巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

横根大杉権現(鳥居杉)

2009-01-31 | 福井県


この杉を訪れたのも、もう半年ぐらい前の事なので何処をどう走ってここまで辿りついたのかはあまり定かではない。


小さな集落の奥の方に横根寺が新しく開けた境内にあって、確か鉄筋コンクリートの本堂がが有るだけだったように記憶している。



その横根寺をつっきて直ぐ正面にこの不思議な巨杉の鳥居が見える。



自然のいたずらか、はたまた意図的に枝を残してこのように仕立てた物かは解らないが大杉権現の扁額まで掛けられていてそれは正しく生きている鳥居です。


向かって左手の巨杉から横に伸びだした大きな枝が左手に対面している杉にまで真横に大きな枝を伸ばし急上昇している。



白山を開闢の泰澄上人お手上という伝承が有るそうですが、実際にはこの杉自身それほどの樹齢だとは到底思われません。


左手の杉の根元には霊水だといわれる観音水が湧き出していて、僕がここを訪れたときにもこの水を汲んで居られる人が居ました。



二本の杉はほぼ同じような大きさで幹周り約7m、、樹齢約300年だとされています。


この杉の鳥居はこの先、山頂付近に有る横根寺奥の院の山門だということです。


奥の院まで足を延ばして見ましたが境内には建物らしき物はなく、真新しい大きな観音石仏と仁王石仏などが置かれているだけでちょっと興ざめ。


傍らに在った支笏石の石仏群も少し寂しげにたたずんでいました。


 撮影2008.7.5


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伊勢大水神社のクス

2009-01-30 | 三重県


伊勢神宮(内宮)には誰もが一度くらいは行ったことが有るかも知れない??


しかしこの楠は殆どの人が訪れたことも無いに違いない。



大水神社は内宮の駐車場の奥、五十鈴橋の対面の丘、中段に在って、その少し上方には伊勢神宮内宮の学舎、書庫が発展してこの地に移築された国指定史跡の旧林崎文庫が在る。


駐車場奥の石段を登ると直ぐにこの巨大な楠の幹と根張りが訪れる人の目に飛び込んでくる。



静かな中に格調高い佇まいの中にある林崎文庫の通用口へ通ずる自然石の石段がこの楠の根元にあってこの上ないロケーションを提供している。


楠は大水神社基壇の石垣に実を半ば沈めた形で大きく枝を広げて樹盛もこの上なく、主幹にも大きな痛みは見えない。


この地にこんな大物の楠が隠れているなどとは誰しもが想像だにしないに違いない。


何せ目の前には、あの伊勢神宮内宮の杜が広がっている。


撮影2008.4.5


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旧五個荘町中町のケヤキ

2009-01-29 | 滋賀県


どうもこの樹は忘れてしまいそうなので直ぐにUPしておこう。


1月24日、湖東の勧請縄の追っかけの途中で見かけたケヤキの巨樹ですがまったく何の表示もなく、又人に聞くにもこの寒空のした誰も外には出ていません。


国道8号線(中仙道)が愛知川を渡る少し手前、左手に冬枯れの大きな梢が見えるので車を左折近づいていてみた。


道路の右手がちょうど公園になっていて駐車するにも何の問題もない。



冬枯れの巨木は一目見るとケヤキなのか?ムクノキなのか見分けがつかない。


この大きな樹は道路を挟んで公園の対面にあって空き地に有って、小さくて粗末な鳥居と、奥の一角には、これも本当に小さな祠が祀られていましたが、この冬姿の巨樹だけがデンと腰をすえていて少し侘しい。


多分幹周り5~6m、僕の直感ではケヤキ、取り合えず撮影だけ済ませて帰ってきました。


環境庁のデーターで旧五個荘町の巨樹を調べて見てこれに違いないという物を見つけました。



幹周り5.9m、へそ宮さんのケヤキがそれです。


他も調べて見ると、山王神社の御神木で、12軒からなる中村講と呼ばれる講に守られ、地上5mで幹が分岐するあたりに30cm程つき出た“こぶ”がありこれをへそに見立て「へその宮さん」と呼ばれる。



