暘州通信

日本の山車

◆花里神社の由緒 七

2018年09月06日 | 日本山車論
◆花里神社の由緒 七

 上宝郷(現、飛騨市神岡町)に拠点を占めていた江馬氏は三木氏とは姻戚関係にあったが、輝盛の代に、甲斐の武田信玄が信州を攻めてその全域を手中に収めたが、その余勢を駆って、飛騨山脈を越えて飛騨に入り、上杉につく千光寺を攻め僧房は紅蓮の炎に包まれ、本堂も焼け落ちたのであった。

◆花里神社の由緒 五

2018年09月06日 | 日本山車論
◆花里神社の由緒 五

 齋藤道三にはふたりの娘があったといわれ、上の娘が桔梗であり、その妹の名は不明といわれるが、一般には「濃 こい、のう」とよばれ、「おのうのかた」ともよばれた、織田信長の妻として知られる。 つまり、三木自綱と織田信長は義兄弟であり、齋藤道三からみれば相婿であった。  

◆花里神社の由緒 四

2018年09月06日 | 日本山車論
◆花里神社の由緒 四

 温泉で名高い下呂市の乗政から出たとされる三木氏は三代目の自綱(よりつな)のとき高山の松倉城に堅固な石塁をつみあげて築城して中世の飛騨をほぼ掌握した。
 「洲岬」の地は、自綱が松倉城竣工まで居住した館のあとと伝え、ここには高山在住中に死去した妻桔梗の霊を安んじるため、寶樹山 善應寺(ほうじゅさん ぜんのうじ)を建立した。本尊は、白檀の清凉寺式釈迦如来だったと伝わる。
 この 桔梗は、美濃岐阜城の齋藤道三の娘であった。