社の表参道、石段上り口にこの巨大な貞観杉と呼ばれる巨杉が聳えている。

確か根元の巨大さは吃驚するほど!!・・・、しかし正面、この注連縄の掛けられている背後は杉皮の張りぼて、根元からかなりの高さまで洞が貫いているのだろう・・・、まるで正面から見ると八割方は洞ばかり、中の状態は解るすべも無いが???。

杉本神明神社は元、天台宗祇園寺の鎮守として元慶(880頃)年間に創建され、社頭に神木としてこの杉が植えられたといわれている。

それなら元慶杉とすべきなのだろうが?一代前の貞観杉としたのはただ単にそのネームバリューだけだったのかも??

正面は殆ど洞ばかりの様にも見えるこの貞観杉も鳥居を潜って裏に回るとその様相を一転する。

小杉を抱き抱えるようにもう一本の杉が育ち双幹の巨杉に見える。

樹齢約1100年、目通り11.8m、樹高45m、国の天然物指定。

1000年以上の気の遠くなるような命をこの地でつないで来たと思うと畏敬の念を抱かずには要られない。

やっぱりそれは特別な存在に違いない・・・、それにしてもこの環境はちょっとばかし気の毒なような気もする。

因みに愛知県下では第二位(第一位は清田の大楠)の巨木だそうです。

撮影2009.5.23


豊田市 大野瀬の子持ち桂

2011-11-18 | 愛知県

前回紹介した岐阜県上矢作から国道257号、県道20号線を経由して愛知県側へ約1時間、そこは豊田市大野瀬町、いずれまだまだ山又山の真っ只中。

国道152号線に合流すぐに「子持ち桂」の案内板があり、そのまま右手林道へと進み、もういい加減に着かないのかと思った頃、左手下方に大きな桂独特の樹影を見つけることになる。

車などお目に掛かりたくても出遭わない山間僻地・・・余裕の有る道路わきに車を乗り捨て斜面脇に作られた遊歩道を谷底めがけて降り、谷底に着くと目の前にはこんな風景。

こんな山奥にも係わらず、かなり整備が良く行き届き、行政がこの樹に寄せる意気込みが感じられる。

子持ち桂と呼ぶけど桂の古木は殆どこんな状態が常、別にこの樹だけが特別にヒコバエが多い訳でもない・・

樹齢は不明、根廻13.6m、樹高27.5mと書かれています。

主幹は既に枯れて朽ち果て、ヒコバエが世代交代・・・その数約50本、遠目にはちょっとスマート過ぎてちょっとひ弱にも・・・。

しかし水好きな桂、人里はなれた谷川と自然一杯の環境でこれからも果てる事無く世代交代を繰り返していくことだろう。

撮影2009.5.23


恵那市上矢作町 大船神社の弁慶杉

2011-11-16 | 岐阜県

中央道恵那ICで降り、国道19号、すぐに国道257号線ではるばる南進、山又山を越え約1時間弱、上矢作町の中心、国道418号線との分岐に至る。

国道418からすぐ谷川沿いに延びる大船神社まで深い山道を約20分、はるか眼下に谷間集落の家並みが望める。

境内、拝殿はこの上約300m、車も乗り入れ可能なのでちょっと失礼境内まで・・。

大船山(1159m)山頂に近い大船神社の前身は天平年間、奈良東大寺初代別当良弁が開いたとされる古刹「勝岳山大船寺(だいせんじ)」で明治の神仏分離令により寺としては廃絶、六社権現だけを残して大船神社となったという。

そんな境内奥、拝殿脇の山道を斜面に沿って少し下ればこの弁慶杉がお出迎え・・。

ここでも標高約1000m強、此処を訪れた5月の下旬、そろそろ高山植物が咲き出し、それを従え居丈に聳え立っている弁慶杉。

とはいえ写真で見れるように頂部あたりの僅かな枝から、わずかばかりの葉を茂らせるのみで決して樹勢が万全だとは云えない。

義経一行が奥州に落ち逃れる際、弁慶が杉の小枝を折って祈願、「願いむなしからずんば、この枝生い栄えよ」と地に挿したのがこの大杉だとする説があり、まるで今でも弁慶が仁王立ちしているようにも見えると云われている。

説明板に拠れば推定樹齢760年、目通り13.6m、樹高40m、岐阜県第二位の大杉と言うことに成っているが目通り13.6mはどう見てもちょっとオーバー。

確かに巨大な主幹に蓄えられた樹瘤はその年月の長きを語り、山深きこの地で風雪を耐え忍んできた風格を持つ。

その姿は静寂の中で尊厳高く聳えている・・・・、世の中は寺だ神社だと変わっても、杉の巨木は杉以外の何者でもない。

撮影2009.5.23


下伊那郡根羽村 月瀬の大杉(つきぜのおおすぎ)

2011-11-14 | 長野県

何処をどう走ったのやら、信州からの帰り道国道19号線で南木曾町の大杉を訪ね次に訪ねたのがこの月瀬の大杉、撮影時刻を見ると南木曾町では14時03分、ここ月瀬の大杉では15時28分その間約1時間20分、地図を見るとかなり走ったように思うがそれ程遠くでもないのか??