幹周り5.7m,樹高28m、樹齢 300年(推定)となっています。


多分近くの人しか知らない、無名の巨樹だと思います。


どういういきさつで、この山王神社はこんな寂しい姿になっているのかは知る由も有りませんが・・・・。


撮影2009.1.24


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霊仙落合神社のケヤキ

2009-01-28 | 滋賀県


僕の住まいから湖東や湖北に出かけるときはいつもこのR307号線を利用する。


R307は大阪枚方から山越えで京都府京田辺市、城陽市、宇治田原町を越えて滋賀県、信楽、水口、日野、八日市、多賀町へと続いているが、彦根市内に入る頃には同じ道路なのにいつの間にやらR306と変わってしまっている。



多賀町の、多賀大社を越え、暫く行くと河内風穴の看板があり、表示どおりに山側にどんどん進んで行き着く先がここ霊仙落合の集落ですがとても厳寒期には行き着けるところではなさそうです。


僕がここを訪れたのは昨年3月16日、もう直ぐ春分の日が直ぐに来るという早春の午後。


国道から分かれて多分約く20分程か途中離合困難な山道もありこの集落につきますが集落にはまったく人影もなく静まりかえり、まるで廃村のような静けさです。


人家は凡そ5~軒、ここは霊仙への登山口にもなっていて、登山者が乗り捨てたと思われる車が集落の中ほどに有る公民館の空き地に何台も駐車していました。


この先にも集落が何箇所か有るようですが、ここから先はまだ雪が深くてとても車では通行できる状態ではなく、集落自体も冬の間はまったく廃村状態のようです。


勿論この落合集落も冬の間はまったくの無住状態で厳重に戸締りされていましたが、荒れるに任せて廃屋同然の家が殆どです。



集落の突き当たり、登山口の手前の左側に雪に埋もれた落合神社の小さな境内があって


鳥居をくぐり石段を登ると小さな祠の落合神社に覆い被さるようなケヤキの巨木がたっています。


ちょっと寸足らずで下膨れのような主幹からは、この地の過酷な自然と真正面から立ち向かってきた力強さがうかがわれます。


勿論何の表示板も用意されていなくて環境庁のデーターに頼るしかありませんが・・・・。



幹周り7.42m樹高25mとなっていますが、樹高はそれほどなくもっとチビデブの様な気がしました。


それにしてもここまで訪れる人は年間を通しても一握りの登山者だけなかもしれない。


撮影2008.3.16


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長延(ちょうえん)のタブノキ

2009-01-26 | 京都府



丹後半島の井根町は舟屋の里として近畿一円では良く知れ渡っているところです。



もう大昔には渥美清の寅さんシリーズでもロケ地として使われた風向明媚な漁村でもあります。



そんな伊根町も海岸線を離れて少し走って見ると長閑な山村風景が広がっています。



長延は伊根町役場前を走るR178で丹後半島の先端部を目指し、途中長延口で左折、小さな峠を越えて集落へと入る。





小さな長延川の橋のたもとに古森神社が鎮座していてその境内脇の斜面タブの巨樹がおおきい主幹を突き出すように空に向かっている。





特に根回りの力強さには目を見張る物があって、この斜面で力いっぱい巨大な幹を支えて踏ん張っているような感じがします。





傍らには古びた粗末な表示板が有って近畿一のタブの木、幹周り6.8mとあり、樹齢推定?OO年とありますが?の部分が消えていて解りません。





このタブの木は殆ど知られることも無い様で、隠れた京都の巨木だと言うことです



撮影2008.5.18



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出灰(いずりは)素盞鳴神社の桂

2009-01-25 | 大阪府


この地を訪れたのはもう1年以上も前のこと、写真のデーターには2008.1.4とある。


北 摂三山の勧請縄を訪ねて、近場のこのカツラの巨木を訪ねた。


ここは高槻市の中心から、府道高槻~亀岡線を約20分程亀岡に向けて走った長閑な里山、京都市右京区大原野との境界線にあって、昭和33年までは京都府に属していたようですが、何故だかこの地区は今のように高槻市に越境合併、それまではこのカツラの木も京都府の天然記念物に指定されていたようです。




途中県道が、丘のように低い山を越えますが、まったく山はすべて住宅地に変わってしまっていて、マッチ箱のような家並みが林立する様はまるで小学校の時に作って遊んだ箱庭のように見えます。



