ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(97・中央西線電化の記録㊱)

2016-03-19 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

中津川・塩尻間   真夏の鳥居峠

宮ノ越から藪原・奈良井と続く。いずれも旧中仙道の宿場町である。
藪原は木曽郡木祖村の中心地であり、高山への飛彈街道が中仙道から分岐する古くから交通の要衝であった。

奈良井駅は中央西線で標高が最も高い934m、藪原駅は924mにある。奈良井は平成の合併で塩尻市に編入された。
旧中仙道の最大の難所であった鳥居峠は木祖村と塩尻市の境界にあり、中央西線は鳥居トンネルで峠を越す。
奈良井から先は、木曽平沢・贄川・日出塩・洗馬と進み、約21キロで中央西線終着の塩尻に到達する。
なお、塩尻市の編入前の当時は奈良井から木曽十一宿の最北端の宿場の贄川までが楢川村であった。

奈良井以北の複線化は、43年に日出塩・洗馬間が完成、洗馬・塩尻間、贄川・日出塩間は50年代に完成した。
木曽平沢・贄川間の権現トンネルを複線構造で新設して付替えているが、奈良井から贄川間は複線化されなかった。
奈良井以北は撮影していないので、中央西線の電化の記録は鳥居峠までで終了する。

42年7月31日、薮原・奈良井間で撮影。
高校に進学後、興味を持っていた鳥居峠を訪れた。奈良井宿から旧中仙道沿いに峠に登って藪原宿に下ってきた。
木曽郡が未だ西筑摩郡と称されていた頃で5万分の1地図のみが頼りであった。列車の撮影は二の次である。

名古屋5:34発の長野行始発列車で奈良井に10:26到着。約5時間の長旅であった。この頃は随分時間を要していた。
中仙道を行く前に、列車で通り抜けた鳥居トンネルの坑口まで歩いた。この区間の複線化は次回以降記載する。

延長1673mの鳥居トンネルの奈良井側坑口 下りDC急行通過後で排気煙が残る


古びたレンガに鳥居隧道の銘版


道中、奈良井千軒と言われた宿場の街並みのはずれまで来ると新トンネル建設の工事現場が見えた。



44年の新トンネル完成により廃止された旧線は、鳥居トンネルを出ると奈良井川沿いに奈良井に向かっていた。
奈良井川は犀川、千曲川に合流、新潟県内で信濃川に名を変え日本海に至る。鳥居峠は木曽川、信濃川水系の分水嶺である。

鳥居トンネル上の旧国道19号線から奈良井方面を展望。

D51牽引の下り貨物 トンネルを出て奈良井川を渡り20‰を下っていく




キハ58系下り801D急行第1"しなの" 後部から


左側は国道19号線、中央は奈良井川


奈良井宿に引き返し古人の道を辿って標高1197mの峠を越えて、やっとのことで藪原側に下りてきた。
下り貨物が急勾配をきたが、築堤の下にいて撮影場所を選定できずに失敗。新トンネルを除いて複線化着工前であった。

D51牽引の下り貨物




藪原側も鳥居トンネルまで殆どが20‰の上り勾配である。結構歩いて、漸くよい撮影ポイントが見つかった。



下り列車のD51には時間が合わず、次のDC急行を照準にした。右手後方に藪原の街並みが展望できた。
前照灯を点灯したキハ58系がエンジン全開でゆっくり20‰を登ってくる。これがメインの写真になった。

キハ58系下り2801D急行"赤倉"


1967.7 藪原・奈良井


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