多分南木曾町からR256で山越えしてR153の下伊那郡阿智村へそのまま山又山を南下して月瀬の大杉にいたっている。

此処は長野県最南端、愛知県県境とは1~2km程も離れていな伊那谷沿いの根羽村平(たいら)地区。

谷沿いのR153号線から分かれ谷川の橋を渡って小さな集落の奥、道路脇に厭でも特別の存在感を持って目に飛び込んでくる。

この存在感は凄い、山国長野県内では一番、全国では第六位の巨杉です。

根元3mあたりで双幹に分かれそのどっちをとっても充分に巨樹の域を越している。

見る者を圧倒するような存在感、大きな幹には注連縄が巻かれ、正面には小さな賽銭箱まで置かれ、まるで神そのものの扱いです。

月瀬神社の御神木として君臨する推定樹齢1800年、目通り13.8m、樹高40m、国の天然物指定。

木肌と云うより巨大な岩塊を眺めているような根元・・・、過去何度も伐採の危機から村人が力を合わして護ってきたという巨杉、昔から虫歯に霊験あらたかと言う信仰も有るとか??

まだまだ葉を一杯茂らせ元気そうだが何せ老齢、気をつけて欲しいものです。

撮影2009.5.2


南木曽町読書(よみかき) 八剣(やつるぎ)神社の大杉

2011-11-11 | 長野県

前回紹介の木曽谷須原から木曽川、JR中央本線と共にどんどん南下して行くと妙な地名が重なるところに出遭う。

その名も読書(よみかき)、柿其(かきぞれ)・・・・、なんとも妙な地名ですが??因みに検索、何のことは無い合併に拠る語呂合わせのようでしたが・・

国道19号線から木曽川越に天を突く大きな杉の木が見えるのでその方角に橋を渡り近づいてみた。

柿其(かきぞれ)橋を渡るとすぐに八劒神社のそう広くない社叢があり、社殿の背後に大きな切り株が見えてちょっとがっかり。

遠くからでも大きく見えたこの杉の木は殆ど残骸状態だったようです・・・。

元々は四本の合着杉で昭和32年に1本が枯れ、第二室戸台風(昭和36年)で1本が倒れ、現在のような姿になってしまったようです。

勿論伐られた株も含めた数字ですが目通り11.8m、樹高さ38m

それでも切り株の見えない方向から撮ると見事な大杉・・、さぞかし四幹が大きく空を目指していた頃には圧巻の姿だったろうに・・

樹齢は切り株の年輪から530年と推定されているようです。

撮影2009.5.2


木曽郡大桑村須原 鹿島神社のスギ

2011-11-09 | 長野県

 木曽路は深い山の中、細い木曽谷を木曽川沿いにJR中央本線、国道19号線が三位一体で谷を下って行く。

中仙道、上松宿から一つ京寄りにある須原宿、この近く須原鹿島神社に巨杉が有ると云うので帰り道ついでに訪ねてみました。

国道19号線JR須原駅前で街中へと入る県道に乗換、懐かしい宿場町の面影をとどめる傍らからJR中央本線を跨ぎ駅裏道を少し戻れば大きく聳える杉の巨木に出逢う。

なんてことは無い杉の巨木は神社境内の南端に位置して、この杉だけが境内から飛び出している。

御神木として信仰されているのだろう、御幣を付けたしめ縄がしっかり巻かれて、目通り7.8m。

見た目にはすこぶる元気で、目立った老いや傷みも見いだせないほど・・・・

これと云った特徴も見いだせない巨杉ですが樹齢約800年・・・少しその風格には欠ける気もしますが??。

撮影2009.5.2


塩尻市 贄川(にえかわ)のトチ

2011-11-06 | 長野県

JR塩尻方面からR19号線を一路南下、贄川駅から更に1kmほど進んだ山裾、民家の奥斜面にそれと解る大きな木立が見える。

国道脇にも案内板が出ていて気をつけていれば見逃すことは無いだろうが・・、国道19号線は交通量の多い幹線道、急停車には要注意。

背後に斜面の杉林を背負い、この大栃の周りは良く整備され、周囲には散策道や前面には観賞用デッキまで用意されていて至れりつくせり・・・

大きく斜面に根を下ろし、聖一杯踏ん張っているかの様にもみえるその主幹は、根元近くに大きな樹瘤を蓄え、目通り8.6mとある。

主幹にみなぎる力強さは推定樹齢1000年と言う老齢さを感じさせない活力に満ち満ちている。

傍らから大きく育ったヒコバエも最早大木になりつつ有るような・・・

根元には小さな祠が在り「ウエンジン様」の栃の木と呼び慕われているようです。

因みに「ウエンジン様」は「家神(イエジン)」が転訛した呼び方だろうといわれています。

樹高25m、今頃には大きな栃の実を一杯つけているのだろうか??

撮影2009.5.2