出灰集落は川沿いの谷間に開けた約20軒ほどの集落で、鎮守社である素盞嗚神社の小さな石鳥居の横にこのカツラがでんと腰をすえている。


 カツラといえば人里から遠く離れた深山の奥にあって、昼なを暗い場所でひこばえが群集している物ばかりを見ていたのでこのカツラの木には少し拍子抜けでした。



中心の幹周り約3.5m、株立した5~6本の集合では約8m、樹高28.7m、樹齢300年前後と推定されている。
都会からも近く、そう標高の高くないこの地にこれだけのカツラが巨木が有るのはちょっと驚きでした。




しかしこの出灰と書いて「いずりは」と読むのはとても無理、この地はその昔石灰が産出、「いずるはい」が転訛して今のようになったとか??


撮影2008.1.4


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十五社(じごせ)の楠

2009-01-22 | 和歌山県


和歌山は近くて遠い近畿です。


京都からだと道路のアクセスが悪く距離的にはそれほどでもないのですが時間だけは充分にかかってしまいます。


国道24号線をどんどん南進するとここまでは1本道なのですが途中ぶつぶつ切れの京奈和道に乗ったりしていくらかでも時間の短縮を図ることが出来るようになりました。


現在の京奈和道、最終出口の高野口インターで降りて、24号線を和歌山方面に向かうこと約15分ほどでかつらぎ町笠田地区に入る。



この辺りから巨大な楠の樹冠は確認できるのですが、町並みが建て込んでいて何処をどうして入っていけばいいのか解りづらい。


笠田小南の信号を右折すると直ぐに森のような大きな樹冠が学校の建物を覆うように目の前に見えてきます。


僕の場合は最初の辻を右に行きそのまま笠田小学校の裏門の前に出ました。


目的の楠は目の前に有るのですが車を置いておく場所がありません、周囲は民家も密集していて楠の前の道路も細くて離合も無理なようです。


仕方なく楠から離れた小学校脇の少し広い道路に車捨ててここまで戻って来ました。


この地は妙楽寺の境内ということになっていますが、おおよそこの楠が大部分を占めていて、小さな本堂が侘しく残っているだけでした。



かつての妙楽寺には、薬師堂、大日堂と、15神を祀る十五社明神が鎮座していた為、「十五社明神の森」・「十五社明神の楠」と呼ばれているようです。


環境庁の調査では近畿で最大の巨樹といわれているようで、その威容は見事です。



一段高い石垣の上に、2メートルほどの短くて太い主幹があり、その周囲を取り巻くように太い8本の支幹が立ち上がって、見事な樹冠をつくっています。



樹齢約600年、目通り幹周13.5m、樹高20mで、樹勢はすこぶる旺盛で、巨木では珍しくバランスの良い樹形をしています。




 第2室戸台風で大枝が折れ、民家に被害が出た事で枝が切られたり周辺環境の変化のためか、樹勢が衰えはじめたためた1998年に、地域住民の方々の尽力で樹木医の治療を施され樹勢は旺盛です。



主幹の真ん中には小さな祠が祀られ、小学校の校歌にも歌われ、神そのものとして、信仰の対象としてこの大楠がいかに大切なものなのかがよく解ります。


撮影 2008.3.22


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若狭姫神社の千年杉

2009-01-20 | 福井県


若狭姫神社は先日紹介した神宮寺とは切っても切れない関係の社です。


当初、神宮寺から遠敷川(おにゅうがわ)を約1km遡った鵜の瀬に降臨し、後今の場所に鎮座したものだそうです。



若狭姫神社は、若狭一の宮・下社で、上社は「若狭彦神社」として南に1.5kmほど行ったところにあり、その延長線上に神宮寺があり、ここは古代若狭の国を造った道なのかもしれません。



非常に興味はありますが難しいことは個々に検索してもらうとして、この若狭姫神社には1000年杉と呼ばれる巨杉が有って、古式ゆかしい神社内陣の神域から大きく両手を目いっぱい空に向かって挙げたように聳えている。




