三浦海岸で開催された「三浦国際市民マラソン」で走友を応援した後、馬堀海岸へ出て走水から観音崎公園へ向かいました。
観音崎園地から七曲りの急坂を上ると。「東京湾海上交通センター」に着き、東京湾入口の浦賀水道航路を行き来する貨物船やコンテナ船の船舶交通の管理をしているようで、眼下にはタンカーなどが絶え間なく航行していました。


センターの近くには、北門第2砲台跡、第1砲台跡が並び、砲台の台座跡が連なり東京湾防備の要塞地として保存されています。
砲台には24砲座6門と弾薬庫があったところで、今も4砲座と弾薬庫が残っています。


第1砲台跡も同じ形が残されていますが、日本最古の砲台だそうでレンガ造りのトンネルで繋がった二つの砲座が残されています。

第2砲台跡の先には、長いトンネルが残っていましたが、立ち入り禁止でしたね~

第1砲台跡から岸壁の切通しを2つ抜けると観音崎灯台の入口に着きました。



灯台は、螺旋階段で頂部まで登れる珍しい階段で、最頂部では灯台の光源の灯りを間近に見ることができました。
この日は、強風で吹き飛ばされそうでしたが、眼下には東京湾を航行するLNGタンカーや貨物船が行き来し、遥か先には房総半島を望める絶景が見られました。





現在の灯台は、三代目だそうですが、佐田啓二と高峰秀子が演じた映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケも行われた日本初の洋式灯台で、記念の光源も残されており想い出に耽っていました。

迷路のような散策路の先には、レンガ造りのトンネルがありそれを抜けると、「海の見晴らし台」へ着きます。

見晴らし台からも房総半島など東京湾の絶景が見られましたが、敵艦の侵入攻撃を防ぐ重要な役割を担っていたのですね~


見晴らし台の先の浦賀水道を一望できる場所には、「戦没船員の碑」が立ち対戦や海難事故で亡くなられた船員の霊を慰め平和への願いの碑となっています。


花の広場から三軒家砲台跡へ向かうと、略原型に近い形で6門の砲台や地下庫が保存されており、日清戦争・日露戦争で活躍したもので、周りの切通しのような通路も圧巻でした。





観音崎公園の歴史的遺構や絶景を堪能して、馬堀海岸の「うみかぜの路」に戻り横須賀へとジョグっていました【続く】

観音崎園地から七曲りの急坂を上ると。「東京湾海上交通センター」に着き、東京湾入口の浦賀水道航路を行き来する貨物船やコンテナ船の船舶交通の管理をしているようで、眼下にはタンカーなどが絶え間なく航行していました。


センターの近くには、北門第2砲台跡、第1砲台跡が並び、砲台の台座跡が連なり東京湾防備の要塞地として保存されています。
砲台には24砲座6門と弾薬庫があったところで、今も4砲座と弾薬庫が残っています。


第1砲台跡も同じ形が残されていますが、日本最古の砲台だそうでレンガ造りのトンネルで繋がった二つの砲座が残されています。


第2砲台跡の先には、長いトンネルが残っていましたが、立ち入り禁止でしたね~

第1砲台跡から岸壁の切通しを2つ抜けると観音崎灯台の入口に着きました。



灯台は、螺旋階段で頂部まで登れる珍しい階段で、最頂部では灯台の光源の灯りを間近に見ることができました。
この日は、強風で吹き飛ばされそうでしたが、眼下には東京湾を航行するLNGタンカーや貨物船が行き来し、遥か先には房総半島を望める絶景が見られました。





現在の灯台は、三代目だそうですが、佐田啓二と高峰秀子が演じた映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケも行われた日本初の洋式灯台で、記念の光源も残されており想い出に耽っていました。

迷路のような散策路の先には、レンガ造りのトンネルがありそれを抜けると、「海の見晴らし台」へ着きます。

見晴らし台からも房総半島など東京湾の絶景が見られましたが、敵艦の侵入攻撃を防ぐ重要な役割を担っていたのですね~


見晴らし台の先の浦賀水道を一望できる場所には、「戦没船員の碑」が立ち対戦や海難事故で亡くなられた船員の霊を慰め平和への願いの碑となっています。


花の広場から三軒家砲台跡へ向かうと、略原型に近い形で6門の砲台や地下庫が保存されており、日清戦争・日露戦争で活躍したもので、周りの切通しのような通路も圧巻でした。





観音崎公園の歴史的遺構や絶景を堪能して、馬堀海岸の「うみかぜの路」に戻り横須賀へとジョグっていました【続く】
