暘州通信

日本の山車

◆04992 加悦天満宮祭 更新

2014年10月11日 | 日本の山車
◆04992 加悦天満宮祭 更新
□社名 加悦天満宮
□所在地 京都府与謝野町(旧加悦町)加悦(かや)
□祭神
□祭は四月下旬。
□山車
山車の呼称、形態は、山屋臺、藝屋臺。
・上之町
本坐、龍神?
天明六年(一七八六)、工匠、冨田平兵衛により建造された記録がある。
・算所区
天神山
・下之町
稲荷山
 加悦天満宮祭に曳かれる山車は、滋賀県長浜町で曳かれる【子供歌舞伎曳山】に酷似しており、全部は唐破風屋根のつく舞臺、後部は【亭(ちん)】風のつくりである。長浜の曳山は、裏日本を西に丹後まで。北上して、おなじ京都府の舞鶴市にもかつては長浜型の山車があったと伝わり、ここで演じられる歌舞伎は有名で、各地から頼まれてに出かけていって上演したと伝わり、依頼した方ではこれを【買歌舞伎】と呼んでいる。石川県小松市の【子供歌舞伎曳山】、富山県礪波市の【出口子供歌舞伎曳山】、岐阜県飛騨市の【白虎臺】。高山市川原町の【龍臺】の旧臺がやはり舞臺つきの長浜型の山車で、【娘道成寺】を上演したと伝わる。
 富山県の入善にもかつては、長浜型の山車が曳かれていたという口承がある。かつては、
長浜型山車は広範な分布を持っていたと推察される。
□汎論
 南北朝期から戦国期には、【加悦荘】とよばれる荘園で、【賀悦荘】とも書かれる公家領であった江戸時代に入り、【宮津藩】の支配となり、【野田川舟運】は、加悦の大橋詰まで運行され米穀の宮津藩へ貢納、物資の輸送にあたったと伝わる。
 【丹後ちりめん】は、夙に著名であるが、丹後地方には、ひろく【丹後精好】とよばれる【紬生産】の素地があったが、【手米屋小右衛門】は、京都の西陣で縮緬(ちりめん)の織法を習得し、享保七年(一七二二)に帰郷して生産に着手したが、次第に広まった。
 享保一五年(一七三〇)、京都の西陣に【西陣焼け】とよばれる大火があったことから、西陣の生産がとまったときに、丹後の生産が飛躍的に伸びた。
 山車は、機織業の盛業により華麗なものが建造されたが、古来、機織業は消長が激しく衰退期には沈滞している。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・加悦天満宮
 http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/kaya.html
・京都府与謝郡与謝野町加悦天満宮例祭
 http://www42.tok2.com/home/kuzuwaka/yosanokaya060430-2.html
◆日本の山車 ブログ
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