この杉ノ枝ぶりは杉らしくなくこんもりとしていて、あたかも檜のそれのように見える。



幹周6.0m、樹高30m、樹齢500年となっていてそれほどの巨木では有りませんがこの若狭姫神社の境内に在って、周りとの調和も素晴らしく、見た目も姿の美しい巨杉です。



僕は一目見たとき奈良・石上(いそのかみ)神宮の七支刀が頭に浮かびました。


撮影2008.3.29
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若狭神宮寺のスダジイ

2009-01-18 | 福井県


ここ神宮寺の有る若狭地方は海の奈良と言われるほどに歴史の古いところで、古刹名刹も多く、僕の住む京都からも近く何度訪れても


又訪ねたくなる土地です。


このページは巨木の紹介ページなので詳しい歴史については触れることは避けておきますが・・・・・。



この神宮寺はその字でも解る様に若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元が創建したといわれ、七堂伽藍二十五坊を誇りましたが、豊臣時代に寺領を没収され、さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微したということです。


しかし古い歴史の片鱗は色濃く残されていて現在も神仏混在の寺院として、又奈良東大寺二月堂お水取りに使われる「お水送り」の寺としても広く知れわたっています。



若狭一の宮である若狭彦神社の前を走る県道35号線を少し山側に走ると道路右手に大きな二本のスダジイの巨木越に神宮寺の南大門が見える。



周りのロケーションもよく惚れ惚れとする景観の中に有るのですが木のデーター等はよく解りません、おおよそ目通り4.5mぐらいでしょうか?? 



この辺りからは寺そのものは見えないが、南大門奥に続く参道だけが長閑な里山風情の中に続いている。


神宮寺の境内には、ここからさらに100mほど県道を進み看板どおりに左折すると駐車場に着く。


境内はがらんとしていて中央には正面に注連縄を掛けた桧皮葺のこじんまりした本堂がある。


これは正しく僕の近くに有る、三重県甲賀の正月堂にうり二つの姿で、本堂内には神仏の像が並んでいた。



目指すスダジイの巨木は本堂左手、お水送りの水をくみ上げる「閼伽井」に対面するかの様に聳えています。



このスダジイは、根廻り15.27m、目通り6.17m、高さ17.50m、東西の枝張り22.80m、南北の枝張り21.00mと記されており、樹齢は約500年。




1000年以上も続くお水送りの行事を約500年間は見てきた事に成るが、この古い歴史の寺からすればまだまだ若いスダジイさんも知れない。



裏山に少し足を踏み入れるとそこには、おびただしい数のスダジイの老木が有って、かってこの寺はスダジイの林の中にあったのかと思える程でした。



ここは巨木もさる事ながら歴史の証人としての寺だという気が今更ながらにしています。



撮影2008.3.29


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杉の大杉

2009-01-16 | 高知県


四国に来たからにはここは外せないと、前日泊まった新居浜からホテルの朝食もとらずに6時に出発、高速を突っ走って大豊インターに着いたのがちょうど7時頃。


インターからは目と鼻の先の杉集落八坂神社は到着しても駐車場に誰が居る訳でなし、通常ならここで協力金を払うらしいが、どうしょうもなく賽銭でちょっと奮発。



ここはさすがに観光地化してるのか神社脇には少々派手なポスターとか、美空ひばりの顛末記のようなものがべたべたと貼られていたりして少し興ざめ。



この杉のうたい文句は「日本一の大杉」、何が日本一なのか??、杉と聞いて誰もが思い浮かべるのは屋久島の縄文杉、あれは樹齢で日本一、こちらはその規模


で日本一だとか??。


早朝の八坂神社は南国とはいえ山と山の狭間、11月の秋冷の中に森閑と静まりかえっていた。



誰も居ない境内でこの巨木と対峙するのは何かしら神(動かざる物、絶対)と対峙しているのだという気分になる。



とにかく大きい、動かざること岩の如しと言うけど、この杉にもその言葉をそのまま、あてはめることが出来そうなほど威厳に満ちて重壮である。



この巨杉を抱える神社にしては、境内はそれほど広くなく、村の鎮守の域を出ない、これだけのものを長い年月支え守り続けてきた杉集落のこの巨杉に対する思いの強さが感じられる。


現在では少し違う方向にも動いているような気もしないわけではないが、それは時代のなせる業、仕方ないことなのかも知れない。



この大杉は二株の大杉からなっており二株が根元で合着していることから夫婦杉とも呼ばれているようです。



往古、須佐之男命(すさのおみこと)が植えたと伝えられ、延喜12年(912)杉本太郎なる者がこの巨杉のもとに貴船大明神と祇園牛頭天王を勧請したと言う伝説も有り


1000年以上前にはすでに巨杉であったようです。


しかしなんと言ってもかなりの老体、やっぱり寄る年波には勝てず、あちこちかなりの手当ての後が痛々しく残っていますが、まだまだ元気に葉を茂らせています。



二本のうち大きい方は南大杉で根元の周囲が約20メートル、幹周り17メートル、樹高が約60メートル、また一方北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、幹周り13.5メートル


樹高約57メートル、樹齢約3000年といわれ、勿論国の特別天然記念物に指定されています。




撮影2008.11.1


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加茂の大楠

2009-01-15 | 徳島県


巨樹らしい巨樹の筆頭かもしれない??


ロケーションも良く何処からでも見え、どのような角度で見ても絵に成る巨樹で、巨樹巨木と聞いて誰もが想像するのはこんな木なのではないかと思われるほど均整の取れた美しい樹姿をしている。



四国巨樹の旅の第1回目の第1目的は勿論この楠、巨樹好きなら誰でも1度は訪ねて見たいと思う木に違いない。



もう何度となくブログにもHP にも書き尽くされていると思うが、よくもまあこんな市街地からも近い土地で単独樹としてこれほどの巨木が残った物だと感慨ひとしお。


徳島市街から続くR192号線沿いは楠の巨木の多いところ、あちこちでそれらを見ながら「東みよし町役場」を過ぎて直ぐに右手の枝道に入るとそれと直ぐにわかる大きな樹冠が見える。



周りには住宅や小さな倉庫のような建物が有るものの大楠の付近は広く開けた田畑で、周囲は公園化され誰でもが簡単に訪ねられる。



事実巨樹訪問では滅多に人など見かけないが、ここでは2~3組の観光客に出会った。


根元には小さな祠のお稲荷さんが祀られ、幹周りには大きな注連縄が廻され、株基にも狐の置物が置かれたりして信仰の対象となっていることがよく解る。



樹勢は申し分なく主幹も若々しく、この楠は余程この土地が気に行っているのだろうと思う。


樹齢1000年、樹高25m、目通り幹周13mと記されていて国の天然記念物に指定されている。



撮影2008.11.1


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太皇器地祖神社の杉

2009-01-13 | 滋賀県


もう随分古い話になるのだが・・・・・・。


去年の春の始め、滋賀県旧永源寺町の山奥に木地師の里として知る人ぞ知る山里が有るというので,以前から訪ねて見たいと思っていた「君が畑」を訪ねた。


秋の紅葉の名所、臨済宗永源寺派の総本山として名高い古刹永源寺の脇からR421で永源寺ダムの湖岸を走りぬき、政所から県道34号線に入り暫く走ると、途中の集落蛭谷に入る。



集落の途切れたところで道は二手にわかれ右手の急な坂を登って10分も走るとやがて集落が見えてくる、まあよくもこんな山奥に集落が有るもんだと少々あっけにとられる。


ここが木地師発祥の地、木地師の里として知られた君が畑の地で、廃屋らしい家も何軒か見かけるが、今でも20~30軒以上の民家が健在のように見えた。


この地の太皇器地祖神社は 平安時代に皇位争いに破れ、この地に落ちのびた文徳天皇の第一皇子、惟喬親王(これたかしんのう)を祀る神社で、ろくろを使った椀や膳、盆の制作を思いつき、この地に木地師の基をなしたと言われています。



全国の木地師はここからの出身者がその殆どを占めるとまでいわれているようです。


その惟喬親王を祖神として祀った神社がこの地の小高いところに鎮座する太皇器地祖神社でこんな山深い神社にしては広い境内と立派な社殿を構えている。



長い石段を登ると白い石の鳥居と杉木立が見え、鳥居左側には双幹の杉の巨木が見える、太いほうの主幹は無残にも途中で折れて朽ち果てているが、多分この樹が神木で有るのだろうか注連縄が掛けられている。



参道を少し奥へ行くと、石の反り橋があってその脇にひときは目立つ大きな杉の木が直立している。


環境庁1988年滋賀県のデーターを見ると、君が畑の神社にはおおよそ20本以上の巨木が登録されており、その最大のものが幹周り6,10m、続いて5.65m、5.15mとなっていて、どれがどれに該当するのかはよく解りませんが、いずれにしてもこの辺鄙な集落で惟喬親王の名と共に今も大切にあがめられているのは間違いありません。



取り立てていうほどの巨木ではありませんがこの土地魅力と共にいつまでも残って欲しい巨木です。


撮影2008.3.14


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落河内のカツラ

2009-01-12 | 鳥取県


最近カツラノ巨木を紹介することが多い。


何故だろう??、カツラの巨木の殆どは主幹の根元より伸びたひこばえがが主幹を取り囲み一種独特な樹姿をしていて、その姿と「ひこばえ」が大きくなって主幹が朽ち果てた後も世代交代をして永遠の命を得たように生きぬく姿に感動を覚えるからかも知れない??。



このカツラも他のカツラの巨木と同様、自然豊かな深い山村のはずれにあって、地域からは、「山の神」とあがめられ大切にされているようです。


岡山県から鳥取に抜けるR53号線河原端交差点を左折、千代川を渡って直ぐに千代側沿いを暫く走り、山の方へと向かう千代川の支流の谷間の道を奥へ奥へと車を走らせる。


あまりよく覚えていないのですが途中北村の公民館を過ぎて暫くいくと左手に行く道路へと入って行く。


こんな処までも鳥取市内なのかと、最近の行政合併をいぶかしく思う。



いよいよ道路は深い山の中に入ったような感じになり途中集落を超えた左側山手にこの巨大なカツラの巨木が聳えているのが見える。


僕がここを訪れた9月21日昼前には集中豪雨のような強い雨足の最中で道路脇をすさまじい勢いで谷川からあふれた水が流れていた。



それでも意を決してカメラ片手に大雨に打たれながら何とか撮影しましたがレンズに雨粒は容赦なく降り注ぎ、光も弱く残念な画像になっています。



車に積んでいた長靴に履き替え、カツラの傍まで寄って見ましたが足元も悪く充分な時間も取れずに残念です。


それでも雨の中で見るこのカツラの巨木は、緑の葉をいっぱいに付けまるでこの豪雨を満喫するように聳えていました。



このカツラはいつも僕が見慣れているカツラとはちょっと趣を異にしており、株立ちの「ひこばえ」は少なく主幹から分かれた大きな枝がこの樹の樹姿を作りあげている。
樹齢約500年、目通り12.9m、樹高40m、鳥取県の天然記念物に指定されている。


撮影2008.9.21


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菩提寺のイチョウ

2009-01-10 | 岡山県


中国道津山インターから鳥取方面に抜けるR53号線を約20分程鳥取方面に走り、奈義町の役場を少し過ぎた辺りから道を左手に取り菩提寺へと続く道路へと入っていく。


集落を抜け山道を10分ほども走るとちょうどこの菩提寺の前に着くがまったく人気もなく静まりかえっている。


菩提寺研修センターなるキャンプ場施設の建物も見えるが休業状態でまったく人の気配さえなく、ただただ不気味なほどの静寂さだけが辺りを占めている。



駐車場はこのキャンプ場が有るおかげかしっかり整備されており、表示板等も設置され目的の大公孫樹も何の苦労もなく訪ねることが出来る。


小さな山門をくぐり、自然石を積み上げた石段を登り、小さな侘しい本堂の横から鐘楼脇を通ってこの大公孫樹の前に出る。


この菩提寺は岡山県と鳥取県の県境にある標高1,240メートルの那岐山の中腹に有って標高620m、役の小角が開いた山岳寺院で、後に僧行基が十一面観音像(現在の本尊)を安置されたと伝えられ、法然上人が9歳から13歳まで修業したと言われている。


ここでも「杖箸伝説」が健在で、このイチョウは法然上人が地中にさした杖が芽吹き、成長したものと言い伝えられているようです。


僕がここを訪れた九月中旬、イチョウはまだまだ真っ青な葉を枝いっぱいに付け天空を覆い隠していた。


樹姿全体を遠くから見る限り緑の塊しか見えないこの大銀杏は、枯淡な感じなど受けない程若々しく見える。



しかし近づくと巨大な主幹は幹なのか気根が幾重にも垂れ下がった物なのか、はたまた樹瘤の塊なのか判断に苦しむほど異様な形状を呈していて、その老齢さゆえの威厳や気迫が厭が上にも感じられる。



枝幹から延びた気根も、その大きさ、数の多さには目を見張るが、枝幹上からも落ちた銀杏が育ったのか何本もの若木が元気に育ってる姿には驚かされる。


圧巻の迫力は国の天然記念物に指定されていて、イチョウをモチーフにした、組木の童人形は「なぎっこ」と名付けられた奈義町ならではのクラフト民芸も有るほどこのイチョウを大切にしているようだが、まったく人に出会わないのはちょっと寂しい。



推定樹齢900年、幹周り12m、樹高45mとなっていて、全国でも4位にランクされるイチョウの巨木だそうです。



撮影2008.9.21


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岩屋の大カツラ

2009-01-09 | 岡山県


昨年の9月21日、秋の連休を利用して鳥取、島根方面の巨樹を追いかけて来ました。


京都からだと中国道津山インターで降りて鳥取に入るのが良いだろうと考えて途中寄り道すべきところは無い物かと探していて見つけたのがこの岩屋の大カツラ。


つい先日UPの岩屋の大杉は福井県こちらは岡山県苫田郡鏡野町岩屋、岩屋神社裏山の急斜面ガレ場に有る大カツラ。



このかつらの巨木は忘れようにも忘れられない。


家を出るときには降っていなかった雨が、名神から中国道に乗り換えたあたりからポツポツ来だし兵庫県内は本降り、それでも岡山県院庄インターを降りるころには少し小降りとなっていたものの、あまり幸先の良くない旅の始まりでした。


国道179号線で鏡野町役場方面へその先県道392で岩屋を目指す。


目指す岩屋神社は道路脇にそれと判る看板も設置されていて何の苦労もなく到着しました。


結構長い参道には秋の山野草も咲き乱れておりのどかな里山風情が満喫できるところでした。


石段を登り早速拝殿に手を合わせ、目的のかつらを探して見るとここにも掲示板があり裏山を示していました。


拝殿横から見上げて見ると裏山中段あたりの杉林の中にそれと思しき黒い塊が見えてそれを目指してガレ場状態の雨交じりの中、道なき山肌を登ってこの大カツラに対面。



まるでガレ場の山肌から突然飛び出した体全体が口でもあるような怪獣が諸手を突き上げ、大声で何かを叫んでいるような鬼気迫る形相の桂の巨木。


僕はかってこれほどの形相の桂は見たことがない。


足場も悪く雨天模様の杉林は暗く撮影条件は最悪、おまけに気迫のこの桂の前でたじろがずには要られなかったことも確かですが、前面化の姿を撮り終え、サイドからの姿をと思って、桂の前を横切ったとき、頭や耳たぶに激痛が走り蜂に刺されたのが判った。


それを振り払おうとして足元がお留守になったのか、そのままガレ場を転げ落ちるという無様なことになってしまった。


幸いにも、10mほど転げ落ち木の株に助けられましたが蜂に刺された激痛と、ガレ場を転げ落ちたときの擦り傷とですっかりこの場は意気消沈。


しかし、転げ落ちたときにメガネをなくしたことに気づき再度途中まで登ってみたが、なくしたメガネは見つかる由もなく、桂のそばまではとても近づくことも出来なかった。


もっていたカメラは、たいした傷もなく無事生還ここに掲載した画像だけが唯一の収穫になった。


まったく不満足な画像が何枚か残ったものの、命あっての物種、その場は後ろ髪を引かれる思いを残して後にしたが、僕を拒絶したこの大桂を再度訪問する決意をしながら痛みの走る体で車で次の目的地に移動した。



どうぞ、次回は近づくことを拒絶しないでほしい。


幹周約13m、樹齢、樹高共に不明。


撮影2008.9.21


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